*
「私がこの家で生活していた頃……我ながら恵まれた暮らしをしていたように記憶してます。道楽者でありながらも家を維持していた父に、それに従う事のみを正義としていた優しい母、それに何人かのハウスキーパー……今の状況からすれば、自分でも羨んでしまうくらいです」
「話が見えない。あたし達がいつでも実力行使に出られる事、忘れてない?」
「そんなこの家に、足繁く通ってくる人間がいました。まあ、そんな人間は何人もいましたが、他の人物の場合と違い父はその人物が来るたびに人払いをし、地下の遊戯室で長い時間何かを話しあっていたのです。そしてその人物は……ここは勿体つけたほうがいいかもしれませんが、はっきり言ってしまいます。貴方がたが首領、社長とあがめるあの男……さて、何の密談をしていたのか、ご存じですか?」
そこまででユカは一度話を区切った。周囲を見渡しているようだった。誰からも反応らしい反応は無い。冷たい目線が注がれているらしい事はよく見てとれた。
「運気というものがいかにして成り立っているのか。幸運と不幸の境目はどこにあるのか。父は資金を出し、白髪の男には実際的な調査や研究をさせていた。物証はないですが、白髪男がかつて自分で言っていたのですから、おそらく間違いでは無いのでしょう……父は元々からして、運の上がり下がりに異常な執着を持っていましたし」
「ユカ……聞きたい事は想像ついたけど、あたしには答えられない。先に言っておくわ」
「私はあの白髪の願いで昨年、彼の組織の一員として引き込まれました。ある日突然に両親が消え、ずっと施設暮らし……行くべき場所も特に無かった私としては断る理由は無かったです。それに、確かめたい事もありました」
「もう止めなさい。答えられないって言ってるじゃない」
「……勿論、この件とはまるで関係の無い失踪の可能性も否定はできないです。私の個人的な感情としては白髪男が何かしら事件に関わっていると見ていますが。しかし、それはそこまで大きな問題ではありません。何にせよ、いないものをどうにかしろ、と言っても無駄でしょうし、安っぽい復讐劇を始めるつもりもありません。ただ、知りたい事がある。そのためだけに私はここでこうしています」
「……それで?」
「さて、それでは質問です。貴方がたが私の両親に何らかの行為を働いた、という前提で。どうして私を引き込む必要性があったのか。答えていただきたいです。貴方がたの首領は、さもそれが当たり前であるかのように私に声をかけてきました。私が何も知らないとでも思った、と言う事はないでしょう。いかにも後付けの設定であるかのように〝鍵の暴走を止めるコントロールユニット〟なんて話もありましたが、それが私にしかこなせない事では無いのであろうことは明白です。何かしら、本当の狙いがあるはずです。さあ、どうです?」
「…………」
どのくらいの沈黙がその場に挟まれただろう。長く感じられた。世界中が動きを停めてしまったかのような、重い、痛みを伴う沈黙。実際のところは、きっと数秒だった。けれど、こういう時、現実的な時間の長さは、さして問題にならない。打ち破ったのは、右手をさっと上げたユイによる一言だった。
「あたしの任務は鍵の奪還。貴方に何かを教示する事はそこに含まれない」
オケダと、もう一人の若い男が拳銃をかまえた。遅れてユイも。
「鍵を出しなさい」
「拒否します。それに、いいのですか? 私を殺害してしまえば、鍵のありかへの道は完全に閉ざされます」
「構わない。邸内に入った事は確認済みである以上、虱潰しにしてしまえば済む事よ。ユカ……残念ね……どうして分からないの? 未来は、塗りつぶされてしまっている。次のページを開かないと何も変わらない。さようなら」
「…………」
「とおりゃあああああああああああ! すらっしゅたいふーん!」
どこかアホっぽい奇声が、ユイの背後を襲った。奇声と同時に放たれた、これまたどこかアホっぽい変な飛び蹴り。不意に聞こえた声に慌てて振り返ったユイの鎖骨あたりをその攻撃は直撃、若干エロい声を上げながらユイは床へと崩れ落ちた……なんて冷静に観察をしている場合では無く、俺には俺でやらなきゃいけない事があるのだ。三対一の状況が二対三になったところで、相手がえげつない凶器を持参している以上、勝ち目なんか期待するだけ無駄だ。
