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第14話  死ぬな! 英二!

         ☆ ここまでのあらすじ ☆


高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。

琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。


琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れてくれる。



ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。

翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。


一博は、潤を誘うが、拒絶され、激怒する。


潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。


大学を卒業した一博は、琢己不在時に、カチコミを決行して重傷を負う。


退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己を関係を持つ。



祐樹が関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちて捕らえられるが、日向潤に救われる。


再び潤に拒絶され、潤の琢己への思いを再確認する。



        ☆    本文    ☆



 弟英二に呼び出されたのは、今にも雷雨がきそうな昼下がりだった。

 遠雷を耳の片隅で聞きながら、一博は、英二が待つスナック&喫茶『アケミ』に入った。


「ねえ。こんなときだけ兄ちゃんに頼みごとするのもどうかと思うんだけどさ」

 英二は、ラグビーで鍛えた逞しい体を小さくしながら、言いにくそうに切り出した。


「うちの父ちゃん、貿易会社に勤めているから、海外出張が多くてさー」

「あ、ああ。そうだったっけな」


 子供の頃から、義父正雄は出張がちで家にいなかった。


 東洋人特有の、のっぺりした特徴のない平凡な顔。

 やぼったい黒ぶち眼鏡。

 無口で気が弱く、母親のいいなりだった義父を思い出した。


 とにかく印象の薄い男だったな。

 オレと顔を合わせてもろくに口も利かなくて。


 そんな義父を、こんな覇気の無い男にだけは絶対になるまいという反面教師にしていた。


「その父ちゃんが、この前、上海に出張で行ったきり行方不明になっちまって……」

 英二が口ごもった。


「オレに言われたって……。オマエにしてみりゃ血がつながった、大事な親父だろうけど」


「い、いや。そのことじゃなくて……。オヤジもいないし、他に相談するあてがなくて……」

 英二は、ますます体を小さくして、もごもごと言い訳をした。


「じゃ、なんだ? 早く用件を言えよ」

 一博の言葉に、鹿のように善良そうな英二の目が泳ぐ。


「実は、オフクロが倒れたんだ」


「え?」

 コーヒー・カップを持つ手が、ビクリと動いた。


「ずっと隠してたんだ。仕事をやめたくないのと、オレに心配をかけたくなかったからかな」


「で、何の病気なんだ」


「拡張型心筋症でさ。心臓移植が必要なところまで悪化しちゃっててさ。日本じゃドナーがなかなか見つからないから、アメリカに行ってって思うんだけど。その……。費用が五千万くらいかかっちゃうんだ」


「そんなに要るのか」


「オフクロさ。看護士として皆に好かれてるからさ。いま勤めてる病院のスタッフや、患者さんが、『白衣の天使伊川房枝さんを救う会』を立ち上げて、ネットや街頭で募金活動してくれたんだ。で、もう残り五百万くらいになったんだ」


 あの母親失格の女が、看護師としてそんなに好かれていたのか?

 他人に愛情を注ぐくらいなら、なんでオレには……。

 恨み言が一博の口をついて出そうになった。


 だが、実際に言葉に出たのは、

「で、残りをオレになんとかしろと?」だった。


「早くしないと、オフクロやばいんだ。せっかくここまでお金の準備ができたんだ。あと少し。なんとしてもアメリカに送り出したいんだ」


「わかった。オレがなんとかする」


 言いおいて店を出ると、外は吹き降りだった。

 一博はずぶ濡れになりながら、待たせていた車に向かった。


「若。申し訳ありません」

 運転席から、田丸章次が転がり落ちるように飛び出してきた。


 田丸は、荒城浩介が死んで以来、一博の車の運転手を務める若い衆だった。

 ズブ濡れになりながら一博に傘をさしかけ、素早くドアを開けた。





 一博は、あちこち頭を下げて金をかき集めた。

 琢己に頼めば快諾してくれそうだったが、自分でなんとかしてやるという気持ちが強かった。


 これでオフクロも、オレを見直すだろう。

 一博の胸に、ほんの僅かだが心地良い風がそよいだ。


 オフクロは一生オレに頭があがらなくなったな。

 ざまーみろ。


 一博は、母に恩を売ったことが爽快だった。




 十二月二十四日、アメリカユタ州のホスピタルから、クリスマス・カードが届いた。

 事務的で簡潔な文面だったが、精一杯感謝の意を表していることは想像できた。


 ついにあの母に自分を認めさせることができた。


 もっとビッグになって、もっと認めさせてやる。

 一博は、さらに欲を出した。




 明けて一月六日の午後八時過ぎ、半年ぶりに同じ店で英二と顔を合わせた。


 組の幹部内海実が、吉原朱美という若い女に経営させている店で、昼は喫茶、夜はスナックという形態で繁盛していた。


 一博と英二は、店の一番奥まった席に陣取ると、英二が身を乗り出してきた。


「オフクロ、今週から職場復帰するんだ。まだ夜勤は無理だけどね。もう大丈夫。ふふ。オフクロはやっぱ仕事していないと元気が出ないらしいよ。兄ちゃん、ほんと、ありがとう」


