☆ ここまでのあらすじ ☆
高校生の伊川一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ねる。
琢己の屋敷で暮らし始めた一博は、ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃し、自分がゲイだと自覚する。
翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。
一博は、軽い気持ちで潤を誘うが、拒絶され、激怒する。
潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。
大学を卒業した一博は、琢己不在時に、カチコミを決行して重傷を負う。
退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己と関係を持つ。
一博と張り合う長男祐樹が、関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちるが、潤に救われる。
再び潤に拒絶され、潤の琢己への思いを再確認する。
英二が、一博をかばって刺される。
離れ座敷で琢己と再び関係を持ってしまった一博は、琢己を疎ましく思うようになる。
義父に呼び出された一博は、伊川正雄が中国マフィアのボスで、潤はその配下だったと知る。
☆ 本文 ☆
「わたしは釈光寺琢己が築き上げた組織を、そのまま手中にしようと思った。だから、利発で綺麗な十三歳の月笙を、釈光寺のもとに送り込んだ」
老酒独特の匂いにためらっている一博を横目に、ミスター・Kはグラスの酒を飲み干した。
「釈光寺は、わたしの目論見通り、自分そっくりな生い立ちで、とびきり気が利く月笙を取り立ててくれた。釈光寺がもっと愚鈍なら、月笙に操らせる手もあったが、それほど御し易い男ではなかった。そうなると、釈光寺は邪魔なだけだ。いずれ機を見て抹殺し、しかる後、月笙が跡目を継ぐ計画に切り替えたが……」
「オレが突然転がり込んだわけか」
「それがわたしの息子だった。だから祐樹のようなめには会わなかった」
「で?」
「手伝ってやろう。このまま琢己のイロでいるのはイヤだろ?」
「う」
一博は絶句した。
やはり潤は知っていた。
手の震えを見られまいと、一博は、グラスの酒を
「一博、オマエは昔気質の琢己とは違う。もっとドライで聡明だ。わたしを失望させないでくれ」
「アンタにくみしなければ、オレを帰さないってことだな」
「わたしは義理とはいえ、オマエのことを、ほんとうに可愛く思っているのだよ」
ミスター・Kは、意味ありげに口角をつりあげた。
潤はうつむいたままだった。
可愛くだと?
一博の脳裏に、幼い頃の断片的な記憶が甦った。
夜中、夢うつつの中で『お化け』を何度も見た。
ただの夢と納得し、記憶の底にたたみ込んでいたが……。
「ガキだったオレに、イタズラしていたのか」
「ふふ。房枝はオマエを毛嫌いしていたが、オマエのことを、ずっと可愛いと思っていたのだよ」
わざわざ一博に肩入れするのは、支配下に置いて、人形のように操ろうとしているからだ。
一博は歯噛みした。
そして……一博に対する、房枝の異常な憎しみの源に気づいた。
男を惹きつけてやまない男への、嫉妬と対抗心が、意識下で蠢いていたのだ。
「わたしは、『要銭不要命』すなわち、命より金を稼ぐことを身上にしている連中と関係を保っている。組織には属さず、金のためその都度雇われて、殺しも平気でする不法滞在者たちだ。奴らは、犯罪ごとにグループを組んで仕事を引き受ける烏合の衆だから足がつきにくい」
ミスター・Kは、うつむいたままの潤に目を向けた。
潤はそれを合図に、意を決したように口を開いた。
「そういう中国大陸からの不法入国者グループを使って、会長を殺るわけです。手引きはわたしがします。場所は自宅。警備が手薄な日を狙います。若は不在のほうがいい。内部紛争の疑いを持たれては面倒ですから」
「じゅ、潤……」
一博は、目の前にいる潤が、不可解だった。
潤が琢己に惚れていると思ったのは錯覚だった。
自分を拒否した潤。
