☆ ここまでのあらすじ ☆
伊川一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。
手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。
高校生になった一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、『愛し合った琢己に妻がいると知ったとき、房江は一博をお腹に宿していた。房江は、世間体を考え、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚した』という経緯を知る。
琢己の屋敷で暮らし始めた一博は、ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃し、自分がゲイだと自覚する。
翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。
一博は、軽い気持ちで潤を誘うが、拒絶され、激怒する。
潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。
大学を卒業した一博は、琢己不在時に、カチコミを決行して重傷を負う。
退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己と関係を持つ。
祐樹が関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちて捕らえられるが、潤に救われる。
潤に拒絶され、潤の琢己への思いを再認識する。
英二に頼まれ、大金を工面して、病に倒れた房江を救う。
礼に来た英二が、一博をかばって刺される。
英二の意識は戻らず、一博は疲弊していく。
☆ 本文 ☆
月の明るい夜だった。
琢己が『親子水入らずで、月見酒としゃれ込むか』と、離れ座敷に誘ってきた。
湯上りの琢己はカスリの着物姿に雪駄という、屋敷内でのいつもの出で立ちである。
恰幅がある体躯に和服が映える。
「たまには和服もいいぞ。オレのを貸してやる」
一博は、半強制的に着物を着せられていた。
「よく似合うじゃないか。一博。日本男児はやはり和服だな」
そう言って琢己は目を細めた。
障子をガラリと開け放し、秋の色が濃くなった庭を眺めながら、日本酒を酌み交わし始めた。
琢己が父親風を吹かせて話し掛けてくる。
やはり血がつながった父親だ。
気遣ってくれていると思えばまんざらでもなかった。
静寂が辺りをおおい、母屋からしし脅しの音が響いてくる。
虫の音が細々と彩りを添えていた。
本格的に虫の音がかまびすしくなるのはこれからである。
ススキの穂が揺れる。
クヌギの葉が歌う。
月明かりが二人の長い影を照らす。
親子の語らいはそのまま静かに終わるはずだった。
「オマエも格段に男らしくなったな」
「そうですか。けど、オヤジさんのようないっぱしの漢になるにはまだまだ……」
言いながら、着物の裾の乱れを直した。
酔いが回ると、頭のネジが緩くなっていく。
琢己が潤をどう思っているか、ふと聞いてみたくなった。
「近頃は、潤とはどうなんですか」
「あいつは有能だ。小さい頃に拾って育て上げたが、期待通りに育った」
そこまで言い掛けて、質問の意図に気付いたらしい。
「男色のことか。強い男が自分の強さを相手に知らしめる、征服し屈服させるという意味で、むしろ誇らしい行為だ。このオレもな……十代前半で大本組長に手ほどきを受けた。今は逆の立場になって潤を支配している」
琢己の言葉に、一博は、潤もバカだなと、心の中で苦笑した。
「昔の武家と同じですね。戦場には妻を同道できないから、戦国武将は小姓をはべらせて愛でた。小姓は敬愛する強い男から薫陶を受け、一人前の男へと成長し、立派な武将になる。それは古来からの美風だったらしいですね」
一博は調子よく話を合わせた。
秋の風が心地よく吹いてきて、お互いの身体から漂う湯上りの匂いが、鼻をくすぐる。
オレは二年前の夜をふと思い出した。
一番最初に全てを与える相手は、ビッグな男が良かった。
釈光会会長釈光寺琢己がピッタリだった。
それだけである。
断られると思ったが、スンナリうまくいったことは、驚きだった。
そろそろお開きにしてくれないかと思いながら、琢己のために水割りのお替りを作ろうとしたときだった。
「一博」
琢己のごつい手に、手首を握られた。
「オヤジさん。冗談はやめてくださいよ」
一博はやんわり拒絶した。
「そのつもりなんだろ」
抱き寄せられた拍子に、着物の襟元が乱れた。
浮き出た鎖骨や、首の付け根から肩へのラインが顕わになった。
「あの夜の約束を反古にするんですか?」
言いながら、素早く着物の乱れを直した。
「いいから、来い」
「やめてください」
押し問答になった。
一博も意地になった。
酒もかなり入っている。
「やめろ!」
一博は、琢己の頬を思い切り拳で殴った。
極道社会における上下関係は絶対である。
「何をする! オヤに向かって!」
琢己は烈火のごとく怒り出した。
「何がオヤジだ! オヤジというならオヤジらしくしろってんだよー! この腐れ外道ッ!」
一博は激しく罵った。
もう『オヤ』も『子』もない。
一博は空手の技を駆使して、本気で琢己を攻撃した。
琢己の闘争心に火がつく。
両者、伯仲した戦いだった。
だが、酒を飲み出すと底なしの琢己との差が勝敗を決した。
一博は、着物の帯で、ぎりぎりと縛り上げられ、何度もレイプされた。
その日以降、たびたび離れに呼ばれるようになった。
「この前は悪かった。オマエが抵抗するからつい……」
言い訳をしながら、琢己は一博を緊縛し、SM趣味を強要した。
強く美しい人形が責められる光景を、俯瞰でながめて刺激を受けるもSな自分。
メビウスの輪のように快感の波が、一博の内部を還流した。
誘われれば、ついつい離れを訪ねてしまう毎日になった。
潤は気づいているはずだ。
オレに嫉妬しているだろう。
恋敵ってか?
感情を出さない潤に、一博の心は複雑だった。
潤と目を合わせられなくなった。
こんな関係をズルズルと続けることは間違っている。
英二の一件で精神的に弱くなっていたせいだ。
このままでは潰れてしまう。
肉欲のために、唯々諾々として従う弱い自分が、許せなくなってきた。
組内で気付く者がでてくることは、時間の問題だった。
そのことが、一博をさらに追い詰めた。
みんなオヤジが悪い。
オフクロに今も未練たっぷりなら、あのときカタギになって一緒になりゃ良かった。
そうすれば……オフクロはオレを可愛がったはずだ。
オレが極道の道に入ることもなかった。
全ての元凶は、自己愛の塊、釈光寺琢己だ。
恨みは黒い滓となって、一博の心深く沈積していった。