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第2話

 目を覚ますまでに一体どれくらいの時間を要したのかは不詳。とりあえずその場所には時計が無かった。俺は何処かの個室のベッドの上に寝かされていた。熱がある事を知っていたのか、それとも気づいたのか、枕は昔ながらの氷枕……そんな優しさはいらない。起こった出来事を思い返すと余計にそう思ったが体調は幾分良くなっていた。

 シンプルな部屋だった。真白な壁紙、真白な照明。パイプベッドと氷枕、真白なシーツと淡いグレーのカーペット。あるのはそれだけだ。その場所が何処だかを示すようなものは一切無いし、外部との通信手段も見当たらない。ドアは、俺がいる側には鍵を開くつまみもなければ、鍵穴すら無い。ドアノブもレバーも存在しない、分厚い金属の板。出来る事は何も無かった。

 立ち止まると恐怖が駆け上がってきた。考えろ、考えろ、と自分を励ましたところで考えて何とかなる事態じゃない事は明らかだ。俺は見知らぬ場所にこうして閉じ込められていて、どうする事も出来なくなっている。何されるんだ? 何が起きている? 俺が一体何をした? これまでさんざん不幸に見舞われていくらか慣れてはいたけど、流石にこれは......少し、泣きそうな気分だ。

『はーい、おはよう、良い夜だね。風邪薬もぶち込んでおいたんだけど気分はどう?』

 タイミング良く天井から聞こえてきた声。見上げると、スピーカーが一つに、監視カメラが一つ。聞こえてきたのは、嫌な感じに頭に響く、スーツ女の陽気な声だった。

『スピーカーの横に収音もつけてるから、話してくれて大丈夫だからね』

「じゃあ……ここは何処なんだよ? もう何が何だか本当に分からない。家に帰りたいんだけど」

『場所は秘密で、何が何だかについては明日にでもある程度説明してあげよう。家には……まあ、運が良ければそのうち帰れるんじゃないかな。今日、明日じゃないのは申し訳ないけど』

「おかしいだろ! こんなの、普通に犯罪だぞ!」

『そうだね』

「帰らせろ!」

『無理』

「絶対ただじゃすまさねえ、マジ、ふざけんな……!」

 壁に飛び蹴りしてやった。分かったことは、かなり分厚くて固い壁だと言うことと、これをあと数回繰り返したら俺の脚がどうにかなってしまうであろうって事だけだ。

『勝手に怪我するような真似しないでね』

「……うるせえ……帰らせろ……」

『明日の朝になったら色々分かるって言うのに……よし、特別サービス。話し相手をプレゼントするよ。ちょうど向こうも眠れないみたいだし、数分したら部屋に行かせるから色々話聞いてみなよ。言っておくけどその子には入る分の鍵しか持たせてないから、その子を締め上げて無理やり脱出~とかそういうのは出来ないんでそこはよろしく。じゃ、また明日。あ、あと、部屋には電気消すスイッチは無いから、暗くして悪さしようとしてもダメだからね』

 ブツリ、と鳴って音声は途絶えた。その後はこちらから何を言っても返事無しで、大体三分くらい。ピッと電子音が鳴り、それからロックの外れる音。部屋に入ってきたのは小さな女の子だった。小学生の中学年くらいの身長だけれど、顔は幾分大人びているから、背が低い中学生なのかもしれない。ぼさっとした印象の白いスウェットに、白いサンダル。鋭い、相手を威圧するかのような冷たさを湛える目が俺の方を見て、部屋を見回し、それから小さく頭をペコリ。少し青みがかった黒髪のセミロングを小さなポニーテールにしていて、それが頭を下げるのに伴ってちんまりと動く。

「……君は?」

「コントロールユニット。暴走を抑えるための制御装置の役回りらしいです」

「いや、そうじゃなくて……」

「名前なんて、あまりここでは意味を持たないです。特に私達の側にとっては」

「一体ここは何処で、あいつら何考えてるんだ?」

「彼らの所属する組織の名称......黄昏社、だそうですよ。その目的は審判の日の準備。その日から少しずつ、人間は選別されるらしいです。生きる価値を持ってるかどうか。死ぬべき人は死んで、生き残るべき人が生き残る……そこ、座っても?」

