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第25話 エロいこと考えている暇がないって本当ですか

 僕はフルコンのスパーで代表にボディーを効かされて、早々にダウンしてしまった。


 嫌だ、こんなところで離脱したくない。


 千葉さんとスパーしたい。千葉さんとスパーするまでは死ねない。1セットだけ抜けて、復帰した。


 キックとフルコンのスパーは随分と違う。


 一番の違いは間合い。だけど、これは僕だけかもしれないが、「相手と接触した」という感覚があるかないかという点が、大きく違った。


 ボクシンググローブは、厚みがあってディフェンスもしやすいので「触れている」という感覚はほとんどない。だけど、フルコンは薄いサポーターしかつけていないので、相手の体に触れたという感覚がリアルにあった。


 下衆な話だが、僕は千葉さんの体を触りたかった。夜の打撃クラスでよく会っていたけど、キックのスパーばかりしていてフルコンはしたことがなかった。


 腹を効かされて、呼吸が乱れて、足に力が入らない。それでも思春期の旺盛な性的衝動にすがりついて、何とか千葉さんの前にたどり着いた。


 「おお、城山、頑張るね。そんなにお姉さんとスパーしたかった?」


 ニコニコと笑って、楽しそうだ。拳サポーターの甲で額の汗をぬぐい、前髪をざっくりとかき上げる。上気して赤く染まったほおを汗が伝う。大人の色気が漂って、エロスティックだった。


 たまらん。金的蹴られて死にたい! ここまでたどり着いた達成感で、頭のてっぺんから歓喜のエキスが吹き出しそうだった。体を押し潰しかけていた疲労感が、一気に吹き飛ぶ。


 ピピッ


 タイマーの音と同時に互いに踏み出した。


 「ほっ、シュッ!」


 千葉さん独特の気合がさく裂する。しなやかな、猫みたいな動きだ。リードジャブは思った以上に伸びてきて、思わずのけぞる。体勢を崩したところに、ムチのようなローキック。ビシイッ!とクリーンヒットして、膝が崩れた。こちらもジャブを返すが、軽やかなステップで避けられた。


 「城山、胸張って」


 攻撃しながら話しかけてくる。


 ああ、そうだ。鼻から息を吸って、背筋を伸ばす。急に千葉さんが小さくなったように感じた。


 ジャブ、ジャブ、そして右ミドル。


 ディフェンスされたけど、急に千葉さんはやりにくそうにし始めた。間合いに入ってこない。


 「そうだよ、それそれ!」


 自分のことのように喜んで、声をかけてくれる。それでさらに勇気がわいてきた。ジャブ、ワンツー、ジャブと連打で攻め込む。最後のジャブが千葉さんの胸元に触れた。


 そう、胸元に!


 思ったほど柔らかくなかった。翔太の胸に打ち込んだ時と、そう変わらない。でも、確かに触れた。千葉さんの体に、それも胸に触れたというだけで、僕の心臓は経験したことがないほど跳ね上がり、体は芯から熱くなった。これまで得たことがないほどの、壮絶なエクスタシーだった。


 ああ…たまらない…。


 手が止まっていたのだろう。左腕をさばかれて間合いを詰められると、あっと思っているうちに左のハイキックを当てられた。伝統派っぽい、膝のスナップを効かせた蹴りだった。パチンと音こそなったものの、鮮やかな寸止めだ。


 「ほら、城山! ボーッとしない!」


 少し怒った声だが、顔は笑っていた。幸せだ。僕はめちゃくちゃ幸せだった。合宿に来て、本当によかった。


   ◇


 夕食はジムでみんなで食べた。


 代表が近くの弁当屋さんから、唐揚げとかハンバーグとかの盛り合わせを取ってくれた。ごはんだけジムにあった巨大な炊飯器で用意して、長机を3台(それで全てだった)出して、食器は発泡スチロールの使い捨て。少年部の親が唐揚げとかポテトサラダとか、子供が好きそうなおかずを差し入れてくれて、テーブルの上にはすごい量の食事が並んだ。


 みんなよく食べる。


 ヘトヘトで食欲はなかったが、例によって千葉さんが「城山、ちゃんと食べないと」と言ってくれたので、頑張って詰め込んだ。


 食事が一段落すると、代表が司会になって、少年部はビンゴ大会が始まった。特賞は小さなトロフィーだ。試合に勝ってもらうのならともかく、ビンゴでもらってうれしいか?と思っていたら、僕の予想を覆してすさまじく盛り上がった。子供たちにとってトロフィーは憧れの宝物らしい。僕ら高校生や大人たちは、少し離れたところで見ている。


