ユカが解説してくれところによると、この施設の二階と三階はドーナツ型をしており、廊下をぐるりと一周する事で最初の階段に戻って来られる親切設計らしい。何が親切なのかを聞いてみると、〝セイジさんの様な粗忽な方でも前進のみで迷子にならず進めます〟だと。ドーナツ型がどうとか言っていたところで、結局言いたかったのはそこの部分であろう事が間違い無いあたり、可愛くない。
三階と同じ流れで二階の探索を開始。生産管理室だの営業管理室だの、得体の知れない部屋が増えてきて、また一部屋ずつのサイズも小さくなった分、手間も増大。しかも、下らない組織側の〝攻撃〟まで始まりやがった。
薄暗い部屋、椅子に座っている人影が見えた時は、当たりか、と色めきだったけれど、電気をつけてみたら、〝外れ〟とご丁寧に張り紙のされたマネキンだった。これが、第一撃だ。
どうやら組織側は、大した攪乱効果も期待できないような、この手の冗談を幾つも設置しているらしかった。扉を開いたその場にロープが張られていたり、上から黒板消しが落ちてきたり、部屋中が鶏で埋め尽くされている、なんてのまであった。
「嫌がらせです完全に……」
ユカは、ただでさえ常時ご機嫌斜めなのが直角くらいになったらしく、眉間に縦じわどころか青筋まで浮かんでいた。まあそれは俺も同様だが。
「白髪男……せめてまともな悪役であってほしかったな……」
「目的が読めないです。何もかも後は天にお任せとか言っている割には……いや、まさか、この手の嫌がらせまで含めて、あの人達は〝人事は尽くした〟とか思っているのかも……」
「最低だ……」
けれど、これら俺達への嫌がらせは、奴らからしたらほんの序の口、それこそ冗談半分でしか無かったのだ。俺達がそれを思い知ったのは、二階、階段の真逆辺りにあった、〝小講堂〟と書かれたプレートを持つ扉を開いたその時だった。
広さはそれほどでも無いものの割と本格的なホールになっていて、椅子も、よく映画館とかで見る折り畳み式の柔らかいやつだ。すり鉢状になっていて、正面にはステージ、左右に大きなスピーカーで、その上にはそれぞれ〝禁煙〟の表示板。
扉を開いた直後、不意に耳に飛び込んできたのは、ベルの音だった。ここまでの冗談めいたトラップのせいですっかり過敏になっていた俺達は、思わず立ちすくんだ。
「ふふ……ふ……セイジさん本気で驚いてますね」
「お前こそ、顔、引き攣ってるぞ」
「合わせてあげただけです」
「そ、そんな事ないんだから! もう、バカ! とか言ってみろよ」
「…………」
ベルが鳴りやむと、それまで点いていた照明が自動なのか遠隔操作なのか消され、正面ステージの壁につり下がっていたスクリーンには、少なくともテレビでは見たことが無いロゴマーク。
「映画……?」
「無視しましょう……いや、待って下さい、あれは……」
『世界を変えるのは、そう難しい事じゃない。強い思いと、あとは運だよ』
『我々は生かされているに過ぎない。毎秒、毎秒、いや、もっと小さな単位で、生死を分かつ賭けに勝ち続けているんだ』
『変えてみる? 世界』
『人類史上最大の話題作! 審判の先に待つのは生か死か! 運命の扉が今、厳かに開かれる!』
「…………」
「…………」
俺達二人ともポカンと口を半開きだ。見た目は映画、うん、確かに映画だ。間違い無い。けれど、よく聞けばかなり恥ずかしいナレーションの声の主が何処から聞いてもオケダだった時点で色々と大間違いだ。論外、と言ってもいい。ただでは作れないだろうに、よほど組織の資金力は盤石らしい。
「なんだこりゃ……アホか……」
「いえ……これは……」
どうやら、同じ口半開き状態でも、ユカのそれは別の意味を持っていたらしい。ユカは、食い入るようにスクリーンを見つめていた。荒々しく椅子を下ろし、腰かけ、再度凝視。けれど、これから始まろうとしている映像を楽しみにしている表情にはとても見えなかった。横から見ても、斜めから見てみても、全力で怒っている。
「どうしたんだよ? まさか見ていくのか?」
「はい、見ていきます」