 女の子はベッドを指差しながら言い、特に俺の返事を待たずに俺の横を通り過ぎ腰かけた。俺はどんな言葉を発するべきか混乱中だ。オカルトなバラエティ番組でどっかの予言者が深刻そうに言うのが似合いそうな話。

「あの人達は何も悪ふざけをしているわけじゃないし、こちらの文句を大人しく聞くような人達じゃない。世の中の構造を、あの人達は本気で作り変えようとしているんです。やり方の是非は別として」

「いや待ってくれって……どう聞いたってここまでの流れ、全部冗談にしか聞こえないんだって。いきなり審判だのなんだの言われたって、理解できる奴の方が絶対少ないと思うぞ」

「理解していなくても、納得していなくても、その日はやってくるらしいですよ。あくまであの人達がそう言っているだけですが」

「……ここから出る方法は何か無いのかよ?」

「少なくとも私は知りません。複雑な電子ロックで部屋が厳重に管理されているのは確かです」

 少し低めの、抑揚に乏しい声で女の子は物憂げそうにそう言い、それからベッドに身を横たえた。既に中身の溶けきった氷枕から、水の蠢く音が聞こえた。俺も黙り、女の子も黙ると、本当に静かな部屋だ。何処からか、かすかな機械の駆動音が聞こえるだけの、何もかもを押しつぶしてしまいそうな静けさが支配する部屋。今更ながらだけれど、俺は今、これまでの俺が体験したことの無い、本物の非常事態の中にいる。不意に湧いてきた実感が、物凄く不愉快で、重たくて、身ぶるいがした。

「ずっと眠れなかったのに、不思議です。こうして誰かと話しをしただけで、急に今、眠たくなってきてる。欠伸はストレスに対する反応らしいですから、貴方との会話は私に十分なストレスを与えているということなのでしょう」

「それは俺が悪いのか...? スーツ女が明日になれば分かるって言ってたけど、明日、何があるんだ?」

「知らない。私はずっと、貴方が来るまでは……本命の鍵が来るまでは何も始まらないからのんびりしていればいいと言われていただけ」

「もう、ここに来て長いの?」

「時計も何も無いから何とも。でも、部屋に百回以上食事が運ばれてきたし、退屈を紛らわすための本をもう二十冊以上読んでいるから、多分長いです」

「君も捕まってここへ?」

「ねえ、貴方の知りたい事の殆どが、知ってどうするのか理解できない質問ばかりなのはどうしてですか?」

「好奇心と……あとは、少しでも状況を把握したいと思うからかな。変? こういうの」

「分からないですが、少なくとも私とは人種が違うようですね」

 俺は頭の中、急いで次の話題を探していた。黙ってしまったら、静かになってしまったら、思考がいよいよ止まらなくなる。押し潰される。それに、何よりもまず間が持たない。

「俺さ、すげーついてないんだよな……今も何だか知らんがここに閉じ込められてるし」

「そうですか」

「……一個さ、分かりやすいエピソードがあるんだ。高校受験の時なんだけど、前日にけっこう凶悪な風邪ひいて、それで当日も具合悪くてさ、なんとか駅まで行ったら電車遅れてんだよ。ようやく来た電車は超満員。押しつぶされそうになって気持ち悪くなるし、最後に確認しようと思ってた参考書は無駄になるし最悪でな」

「……それで?」

「なんとか目的の駅についたんだけど、人波の中で鞄落としちゃって、しかもそれを何人かに踏みつけられて……受験会場の学校で、さあ試験だ、なんて思ったらペンケースの中で鉛筆がボキボキに折れててびびったわけさ。塾の先生に当日は鉛筆のほうが楽だ、って言われてたからそうしたんだけど、あの時は本気で血の気引いたよ」

