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第16話 底なし沼に沈んでいく一博

        ☆   ここまでのあらすじ  ☆


伊川一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。

手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。


高校生になった一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、『愛し合った琢己に妻がいると知ったとき、房江は一博をお腹に宿していた。房江は、世間体を考え、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚した』という経緯を知る。


琢己の屋敷で暮らし始めた一博は、ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃し、自分がゲイだと自覚する。


翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。

一博は、軽い気持ちで潤を誘うが、拒絶され、激怒する。


潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。



大学を卒業した一博は、琢己不在時に、カチコミを決行して重傷を負う。


退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己と関係を持つ。


祐樹が関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちて捕らえられるが、潤に救われる。


潤に拒絶され、潤の琢己への思いを再認識する。


英二に頼まれ、大金を工面して、病に倒れた房江を救う。

礼に来た英二が、一博をかばって刺される。


英二の意識は戻らず、一博は疲弊していく。



       ☆   本文   ☆



 月の明るい夜だった。

 琢己が『親子水入らずで、月見酒としゃれ込むか』と、離れ座敷に誘ってきた。


 湯上りの琢己はカスリの着物姿に雪駄という、屋敷内でのいつもの出で立ちである。

 恰幅がある体躯に和服が映える。


「たまには和服もいいぞ。オレのを貸してやる」

 一博は、半強制的に着物を着せられていた。


「よく似合うじゃないか。一博。日本男児はやはり和服だな」

 そう言って琢己は目を細めた。


 障子をガラリと開け放し、秋の色が濃くなった庭を眺めながら、日本酒を酌み交わし始めた。

 琢己が父親風を吹かせて話し掛けてくる。


 やはり血がつながった父親だ。

 気遣ってくれていると思えばまんざらでもなかった。


 静寂が辺りをおおい、母屋からしし脅しの音が響いてくる。

 虫の音が細々と彩りを添えていた。

 本格的に虫の音がかまびすしくなるのはこれからである。


 ススキの穂が揺れる。

 クヌギの葉が歌う。

 月明かりが二人の長い影を照らす。

 親子の語らいはそのまま静かに終わるはずだった。


「オマエも格段に男らしくなったな」


「そうですか。けど、オヤジさんのようないっぱしの漢になるにはまだまだ……」

 言いながら、着物の裾の乱れを直した。


 酔いが回ると、頭のネジが緩くなっていく。 

 琢己が潤をどう思っているか、ふと聞いてみたくなった。


「近頃は、潤とはどうなんですか」


「あいつは有能だ。小さい頃に拾って育て上げたが、期待通りに育った」

 そこまで言い掛けて、質問の意図に気付いたらしい。


「男色のことか。強い男が自分の強さを相手に知らしめる、征服し屈服させるという意味で、むしろ誇らしい行為だ。このオレもな……十代前半で大本組長に手ほどきを受けた。今は逆の立場になって潤を支配している」


 琢己の言葉に、一博は、潤もバカだなと、心の中で苦笑した。


「昔の武家と同じですね。戦場には妻を同道できないから、戦国武将は小姓をはべらせて愛でた。小姓は敬愛する強い男から薫陶を受け、一人前の男へと成長し、立派な武将になる。それは古来からの美風だったらしいですね」

 一博は調子よく話を合わせた。


 秋の風が心地よく吹いてきて、お互いの身体から漂う湯上りの匂いが、鼻をくすぐる。


 オレは二年前の夜をふと思い出した。


 一番最初に全てを与える相手は、ビッグな男が良かった。

 釈光会会長釈光寺琢己がピッタリだった。

 それだけである。


 断られると思ったが、スンナリうまくいったことは、驚きだった。



 そろそろお開きにしてくれないかと思いながら、琢己のために水割りのお替りを作ろうとしたときだった。


「一博」

 琢己のごつい手に、手首を握られた。


「オヤジさん。冗談はやめてくださいよ」

 一博はやんわり拒絶した。


「そのつもりなんだろ」 

 抱き寄せられた拍子に、着物の襟元が乱れた。

 浮き出た鎖骨や、首の付け根から肩へのラインが顕わになった。


「あの夜の約束を反古にするんですか?」

 言いながら、素早く着物の乱れを直した。


「いいから、来い」

「やめてください」

 押し問答になった。


 一博も意地になった。

 酒もかなり入っている。


「やめろ!」

 一博は、琢己の頬を思い切り拳で殴った。


 極道社会における上下関係は絶対である。


「何をする! オヤに向かって!」

 琢己は烈火のごとく怒り出した。


「何がオヤジだ! オヤジというならオヤジらしくしろってんだよー! この腐れ外道ッ!」

 一博は激しく罵った。


 もう『オヤ』も『子』もない。

 一博は空手の技を駆使して、本気で琢己を攻撃した。


 琢己の闘争心に火がつく。


 両者、伯仲した戦いだった。

 だが、酒を飲み出すと底なしの琢己との差が勝敗を決した。

 一博は、着物の帯で、ぎりぎりと縛り上げられ、何度もレイプされた。




 その日以降、たびたび離れに呼ばれるようになった。


「この前は悪かった。オマエが抵抗するからつい……」

 言い訳をしながら、琢己は一博を緊縛し、SM趣味を強要した。


 強く美しい人形が責められる光景を、俯瞰でながめて刺激を受けるもSな自分。

 メビウスの輪のように快感の波が、一博の内部を還流した。


 誘われれば、ついつい離れを訪ねてしまう毎日になった。


 潤は気づいているはずだ。

 オレに嫉妬しているだろう。

 恋敵ってか?


 感情を出さない潤に、一博の心は複雑だった。

 潤と目を合わせられなくなった。


 こんな関係をズルズルと続けることは間違っている。

 英二の一件で精神的に弱くなっていたせいだ。

 このままでは潰れてしまう。

 肉欲のために、唯々諾々として従う弱い自分が、許せなくなってきた。


 組内で気付く者がでてくることは、時間の問題だった。

 そのことが、一博をさらに追い詰めた。


 みんなオヤジが悪い。

 オフクロに今も未練たっぷりなら、あのときカタギになって一緒になりゃ良かった。

 そうすれば……オフクロはオレを可愛がったはずだ。

 オレが極道の道に入ることもなかった。


 全ての元凶は、自己愛の塊、釈光寺琢己だ。


 恨みは黒い滓となって、一博の心深く沈積していった。



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