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第21話  鬼畜な潤

        ☆   ここまでのあらすじ  ☆


高校生だった伊川一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ねる。


琢己の屋敷で暮らし始めた一博は、ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃し、自分がゲイだと自覚する。


翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。

一博は、軽い気持ちで潤を誘うが、拒絶され、激怒する。


潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。



大学を卒業した一博は、琢己不在時に、カチコミを決行して重傷を負う。


退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己と関係を持つ。


一博と張り合う長男祐樹が、関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちるが、潤に救われる。


再び潤に拒絶され、潤の琢己への思いを再確認する。


弟の英二が、一博をかばって刺される。


琢己と再び関係を持ってしまった一博は、琢己を疎ましく思うようになる。


義父に呼び出された一博は、伊川正雄が中国マフィアのボスミスター・Kで、潤はその配下だったと知る。


潤の手で琢己が暗殺され、一博は組長となる。


退院し、屋敷で暮らすようになった英二と関係を持った一博は、潤を遠ざける。


英二に一緒に逃げようと切り出され、嘘をついて追い出す。



          ☆    本文   ☆



 マンションにミスター・Kは到着していなかった。


「都合で、あと一時間くらいかかるそうですよ。若」


「なら飲んで待つとするか。あ。いや。ハハ。もう飲むのはやめだ。ふふ。飲みすぎてセックスできなくなっちゃーヤバいからな。アハハ」


 潤の用意したミネラルウォーターをペットボトルのままガブ飲みした。


「フルに楽しみたいものな。な、潤。あ、ここじゃ月笙だっけ~」

 まだろれつがよくまわっていない。


「一博」

「え?」

 突然呼び捨てにされ、潤に目を向けた。


「あんたは自分の立場をよくわかっていないんだね」

 潤の声は静かだった。


「なんだ?」

 一博はまだ酔いの醒めぬ霞のかかった頭で、間の抜けた返事をした。


「ミスター・Kは来ないよ、一博。香主は、大きな取引でロシアに行って留守だ」

「なんだと。潤。テメ―。どういうことだ」

 一博は潤に殴りかかった。


 酩酊状態の一博の拳は空を切った。

 代わりに潤の蹴りが一博の腹にまともに入る。

 床につんのめった一博は胃の中のものを吐き出した。


「汚いな。一博。内緒でこの部屋を使ってるから、汚されちゃ後始末が面倒なんだ。ふふふ」


 潤は一博の髪をつかんで引き起こし、一博の横っ面を平手で何度も張った。

 口の中が切れ、床に手をついた唇の端から赤い筋が滴る。

 鮮やかな滴がじゅうたんにぽたぽた落ちて、シミを形作った。


「一博。汚すなって言ってるだろ」

 余裕の表情で一博を見下ろす潤の瞳は、冷酷な色をたたえていた。


「やられてたまっかよー」

 即座に立ち上がり、反撃を試みた。

 だが……。

 何発か食らわせたものの、足元さえおぼつかない一博は、その何倍もにして返されるはめに陥った。


「一博。今日はゆっくりお仕置きしてあげるよ。今までなめた真似をしてくれた礼をたっぷりとね。ふふ」

 潤は、床にはいつくばった一博のわきに腰をかがめ、いつもの静かな声でささやいた。


 潤もやはり同じか。

 一博はうんざりした。


「一博。憎い。あんたが憎いんだ。この十一年もの長い間、こうして痛めつけて、屈服させたいと思ってたんだ」


 憎いから好きである。

 好きだからこそまた憎しみが深まる。

 深い憎しみはさらに愛になって相手へと還元される。

 相手の全てを肯定してしまう無償の愛と、理由の定かでない理不尽な憎しみ。

 それらは、裏表――背中合わせで振幅を加速させていく。


「潤。ぶっ殺してやる」

 まだ立ち上がり抵抗しようとする一博を、潤はさらに痛めつけた。


 潤は本気だ。

 もうオレに商品価値がないと思っているんだ。


 一博は身の危険を感じた。


 だが……。


 容赦ない暴力を加えながらも、潤は冷静さを保っていた。

 一博の顔を避けて攻撃している――それは一博を元の場所に戻す暗黙の確約だった。


 潤は戦闘能力を失って呻く一博に、用意していた手錠をかけ、ベッドの柵に固定した。


「放せ! このヤロー」

 動くたびに金属が擦れ合う音が、無音の室内に大きく響く。


「手首が傷つくだけだよ。一博」

 潤は、まだ抵抗を続ける一博の下半身を手早く脱がせた。






「一博。一博。会ったときから好きだったんだ」

 潤は一博の足をしっかり抱え上げ、激しく腰を打ちつけながら泣いていた。


 潤にとってミスター・Kの命令は絶対である。

 いつ殺せと指示されるかわからない男を本気で愛することはご法度だ。

 好きになるまいと懸命に感情を抑え、一博に感情を読み取られないよう周到に生きてきたのだ。


 一博は笑いだしたくなる。


「一博、オマエはあの生き人形の『谷汲み観音』だ。熊本でおやっさんと一緒に見たときは、所詮人形でしかないって思った。人形だからこんなにきれいで惹かれるんだと。けど、現実にオマエは存在した。いやもっと綺麗だった……だから……」

 潤はいつになく饒舌に、感情を込めて語り続ける。


「抱いていいって、香主からお許しが出たとき嬉しくて、死ぬかと思った。一博。好きだ。なのに、なのに……」

 涙のひとしずくが一博の唇に落ちた。


 こいつでも泣くのか……。

 一博は舌でなめて苦さを味わった。







「具合でもお悪いんじゃないっすか?」

 帰宅した一博の顔色を見て、田丸が心配そうに声をかけてきた。

 一博はその手を払いのけ、

「誰も来るな」と言い置いて離れにひとりこもった。


「なんてーつまらない結末なんだ」

 一博は畳の上に寝転がってつぶやいた。


 恋は狩るから面白い。

 自分のものになるまでが面白い。

 なのに、最初から自分のものだったとは……。


 ひとり庭をながめながら、タバコをふかした。


 潤にも来るなと言ってある。

 言い訳は聞きたくなかった。

 謝って欲しくない。

 くだらない男に成り下がった情けない潤を見たくなかった。

 そんな男との関係にこの自分が、今の今まで四苦八苦してきたとは……。


 一博は声に出して笑った。





 その後は、潤の誘いに応えるセックスばかりになった。


 潤は二人きりの時は感情を表すようになった。

 むしろ激情といってもよかった。


 ダイヤだと思って追い求めていたものは、ガラス玉だった。

 何を考えてるかわからないうちのほうが神秘的で魅力があったのに。

 潤の情熱に反比例して、一博の心はますます冷めていった。


 一博は割り切って行為そのものを楽しむことにした。

 潤の適度な加虐嗜好も、刺激を求める一博には程よいスパイスだった。


「潤。愛してる」

 一博は何度も空虚な愛の言葉を囁いた。



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