「その話、まだ続きます?」

「いや、こんなもんだけど……あ、ちなみにその試験は落ちて結局滑り止めの私立に入って今に至る」

「半分以上はご自身による不注意ですね。よく今日に至るまで生きてこられたものと感心いたします」

「厳しいなあ。まあ、俺の友達も似たような感想だったけど。そっちは何か無いのかよ? こういう、軽めな話。こんなとこに捕まっているんだし、結構な不幸話あったりするんじゃないの?」

 女の子は少し言葉に詰まった様子で視線を漂わせた。案外、相当酷くて面白い目に遭っているのかもしれない。冷静そうな表情で俺と似たような目に遭っている小さな女の子。想像すると、奇妙なほどに優しい気分になれた。

「私は……そうですね。思いつく私の不幸なんて、今ここでこうしている事、それに、あとは両親が現時点で行方不明である事。そして、なぜこの場所に自分がいるのか、コントロールユニットなどと称される役割についての説明は受けましたがそれ以外は何も私は知りません。なぜ、私がそうであるのかも......このくらいです」

「…………」

「これで満足です?」

「なんかごめん……」

「眠くてもうダメです。悪いけど寝ます」

 言うが早いか、女の子はベッドの上で寝息を立て始めた。出来る事が何もなくて俺はしばらく部屋をうろうろ。監視カメラを見上げてみる。何となく腹が立ったから、靴を投げつけてやった。鈍い音がしてカメラはぐらりと向きを変えた。

 特に出来る事もなく、俺はベッドを背もたれに腰かけて、女の子や、オケダ達一味の言っていた沢山の意味不明を頭の中で整理してみようとした。

オケダ達の集団は何かしらシャレにならない事をしようとしているらしい事は明らかだ。そしてそこには、俺が外せないらしい。オケダは、不幸に選ばれたとかどうこう言っていたし、他にこれと言って身に覚えのある事も無いから、多分、大切なのは俺が人よりついていないという事実なのだろう。

 姿勢を変え、あてもなく彷徨わせていた視線に女の子の寝顔が入った。あまり安らかには見えない、苦悶しているかのような寝顔だった。俺なんか少しも不幸ではないのかもしれない。唐突にそんな事を思った。

 目を閉じて、ベッドに突っ伏してみる。女の子のかすかな寝息が規則正しく聞こえる、静かな部屋、呼吸のリズムを合わせると、軟らかな眠りが入り込んでくるのを感じた。




 夢を見た。俺はサチとゲームセンターで格闘ゲームをしていた。にこやかな表情で俺の方に歩み寄ってくるサチと、コンピューター相手になんとかして勝とうと一生懸命な俺。座っている俺に向かって、見る人全てに幸せな気分をもたらすような笑顔のまま、サチは言った。

「やっぱり、対人で決められないと意味無いからさ、技の練習台になってよ」

 いいよ、と言って立ち上がる俺。サチはおもむろに少し離れ、いくよ、と一声。かすかな助走から勢いをつけ、派手に飛び蹴りを放ってきた。

「ジャンプ強キックから下段中パンチ、中キック、そこから超必殺技で浮かせて最後に追い打ちね」

 そんな台詞と同時にクリーンヒットしたサチの飛び蹴り。ジャンプ強キックから次のパンチが上手く繋がらない、とかよく分からない事をぶつくさ言いながら、何度も何度も。夢の中の俺は妙な気持ち悪さを感じながら、それでも立ちあがってはサチに蹴り倒された。繰り返す事十回弱。俺は、不意に弾けるような痛みを感じ、夢から現実へと引きはがされた。

「寝込みを襲おうとしたのだと推察されますが、永眠されてはいかがですか?」

 聞くところによると、女の子が目を覚ました直後、最初に目に入ったものが俺の顔のアップだったらしい。俺はベッドに突っ伏して眠っていて、女の子は寝返りの結果、その距離わずか三十センチまで接近。驚いた女の子が俺の眉間にパンチを叩きこんで今に至る、と。