「……どうした?」
「冒頭のあれは、おそらく私の父の言葉です」
「マジか」
「おそらく……推測でしかありませんが、父の言いそうな言葉です。博打好きで、運を信望していた人……私の父……」
不意に背後から音がした。ガチャリ。何処からどう聞いても、明らかに扉をロックする音だ。一応、確認。押してみる、引いてみた。動かない。諦めて、俺もユカの隣に着席。スクリーンには、真っ暗な場所にスポットライトを浴びて立っている白髪男が映し出されていた。まるで、某推理ドラマだ。タイムリーには見た事無いけれど、親がDVDを観ていて、それで一緒に見たことがある。白髪男がいかにもそれっぽいポーズをとった。どうやら、タイムリーに視聴していて完璧にハマってしまったクチらしい。
『……即ち、世界は生まれ変わらなければならない。破壊し続けられる環境、増え続ける人……喜びの数倍の悲しみ。痛み。苦しみ。互いに憎しみをぶつけ、得た数だけ失い続け、そして死んでいく、この無能なサイクルには終止符を打たなければならないのです。しかし、人類が人類を裁くなど、それはエゴイズムに過ぎない! 我々は、きっかけを与えるに過ぎない。あとは、天が裁きを下す! これは、我々実行者の命すらも等しく秤に乗せた、公平な裁きなのです。さて、どうなることやら……御覧下さい』
画面はそのまま暗転し、次に映し出されたのは、見たことのある場所だった。絨毯の敷き詰められた遊技場。ダーツ台、マージャン卓、ビリヤード台、ルーレットが適度な感覚を持って設置されている。間違いなく、ユカの家の地下だ。家庭用のハンディカメラで撮影したような、ノイズ混じりの映像だけれど、見間違えようが無い。
そしてカメラが次に捕えたのは、白髪男のそれとは趣の違う、年月が自然に染め上げていったのであろう白髪の混ざった頭をオールバックにしている、いかにも紳士といった身なりの男性だった。
「父です……!」
ユカがかすかに身を乗り出した。
『来たか……そのカメラは何の真似だ?』
『後世の歴史に残る大切な戦いですから。記録映像は必要でしょう』
『あまり期待しないほうがいい。何せ、運は気まぐれだ。来ると思えばいなくなる。いないと思った時が、絶頂の時だったりする』
紳士、ユカの父は話しながらキューを構え、ナインボールの初期位置にセットされたビリヤード台に、ブレイクショットを放った。球のぶつかりあう音、ポケットに吸い込まれていく音。カメラは、そのブレイクショットによって九の球が見事、ポケットに滑り落ちて行くまでをノーカットで捉えていた。
『流石です』
『偶然さ。運が良かったんだ』
紳士の微笑みと、白髪男の讃辞の声。カメラを構えているせいか、白髪男の声が幾分割れて聞こえる。
『で、首尾は?』
『既に何人かの〝鍵〟は確保していますが……まだこれからです。そちらはいかがですか?』
『山梨の奥、私のところの子会社の工場を閉鎖した。使うといい』
『おお……豪気ですね』
『世界を賭けた博打なんて、打ちたくたって打てるものでは無いさ。これが、私の最後のBETだ』
ビリヤード台を離れ、紳士は緩やかに歩きながら言った。いかにも気どった仕草だけれど、不思議と嫌悪感は抱かなかった。なんだか、そうしているのがとても自然な人に見える。金持ちのオーラとか、そういうものだろうか。
「愚かです……愚か過ぎる……騙されているのに……」
ユカは、一人ぶつぶつと呟いていた。
『あとは、鍵を予定数集め、その日を待つばかりか』
『ええ、彼が言うには、二年半後の夏頃か、と』
『もうあまり無いな』
彼? 誰だ? まだ見ぬ真のラスボス? もうお腹いっぱいなのに。
『何か問題でも?』
『悪いようにはしてくれるな? その頃、アレはまだ十八だ。一人で何かを決める事ぐらいは出来るだろうが、それが正しいものである可能性はまだ著しく低い。せめて、その日までは。その後の事は本人の自由意思に任せても構わんが』
『審判の結果は、僕には……彼にもきっと分からないでしょう』
