それからはビルのエレベーターを使い、各階の見学を行った。
気が付けば、最初に来たロビーのガラス壁から差し込む光が茜色に変わり始めていた。
「まぁざっとこんなもんだ。他は
「ねぇマナ」
周り疲れたのかリュウトは俯き気味で話し掛ける。その声にも昼間程の元気は無かった。
「先生だ!……って何だよ?」
お決まりになり掛けてる言葉を返すも、リュウトの真剣な眼差しを見て少し困惑する。
迷っているかのように僅かに間が空いた後、ゆっくりとリュウトは口を開いた。
「本とか変な物を見て来て
リュウトの言葉にマナは渋い顔をして頭を搔く。何とも言えない質問に持ち合わせた答えがマナには無かったのだ。
「また難しい質問が来たな。そうだなぁあたしは考えた事も無かったからなぁ……」
そう言って腕を組みながらマナは唸る。しかし一向に自分の納得行く答えは見つからなかった。
そこへ――。
「それには私が答えようか?マナ」
二人の背後から覚えのある優しい声が聞こえて振り返ると、医者が着る白衣に身を包んだリサが立っていた。右腕には黒いデザインに十字架の刺繍があしらわれた腕章を付けている。
二人と目が合うとリサは顔より少し下の位置で小さく手を振ってきた。
「おおー遅かったじゃないか」
「リサ!」
ユウキよりも先に会い、そして数日間心身共に容態を診てくれたリサの姿に、リュウトは早足で歩み寄る。リサもまたそんな姿のリュウトを見て優しく微笑んだ。
ユウキとリサ。二人の存在は今のリュウトにとって、心の支えにも近い。
「朝ぶりだねリュウト。どう?マナに理不尽な事されてない?」
「してねーっての!」
ムキになって怒号を上げるマナの姿に、リサは口元を隠しながら笑う。恐らく二人も知り合いなのだろうとリュウトは感じ取った。
「ふふっ冗談よ。それよりさっきの質問の方が重要かな」
そう言ったマナは二人に背を向け、建物のガラス壁から差し込む夕日の方向に顔を向ける。
「いつかまではわからないけど、本当に遥か昔。人と同時に悪魔が生まれたとされているの」
手を後ろで組んで話し始めるリサをリュウトはジッと見つめる。夕焼けの逆光も相まってリサの黒コートは影のように暗くなっていた。
「いつしか悪魔は人の心を求めて襲い始め、人は大切なものを守る為に剣を取った。やがて世界を渡る術を見つけた人は、守護者と成り人間界を呑み込まんとする魔の脅威を退けるのであった……ここまでがざっくりとした滅殺者の始まりだね」
納得したように頷くマナとリュウト。しかし振り向いて二人を見たリサは呆れ気味に微笑む。
「いやマナ、あなたは勉強したでしょ……」
「アハハハ……」
恥ずかしそうに頭を掻きながら、乾いた棒読みの笑い声を呟くマナ。さすがのリュウトも苦笑いを浮かべるしか無かった。
「でも大切なものを守りたい。これが
リサは穏やかな歩幅で歩み寄ると、リュウトの胸に人差し指を付ける。その表情は穏和だが、強い覚悟が滲み出ている様だった。
「あなたは教会の人達を守る為に剣を取った、ユウキはそんなあなたを守る為に駆け付けた。私達はあなたの覚悟と思いを、守りたいものを貫き通せる様に力を教える」
真っ直ぐ見つめ合うリサとリュウト。そんな二人の光景を、マナは胸ポケットから取り出したタバコに火を点けながら見守っていた。
「これからどうして行くかはリュウト次第だよ。どうか、負けないでね」
そう言ったリサの顔は、優しく弟を諭す姉の様に柔和な表情を浮かべていた。リュウトはその思いに応えるよう静かに頷いて見せる。
二人を見守っていたマナもタバコを吸い上げながらその口元は微笑を浮かべていた。
