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第8話 フラッシュバック

 だが、僕はやはり、ダメ野郎の星の下に生まれてきたらしい。


 勇気を振り絞って見つけた自分の居場所は、わずか1週間で地獄へと変わった。


 「おお、城山じゃん!」


 ある日、道場に到着すると、なぜか黒沢がいた。もうこの頃には「城山くん」ではなく「城山」と呼び捨てにされていた。道着を着ている。白帯だ。


 「なんや、お前もここの道場生やったんか。俺もや。一緒に頑張ろな!」


 そう言って、また馴れ馴れしく肩を組んでくる。こうやって文字にするとなんということはないのだが、黒沢は目線とか言葉の抑揚とかが、これまで僕をいじめてきたやつらとそっくりなのだ。表情は爽やかなのに、肩の抱き方に遠慮がない。そして、笑っているのに目の奥が笑っていない。値踏みするような、僕の胸の奥をのぞきこむような視線なのだ。


 すごく嫌だった。僕の心の警戒警報が、早くもけたたましく鳴っていた。


 黒沢は、僕より1週間ほど遅れて入門していた。だけど、中学時代はサッカー部だっただけあって、運動神経がよかった。バネがあって、ミットを蹴らせると衝撃がすごかった。背が高くて手も長いから、見よう見真似で繰り出す突きの威力も、最初から半端ではなかった。


 「芳樹はすぐに組手ができそうだなあ」


 黒沢が組手を見学していたのは一度だけで、2回目の稽古から早くも参加した。


 背が高くてフィジカルが強いので、青帯くらいまでの先輩ならば、簡単に圧倒した。沖名先輩は素質のある高校生が入ってきて、とてもうれしそうだった。


 「芳樹と雅史で競い合って、ウチの2枚看板になってくれよな」


 僕が組手に参加する前から、そう言った。


 真正館の昇級システムは、割と簡単だ。年に4回行われる昇級審査をパスすれば、上がっていく。級は帯の色で区別されていて、一番下が僕らが今、巻いている白帯。続いて橙帯、青帯、黄帯、緑帯、茶帯と上がっていく。茶帯を巻いて1年経てば、黒帯に挑戦できる権利が発生する。昇段審査だ。晴れて黒帯になると、クラスで指導を任されるようになる。


 早ければ1年ちょっとで茶帯になり、3年目突入と同時に黒帯になれる。沖名先輩はスムーズに3年で黒帯になったらしい。


 「君らは高校卒業までに黒帯取得が目標やな。ハッハッハ」


 そう言って笑っていたが、組手を見学していると黒帯の先輩方は圧倒的に違うのだ。なんというかオーラが違う。圧倒的な自信を感じる。攻めていても守っていても、迷いがないように見えた。3年であんなふうになれるのか? 正直、自信はなかった。


 稽古は、平日は午後7時から9時。土曜日は午後5時から上級者向けの強化稽古(黄帯以下は参加できない)、日曜日は午前9時から正午までやっていた。僕は毎日のように参加して、3週目から組手に参加した。最初に当たったのは、黒帯のおじさんだ。


 「押忍、お願いします!」


 一礼。構えて接近する。


 「かかってきなさい」というジェスチャーに引き込まれるように、左の突きを胸元へ繰り出した。布製の拳サポーターが当たって、パスッと頼りない音がする。初めて人を殴った。


 「もっと思い切り、来ていいですよ」


 思い切りと言われても、どれくらいの力加減でいったらいいのだろう。先輩たちや黒沢の組手を見ていると、ドスンドスンとすごい音がしている。あんなに強く殴ったり蹴ったりしていいのだろうか?


 迷っていると、先輩が胸元を突いてきた。


 ドスッ


 一瞬、押し込まれて「ウッ」と息が止まる。


 「さあ、こんな感じで。どうぞ」


 なるほど。これくらいの強さでやってもいいんだな。言われるがままに突き返した。こんな感じか。こんな感じ? 押し込んでいる感触がする。


 「いいですね。いいですよ!」


 ほめられて、うれしかった。


 組手は、参加している人がどんどん相手を変えながら、全員とひと回りするまで行われる。何度かやっているうちに、僕の前に黒沢がやってきた。


 「あ、そこは白帯同士…」


 組手要員の一人だった沖名先輩が声をかけてきたが、一拍置いて「ま、いいか。けがのないようにね」と言った。


 「じゃあ、はじめ!」


 タイマーが鳴る。1回1分だ。すぐ終わる。


 「押忍、お願いしま〜す!」


 黒沢がペコリと頭を下げた。口の端がきゅうっと上がっている。


 あれ?


 今、こいつ、笑ってなかったか?


 もう一度、表情を確認しようとして顔を上げた時には、すでに黒沢の顔が目の前にあった。らんらんと獰猛な光を放つ瞳が、僕をのぞき込んでいる。


 「シュッ!」


 強烈な下突き、要するにボディーブローだ。鈍い衝撃が横っ腹にめり込む。「ウッ!」と声にならない息が漏れた。2発、3発。防御する間もなく、さらに打ち込まれる。一気に壁際まで押し込まれ、足がふらついた。それでも黒沢は止まらない。


 痛い。痛い。恐怖で視界がぐらつく。息ができなくて、苦しい。


 ハッ、ハッと自分の息の切れる音が、頭の中でガンガンと響き渡る。


 突きも、蹴りも、防具越しなのに骨の芯まで響いた。未経験の痛みに、恐怖で体は縮こまった。いや、未経験じゃない。似たような経験がある。小学校時代のいじめの記憶が頭をよぎる。あの時と同じだ。逃げたいのに、体が動かない。悲しくもないのに、涙があふれた。 


 「やめ、やめ!」


 沖名先輩が間に飛び込んできて、ようやく黒沢の攻撃が止まった。


 「芳樹くん、ちょっとやりすぎだぞ! こんなふうになったら普通、もう終わりだってわかるやろ?」


 「芳樹」が「芳樹くん」になっている。苛立ちが含まれていた。


 「すみませ〜ん」


 黒沢は謝罪の言葉を口にしたが、馬鹿にしたように目を細くして、腕をぶらぶらさせていた。気持ちは全くこもっていない。


 「初心者なんで、わかりませんでした〜押忍!」


 空手は人を傷つける技術なんだから、やめ時もちゃんと心得ていないといけない。相手が戦意を喪失したら、そこで終わり。そんな内容のことを沖名先輩は真剣な口調で言い聞かせていたが、黒沢はまるで上の空だった。何も反省していない。ただ、相手を叩きのめすことだけを楽しみたい。そんな感じだった。


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