「ユカ、逃げるぞ!」
「……貴方達どうやってあそこから……」
「そんなもん、あとで説明するから、いいから行くぞ!」
俺は呆気にとられた表情のユカを無理やりに引っ張って出口まで全力ダッシュ。サチが、動揺するオケダに鋭い回し蹴りを放つのが見えた。なんだか楽しそうな顔をしているのは何故だろう。あまり深く考えてはいけない事なのかもしれないが。
「サチ、そんなんにかまってないで、早く!」
「ウィナーイズ、サチ! 撤収~!」
*
「トイレの奥に暗証番号付きの非常扉があったんだ。そんでこう、ピピっと……」
「確かにありますが……八桁の暗証番号です! 適当押しでなんとかなる数ではないです」
「やっぱ、押したのがサチだったから良かったんじゃない? 念のため、俺は全力で離れてたし」
ちなみに、その離れる時にビリヤード台に激突。痣が一つ出来た。さすが、俺。
「想定外すぎるんですが……それに、私の方でも非常時用に人間を隠れさせていたので……まあ、結果として問題は無かったのでいいのですが……いえ、とにかく、助けていただいてありがとうございます」
シャレにならない状況になりつつあった事を感じた俺達は、とにかく少しでも暴れて、なんとかこっちに注意を引けないかやってみよう、と部屋の中を右往左往していた。その最中、サチが女性用トイレの中に非常扉と暗証番号の装置を発見。扉をたたいたり、蹴り飛ばしたり、出来る限りの手は尽くした。びくともしなかった。最後の賭け、ということで俺は出来るだけ離れ、サチがボタンをいじくる事になったのだ。最悪、何回も間違えて警報装置でも鳴ってくれれば、それはそれでありだと思って。
結果、嘘みたいにあっさりとドアがオープン。ドアの向こう側はらせん式の登り階段になっていて、出された場所は、ちょうど屋敷のエントランスとは真逆、裏庭に建てられた小さな小屋だった。
「それで、表玄関から回り込んで、様子を伺ってたわけなのだよ。まあさ、もし話し合いで決着になるなら邪魔しちゃいけないな、と思ってあたしら隠れて見てたの。そしたら、あんな状況になって、ね。もうこれはやるっきゃないっしょって飛び出したわけ」
屋敷から全力疾走で離れて、大通りでタクシーを捕まえて、今は広島駅近くのファーストフードショップだ。なるべく目立たない奥まった席を首尾よく確保して一休み。街中でこうしていれば、ひとまずは安心だ。
ユカは話を聞きながら紙カップに入ったホットレモンティーを気難しそうな顔をしながらすすっていた。
「あり得ない幸運が起こり、こうしていられる事は理解できましたが、一つ分からない事があるのです」
カップから唇を離し、ユカが言った。俺とサチがユカに視線を集める。ユカが次に発したのは、こんな質問だった。
「すらっしゅたいふーんって……なんです?」
八
***
連れていかれた場所は、施設と大差の無い場所でした。何処かの工場を改装した感じです。やけに厳重で、扉は電子制御のオートロックだし、部屋に監視カメラまでついています。
説明されたところによると、衣食住は完全保証するけれど、機密上、ある程度事態が進行した時点で自由は拘束する、との事です。ちなみに、この場所まで来てしまった以上、もはや拒否権は無い、との事。こんなの詐欺です。逃げようとしたら、捕まって、縛られました。絶対に、こいつらは父や母の事について何か知っています。確信しました。悪です。
***
「こう、ずばーっと脚からオーラ的なものを出しながら突っ込んでいく必殺技なわけ。まあ、あたしはオーラなんて出ないけどさ」
そんなサチの説明はどうでもいいとして、俺達はこれからどうするべきなのか。もはやユカの家に留まっているわけにもいかないし、そうなった以上、隠れている事が出来るような場所はもはや無いと言っていい。
一応、幾つかの案は出た。
国外逃亡。俺とサチがパスポートを持っていなくて実行不能。
警察。相変わらずのユカの拒否によって却下された。理由は何度聞いても教えてくれなかった。