いよいよ帰りの時間が近い――時計を見たマナは割って入るように話しかける。
「まぁひとまず養成機関の案内は終わりだ。明日からいよいよ訓練開始になるからな。寮への案内はリサに任せるよ」
「今日はありがとう、お手柔らかにねマナ」
「だから先生だっての!!ちょいとリサと話があるからビルの入り口で待っときな」
「わかった!」と言いながらリュウトは入り口の方へ駆けていく。後ろ姿を見つめる二人は、声が届かない距離まで離れたのを確認すると待っていた様に口を開く。
「まったく、十三歳とは言えまだまだガキんちょだなぁ」
「でもユウキとよく似てるよね」
ビルから出て、街の様子を眺めているリュウト。二人の見つめる眼差しは、親や姉の様な僅かに呆れながらも穏和な思いを宿していた。
「あぁ、そこは間違いねぇな」
マナは吸っていたタバコを近くのゴミ箱に捨てて、リサの隣で腕を組む。その瞬間、優しかった目付きが少しだけ鋭くなった。
「……事情を知ってるから言うが、結構気使って振舞ってる時もある。ユウキが居なくなってから落ち込んで、お前が来た途端元に戻りやがった」
「そうかもなぁって思ったから、来てみて正解だったね。ユウキは忙しいし、場合によっては次いつ会えるかも分からなくなるから」
穏和だったリサの表情も、リュウトを見つめたまま眉間から薄らと影が走る。そんな心配するリサを見たマナは――。
「まぁここにいる間はアタシが見ててやるよ。お前も忙しいだろうし何より同期の頼みだしな。何か起きたら連絡する」
マナの何かを感じ取ったのか、リサは「ありがとうね」と言いながら表情が再び柔らかくなりゆっくりと頭を下げる。
その姿を見て気だるそうに、でもどこかやる気が伺える表情を浮かべたマナは、ぶっきらぼうに返事を返すだけだった。
「それじゃ私はリュウトに寮を案内しながら先に帰るね」
「ああ、頼むぜリサ」
小さく手を振り、コートの裾を揺らしながら入り口へと歩いて行く。二人が合流してビルのガラス壁から見えなくなるまで見送ると、マナは小さく溜め息を漏らした。
「さぁて明日から生徒が一人増えるし、あたしも頑張らないとな」
そう言ってロビーにあるエレベーターへと向かい、明日紹介すると言った地下へ行くボタンを押したのだった。
その日の夜。
ビルから少し離れた位置にある、候補生の寮として使おうとしていた建物にリュウトはいた。まだ候補生が少ないせいで、住んでいるのはリュウトだけ。
他の子は別の居住区に住んでいるとリサから教えられた。
「こんな大きな寮なのに一人か、なんか怖いなぁ」
そんな事を呟きながら、電気を消してベットの横にある小窓を開ける。
2階の部屋だからか、山の廃墟で見た夜景が目の前に広がっていた。リュウトは思わず息を飲みゆっくり見渡すと僅かに微笑む。
「でも何か、悪くないかも」
窓枠に腕を重ね、頭を乗せると一面の夜景を見つめ続ける。同時に脳裏に過ぎるのは、教会の家族だった。
下は5歳から上は同い歳まで。血は繋がっていなくとも、皆兄弟の様に暮らしていた。
「皆にも見せたかったな」
そう呟くリュウトの言葉に悲しみはあるものの、どこか他人事の様にも聞こえる。少しづつだが、前を向き歩もうとする思いが勝って来ている事が伺える様だった。
「多分他に選ぶ事は出来なかったんだと思う。だから見ててね。どこまで出来るかわからないけど、頑張ってみる」
誰かに宣言した訳でもなく、夜空に輝く星々へ一人言を投げ掛けそっと窓を閉じる。
だがカーテンまではあえて閉めず、寒く優しい夜空に見守られながらリュウトはゆっくりと眠りに着いていった。