『勿論。だが、その日までに出来る事はいくらでもあるだろう? 私がいなくとも時間は流れてしまうのだから。少なくともその日までは……』
映像に混ざるノイズが増えた。カメラの調子があまり良くなかったのだろうか。不意に画面が明後日の方向に向き、数度揺れた。そして、一度暗転。再び映像が戻った時、紳士は、全自動のマージャン卓のスイッチを押していた。
『今日はこの席だ……さて……』
牌が混ぜられ、サイコロが振られた。それぞれの席に、ひと組ずつ手牌がセットされた。
『親は取れたもののさすがに天和とはいかないか。だが、悪くない手だ』
『手の込んだ運勢占いですね相変わらず』
『今日が最後……旅立ちの日だからな。全ての遊具に触れなければ悔いが残りそうだ』
『どうし……も行かれ……ので?』
『ああ……もう一生……いたしな……そ……に……つが……るのに、私がいつも……り…………』
音声が途切れはじめ、ノイズが主導権を握り始めた。再び画面が乱れ、二三度の揺れ。暗転。
「なんですかこれは……」
「わかんねえよ……俺には」
「なんですか……何が言いたいんですか? 答えなさい! 誰か、答えるのです! このような半端な事をして、人を……ば、馬鹿にして! 何が楽しいのです! 運を天に任せるのでは無かったのですかっ! 答えなさい!」
「ユカ、落ち着け」
「貴方には分からないでしょう! 分かるわけがありません! 何も、何一つ傷ついていない貴方に……!」
「見てみろよ。まだ、画面が動いてる……」
「…………!」
そう。暗転はしていたけれど、まだ映像は終わっていなかった。黒く塗りつぶされた画面ではあるものの、上下が、かすかに動いていた。人為的に、演出として作り上げられている黒だ。まだ、何かある。
そしてしばらくして、画面は再び最初と同じ、白髪男のクローズアップに戻った。
『途中でカメラが故障とは……失態です。すぐ新しい物を用意したんだけど、間に合わなかったんですから、残念です。私は、敬愛すべき師である、トダ氏と出会った事により、全てを始める準備を整える事が出来たのです。ああ、時間だ。続きは……そうですね、来週にでも回しましょうか……ご期待下さい』
ユカはもう怒りを通り越して今にも暴れだしそうな様子だ。気持ちは分かる、なんて軽い言葉で言ってはいけないのかもしれないけれど、この行為が最低最悪な事は十分に分かる。
映像は今度こそ完全に途切れたらしく、講堂には再び照明が灯された。それと同時に、機械音。どうやら緞帳が下されるらしい。ユカをなだめつつ、さあ、次の部屋に行こうと席を立とうとしたその時の事だ。ちょっと、冗談抜きで我が目を疑う光景。緞帳と一緒に、サチがつりさげられてきていた。
「げ、いや、おい、サチ! サチ!」
「なんという……サチさん、無事ですか!」
五分くらいは呼び続けていただろうか。最初のうちはぴくりとも動かなかったのが、次第に動き始め、最後には、吊り下げられているくせに、起こすな、とでも言わんばかりの身じろぎまで始めた。
『ん……ん、あと二十分で……え? ちょ、なにこれ! いや、高い! 危ないからマジでさ、下ろしてよ! おいこら!』
サチの服にマイクが取り付けられているらしい。寝起きのぶつぶつから、目覚めてびっくりの怒鳴り声まで、何もかもがハウリング混じりでスピーカーから飛び出してきた。まるでサチが悪いかのような言い草で申し訳ないけれど、めちゃくちゃうるさい。ところで、あと二十分で何なんだろう? 後で聞いてみることにする。勿論、無事救出は前提だ。
「こぉらー! 何腕組んで考えてんの! 早く下ろす手段見つけてよ!」
「んな事言ってもな……」
サチがぶら下がっている場所まではざっと見ても三メートルくらいある。他の部屋よりもやたら天井が高い。手元には脚立も無いし、トランポリンも無い。俺の手から真空波でも出れば話は別だろうけれど、今のところ俺はどうやら改造人間にはされていないので、無理。
「よく考えなさいよ! ゲームとかだとさ、ほら、別の部屋に仕掛けがあって、それを押すとピロリロリロリン、とかなるじゃん!」