「待てって……何もするわけないだろ、普通に考えて。監視カメラあるんだし」

「貴方の刑死を心から望みます」

「だから待てって、俺にはそんなつもりも無いし……大体、小学生相手にそんなこと、するわけないだろう?」

「ここに銃器が無いのが残念でなりません。直接執行する手立ては無いものでしょうか」

「銃器て……」

『はいはいそこまで。おはよう』

「ユイ……どうして私をこの部屋へ? 何か、話していない目的でもあるのですか?」

『……まあ、まずはユカを自分の部屋に戻さないとね。その後、ちゃんと聞いてあげるから』

「お願いします。鍵の厳重な拘束を求めます」

『んじゃ、迎え行くから。鍵君も後で事情聴取ね』

「だから俺は何もしてないってのに……面倒な子供だな」

「………貴方よりはマシです。子供に子供とか言われたくないです」

「あれ? 悔しそうに下向いちゃってどうしたんですかー?」

「……クソガキは黙っていて下さい。疲れます」

「お前のレベルに合わせてやっただけだよ。むしろ有り難く思え」

 しばらくそんなやりとり、つまり口げんかをしていると扉のロックが外れる電子音が聞こえ、ユイという名前らしいスーツ女が入ってきた。そして直後、俺が目にしたのは健全とは言い難い、極めて非日常的な光景だった。

「んじゃ、つけるよ」

「……何回つけられても馴れないです……もうこれ、いらないでしょ? この部屋に来る時は免除だったんだし」

「昨日が例外。同行できる人がいなかったから。決まりなんだから、諦めなさい」

 ユイの顔には口の部分だけが露出している布製らしきマスクが取り付けられた。いくらか隙間はあるし口も開いているから呼吸に問題はなさそうだけれど、なんだか凶悪犯みたいだ。

「手、後ろで揃えて」

「…………」

 指示通りに出されたユカの小さな手首には、見るからに重厚な、過剰演出の塊のような手錠。ロックを落とす音が重々しく響いた。気分が悪くなりそうな、嫌な音だった。

「興味深そうに見てるけど、鍵君も今後どっかに移動させる時にはつけさせるからね。分かるでしょう?」

「……何がだよ……?」

「あたしらは何も遊びであんたらをここに連れてきてるわけじゃないってね」

「ユイ行きましょう。この男、日本語の半分も理解できないでしょうから時間の無駄です」

「やれやれ……本当に何があったんやら……まあ、行くか。あ、そうだ、鍵君」

「……今度は何だよ?」

「君、名前なんて言うの? オケダに聞いてもいいんだけど、やっぱり長い付き合いになるだろうしちゃんと自己紹介しておきたくってさ。あたしは、ユカが呼んでるので分かると思うけど、ユイ。サイジョウユイって言います」

「……オオヌキセイジ」

「オオヌキ君ね。まあいいや鍵君で。そっちのが呼びやすいし。んじゃ、後ほど」

「貴方に不幸あれ」

 好き勝手な事を言い残して二人はいなくなった。すぐにロックの落ちる音が聞こえた。静かな部屋、再び。しみじみと、心から、家に帰りたいと思った。後悔するのは分かっていたけれど、扉に飛び蹴り。やっぱり、足が痛いだけだった。



***


 この場所には、まだ自立が難しいであろう年頃の子どもが数人います。私やエイちゃんのような、自立が不可能ではない年齢の人間は、そういった小さな子たちの話し相手になってあげないといけないらしいです。私も結構きついのに、誰かの為に何かをするのってしんどいです。勘弁してほしいところです。子供って、言葉が通じないから苦手です。

 それでもいくらかはこの場所にも慣れました。不安を感じる夜はまだやって来るけれど、それでも、朝になれば大丈夫。前は、朝も昼も夜も全部嫌だったのに。変化ですね。

 ついさっきの事ですが、エイちゃんとゆっくり話をする時間がとれました。私と十年前に別れてからこちら、ずっとこの場所で生活していたそうです。十年。長いです。十年後、私は何処で何をしているのでしょうね。この場所に居続けているのは、ちょっと嫌です。


