目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第31話 一番の友達

 夏休み最後の日曜日。


 明日斗が総合デビューするというので、試合を見に行ってやった。


 会場は難波の方にある「キングダム」という総合のジム。雑居ビルの2階というのはネバギバと同じだけど、鴫野よりもずっと都会な感じで、駅の周辺も飲食店がひしめき、たくさんの外国人観光客が行き交って、にぎやかだった。


 階段を上がってジムに入ると、選手とセコンド、応援らしき人が入り混じって、足の踏み場もない。中央にリングが設置してある。だけど、リングってこんなに小さかったっけ? テレビで見るボクシングのリングは、もっと大きかったような気がするけど…。


 「よう、雅史」


 むせかえるような熱気の中、いきなりポンと背中を叩かれて、飛び上がるくらい驚いた。振り向くと明日斗がいた。もうスパッツ一枚になってヘッドガードをつけ、グローブとレガースも装着している。ニカッと笑っていた。


 「ああ、びっくりした」


 思わず口をついて出た。


 「俺はもう緊張しすぎて、何が起きてもびっくりしない」


 明日斗は丸い目をむいて「これが悟りってやつだ」と笑いながら言った。


 よかった。緊張しているという割には冗談を言っているし、思った以上にリラックスしている。


 初めて見る総合の試合は、アマチュアでも迫力満点だった。リングが狭いので打撃の応酬になることは少なく、大抵は1、2発殴り合ったあと組んで、どちらかが倒すことに成功し、寝技の攻防になる。


 決めきれない試合が多くて、ほとんどが判定で勝敗が決まっていた。それでも実際にやっている身としては、ここからどうなるとか、どの局面が難しいかとかが少しわかるので、見ていてとても面白かった。


 明日斗は判定負けだった。


 打撃出身なのに、すぐに組みに行った。後から聞いたところによれば、作戦だったらしい。リングが狭いし、打撃で戦うのは難しいので、早々にレスリング勝負にいったとのこと。だけど相手は柔道家で、そこで鮮やかに内股で投げられて、あとは終始、グラウンドでトップを取られて、試合は終わった。


 「うん。勉強になることしかなかった」


 帰り道。僕の肩をバンバン叩きながら、ちょっと茶でもシバこうぜと明日斗が言うので、サイゼリアに行った。茶でもと言いながらイタリアンレストランとは、ちょっと違うのではないかと思わなくもないが、明日斗の「茶をシバく」はサイゼに行くことと同義なので、今更気にしない。そもそも僕が返事をする前に、すでに足はサイゼへと向かっている。


 家に帰れば普通に晩飯があるはずなのに、糖質を補給しないといけないと言って、ペンネアラビアータとミックスグリルと、ドリンクバーを注文した。僕はドリンクバーとポップコーンシュリンプだ。


 「雅史のいるところは、総合のジムなんやろ? 総合の試合は出えへんの?」


 自分の試合の話を早々に切り上げて、僕の近況を聞いてきた。


 「うーん、そうだな。もう少しうまくなってからかな」


 「うまくなるのを待っていたら、いつまでも出られへんで」


 「そうかもしれないけど、俺はまだまだ下手くそやから。空手時代から、何年もやっている明日斗とは違うねん」


 いつも通り、興味があるのかないのかわからない感じで、ふーんと言っている。口いっぱいに押し込んだペンネを飲み下すと、唐突に話題を変えた。


 「そりゃそうと、そっちの合宿はえらい面白かったらしいやんか」


 そうだ。


 LINEで面白かったと感想を送ったのだが、詳細までは伝えきなかった。嬉々として、明日斗にネバギバの合宿がいかに楽しかったかを話した。正直、練習は死ぬほどきつかったけど、千葉さんと仲良くなれたり、アマチュア選手と一緒に雄叫びを上げながらウエートトレーニングしたり、振り返ってみれば全部、楽しかった。


 学校では無理だったけど、ジムでは格闘技を通じて、人の輪に入れるのがうれしかった。


 「明日斗もネバギバに来たら? プロ選手はいないけど、アマチュア選手なら何人かいるで」


 調子に乗って、勧誘してみる。僕はまだまだ練習相手にならないかもしれないけど、翔太は体格も似ているし、いい練習相手になるはずだ。


 「うーん。俺はやっぱり、プロの人と一緒に練習できる環境の方がええなあ」


 明日斗の所属しているジムは、プロ選手も抱えているような大きなジムだった。普段からプロと一緒に練習をしているらしい。


 「そらそうと、マイとはその後、どうなったんや。そのまんまなんか?」


 明日斗はフォークを置くと身を乗り出して、また突然、話題を変えた。というか、サイゼに来たのは、きっとその話が聞きたいからだろう。


 どうしよう。正直に話すべきか。


 母さんには「外では言うな」と言われている。ただ、明日斗はこういうことを他の人にペラペラしゃべる人間ではない。高校も別なので、仮に誰かに話したとして、学校に広まることもないだろう。何より僕と同じく、マイを幼少期から知っている幼馴染なのだ。傷つけるようなことはしないはずだ。


 僕は意を決して、話すことにした。


 「お前、それ絶対、その黒沢ってやつに振られたかなんかやで」


 明日斗はコップをドン!と乱暴にテーブルに置くと、さらに身を乗り出した。


 「そうかなあ。振られたくらいで、あんなことするか? マイはそんなやつじゃないやろ?」


 僕が挟んだ疑念に、明日斗はすぐ折れた。


 「確かにそうやな。マイは強いからな」


 明日斗は腕組みして考え込んでしまった。


 「何があったんやろ。気になるなあ」


 そう言い残すと、おかわりもらってくるわとドリンクバーに行ってしまった。


 そうだ。マイは、男に振られたくらいで自殺しようと思い詰めるような子ではない。黒沢が初めて付き合った男で、どんなに好きだったとしても、別れるとなればスパッと割り切れるタイプだ。


 ……たぶん。


 明日斗が戻ってきた。何かと何かを混ぜてきたのか、薄紫色の不気味な液体をコップに入れてきている。


 「まあ、ひとつ言えることは、アレや」


 座席にドカッと腰かけて、鼻の穴をふくらませる。


 「今のマイを支えられるのは、雅史しかおらんっちゅうことや」


 どんぐりまなこをさらに丸くして、勢いよく僕を指差した。


 「なんでそうなんねん」


 二度と来んなって言われたって、話したじゃないか。


 「だって、親にも話せへんのやろ? ほんなら、話せるのは友達しかおらへんやん。マイの一番の友達は、雅史、お前やん」


 「黒沢に話せばええやん」


 自分で言って、心の中に憎悪の暗雲が沸き立つのを感じた。カーッと頭に血が昇る。


 「あかんって。絶対、その黒沢ってのが原因やから! 彼氏に話せるような悩みやったら、彼氏に言うてるって。言えへんからこうなってんのとちゃうの?」


 明日斗は憤慨している。その通りだ。


 何があったのか、わからない。ただ、あの傷つきようだと、簡単には教えてくれそうもない。


 それならそれで、いい。


 明日斗の言葉を心の中で反芻する。


 確かにそうだ。いろいろあったけど、マイの一番の友達は、僕なんだ。冷え切っていた心の奥底に、何かが灯った気がした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?