「爆弾で壁壊したり壺投げたり?」
「そう、それ! そういう怪しい部屋とか無かったの?」
断言出来る。無かった。しかしながら、馬鹿話をしていられる状態でも無い事は明らかだ。俺が本気で困り始めたのにきっと満足したのだろう。事の進展は、ひどく人為的な悪意によってもたらされた。
「いいから早くなんとかしてって! 高いとこ嫌いじゃないけど、不自由なのは本気で嫌なんだって!」
サチのその声が届いたかのように、不意にサチを吊るしていたロープの上から機械音が響き、そのままサチは降下。ついでの嫌がらせなのか、高さ一メートルくらいのところでロープが切断されて、サチはステージ上に乱暴に投げ捨てられた。
「受け身・柔風~! できるかああああ!」
ちなみに、受け身・柔風とは、サチが今ハマっているゲームの一つ前に熱中していた魔法ファンタジーな格闘ゲームの技だ。風の精霊の力を借りてダウンのダメージを軽減するらしい。俺も結構ハマって、あの頃、中学二年生の頃は、サチと毎日のようにゲームセンター通いだった。ものすごく昔の事に思えるのは、絶対にここ数日のゴタゴタが原因だ。
「うう……セイジ……助けてくれって言ったのに……」
「いや、咄嗟すぎて」
「サチさん……その、変な必殺技の名前口走るのは趣味なんですか?」
「え? そうだけど?」
「もういいです……今のは無しで」
涙目になりつつもあっさりと回答したサチに、流石のユカも、曖昧な笑いしか返せないようだった。
『ようこそ諸君! 唐突だが、ここには爆弾が仕掛けられている』
スピーカーから聞こえてきたのはオケダの声だ。主犯が白髪男なのは確定だとして、ここでの実行犯があいつなら話は早い。何のためらいも無くぶん殴れる相手だ。
「……こっちにはサチがいるんだぞ」
「そうです。八桁の暗証番号をノリで開ける、怪物のような人です」
「怪物言うな!」
『君たちに課せられた使命は、解除用のリモコンを発見する事だ! この部屋に隠されているリモコンは全部で三つ! 君たちは、それぞれに取り付けられている三つのボタンのうちどれか一つを、三人同時に押さなければいけない。正しいボタンを選択したその時道は開かれるだろう!』
スピーカーから流れてきた不愉快な声は、どうやら録音されたものらしい。乱暴で耳障りな音がして、その声は途切れた。
「探すか……」
「ですね」
「あ、やっぱり鍵かけられてるとか、そういう流れ?」
完全に遊ばれている。審判だ、なんて大袈裟に騒ぎ立てる割には、これじゃ子供向けのアトラクションに毛が生えたようなものだ。
「案外、時間稼ぎなのかもしれませんね。運の流れが最も良くない状態になるまで、今しばらくの時間が必要、とか、そんなところです、きっと」
「なら、サチを解放するのは向こうにとって不利になるはずなんだよな」
「むう……確かにそこは解せません。サチさんは組織側にとっては最も危険因子の筈。本当に事を成功させたいのなら、射殺してもいいくらいのはずです」
「射殺は痛そうだから却下の方向で……さすがに避けられないだろうし」
「分かってることは、何かしら裏があるって事ですが……とにかく、探しましょう」
「ほら、あんた達もくっちゃべってないで、早く! 爆弾なんか、笑えないにも程があるって!」
サチに促され、俺はステージ前から下半分を担当、ユカは入口側から左、サチは右。三人そろって床に這いつくばり始めた。さぞ、組織の連中には間抜けな姿に見える事だろう。上手くいったら、絶対オケダをメインに思いっきりぶん殴ってやる。俺は、何度目かも分からないそんな誓いを改めて胸に刻みつけたのだった。
*
「このようなやり方で本当にいいんですか?」
薄暗い部屋で、彼は尋ねる。それは、少しでも不安を払拭しようとしているのであろう事がよく分かる、弱々しい声だった。
「いいんだよ。手段を選ばないでやったところで絶対に上手くいかないんだ。勝負はフェアでなければいけない。それも、約束したはずだろう? 何にしても、出来る事はもう全部やったなら、後はどう転ぶかを見守るだけの方が成功の可能性は高いよ」
