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第9話 そんなにすぐ試合に出て大丈夫ですか

 それから、稽古に行くのが怖くなった。


 基本稽古やミット稽古はいいのだけど、組手が怖かった。なにしろ必ず黒沢と当たるんだから。


 沖名先輩に注意されたはずなのに、黒沢はその後も容赦がなかった。フルパワーとフルスピードで倒しにくる。最初は突きばかりだったけど、蹴りを覚えてからもっと厄介になった。なにしろ元サッカー部でキック力は半端ではない。中段回し蹴りで蹴りまくられて、二の腕は青あざだらけになった。


 だけど、一番、嫌だったのは膝蹴りだ。黒沢は僕と同じくらい背が高くて、膝蹴りを覚えてからは得意技にしていた。跳び上がらなくても、少し高く上げただけで相手の顔面まで届く。白帯のくせに、橙はもちろん青や黄帯の先輩まで、膝蹴りでKOした。


 僕も、腹に突きを集中させて体をくの字に折らせてから顔面へ膝蹴りというパターンで、よく倒された。気絶するのはまだいい。当たりどころがいいわけだから。だけど、こめかみやほおに当たってたんこぶができるのは、ただ痛いだけだったし、格好も悪くて本当に嫌だった。


 黒沢の組手は、ほぼいじめだった。それは道場内にとどまらず、学校でも僕を標的にして行われた。


 「おい、城山。空手の稽古しようぜ!」


 休み時間にやってきて、肩を組まれる。岩出と、あと新田という取り巻きを連れて。こうなると、もう逃げられない。中庭の人のいないところに連れて行かれて、人間サンドバッグにされた。


 「おかしいなあ。もう少し下か? おい、岩出。逃げないように抑えておけや」


 少しニヤついたりしてくれた方が、いくらかマシだった。「トイレでも行くか」と言い出しそうな、めちゃくちゃ素の顔で、僕を空手技の実験台にした。


 「よっしゃ」


 岩出と新田に羽交締めにされる。抵抗してみるが、この二人も体が大きい。背の高い新田に脇の下から抱えられ、岩出に両膝をガッチリと押さえられると、身動きができなかった。そして、黒沢に蹴られる。この日は、後ろ回し蹴りだった。プロレスでいうところのローリングソバットだ。


 「シュッ!」


 気合一閃、クルリと回転して、僕の横っ腹に蹴りを叩き込む。制服のスラックスが風を切り、カンフー映画で聞くようなバボッという音を立てて、黒沢のスニーカーの底が僕の脇腹にめり込んだ。ほとんど何も入っていない胃袋がせり上がり、酸っぱい唾が喉から逆流してくる。


 「ぶっ!」


 「おお、効いたぞ。城山、いい反応や! じゃあ、もう一発!」


 やられないように、休み時間になるたびに逃げた。スケッチブックを持って。


 僕は高校でも何か部活に所属した方がいいと思って、美術部に入った。例によってスケッチブックの中身は人体のデッサンばかりだ。女性もあるけど、男性の裸像もあった。中学生の時の苦い経験から、これをいじめっ子に見られるわけにはいかなかった。


 それでも週に何度かは捕まり、中庭に連れて行かれた。仮に誰かに見つかっても人気者の上、体も大きい黒沢に「やめろ」という人はいなかった。僕も、先生にも親にも言わなかった。言ったところで何も変わらないことは、小学校と中学校での経験からよくわかっていた。とにかく逃げるしかない。暴力を受ける機会を、自分の力で減らすしかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 5月の終わりに、初めて試合に出ることになった。


 「白帯さんも結構、組手に参加して、それなりに形になってきたので、希望者は試合に出てみましょうか」


 稽古が終わって締めの連絡をしている時に、沖名先輩が言った。


 「無理にとは言いません。ただ、試合に出れば今の自分に足りないことが、よくわかると思います。勝つにこしたことはありませんが、仮に勝てなくても得るものは多いと思います。みなさん、どんどん出てください」


 自分に足りないもの、か。


 もらった申し込み用紙をぼんやりと眺めていると、後ろから黒沢が肩を組んできた。


 「城山、一緒に出ようぜ! で、決勝で俺とやろうや。同門対決!」


 いつも通り、さわやかに笑っている。こいつには、僕をいじめているという自覚があるのだろうか? 僕に嫌がられているという、自覚があるのだろうか? きっとない。全く悪気のなさそうな笑顔に、ゾッとした。


 僕は相変わらず、黒沢に全くかなわなかった。いつもボコボコにされて、膝蹴りでKOされていた。ただ、何度も同じように、それこそ学校でも道場でもやられていたので、少し防御できるようになっていた。最初は1分間で必ず倒されていたのに、最後まで立っていられることが多くなってきていた。


 黒沢は決勝まで行くだろう。だけど、僕は決勝まで行けるなんて、これっぽっちも思わない。背は高いけど不器用で、突きも効かないし、体が硬くて蹴りもうまくできなかった。初戦で負けるだろう。それでも沖名先輩が言っていた「勝てなくても得られるもの」がなんなのか、僕は知りたかった。結論からいえば、僕は試合にエントリーした。


 道場からはたくさんの人が参加することになったので、それからの稽古は試合向けのメニューが中心になった。ミット相手のラッシュ、連続組手など、スタミナを強化する稽古をとにかくこなした。


 初日はついていくので精一杯だったのに、今では最後まで一緒にやっていけている。ミットを打っても最後の一発まで力を込められるようになったし、2、3発で息が上がっていた蹴りも、何発も続けて蹴ることができるようになった。成長しているという実感があった。


 「城山くん、めっちゃ強なったね」


 道場の仲間たちが、自分のことのように喜んでくれた。社会人の先輩たちが僕を取り囲んで、笑顔でほめてくれる。本当にうれしかった。

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