 「城山は何で総合、始めたの?」


 ビンゴ大会の輪の中で、珍しくキャッキャと騒いでいるミユちゃんを見ていると、ふいに千葉さんに声をかけられた。小首を傾げたところが、またかわいい。


 「えっ。いや…総合をやりたかったわけじゃなかったんですけど…なんとなく、勢いでこのジムに入っちゃって…」


 僕が不登校だということを知っている人は岡山さんをはじめ、このジムにも何人かいる。だけど、千葉さんにはまだ言ってなかった。不登校の仲間、つまりミユちゃんがいたので入ったとは、言いづらかった。


 「空手、やってたんでしょ? どこで?」


 「ああ、はあ。真正館です。本当に短い間でしたけど」


 「あ、そうなんだ。それで、あんな癖がついているんだ」


 一人で納得したようにうなずいている。どんな癖がついているんだろう。


 「いいなあ、目をかけてもらってさ。千葉ちゃん、俺も構ってくれよ」


 缶ビールを片手に、長崎さんがやってきた。千葉さんの対面、僕の隣に座る。ニヤニヤしながら、ビールに口をつけた。


 「なんやねん。既婚者に用はないわ」


 千葉さんはジト目でにらむ。


 「あっ、キビシーな! 痛いとこ突くわ」


 大げさにアハッと笑うと、後頭部をポリポリとかいた。長崎さんは、奥さんと子供さんを連れて来ていた。フワッとした感じのかわいい奥さんで、少年部のお母さんたちと一緒に食事の準備をしてくれた。子供の名前は陽介くん。1歳の男の子で、長崎さんによく似ている。奥さんが手伝っている間、少年部の子供たちが面倒をみていた。


 「ネバギバの女神様なんやから、みんなに平等に愛を注いでほしいなあ」


 「誰が女神様やねん」


 長崎さんのお願いを、千葉さんは笑い飛ばした。


 「そらそうと、明日はグラップリングやぞ。雅史、千葉ちゃんと寝技のスパーができるぞ。確か、まだやったことないやろ?」


 ああ、そうですね。


 ……。


 ん?


 その瞬間、僕の体を稲妻のような衝撃が走り抜けた。


 千葉さんとグラップリングのスパーができる? つまり、千葉さんのおっぱいが僕の体に密着したり、千葉さんの股間が僕の顔に密着したり、千葉さんの太ももが僕の股間に密着したりするということか?


 一瞬で勃起した。


 「なんやねん、エロい言い方すんなや」


 千葉さんは長崎さんの後頭部をペシッと平手で叩いた。長崎さんはあいた!と言ってペロッと舌を出す。


 「ダメだぞ、長崎くん。スポーツにそんな性的な視点を持ち込んだら」


 千葉さんの隣でニコニコしながら話を聞いていた岡山さんが、割って入った。そういえば、岡山さんは千葉さんとグラップリングのスパーをしている。しているのを見たことがある。


 「え〜っ、岡山さんはそういう気分になること、ないんですか?」と長崎さん。


 「ないよ。女性相手の時は、けがさせてはいけないと慎重になっているし、そもそも千葉さんは結構強いから、余計なことを考えている暇はないね」


 そ、そうなのか…?


 千葉さんとグラップリングのスパーをしているところを想像しただけで、バッキバキになっている僕は不純なのだろうか。


 と、ビンゴ大会を抜けてきたのか、ミユちゃんが千葉さんのところへやってきた。座っている千葉さんの隣に立ち、肩を叩く。


 「何? ミユちゃん」


 ミユちゃんはいつもの通り、真顔のままで周囲に聞こえるように言った。


 「マコさん、城山はマコさんのことエロい目で見ているから、一緒にスパーしたらあかんで」


 長崎さんが、飲みかけていたビールをブッと吹いた。岡山さんも、肩を震わせて笑っている。


 「わかってるよ。ミユちゃん、ありがと」


 千葉さんの優しい返事に満足したのか、ミユちゃんは僕を一瞥すると、またビンゴ大会へと戻っていった。


 なんなんだ、なんなんだよ!


 しかも、千葉さんに「わかってる」って言われちゃったよ!


 もしかしたら今、勃起しているのも気づかれているのかもしれない。僕は体操座りしていた膝を、ギュッと締めた。


 「雅史、わかってるって言われてるで!」


 長崎さんが僕の肩を小突く。恥ずかしくて顔が上げられなかった。


 このジムの女子勢は、千葉さんのことを「マコさん」と呼ぶ。真琴という名前だからだ。


 ちば・まこと


 正直、カッコいい名前だと思う。


 「思春期の男の子なんて、そんなもんでしょ。そうじゃなきゃ、逆におかしいわ」


 千葉さんはアハハと笑っている。


「いいよ、城山。お姉さんをエロい目で見ても」


 千葉さんはニヤリと笑うと立ち上がって、僕を見下ろした。


 「でも、明日は、そんな暇がないくらいけちょんけちょんにしてやるから。まあ、覚悟していなさい」


 そう言うと、缶のダイエットコークを傾け、喉を鳴らして飲み干した。白い喉元が艶やかに光って、ますます目を離せなくなる。

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