それに答えるのは、明るくて前向きな声。彼はそれを受け、重々しく頷く。
「ユイ、状況は?」
「今のところ、ほぼ計画通りに進行しています。後は、天がどちらに味方をするか、の段階まで来ているかと」
「どう思う? どちらに転ぶと思う? ユイの主観でいいよ」
「分かりません……ご指示通り、フェアプレーに少しでも近づくように努力はしました。上手くいく、と信じたいところです」
「オケダ君も似たような事をさっき電話で報告してきた」
「きっと、上手く行きます。我々が間違っていないのなら、きっと」
投げられた言葉に、彼はかすかな微笑を浮かべ、そして言った。宣言するかのように。
「祈ろう。より良い〝冬〟がやって来ることを。何処まで波及していくのかは全くの未知数だが……本当に大丈夫なんでしょうね?」
「くどいな。とりあえず僕は一旦様子見に入るよ。健闘を祈る」
「どちらへ?」
「どこでもいいだろ? 俺は何も、あんたらの専属アドヴァイザーでは無いからね。求められれば誰にでも公平にアドヴァイスをする。それが俺のやり方だよ。今更確認しなきゃいけない事だったかな?」
「…………」
その五分後、全員が持ち場に戻った小部屋の中で、忌々しそうに机を蹴りつける彼の姿があった。
*
「あったか?」
「無いです……」
「早く見つけてよ。時間無いんでしょ?」
分かりやすい状況だ。サチは探し始めてほんの数分でさっさと発見。俺達を煽る係に率先して就任していて、俺とユカは依然、床にへばりついている。どうせこの流れだと、俺だけ最後まで見つけられなくて、二人から執拗な煽りや罵詈雑言を浴びせかけられる事になるのだろう。嘆き悲しむべき事なのだろうけれど、どう足掻いたところで、俺の運なんてそんなものなのだ。
「セイジ、ほら、自分はついてないから見つからない、なんて思ってるでしょ。そんな顔してたら見つかるものだって見逃すんだからね!」
「分かってるって……」
「あ、ありました」
見透かされた上に予想通り。結局、俺が見つけ出すまでには、それから結構な時間を要した。煽るのにも飽きたらしく椅子に座ってうとうとし始めていたサチと、おなじく椅子に座って〝まだですか?〝と数分に一回俺にプレッシャーをかけていたユカに発見を報告したら、それぞれ〝遅いし〝〝遅すぎです〝との御反応なわけで、いくら俺が前向きでやる気に満ち溢れた力強い高校生男子だとしても、いくらか萎える。見つけた瞬間にかなり喜んだだけあって、がっかりも倍増だ。
「と、とにかく見つかったんだから、次行こう、次」
「そうだけど、ここからって結構命がけなんでしょ? どれ押すわけ?」
「サチさんが決めるのがベターです。セイジさんにはお任せできません。死ねます」
「やっぱあたしか……これ上手くいったらあたしって結構ヒーロー?」
「世界の危機を救った英雄として私が記憶します」
好き勝手言われているけれど、当然ながら言い返す事は出来ない。俺自身、こんなシャレにならないボタンの選択を委任されたくはないし。
「じゃあ……完全に当てずっぽうだから、恨みっこなしで……赤!」
「押すか……お祈りでもしとくか?」
「無駄です。押すボタンが決定した以上、既に結果は確定していると見るべきです」
「いくよ……いい?」
「せーの!」
アイコンタクトを経て三人の声が重なった。三人同時に赤いボタンをプッシュ。まず聞こえてきたのは、ロックの解除されたらしい音。どうやら上手くいったのか、と思った直後に、警報のような音が盛大に鳴り始めた。そして、建物全体に響く振動を伴った重たい音。
「ちょ、やっちゃった? ねえ、マジ? やっちゃった? これ」
「とにかく部屋から出ましょう! 状況が掴めません」
慌てて扉を開き、部屋の外へ出ると、まるでそのタイミングを見計らっていたかの様に警報は鳴り止んだ。収まってしまえば、何だったのやら、な感じだ。
「止まりました……ね……」
「どうなの? これってどうなの?」