ゲームセンター。これはサチの主張。意味が分からないので却下。
「冗談に決まってるじゃんよ」
ぶうぶうと文句を垂れていたけれど、多分、半ば本気だった。そろそろ禁断症状が出てきているのかもしれない。
「問題とすべき事は、サチさんもこうしてこの事態に巻き込まれている事です」
ユカがわざとらしい、重く湿った声で言った。
「なんでよ? まだあたしの事邪魔だとか思ってるわけ? 窮地を救ってあげたのにさ」
「そういう事ではありません。セイジさんの不幸の力が、サチさんの幸運の力を上回りつつあります。時が近いです」
「何が起こるんだかな……」
「無駄な発言ですね。それが分かればいかようにも対策が取れます」
ふふん、と鼻で笑われるとさすがに俺でもカチンとくるんだが。
「立て篭もる場所を失ってしまったのは致命的です。全方位からのあらゆる事態を想定した上で行動に出なければいけません。なので、再度広島から東京へ戻ります」
相手方がどう出るか予測できない以上、動き続けるのが得策だし、もし上手く事が運べば、相手側の増援と入れ違いになる可能性があるから。ユカが主張するところをまとめるとこんな感じだ。反対する理由が無いから、賛成。サチも同様。
「ところで、気になっている事がもう一つあるのですが」
「だから、すらっしゅたいふーんは……」
「貴方がたはどうして私を詰問しないのです? やりとりを見ていたらお分かりでしょうが、私はセイジさんを交渉のカードとして利用するためにここまで引っ張ってきました。無論、その返礼として無事に元の生活に戻す、という約束は守るつもりでしたが、それでも私は幾つもの嘘を重ねてきました」
「それどころじゃないから」
俺とサチの声が綺麗にハモった。そう、それどころじゃない。そんなの、何もかもが終わった後にゆっくり話し合っても十分に事足りる問題だ。例えば、広島までの切符代の借金帳消し、とかそれくらいでいい。
「そうですか……行きましょう」
*
東京までの復路、俺達は幾つかの選択肢の中から飛行機を選んだ。理由は簡単。あいつらの持ち物からして絶対に使えないだろうと推測されたからだ。いくら日本の国内線とは言え、拳銃的なものを持ちこめるほどセキュリティーは甘くないだろう。何かしら非合法なやりくちでそれをかいくぐることが出来るのかもしれないけれど、そこまで心配していたら身動きなんかとれっこない、ということで。
幸い空席をすぐに抑えることが出来て、俺達は順調に空へと飛び立った。何らかの邪魔が入る事もなかったし、これなら一時間少しで羽田に到着出来る。なんでも、ユカが言うには最後の手段が東京にあるらしい。
「こんな状況で訪れるのは嫌なんですが……。それはそうと、サチさん……いつまでにやにやしているんです? うざいです」
「だってさー、四十連勝よ四十連勝。あたしの実力がほぼ全国区なのはもはや間違いなし!」
携帯電話で抑えた飛行機の時刻までいくらかの空き時間があったから、サチの強い希望でもって俺達は近くにあった大きめのゲームセンターで時間を潰した。ユカはその危険性を主張してやまなかったけれど、サチが、これにて嘘の罪を一切忘れます、だなんて言い出したものだから最後には文句を言いつつ引き下がることになったわけだ。随分乱暴な取引だと脇で見ていても思ったけれど、これが意外、ゲームセンターでの時間潰しが俺達にもたらしたものは、想定外の安全性の高さだった。
サチがプレイを開始して数分で乱入対戦のエントリー。きっと、女の子だし少し遊んでやるか、くらいの腹だった事だろう。可哀想に、サチはその相手をほぼパーフェクトで撃退。それが事の始まりだ。どうも相手側がむきになったのか、仲間を呼んできてかわるがわるに乱入、乱入、乱入。そのことごとくを撃破するサチ。いつしか周囲にギャラリーの集団が人垣をつくり、サチを中心とした俺達の一団をいい感じに隠してくれた。そんなのが、三時間半。入れ替わり立ち替わりのギャラリーも次第に少なくなっていき、最後には乱入する人間もいなくなった。サチはコンピューター相手に最終ステージまでクリアして得意満面、〝40WINS〟と表示されている画面を携帯電話のカメラで撮影してようやく終了。サチが席を立った時にいくらか拍手が起こった。