抱きしめられた暖かさ。
信頼し、特別な感情さえ抱いていた日向潤は、杜月笙という見知らぬ異邦人だった。
「若、強盗が入ったことにするのです。ヤクザの家に強盗というのは、恰好がつきませんから、皆、ひた隠しにしていますが、よくあることなのです。フッ。凶悪な外国人犯罪者グループは、金があると思えば、相手を選びません」
もの静かな話し方だけは変わらない。
だが、刃を向ける相手は百八十度転換していた。
話すうちにも、倉庫内に続々と入ってくる人の気配を感じた。
事務所の出口を取り囲んで二~三十人いる。
静かに息を潜めて沈黙を守っている者たちは、明らかに統制の取れた集団だった。
「わかった。その申し出、ありがたく受けることにする」
うなずく一博に、
「さすが、わが息子だ。ものわかりがいい」
ミスター・Kはニヤリと笑った。
そして一博の運命の歯車はまた大きく動き出した。
目隠しされた一博は、車に押し込まれ、高速道路を乗り継いで、遠方まで拉致された。
同じ場所をぐるぐる回って、距離感を誤魔化されただけなのかもしれなかったが。
「若は何もご存知ないほうがいい。わたしたちのアジトにお連れしますから、しばらくそこでご滞在ください」
潤が耳元で静かに囁いた。
暖かな息が耳元にかかり、一博は思わず身をすくめた。
目隠しをはずされたのは、マンションの一室だった。
二百平方メートル以上ある、高級マンションで、家具はすべて西洋アンティックで統一され、不思議に中国色はなかった。
室内は潤とミスター・Kだけ。
一博は勧められるままに、酒をあおった。
神経を麻痺させたかった。
「月笙。これから我々は一蓮托生だからね。一博くんを抱いてあげなさい」
ミスター・Kの言葉に、潤の指がピクリと動く。
「はい」
潤は感情のない声で応えた。
酔いがまわって、ソファに身を沈めている一博に近づいてくる。
優しく上着を脱がされる。
ネクタイがはずされ、シャツのボタンがゆっくりとはずされていく。
あの夢と同じだ。
潤の深い瞳を見ながら、意識の外で思った。
だが状況はまるで違っている。
オレは甘かった。
潤に惹かれて、目が曇っていた。
いや、違う。
最初に断られたから、いつか落としてやると意地になっただけだ。
前がはだけられたが、シャツは脱がされなかった。
潤は一博の左肩を、大切な壊れ物のラッピングをはずすような手つきで露出させた。
うなじに唇を這わせ、肩のラインにそって下降させていく。
一博は潤の頭を抱きしめ、その髪を指で梳いた。
夢うつつの中で潤に抱かれた。
どんな声を出し、どんな反応をしたか、まるで記憶がなかった。
異常な状況とはいえ、潤と結ばれた満足感だけが残った。
潤に愛されたあと、義父が自分を抱いたのか。
そんなことは、もう霞の彼方の出来事だった。
翌日、作戦が実行に移された。
だが、武闘派として鳴らした“鬼釈”の実力は、予想以上に健在だった。
凶暴な連中を選りすぐって組織した中国人強盗団だったが、琢己に手傷をおわせたものの、殺害に到らなかった。
強盗団のうち、死亡した者は放置され、負傷して足手まといとなった者も仲間によって殺害され、彼らは証拠を残さず逃走した。
組側は警備の組員六人全員と典子の死という結末を迎えた。
「仕方ありません。わたしにお任せください。こうなれば……」
潤の言葉にミスター・Kは黙ってうなずいた。
ミスター・Kにうやうやしく一礼した潤は、部屋を後にした。
三日後、吉報がもたらされた。
潤からの一報が入ったとき、一博は、ミスター・Kの腕の中でうとうとしていた。
一博の食事には、新種の合成麻薬MDMAが混入されていた。
効き目は、今までのドラッグを上回り、しかも体に悪影響はないとの触れ込みだった。
体を蝕まない麻薬。
安心して常用できる麻薬。
実証されれば、爆発的に広まる。
新龍が一手に販売すれば、世界の麻薬地図は塗り替えられることになる。
「一博。わたしはついにオマエを手に入れた。これからは、わたしを楽しませ、そして、わたしのために働いておくれ」
いまや一博は、ミスター・Kの人形兼実験動物だった。
かくして、二ヵ月後、夢にまでみたはずの、釈光寺組二代目組長の襲名披露が行われた。