「オフクロにはあの金は返さなくていいと言っとけ」

 一博は水割りのグラスをあおった。


 英二は人の良さそうな顔に満面の笑みを浮かべ、感謝の気持ちを体中で表している。


「オフクロ、すごく喜んでたよ。感謝してるって。ホントは一緒に来るはずだったんだけど、いきなりじゃ、兄ちゃんがどう思うかと……」


「もういい。オフクロの話はもうすんな」


 途端に雲行きが変わり、一荒れきそうな一博に、英二は話題を変えた。


「ところで、オレ、臨床心理士と、言語聴覚士の資格も取ったんだよ。そのうち助産師の資格も取るかもね。ふふ」


「ふ。オマエ、いったいいくつ資格を取るんだ。しかも男が助産師ってマジかよ。ハハハ」


 それからたわいない話が続いた。


「なんだかんだ言って、オレたち仲が良い兄弟だよね」


 英二が一言で、あの日のことが脳裏に蘇ってきた。


 爽やかな兄弟愛か。 

 ホントにそれだけなのか?


 だが、英二は、そんなそぶりなど全く感じさせなかった。


 爽やかな好青年、伊川英二の一生など、容易に想像がつくものだった。


 心の優しい可愛い女の子を射止めて、明るい家庭を築き、休日には公園で子供たちとキャッチ・ボール。

 共稼ぎでコツコツ貯めて、郊外に小さな庭つき一戸建てを買って、花をいっぱい植える。

 分相応を弁えて、地味に真面目につつがなく一生を終えるのだろう。


 一博には理解できない、平凡で退屈な人生を送りそうに見える、この英二が……。


 飲めない酒を、ちびちびと飲む英二を見ながら、

「やっぱこいつが、ンなわけないな」と、一博はつぶやいた。


「でさ……高齢化社会に見合った福祉のありかたとしてはさ……」

 英二は、将来について、社会について、目を輝かせながら饒舌に話しつづけた。

 青臭い理想論が一博をいらだたせたが、その夜だけは聞いてやることにした。


 その夜の酒は、珍しく良い酒だった。


「こうして兄弟二人で飲むってのもいいよな。また電話する。今度は、高級クラブに連れて行ってやるぞ」

 したたかに酔った一博は、英二に肩を支えられて店を後にした。


 凍りつくように冷たい夜風が熱い頬に心地よい。

 田丸章次が、こちらに向かって、くの字に腰を曲げて挨拶し、黒く光るベンツのドアを開けて待っている。

 運転手つきのベンツのリムジンで送り迎えされ、たくさんの人間に頭を下げられる境遇が誇らしかった。


 オレの姿を、オフクロにもみせつけてやりたいな。

 思いながら車へと歩みを進めたそのときだった。


 細い路地から、ドスを持った男三人が一博目掛けて突進してきた。


「関西は安目を売らんのじゃー!」

 矢波組だった。


「やろーッ」

 一博はひとりめの攻撃をよけ、その男を蹴り上げて倒した。

 だが、酔っていたため、動きに日頃の切れが無かった。


「まずった」

 続いて突進してきた男の攻撃をかわしきれなかった。


 刃は一博の体に吸い込まれるように突き立てられた。


 ……と、思われた。


 だが、一博の前に英二が立ちはだかった。

 英二は凶器が刺さったまま派手に転倒した。


「よくも、英二を!」

 一気に酔いが吹っ飛ぶ。


「若!」

 田丸が投げてきたドスを受け止める。

 鞘を払い、男の喉を掻き切る。

 倉庫の壁に激突した男は、そのまま動かなくなった。


 もうひとりの男も、田丸ともみ合いになっているところを、背後から仕留めた。


「おい。章次。何をぐずぐずしてる。病院に運ぶんだ。早く」

 田丸を急かした。


 腕の中の英二は出血がひどく顔面が蒼白である。


「英二。死ぬな。英二!」

 夜の街を疾走する車中、弟の名を連呼し続ける。


「兄ちゃん。オレ、兄ちゃんの役に立った?」

 英二は苦しい息の下から声を絞り出した。


「あ、ああ。ありがとう、英二。けど死んじゃダメだ。そんなの、絶対、この兄ちゃんが許さないからな!」


「嬉しい。オレ、兄ちゃんに嫌われてないか、迷惑がられてないかってずっと思ってたんだ」

 英二は苦痛に顔をゆがめながら微笑んだ。


「何言ってんだ。オマエはオレの可愛い弟じゃないか」


「弟……。そうだね。でも……弟じゃなきゃ良かったって、いつもオレは思ってたんだけどさ」


「え?」


「俺、兄ちゃんのことを……」


 英二の言葉は途切れ、そのまま意識は戻らなかった。



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