安全ではあったかもしれないけれど、正直、もう二度と御免だ。見ているだけで面白くもなんともなかったし。きっとユカは俺の五倍くらい苛立っていたことだろう。
「最悪の経験です。こうして今座っていられることを神に感謝せざるを得ません」
「ユカちゃんもやってみればいいのに。かなりハマるよ」
「お断りです」
「なんでよ。ユカちゃん、もちっと面白みを感じて生きていったほうがいいと思うよ。いつも小難しい顔してさ、疲れない? 将来、眉間からしわくちゃになっちゃうよ」
「…………」
俺は、ノーコメント。たったの一時間とは言え、どうやら確保されたらしい当面の平和を自分からぶち壊すような真似はしたくない。
「しかし……これほど不安なフライトもないですね。運転されている方が状況を知ったらうっかり操舵を誤りかねません」
ユカが俺の方をわざとらしく見つつそう言ってきた。どうやら、サチを相手にするのは分が悪い、という判断をより強固なものにしたらしい。
「……どういう意味だよ」
「まだ死にたくはないです。統計上は自動車での交通事故死に出くわすよりも低い確率だそうですが……さて、どうでしょうね」
「サチがいるから大丈夫だろうよ、俺の不幸なんか吹き飛ばせるはず……だろ?」
つい小声になるのは、俺がそれだけ怯えているからなのかもしれない。
「ええ~……あたしにあんた、何人分の命背負わせようとしてんのよ」
「小型機ですからそれほどでも無いかと思いますが……サチさん、宜しくお願いします」
「何も起きませんように。何も起きませんように。こいつが何も起こしませんように」
サチはわざとらしく手を組んで、何処へともない祈りの節だ。最後の一回、俺の方をまじまじと見てから天を仰ぐ手の込みようだ。
〝本日、少々上空の気流が乱れておりますため、機体が揺れる可能性がございます。出来る限りシートベルトを外されませんようにお願い申し上げます〟
嫌なタイミングで嫌なアナウンスだ。空気を読みやがったとしか思えない。
「はぁ……気流を乱すくらいワケないって事ですか」
「俺のせいかよ」
「間違いありません」
「だね」
「サチまでそっち側かよ」
「あたしはいつでも面白そうな側の味方だ!」
不愉快だ。目を閉じた。眠りなんか、やってくるはずもなかった。よって、考え事だ。
これは決して重要な部分では無いのかもしれないけれど、ここにきて気になる事が一つ。どうして、俺が不幸であると組織は知り得たのだろう。調べる方法は確かに幾つかある。けれど、そのどれもが非現実的だ。全国に無作為に不幸な人探しの役目を負った人間を複数配置したとして、それが俺に至る可能性なんて、絶対に大した数字にはならない。そう簡単に至られてたまるか、とも思う。
公募として不幸な人間求む! 自薦、他薦は問いません……密告した人間を吊るしてやりたい。そもそもどんな公募だ。
人間の運気が手に取るように分かるレーダー的なものを相手が持っているとしたら……そんな近未来を飛び越えた秘密道具なんて仕組みも想像出来ない。
「なあ、ユカ。気になる事があるんだけど」
分からない事は誰かに聞くに限る。不幸である事が明確である以上、自分一人の力で何とか出来るだなんて考えるだけ無駄なのだ。手段は選ばずに解決を目指す。そう簡単には目に見えない不幸なんてものに負けたりはしないのだ。
「…………」
「おーい……」
「…………」
まあ、時にはこうやって全力で無視されたりもする。こういう事もある。この手の失敗を挽回するには、試行回数を増やすのが最善だ。
「なあ、サチ」
「……うん? ……うんうん……怖くない怖くない……ふが」
俺は、多分今この飛行機の中で一番可哀想だ。誰が否定しようと、この座は譲れない。
*
「そう……失敗か……」
冷たい声。ぎしり、と椅子がきしむ音。
「申し訳ありません……必ず明日までには……」
「もういいよ。オケダ君と二人で戻っておいで」
「いえ、明日までには必ず……少し待って下さい」