「下に降りてみるしかない……だろ? とにかくサチが合流したんなら、もう一部屋ずつ確認する必要は無いわけだし」
「セイジさん、案外冷静ですね……」
「色々あり過ぎて、少し麻痺してるのかもな」
笑おうとしてみた。無理だった。パニックになったりはしないけれど、もう、かなりうんざりだ。白髪男を締め上げるとか、もうどうでも良かった。最大限早く家に帰りたい。願うはそれだけだ。
*
地上階でサチを救出するまでは地下に降りてはいけない。それが白髪男から課せられたルールだった。それはつまり、サチの救出さえ済ませれば地下に降りて良いと判断して然るべきだ。三階に上がる前、一階から地下への階段にはシャッターが降りていた。地下に降る権利を手にしたのなら、当然、そのシャッターも上がっているはずだと考えて一階に降りて、がっかりだ。依然、シャッターは降りたままになっていた。
「降りられないです……」
「外に出るシャッター、見に行くか?」
「おそらく無駄でしょうね。奴らの狙いを考えれば……」
「一階も調べて回れって事なんでしょ? いいじゃん、時間勿体ないし、さくさく行こうよ」
ユカを先頭にして一階の探索を開始。とは言うものの、あてなんかまるで無い。シャッターを開くためのヒントを探す、だなんて言うだけならば簡単だけれど、実際、どうやれば開くのか分からないのだからヒントも何も無い。とにかく一部屋ずつ確認して、気になるところを調べて……本当にゲームみたいになってきた。
一階の部屋は、例外一つを除けば全部同じ構造をしていた。少し懐かしさを感じる。そんなに前の事では無いし、戻ってくる予定も無かったのに。
白を基調に作られた、照明の消えない部屋。監視カメラと、ベッドとカーペット。俺やユカや、他の捕まった人々が生活していた個室。小さなラジオが置いてある部屋や、ノートと参考書の放置された小さな猫足テーブルが置かれている部屋。それぞれの部屋に、かすかな生活の匂いが残されていた。
「あ、ここ、私が居た部屋です」
ユカがいた部屋には、沢山の本が乱暴に読み捨てられていた。あまり本を読まない俺でもタイトルを聞いた事のあるような、有名文学小説ばかりだ。『レ・ミゼラブル』であるとか『蟹工船』であるとか、『罪と罰』であるとか。
「とにかくやる事がありませんでしたから……今から思えば、結構幸せな時間だったかもしれませんね」
そんなユカの部屋を後にして、その四部屋先に俺が捕まっていた部屋があった。そうある事が当たり前であるかのように、逃げだしたあの日のままだ。床に脱ぎ捨てられた制服、投げ込まれて、そのまま使わなかった予備のスウェット。乱れ切ったベッドのシーツ。
「セイジさ、もうちょい片付けようよ……」
「しょうがないだろ、急に逃げられるタイミング来たんだから」
「……まあ、なんつーか、あんたらしいよね」
「異議あり」
「却下。とりあえずさ、部屋にトイレあるみたいだし制服に着替えておいたら? 無事に帰って、最初の作業が制服買い直しってのもアレでしょ」
それには異議なし。久々に袖を通した制服。汗臭くてごわごわだ。上半身がトイレに設置されていた鏡に映り込んだ。見慣れた姿だ。学校に行く前、毎朝洗面所で見る姿。髪型が乱れていないか確認して、ブレザーの右ポケットに財布、左ポケットに携帯電話がある事を確認して、それからうんざりした気分で家を出るのだ。ちょっと前までの俺の日常。俺が〝それ〟を発見したのは、懐かしき日常に戻れる事を願いつつ、ポケットに財布をねじ込もうとしたその時だった。
発見したのは、一枚の紙片だ。これでも俺は記憶力にそれなりに自信があるのだ。その紙片は、俺が自分の意思で入れた物ではない。書かれていたのは数字の羅列だ。正体不明でも何でも、手がかりには違いなかった。
「おそらく何処かの暗証番号なのでしょうが……理解出来ませんね」
「まあ、数字の羅列だしな」
「そうではありません。何故、奴らはこうやってヒントを残したのか、それが問題です。奴らの願いは我々を時間一杯右往左往させて爆弾を爆発させる事である筈です。単なる数の羅列にしても、ヒントを残す理由は無いはずです」