***


 連れていかれた部屋は、何処かの社長室のような場所だった。窮屈な目隠しを乱暴に外されたせいで、少し顔が痛い。手錠は外してもらえなかった。しかも、部屋に着いた直後、足にまで拘束具をつけられた。ユイ曰く、鍵くん冷静なフリして短気だから仕方ないよね、だと。

「ようこそ。ここは全てを一度終わらせるための場所……そして、長い冬を乗り切り、もう一度全てを始めるための場所……どう? 格好いいでしょ?」

 深くて柔らかな赤い絨毯の上にいかにも偉そうな執務机が設置された部屋。その最も奥側からの偉そうな声。スーツ姿に真白な髪をした青年がそこにいた。年齢は見た目、俺より少し上くらい。若々しい、ギラギラした目と彫りの深い顔立ちで、テレビにそこらへんのタレントと並んで写っていてもそんなに見劣りはしなさそう。その中であまりにも不釣り合いな白い髪だけが異様に浮いている。何処となく話し方や雰囲気がオケダに似ていた。おそらく、オケダが真似しているのだろう。気持ち悪い奴だな。

「初めまして、オオヌキセイジ君。僕達は黄昏社と名乗っているちょっとした……まあ、秘密結社みたいなもの、かな。僕代表のナムラだ……他、細々とした説明はいらないだろう? 君には鍵として審判の日をおおいに盛り上げてもらえればそれでいいんだからね」

「社長、流石にそれは可哀相かと……」

「理由や意義なんか知らなくても、動かされていればそれなりの結果に辿り着くのになんで知りたがるのか僕には理解出来ないんだよね。頭悪そうな顔しやがって。知らない方が楽だってどうして分からないかな」

 ぶん殴りたい。蹴り飛ばしたい。飛び蹴りからパンチにキックで必殺技してやりたい。なんだこのムカつく男。

「まあいいか。ねえ、君はこの世界には無駄が多いって事を理解してる?」

「……あんたみたいな悪党とか」

「僕がどうかはさておきだけど、意味としては合ってるよ。じゃあ、次の質問。そういう無駄な連中は排除されるべきだと思うんだ。だけど、相手の数はあまりにも多い。全部を始末する前にどうしても権力に潰される。人権だとか、法のもとの平等? 幸福を追求したければ勝手にすれば良いんだ。そんなものはどこにもない......さて、どうしよう。どうすればそういう下らない連中を裁ける?」

「知るか」

「神様に聞いてみればいいんだよ。本当に必要な人間は誰なのかってね。もし僕が必要な人間の中に入れないなら、それは運命として諦める。全てを運に任せて、必要な人間とそうでない人間を選別するんだよ......我々はその適切な時期を知っている、もう直ぐだよ」

「犯罪者が偉そうに……協力する気なんか無いんだから早く家に帰せよ!」

「きっと君にとっても悪くない結果が待っていると思うんだけどな。君だってこの世界、ろくでもない奴しかいない事については同意してくれるだろう? 例えばオケダ君とか君にとってはもっとも軽蔑すべき存在だよね」

「それはそうだけど……」

 嘘はつけないから、認めざるを得ない。オケダも、同じような顔つきのクラスメイトも、いなくなってくれて構わない。

「じゃあ協力してくれるね?」

「嫌だ、と言ったら?」

「別にいいよ? 最初から君に選択肢があるわけじゃないし。気持ちいいと思うんだけどな。世界が音をたてて崩れていくんだよ? 想像するだけで、大爆笑だろ? そのきっかけは君だ。君の不幸、君が呼び込む不幸。それは人に伝染しながら少しずつ、けれど確実に世界を飲み込んでいくんだ」