「想定よりも早いペースで鍵が出来あがろうとしている。どのみち、じっとしている手は無いよ。それに、彼らもどうやらこっちへ戻ってくるみたいだ。僕は準備を始める」
彼はそう言うと、向こう側の返答を待つこと無く、受話器を置いた。
あらかじめ執務机の脇に用意しておいた鞄を手に、彼は部屋を後にした。
*
「お二人にこれを渡しておきます。万が一はぐれたり、襲撃があった際はこの場所で落ち合いましょう」
羽田に到着。時刻はまもなく夕暮れ時。空港の到着ロビーでユカから手渡されたのは、住所の書かれた紙片だった。
「いつでもお渡しできるようにあらかじめ作成しておいたものです。こうやって、落ち着いたシチュエーションでお渡しできるのはきっとサチさんの幸運のおかげですね」
「やっぱそうでしょ? セイジの不幸なんか食いつくしちゃうよ」
「お世辞です。それよりも、先の作戦が失敗に終わった以上、もはや私達に出来る事は奴らの計画を食いとめる事、それのみです。リベンジはそれからでも十分可能ですが、もしも奴らの思うままに事が運ばれてしまった場合、何がどうなるか定かではありません」
「この住所がそのために役立つの?」
「前にも言いましたが、あまり行きたくはない場所です。おそらくそこで貴方がたは本来見てはならないものを見てしまう事になります……どうかお願いです。そこで見たものについて、一切口外しないでください。私への質問も禁止します。全てをその場限りの物事として処理していただきたいのです……どうか……」
ユカの顔は真剣そのもの、嘘偽り無し、どの角度からみても哀願のそれだった。
「了解。とりあえず行くしかないっしょ。それが唯一の策だって言うならね」
俺も首肯。空港から出てすぐにタクシーへ乗り込んで、それから一時間弱。ユカの紙片に記されていた住所の地は、東京と神奈川の県境に近い街のマンションだった。
「ここの七階です……ああ……嫌だ……本気で行きたくありませんが」
「ここまで来ちゃって、もう遅いだろうよ」
「確かにそうですが……」
「ユカちゃん、ほら、行こうよ。時間ないんでしょ?」
「約束、守っていただきますからね。では、参りましょう」
エレベーターで上がって、すぐ目の前の部屋がその目的地だった。ユカが呼び鈴を鳴らすとすぐに扉が開いた。そして、俺とサチは衝撃の事態に直面したのだった。
「はいどなた……おお、ユカちん!」
「エイちゃん、来たよ」
「元気元気、さあ、あがってよ、お連れさんも一緒に」
扉が開いた先にいたのは、いかにも遊んでいそうな若い男だった。金に染めた髪を短く刈り込んでいて、口から耳からピアスだらけ。頬に大きな傷が一筋。傍にいてあまり居心地のいいタイプではない。何度かこの手の見た目の人間にかつあげを食らった事がある俺の感想。
「なんか悪そうで格好良くない? ねえ、セイジもさ、髪染めるならあれくらい思いきっちゃえって」
無理だ嫌だ、と返事をする気持ちすら若干失せるんだが。
*
「俺とユカちんは……まあ、同じ釜の飯を食った仲って奴かな。まあ、もともとガキんちょの頃から友達なんだけどね。ユカちん、エイちゃんの仲さ」
部屋の男、名前はサカキエイタと言うらしい。見た目ほどにはいい加減な自己紹介では無かったけれど、どうも目が合わせづらい。経験上の話でしかないけれど、この手の人間の多くは、たまたま目が合った事を最初のきっかけにして暴力行為に及ぶのだ。
「見た目ほどの威圧感はありませんから、どうか警戒心を解いてあげてください。誰の敵にも、誰の味方にもならない公平中立を信条にしている人ですから、害はありません」
「で、今日は突然どうしたの? まあいつでも家にいるからいいんだけど……あ、初めましてのお二人に誤解されるの嫌だから言っておくけど、ニートじゃないからね? 今は無職だけど、ちょっと働きたくなくなっちゃっただけで、ちゃんと貯金もあるからね」
俺の中にある知識によると、それはニートって呼ばれるんじゃなかったかと思うんだけど。
「今は良くない時期なんだ」
「確かに、ネットなんか見てると厳しいらしいですね」