「行けば分かるって事でいいんじゃない? セイジの事だから、やっぱりそのメモ俺のだー、なんて後から思い出す可能性が極めて高いわけだし」
「あり得ますね。その際、どんな楽しい釈明を聞ける事やら」
緊張した面持ちを崩さないままで人を小馬鹿にしやがるユカと、前向きで力強い表情で俺の記憶力を否定してくれるサチ、そして、異議が今にも噴火しそうな俺。とにかく探索再開は良いとして、どうすれば俺が記憶力に長けている事を証明出来るのか、それが問題だった。
*
次に俺達が向かった部屋は一階の一番奥に位置する、白髪男の住処――命名、俺――だ。俺やユカが捕まっていたのと同じタイプの部屋がまだ幾つかある様子だったけれどそれらは省略。ここまでの傾向からして、白髪男達の一味が次に何か仕掛けてくる場合、俺達にとって何の意味も無い部屋に重要なヒントを残していたりはしないだろう、という判断だ。
理由は確かではないけれど、とにかく組織側の連中は俺達が少しずつ前進できるように敢えて仕組んでいる。それはおそらく間違いない。理由を考えても分からない以上は、大人しく前進していくしかない、と、そんなわけだ。
そして案の定。ユカの案内でたどり着いたその部屋、扉を開いたその瞬間、次なる事態はやってきた。
最初に聞こえたのは、講堂のときと同じ、ロックの落ちる音。これから何か始まりますよ、の合図だ。少し思ったのだけれど、前回といい今回といい、どうやって鍵をかけているのだろう。実際のところはきっと、よくわからない機械仕掛けだったりするのだろうけれど、俺の脳裏には、見計らって走ってきて、鍵を大急ぎでかけて走り去っていくオケダの姿が浮かんだ。もし本当にそうならば、入ったふりをして何処かで隠れていて、その瞬間に笑い飛ばしてやりたいんだけど。
白髪男の住処は、初めて訪れた時とほぼ同じ状態だった。相変わらず偉そうな執務机だ。違いは、白髪男がいないこと、そして、机の上に、まるで白髪男の代役ででもあるかのように、パソコン用のモニターがひとつ置かれていたことだ。モニターの液晶面は入り口、俺たちの側を向いていて、ご丁寧なことに〝スイッチを入れろ。この紙は剥がすように〟だなんて間抜けな張り紙がしてある。
「罠でしょうか……まあ、疑ったところで仕方ないのでしょうが」
「いきなり爆発、とかは多分無いだろうけど……」
「ですね……」
俺とユカの視線がサチへ集まるのは状況からしてやむを得ない事だ。
「またあたしかい……ま、セイジがやるよりマシなのは分かるけどさ……」
そしてサチがスイッチオン。しばらくの間は黒い画面に〝No Signal〟と文字が出ているだけだった。不意に文字が消え、先ほどの講堂で不意に始まった映画のそれと同じ、見覚えの無いロゴが表示された。どうやら、あの続きらしい。ユカは食い入るように画面を見つめていた。サチは前編を見ていないから、これ何? って具合だ。
「ねえセイジ、これ何よ」
「ん……あいつらから俺たちへの……まあ、嫌がらせみたいなもんだ」
「静かにしてください。始まります」
*
『こんな世界本当に必要なのか? 皆さんはそう思った事、ありませんか? 私がそう思うようになったのはまだ随分小さいころのことです。まあ、何があったのかはお話しないでおきましょう。実際のところ、世界は悲劇に溢れているわけだし、私が世界に失望するまでを語ったところで、それは何処にでもある退屈な悲劇に他なりません。三流のテレビ番組あたりが好みそうな話ではあるかもしれませんが、ね』
前のと同じだ。白髪男が真っ暗な場所でスポットライトを浴び、楽しそうに喋っていた。まるで、世界中に自分しか居ないみたいに。そんな自分の悲劇が、面白くて仕方が無いかのように。