「嫌だ、協力なんか絶対しない」

「その時が来れば分かるさ。話は以上。ユイ」

「はい……じゃあ鍵君、お部屋に帰りましょうね」

「待て、まだ幾つも意味不明な事があ……おい、待てったら!」

 俺の静止は完全に無視されたまま強引に目隠しを被せられた。手錠はそのまま、足枷が外され、俺は力任せに立たせられた。



 後ろ手で手錠をはめるのは、暴れられた時の対処が楽だからとか何だとか、そんなどうでもいい話が部屋への戻りがてら、ユイからもたらされた。確かに、これでは目隠しが無くても殴りかかれない。しかも、蹴り飛ばすにしても勢いがつけづらい。よく考えるじゃねえか、と思ってしまった自分が何だか悔しかった。

「鍵君はあれだよ、もうちょっと落ち着いた方が良いね。考えなしって言われちゃうよ」

 顔を覆う構造の目隠し。その向こう側から、くぐもって聞こえるユイの声。加害者側が偉そうな事言うんじゃねえ、なんて言い返してみたら、思い切り突き飛ばされて、派手に転ばされた。

「どっちが優位に立ってるかなんてちっと考えれば分かるはずなんだけど。前にも言ったけど、死にさえしなければ別にあたしらは鍵君を痛めつけたっていいわけだし。自分で舌噛んで死ぬ勇気も無いでしょ? どうよ?」

「…………」

「ま、何だろうと大人しくしててくれればいいんだけど。ほら、着いたから。部屋に紙が置いてあるから、欲しいもの書いておきなさい。電化製品、高価なもの、明らかに不必要なものは駄目。まあ、本と着替えあたりが妥当なところかしらね」

 手錠と目隠しが乱暴に外された。最初に目に入ってきたのは銃口だった。部屋の鍵がかかるまでは動くな、と言う事らしい。特に何も言う事なく見送ると、ロックのかかる音。涙がほんの少しこぼれた。



 部屋で一人。一秒ずつ遅滞なく流れているはずの時間すら信じられなくなるような静けさが耳に痛かった。絶え間なく、何処かから機械の唸り声がかすかに響いているけれどそんなものはすぐに同化してしまって、無いも同然だ。やる事なんか何も無かったし、出来る事なんかもっと無かった。

 ずっと着たままの制服のポケットをまさぐってみる。携帯無し。財布はそのままになっていた。わざわざ携帯を没収したという事は、とりあえずここは携帯電波の入る場所……別に、それに気づいたところで何かが変わるわけでも無い。あと手元に残っていたのは、この前サチからもらったストラップだけだった。携帯につけずポケットに放り込んだままだったから難を逃れたらしい。こう、ストラップ一つあった事が俺を危機から脱出させたのだ、なんて展開になったりしないものだろうかと思うけれど、そんな事はおそらく起こらない。人より不幸に好かれている俺に限ってそんな、事あるわけないのだ。

 ユイに渡された用紙には、着替え、とだけ書いた。食事の時に渡すと、無地のスウェットが二着、シンプルな下着が三着部屋に投げ込まれた。洗濯は食事の時に渡せ、とか細かな指示付き。人道的な監禁ライフとやらもあながち嘘では無いらしい。

そんなのが食事九回分続いて、考え事をしたりする気力も殆どなくなった頃、事件は不意にやってきた。

俺がその異変に気づいたのは、閉じ込められてから三回目の就寝の時。食事を終えて、満腹になって、横になったその時。食事中から何か妙な違和感をもてあましていた俺は、ポケットの中のストラップを弄びつつ、感覚の正体を探っていた。そして、気がついた。ずっと響いていた、何処かの機械の唸り声が聞こえなくなっていた。

 気づいたところで、最初のうちは、だからなんだよって程度だった。直後、これまでの唸り声とは違う、ずぅん、という振動を伴った轟音。それから部屋の照明が不意に消灯、何らかの異常事態が起こっている事に思い至った。

 手探りでベッドから起き上がり、壁伝いに扉まで移動。扉、室内側から見れば分厚い金属の板でしかないそれ。手で押すとかすかな手応え。全体重をかけて押して、押して、押し続けたら扉は開いた。真っ暗な廊下が視界に飛び込んできた。咄嗟に外に飛び出した。すぐに、誰かの怒鳴り声。立ち止まる理由なんか無い。非常灯らしい頼りない明かりだけが点々と灯っているだけの廊下は、ただでさえ視界不良なのに、その上色々な物が放置されているらしくて、俺は何度も足をとられて転んだ。しばらく走っていると、やがて非常ベルが鳴り始め、併せて水の落ちる音が辺りに響いた。スプリンクラーが稼働し始めたらしい。俺の顔にも水しぶき。火事?