「今はね、細くなってるんだ。通常時の六割くらいかな。もう少しこの傾向は続くみたい。一昨年ぐらいから少しずつ落ち込んでいく傾向だったんだけどね。よっぽどの事が無ければまた持ち直すとは思うよ。いつまでも悪い事は続かない」
確かに、底を打った感のある不況だが未だに回復とは言えない状況であるらしいことは学校の現代社会の授業でも言っていた……気がする。夢と現実の境目で呪文のように繰り返されていた授業の記憶なんて、吹き飛んで行くたんぽぽの綿毛よりも軽くて、何処かうそっぽい。
「しっかし、惚れ惚れするくらい細いね、彼氏。棒みたい。あ、でも、彼女の方が一生安泰なくらい太いからカバーきくのかな。振れ幅あっても、まだ一般の人より太そうだし、この良くない時期でもそれをモノともしてない感じ。いいね、君、気に入った」
前にも何処かで言われた気がする。〝君は細い〟。はて、何処でだったか。
「解説を挟みますと、彼が太い、細い、と言うのは、貴方がたの運気の事です」
「はぁ?」
俺とサチはほぼ同時にユカを見て、次いで、エイタの方に視線を向けた。何故だか少し申し訳なさそうな半笑いだ。
「……彼は、その人の運気を見る事が出来るのです」
「見るってよりは、感じ取れるってほうが正しいけど。予感屋、なんて看板掲げて商売やってますっと......彼氏くんの方は線だね、箸よりも細い。彼女さんの方はどこぞの農村なんかで御神体として崇められているような大樹みたいに太く、強い運気だ。そういうわけで俺はユカちんのご紹介通り、その人が持つ運気を見る事が出来る。その人がどれだけ不幸なのかも、逆に幸運なのかも分かる。すごいだろ」
「彼はこの力を駆使して予感屋......つまりは占い師のような仕事をしていましたが、現在は一時休みをとってるそうです」
「今だから言えるけど、子供のころとか結構気持ち悪がられて、いじめられたりとかあってさ、そんな時はよくユカちんが慰めてくれたんだよな」
「エイちゃん、すぐ泣いてました」
「八歳くらいまではユカちんとご近所さんだったんだけど、その後で家族まとめて交通事故に遭ってさ、俺だけ生き残っちゃった。そんで、ユカちんとも涙の別れで、俺は保護施設に入ることになったわけさ」
「そして十年後、私もまた両親を見失いその施設へ入ったわけです......施設に入るにしては少し年齢が高かったし一人でも良かったのですが、父の関係先の施設だったの遺言と同じレベルの扱いで入所させられたのです」
「そして、俺達は再会しましたとさ。まあ、その後、あれよあれよと施設無くなっちゃって、だから今日が二回目の再会って事になるわけ……って、長くなっちゃったな。そろそろ、改めて来意を聞こうか」
ユカが頷き、ここまでの概要と現在状況をざっと説明すると、エイタはデスクから紙とペンを取り、チェアから立ち上がって俺達三人の前に改めて座り直した。俺とサチは硬直したままだ。少なくとも俺は、どう反応したらいいのか混乱中だ。なんだか、何を言ってもろくな事にならないような気がしてならない。
「運気……それは、相互に影響しあう力。要するに、場の力って事。この場では、サチさんだっけ? 彼女の力が他を圧倒するくらいに強いから何かが起こるとしたらそれは幸運と呼んで然るべき出来事だろうね。逆にこの場に彼女がいなかったら……」
エイタは紙に俺達四人の名前を書き、それから、サチの名前を横線で消した。
「いたずらで放火されてボヤが起こるとか、それくらいはあり得るだろうね。それだけ、彼の力はマイナスの作用をこの場にもたらす。それはつまり、僕とユカちんの運気では彼の力を打ち消す事は出来ないって事。大きさに差がありすぎる。じゃあ、場をもっと大きくとらえたら?」
俺達四人の名前を楕円で囲まれ、その外側にもっと大きな楕円が記された。
「勿論、彼一人の力じゃ、彼女みたいな大きな幸運に何処かで阻まれる……広がりには限界がある……いつもなら」
「いつもって言えない状況だと?」
「〝今は良くない〟んだ。それでも、相互に影響しあう以上、一つずつの力が拡散していれば、そこから何かしら大事件になるような事は無いだろうけどね。育つ前に何処かで潰れる……ただ……」
「一か所に集合してたらアウトです」