『私はそんな失望を抱えながら育ち、やがて、それはもう救い様の無い絶望であることに気づくに至りました。そしてある時、街中である人物に出会ったのです。彼は言いました。世界が思うとおりのものでないのなら、変えてしまうことを目的に生きていくのもひとつの生き方である、と。こうも言っていました。自分の力は、或いはそれに役立つかもしれない、と。そして、こうも。”今はまだ良い。けれど、もうすぐ悪くなる”。私はその言葉を信じ、彼を信じ、その指示に基づいて行動するようになりました。その中で、トダ氏との出会いを果たし、今に至る……愉快なものだと思いませんか? 失望と絶望しか持たなかった私は今、確かに一つの希望を持っている。何かを〝始めようと〟している。全ては大いなる冬の先、新たなる世界の為に。またお会いしましょう』
再会をわざわざ言及してきた以上、少なくともあと一回はこの手の映像を見せられる事になるのだろう。けれど、そんなことは問題ではなかった。
白髪男が何に失望したのか。どんな悲劇に見舞われたのか。動機の面で興味が湧かなくも無いけれど、それも今はどうでもいい。
多分、ユカも同じ思いだろう。いや、俺よりもきっと、その思いは強いはず。白髪男が動画の中で言っていた一言、〝今はまだ良い。けれど、もうすぐ悪くなる〟。俺たちは、似たような物言いをつい最近聞いている。〝彼〟は言っていた。〝今は良くない〟。そう、確かに言っていた。
勿論、他の可能性を考慮する余地はある。世界にこれだけ人が溢れかえっている以上、彼と同様の物言いを好む人間がいないとは言い切れない。けれど、そんなものはいくら考えたって無駄だ。そこには確証が無い。白髪男の言う〝彼〟が俺達の脳裏に浮かぶ〝彼〟と同一であることもまた、確証の無いひとつの可能性として存在することを否定するには至らない。
「ありえないことではないです……」
「それが、世界を滅ぼすだなんて話でもかよ」
「分かりません……けど、ありえます……けど嫌です、こんなの間違ってます! 認められません!」
俺たちをにこやかに迎え入れてくれたとき、彼はどんなことを考えていたのだろう。俺たちに危害を加えている相手が白髪男達だと分かっていて、それでもあんなに素直な笑顔を浮かべることができるのか? 分からないし、理解できない。もし、本当に彼が白髪男たちとも通じていたのなら、俺たちをこの場所に向かわせたのは奴らに利するため? 考えたくなかった。ユカが全幅の信頼を置く奴だから、俺たちは信じた。ユカと同じように、信ずるに足る人間だと思ったから。信じて大丈夫だと思ったから。こんなの、あんまりだ。
『降りてこいよ! 細い彼氏!』
聞こえてきた声は、短い動画の再生を終えて再び〝No signal〟表示に戻ったモニター画面の脇に設置された小さなスピーカーからだった。エイタのにやけた笑みが目に浮かんだ。どうやら確定らしい。
「エイちゃん!」
『全部見てるぜ……とは言っても、何も俺はお前らの敵の一味じゃないけどな』
「説明してください! こんなの、おかしいです! 一味じゃないと言うなら、どうして……」
『俺はいつでも誰の味方にもならない。求められればアドヴァイスをする。それがルールなんだ。運命の導きって言ってもいい……だから、ユカちん達にもアドヴァイスを送るよ。時間はそんなに残されていない。その時が迫っているんだ。もし、何もかもが嫌になっているなら、その部屋の一番左奥にあるプラスティックカバーに覆われたボタンを押すといい』
モニターに映像が投げ込まれた。この部屋を斜め上から見下ろした映像。俺達三人の後姿が映し出されていた。映像がゆっくりと動く。振り返ると、カメラが音も無くその向きを変えている様子が見て取れた。
『彼氏君、相変わらず細いね……まあいいや。そのボタンはね、君達がいるその部屋をシェルターにしてくれる。何もかもを放棄する意思表示、最後のボタン。生き残りたくなったら押すといいよ。放棄するつもりも無いなら、降りてくるといい。一番奥で待ってるよ。知りたい事も知れるかもね。じゃあ、健闘を』
音声が途絶え、次いで、モニターの映像も切れた。講堂で聞いたのと同じ警報が再び鳴り響いた。振動と、何かが崩れるような響き。さっきよりも大きかった。この部屋に立てこもっている理由なんか、何処にも無かった。