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第15話 母房枝との再会と琢己の杞憂

      ☆   ここまでのあらすじ   ☆


伊川一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。

手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。


高校生になった一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、『愛し合った琢己に妻がいると知ったとき、房江は一博をお腹に宿していた。房江は、世間体を考え、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚した』という経緯を知る。


琢己の屋敷で暮らし始めた一博は、ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃し、自分がゲイだと自覚する。


翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。

一博は、軽い気持ちで潤を誘うが、拒絶され、激怒する。


潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。



大学を卒業した一博は、琢己不在時に、カチコミを決行して重傷を負う。


退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己を関係を持つ。



祐樹が関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちて捕らえられるが、潤に救われる。


潤に拒絶され、潤の琢己への思いを再認識する。


英二に頼まれ、大金を工面して、病に倒れた房江を救う。

礼に来た英二が、一博をかばって刺される。



        ☆    本文    ☆



 手術室の前で一博は、房枝と十年ぶりに再会した。

 髪を無造作に束ねたほつれ毛にさえ、強烈な色香があった。


「一博。オマエはなんという疫病神なの! 英二が死んだら……死んだら……どうしてくれるの」

 房枝は金切り声で叱責し、

「父さんの会社から退職金の前借をしたって英二が言うから、すっかりそれを信じたのよ」

 そっぽを向く一博にたたみかけた。


 あの礼状は英二の仕業だったのか。

 一博は唇をかんだ。


「一博。オマエが死ねば良かった。害悪ばかりまき散らすオマエと正反対に、英二なら、英二なら、この先、どれだけひとさまのお役に立てたか……」

 房枝は一方的にまくし立てた。


 一博の頭の中を、過去が次々にフラッシュ・バックする。


 雪の夜に裸足で閉め出されたこと。

 包丁を持って本気で追い回されたこと。

 死ぬ寸前まで風呂の湯に何度も顔を浸けられたこと。

 体中にタバコの火を押し付けられたこと。


 そのときの狂気に満ちた、それでもなお美しかった母の顔……。


「オマエのために、苦労して金をかき集めたわけじゃない。けなげな英二の気持ちにほだされただけだ」

 一博はドア横の壁を思い切り蹴った。


「一博! アンタって子は……」

 房枝が一博の頬を思い切り叩いた。


「てめえ!」

 威嚇してやろうと手を振り上げた、そのときだった。


 後ろから腕をつかむ者がいた。


 伊川正雄だった。


 一博は、正雄の強い目に狼狽した。


「あ、あなた。無事で……。今までいったい何処に……」

 房枝は、正雄に駆け寄って口汚くののしり始めた。

 ののしりながら、大粒の涙を流し続ける。


「すまないね。房枝。向こうで大きなトラブルに巻き込まれてね。どうしても……」

 正雄は、連絡さえ取れなかったいきさつを、くどくどと説明し始めた。


 こんな男でも、自分の妻のピンチには男気を出すんだな。

 一博は感心しながら足早に立ち去った。




 緊急手術を受けた英二は危機を脱し、集中治療室から出られたが、意識は戻らなかった。

 脳に十分な血流が確保されず、大きなダメージを受けていたため、覚醒は難しい。

 医師の見立ては、絶望的なものだった。




 房枝のいない時間を見計らって、毎日病室をのぞくが、一向に変化はなかった。

 何本もの管につながれた姿を見れば心が滅入るばかりである。


 オレのせいだ。

 どうしていいかわからず、叫び出したくなる。


 自室でうつうつと過ごすことが多くなり、頬がげっそりこけて、顔の骨格が浮き出てきた。


 生活は荒れ、何かにつけて癇癪を起こした。

 空手の稽古にも身が入らない。

 自分でも体のキレが悪くなったと思うようになった。


 極道の世界で頂点を極めようと、もう何の意味もなくなった。

 房枝に自分を認めさせるすべはなくなった。



 そのまま秋へと季節が流れた。


 ある日の午後、一博は久しぶりに組事務所へ出むいた。

 琢己と潤は義理ごとで北関東へ出かけていて留守だった。


 会長執務室の前を通りかかった一博は、

 そういえば、最近、リフォームしたんだよな。

 思いながら、ドアを開けた。


 少し前まで、室内は極道色一色で、組の名を入れた提灯が飾られ、正面には、金縁の額に入った仰々しい代紋が飾られていたが、まるで一般企業の社長室のように変化していた。


 絶大な信頼を置く潤の勧めに、昔かたぎな琢己も『今日びそんなものか』と、素直に従った結果だった。


 巨大な琢己専用デスク以外に、ふたつ机があった。

 ひとつは機能性を重視したシンプルなデザインで、琢己の傍らで秘書的役割を担う日向潤のものだった。


 もうひとつは、潤のデスクより大きい。

 若頭井出平強兵の席だった。

 先代の大本組長時からの若頭、七十二才になった井出平に実権はなく、その席を暖めるのも月に一、二回、挨拶を兼ねて出勤といった具合だった。


 琢己がオーダー・メードした革張りの椅子に腰を掛けてみた。


 この席に座るのが目標だったのに、今となってはどうでもよくなった。

 苦笑しながら、部屋を出ようとしたときだった。


 廊下を近づいてくる琢己と潤の声がした。


 二人きりの会話に興味がわいた一博は、キャビネットの陰に身を隠した。


「それはそうと……」

 琢己が椅子に体を預け、くつろぐ。

 プレミアムシガーを、専用の葉巻箱からもったいぶった手つきで取り出し、先をフラットカットした。

 ゆっくりと葉巻を回しながら、スペイン杉でできたシガーマッチで火をつけた。


「一博をこのまま放っておくのは問題だな」


「はい」

 傍らに立つ潤が、低い声で応える。


 琢己は、火をつけた葉巻を大理石の大きな灰皿に置いた。


「オレの若い頃と似ているだけに、弟が死ねば、関西神姫会のヘッド野々村一茶会長のタマ取りを画策するだろう」


「その恐れは十二分にあります」


「仕掛けた、跳ねっ返りどもが全員死亡という結果をもって、双方平和的決着をみた。一博が、野々村会長を狙うのは筋違いだ。東西二大組織の全面戦争に突入する恐れがある。それだけは避けねばな」

 琢己は苦りきった口調で言った。


「大勢の可愛い組員たちの生活がかかっていますから、ご心配はもっともです」

 潤が大きくうなずく。


「かつては武闘派最右翼で鳴らしたオレも、この数年で守りに入ったというわけだ」

 琢己は自嘲気味に漏らした。


 二人の間に沈黙が流れた。


「若は、肉親の愛に飢えておられるのです」

 潤が唐突に切り出した。

「若は、愛してくれなかった母親へのわだかまりが、いまだに払拭できていません」


「一博には支えが必要だな。今のままだと、とんでもない方向に突っ走ってしまう」


 うなずき合う二人は、まさにあうんの呼吸の仲に見えた。


 何を言っているんだ。

 オレがそんなバカに見えるのか。


 反発を抱きながらも、一博は、ほんの少し救われた気がした。



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