 方向感覚も何も無いからとにかく思いつく方向に走った。スプリンクラーが作動したせいで廊下のいたるところが水浸しだ。警報ベルも鳴り続けている中を転んでは走り、また転んだ。しばらくそれを続けて、またしても何かにぶつかったと思ったら、どうもそれは人間だったらしく、若い男のものらしい短い悲鳴が聞こえた。痛かったなら幸い。いくらか目も馴れてきていたから、俺にタックルされた人間が倒れ伏しているのが見て取れた。よっぽど当たりどころが良かったらしい。一体、どこをどうやってぶつけたのやら、おそらくバランスを崩して頭部を壁にしたたかに打ちつけたのだろうと思う。うめき声数秒の後に静かになった......死んでないよな?

「……何事? 何がありました?」

 倒れ伏している男の脇に立っているのは、ユカ、とかいうあの生意気な子供だった。はっきりとは目視出来ない暗さだけれど、輪郭からして、移動用目隠しがしっかりと着けられているようだった。それに、手錠も。

「なんかしら事故が起こったらしい……多分、火事」

「その声は……そう。不幸なくせに、変なとこで運を使ったんですね」

「良く分からんけど、とにかく逃げる!」

「そう」

「来ないのか?」

「…………」

「ここにいる理由なんかねえだろ! だったら行ってから考えりゃいいじゃねえか……いい、こんなんでまた捕まりたくねえし。居たいなら好きにしろよ」

 もう一度駆け出した。すぐに何かに躓いてまた転んだ。もう体中打ち身と擦り傷だらけだ。避難経路に資材を放置するのって、消防法だか何かに違反してなかったか?

 起き上がって、改めて走り出そうとすると、後ろから声がした。

「コレ、外して下さい。出口まで案内してさしあげます」

「……おお」

「ここにいる理由はさておき、死ぬつもりはありません。私としてもやらなければいけない事が、まだいくらかあるんです」

 移動用目隠しを引き剝がしてやった後、ユカの指示に従って廊下を何度か折れ曲がり、外へ。誰も追ってきたりしなかったのは、それだけ起こった事故がシャレにならないものだった、とかそういう事なのかもしれない。ちょっと拍子抜けしたくらいだ。

「いつでも見張りが二人いるって、ユイが言っていましたが……運良く不在のようですね」

「事故で逃げたか……消火にでも向かった?」

「行きましょう」

「なあ、どうして道知ってたんだ? 捕まってここにきたんだろ?」

「またですか。貴方が知りたい事はそういうのばかり。まあ、いいです。久々の外の空気に免じて、許してあげますがまずは、ここを離れるのが先です」



「老朽化していた発電機が何らかの原因で爆発炎上、類焼、それに乗じて、よりによって本命の鍵が逃げた、と。すごいな……よくもまあ、怪我人一人で済んだものだよね」

「申し訳ありません。人手不足なのが影響した、と言うのは言い訳に過ぎませんが、よもや守衛まで消火に向かっているとは」

「ユイ、どうする?」

「必ず見つけてきます。そう遠くに行けるとは思えません」

「頼むよ。君くらいしか、本当に信頼して頼みごとを出来る人間がいないんだ」

 深い一礼をしてユイが部屋を出て行った。時間はそう残されていない。大至急、体勢を立て直さなければいけない。そう思いながらも、彼は自身の内から湧いてくる満足感をなかなか抑える事が出来なかった。

「……塗りつぶされかけているのは嫌だよね。ねえ、ユイ」

 呟く声は、すぐに静けさに飲み込まれて消えた。



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