「その通り。さっすがユカちん。相互に影響し合うのは何も打ち消し合う力だけじゃないからね。幾つものマイナス方面の力が重なりあえば、それはすさまじい勢いで連鎖し、広い範囲の場をマイナスの力で支配しようとする事になるはずだ。誰も止められないほどの勢いで、力強く、世界は不幸の塊になる。そうなれば、一つや二つの巨大な幸運じゃ対応出来ない」
サチはエイタの話に聞き入っているようで、普段から人よりも大きめサイズの眼を丸くしていた。それに対して俺は、何言ってるんだこいつって具合だ。納得だって、一つもいかない。
そもそも、運気が目に見えるだのなんだのなんてのはバラエティ番組でも既に出尽くしたようなネタだし、それを信じて踊らされるのがいかに間抜けなのかは考えるまでもない事だ。大体、こっちの目に見えないものを見える、だなんて言う奴にまっとうな手合いがいるとは思えん。しかし、そんな俺の一般的かつ冷静な反応には何ら影響されず、与太話としか思えないエイタとユカの話は更なる加速を見せるのだった。
「組織が使っていた施設にはかなり大勢の人が生活していました。すでにかなりの人数が選抜され、確保されていると見るべきです」
「うんうん。世界終了まではいかないだろうけど、日本終了くらいはあるかもだね」
「ちょっと待て。それ、おかしいだろ?」
「おかしくは無いさ……可能性だけの話ならば何だって言えるんだからね。不幸君」
「俺はそんな名前じゃねえ……そして、やっぱりあんたの話は一個合点がいかないところがある」
そう、エイタの言う、運が見えるだのなんだのと言った胡散臭い部分全てを信じた上でも、どうしてもおかしい点が一つ残る。口に出す前に頭の中で再度確認。大丈夫、俺の勘違いなんかじゃない。
「俺の他にも似たような不幸な奴が一緒に捕まってる可能性はどうでもいい。けど、もし本当に一緒に捕まっていたんだったら、奴らはどうして俺の事をここまで追いかけまわす必要があるんだ? いくらでも、他の奴に代わりをさせれば済みそうなもんだぞ」
敵将討ち取ったり、な気分だ。胸につかえていた、もやっとした苛立ちの雲がとれて、思わず見上げたくなるような晴天がやってきたような、そんな感じ。俺が何も分かってないだなんて思うなよ、とでも言ってやりたいくらいだ。
「う~ん……確かにそこは奇妙に感じるかもしれないね。どうして、君でなくてはいけないのか」
「そう、どうして俺じゃないといけないのか」
「ふむ……君の不幸の力は、それはもう、物凄いものだ。そこらへんに転がってるようなもんじゃない。天からの授かりものとしか表現しようがない、それはそれは強大な力だ」
「ほっとけ」
「要するに、セイジがいたほうが確率が飛躍的に上がる、とかそういうこと?」
「それもあるだろうけど……子供向けのアニメなんかでこんなシーン見た事無い? 雪玉が斜面を転がりながらどんどん大きくなっていくってやつ」
「あるある、あります」
サチ、いい聞き手にも程がある。俺はこういう、例えを用いた話し方をする奴はあまり好きになれない。遠まわしでイライラする。なんだかオケダと話しているみたいな気分になってくる。
「まあ実際には、ああ上手くはいかないけど。ポイントは、最初のひと押しさえあれば後は勝手に大きくなっていくって部分ね。要するに、セイジ君は、最初のひと押し担当なんだよ。引き金、と言い換えてもいい。起爆スイッチでもいいよ」
呼び方なんかは別にどうでもいいとして、俺は頭の中で、白髪男にかつて言われた一言を思い出さずにはいられなかった。
「君から始まる不幸が世界を変える……そういう事か……」
「ま、そんな事はどうでもいい部類だろ? 君たちにとっては。それより」
エイタはそこで一度言葉を区切り、周囲を見渡す仕草。あれやこれやですっかりやる気を失った俺。その横で、純粋そうな表情で次の言葉を待つサチ。疲れ切った表情をしてすっかり無言のユカ。何を納得したのか、重々しく頷き、エイタは宣言した。
「これからどうする? 俺は何を手伝えるのかな? 予感業......公平なアドヴァイザーとしての範囲内なら、協力は惜しまないよ」