☆ ここまでのあらすじ ☆
高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。
琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。
琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。
一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。
手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。
ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。
翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。
一博は、潤を誘うが、拒絶され、激怒する。
潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。
一博は、初めての男は特別な男でなければという思いを強くする。
大学を卒業した一博は、琢己不在時に、独断でカチコミを決行するが重傷を負う。
退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己を関係を持つ。
釈光寺祐樹が関西の組織と手を結び、一博は罠に落ちて捕らえられる。
現れた日向潤が祐樹を殺害し、一博を救う。
☆ 本文 ☆
抱き上げられた一博は、理事長室に付属したバスルームに運ばれた。
ゆっくりとバスタブに下ろされる。
一博の体はずるりと滑り、バスタブの底にすっぽりと収まった。
「冷たいですが、我慢なさってください。この建物、電気は来ていますが、ガスが止まっていて、湯が出ないんです」
潤は一博の体を丁寧に洗い始めた。
今になって意識が不確かになっていく。
一博はされるがままだった。
病院内は時が止まったように、すべてがそのまま残されていた。
潤は、がたがたと震え続ける一博の体を手早くバスタオルで拭くと、バスローブで包んだ。
抱きかかえられ、別の部屋に運ばれた。
「理事長が仮眠に使っていた部屋です。ここでお休みになればいいですよ。わたしがついていますから」
潤はシンプルなベッドに一博の体を横たえた。
「潤。さ、寒い」
震えが止まらない。
それは冷たい水で洗われたからだけではなかった。
「潤。お、オレ……」
震える手で、潤の腕をしっかり握りしめた。
「若……」
「寒い。潤。オレを抱いて。抱きしめて」
「わかりました。暖めるにはこれが一番といいますからね」
静かに服を脱ぎ捨て全裸になると、一博のわきに横になった。
バス・ローブをそっと脱がし、一博の体をしっかりと己の腕に抱きしめる。
「潤」
じかに触れた潤の体は、想像以上にあたたかかった。
遊びで抱き合ってきた男たちの肌は、ぬくもりを感じさせなかった。
一博は、今までのモノクロの世界でのセックスを思った。
あの日、望んで抱かれた琢己でさえ、色のある世界を見せてくれなかった。
肌にあたたかさを感じなかった。
この潤なら……。
あたたかさを感じさせてくれる潤となら、色の付いた景色が見られるのじゃないか。
一博はそう思った。
暴力による痛みはすぐ癒えても、屈辱の記憶はこれからも一博を苦しめるに違いない。
忌まわしい出来事を修正液で消し去ってしまえたら……。
「オレを抱いて! 潤」
九年間封印されていた言葉が口をついて出た。
「潤。オレをオマエの手でめちゃくちゃにして。今夜のことを何もかも忘れたいんだ」
指で潤の頬に触れ、肩に頬を埋めた。
「ふふ。若。冗談はやめてくださいよ」
潤は取り合わない。
「潤~」
甘い声を出し、潤の股間に手をのばした。
だが……。
潤はその手を優しく握って離させると、
「若。気の迷いですよ」
きっぱりした口調で答えた。
潤はオヤジに操を立てている。
オヤジのことがそんなに……。
潤の拒絶に、琢己の影を見た一博は、誘いの手を止めた。
またも恥をかかされた。
それでも、潤の腕の中はあくまであたたかかった。
「若」
潤が一博の目を見つめる。
「全て忘れることです。知っている者は全員始末したのですから」
「全員……ってそういや……」
潤が殺害した舎弟の中に、潤と同室だった男も含まれていた。
一博が釈光寺の屋敷にやって来た頃、整理整頓のことでいつも潤に叱られていた正治も、今ではいっぱしの男に成長し、琢己から盃をもらっていたが、潤とは同室のままで弟のようにかわいがられていた。
その正治まで簡単に抹殺できるものなのか。
他の舎弟にしてもそうである。
ずっとひとつ屋根の下で、潤とうまくやってきた仲間だ。
有無を言わさず皆殺しとは……。
もう少し情のある解決方法があったのではないか?
それがヤクザ社会の掟の厳しさなのだ。
そう思いかけて、一博は次の考えにぶちあたった。
オヤジを苦しめたくないという深謀遠慮なのだ。
問題が明るみに出れば、琢己の立場は非常に苦しいものになる。
息子を許してやりたいという父としての情。
組長として裏切り者に厳しい制裁を課さねばならないという立場。
琢己は板挟みになって悩んだだろう。
それを回避し、かつケジメをつけるにはこの方法しかなかった。
一博は潤の苦しい胸のうちを思いやった。
同時に、潤にそこまでの行動を取らせる琢己に対する、強烈な嫉妬を感じた。
とにもかくにも……。
祐樹をいとも簡単に葬り去って、一博を一挙に表舞台に引き出してくれた。
もう跡目を継ぐのは自分しかいない。
オヤジにもしものことがあれば、今すぐにでも、このオレが……。
一博は潤の胸の中で夢想した。
オレがアタマで、万事に有能な潤が補佐する。
それこそが理想だ。
今、セックスをすれば、自分が抱かれてしまうことになる。
ふたりは抱き合ったまま、静かな眠りについた。
琢己には、次のごとく報告された。
益田組の件を根に持った、武闘派の矢波組組長矢波幸太郎が、復讐すべく一博を拉致した。
その際、一博を護衛していた五人の舎弟が犠牲になった。
祐樹は潤とともに救出に向かったが、戦いの中で命を落とした……と。
関西側もダンマリを決め込んだ。
琢己はバカではない。
釈然としなかったろうが、一博や潤を問いただすことはなかった。
祐樹の母典子も、釈光寺組組長の姐として贅沢な暮らしを続けるため、固く口をつぐむしかなかった。