☆ ここまでのあらすじ ☆
高校生だった伊川一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。
琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。
琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。
琢己と正妻との間にできた長男祐樹を、お坊ちゃま育ちだとあなどる。
ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。
翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。
一博は、潤を誘うが、拒絶され、激怒する。
潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。
一博は、初めての男は特別な男でなければという思いを強くする。
大学を卒業した一博は、琢己不在時に、独断でカチコミを決行するが、重傷を負う。
退院した一博は「一度だけ」という約束で、琢己を関係を持つ。
☆ 本文 ☆
ある夜、一博は、埼玉県U市の私立病院跡地に、黒塗りのベンツ二台と国産ワゴン車で乗りつけた。
赤城浩介にドアを開けさせて悠然と降り立つ。
近頃では、そういう姿がすっかり板についていた。
Vシネマに出てきそうな派手なワインレッドのスタンドカラースーツに、胸の大きく開いた黒い絹のシャツ、磨き上げられた白のエナメルシューズ。
ハードムースでしっかりと、オールバックに整えた髪。
嫌味だが、周囲に威圧感を与える意味があった。
ここを訪れたのは、シャブの取引のためだった。
覚せい剤取引を禁じているオヤジの目を盗んでの裏のシノギである。
郊外に立つ病院は山の中腹に建てられ、道の先は行き止まりになっていた。
カツカツ
靴音を高々と響かせ、廃屋に向かった。
草生した玄関周りは、ツル植物に覆われ、暗い窓が整然と口を開ける廃屋は静まり返っていた。
張り巡らされた有刺鉄線の柵もあちこち破れ、今は訪れるひとも無い。
組織内で味方を増やすためには、力や度胸だけでは困難である。
所詮、義理や人情といったキレイごとだけで人は動かない。
物を言うのは金だ。
自由になる資金がいくらでも必要だった。
馴染みの密売組織の信用できる韓国人からの紹介で、初回からの大量取引。
一博は五千万を用意し大張り切りだった。
それが末端価格では、何億という金額に化ける。
輸送途中に襲われて、ブツをかっさらわれないとも限らない。
今回は車三台に分乗し、度胸の据わった中堅、若手の組員を八人も連れてきている。
何の心配も無いと思われた。
「ごくろうはんです」
二重ドアになった入り口を入ったところで、男が二人待っていた。
案内されたのは、理事長室だった部屋だった。
男たちが両開きのドアをゆっくりと開く。
「ゆ、祐樹。どうしてここに!」
部屋の中央に、釈光寺祐樹の姿があった。
「一博、紹介するよ。隣に居るのは、関西神姫会系矢波組組長矢波幸太郎さんだ。名前くらいは知っているだろ? 神姫会でも武闘派で有名なひとだ」
「よろしゅうたのんまっさ」
スキンヘッドの大男矢波が、慇懃無礼な態度で会釈した。
一博はいつでも戦闘態勢に入れるよう身構えながら叫んだ。
「祐樹。そんなやつとどうしてつるんでいるんだ! オヤジが許さないぞ」
オヤジという言葉に、祐樹は口の端をゆがめて笑った。
矢波が薄笑いを浮かべながら口を開く。
「倉前はん。益田組の一件には度肝をぬかれましたな。うちの内部でも、あんたを的にかけるっちゅう、血気盛んな若いものが多おますさかいな。野々村会長はんも、それを納めるのに、えらい苦労してはりましたわ」
矢波は関西特有の、人を食ったようなのらりくらりとした口調で続けた。
「わしかてな。野々村のおやっさんの御意向は、無視できまへんよって~。ここは我慢に我慢を重ねてましてん。けど……」
矢波は祐樹に視線を向けた。
「次期組長釈光寺祐樹はんから色良い返事をもらえましたさかいな」
「なんだと」
一博は自分の甘さを呪った。
事態はここまで進展していた。
裏切りのシナリオはこうだった。
焦る祐樹と典子に、関西勢が密かに接触を図ってきた。
関西が出した条件は、関西神姫会において実質ナンバー2の地位にある矢波幸太郎と釈光寺祐樹が、対等に兄弟の盃を交わすというものだった。
祐樹は関西の力を背景にオヤジを説得して関西と手を握る。
オヤジがうんと言わないときは、有無を言わさず引退願うという強引な計画だった。
それにはまずこの一博を葬る必要がある……と。
「祐樹。おまえは関西の傘下に入って満足なのか」
一博は祐樹につかみかかろうとした。
だが……。
背後から羽交い絞めにされ、こめかみに銃口を押しつけられた。
「おまえら……」
組員全員が、祐樹側に寝返っていた。
運転手として可愛がっていた荒城浩介もだ。
「すみません。若。若にはもうついてゆけねーんです。若みたいに、なにが何でも力でことをかまえるってんじゃ、オレたち下のもんは命がいくつあったって足りませんや」
言い訳しながらも、せいせいとした顔だった。
「もう関東だ、関西だって時代は終わりじゃねーすか?」
「チャイニーズ・マフィアやそのほか外国人勢力もあなどれない今、旧態然としてちゃ……」
組員たちは、言い訳や理屈を口にした。
「オマエら神姫のことがわかっちゃいない! 矢波なんて信用するな!」
一博はじたばたもがいた。
「ね~、一博。オマエが一番信用されてないんだよ。突然現れて、少しばかり手柄を立てたからってさ~。いい気になり過ぎてんだよ」
祐樹が、一博の腹に拳を打ち込み、それを合図に制裁が始まった。
「くそっ」
殴る蹴るの暴力にさらされた。
腹に蹴りが入って、オレはうめきながら胃液を吐き出す。
声をこらえ、意地でも悲鳴を上げなかった。
「てこずらせよって。見かけによらず、なんちゅう丈夫なやっちゃ」
矢波が革靴で、倒れた一博の横顔をふみつけ、ゴリゴリと床に押し付けた。
「けどこない華奢な男が、あの益田組を壊滅させたやなんて、未だに信じられまへんな。なあ、祐樹はん」
「とんだくわせものですよ」
祐樹が髪をグイとつかんだ。
顔を上向かせられる。
「う」
はずみでうめき声が漏れた。
「こいつのこういう声がダイレクトにくるんですよ。もっと鳴かせてみたいって……」
祐樹は矢波のほうを振り向いた。
一博は祐樹の顔に唾を吐きかけた。
口元をひきつらせた祐樹は、一博の髪をつかんだまま頭を床に叩きつけた。
「ぐ」
脳震盪を起こして意識が遠のく。
「さあ、どう料理しますかね。矢波さん」
祐樹の声音は欲情していた。
「そうでんな。簡単にバラすのは、つまりまへんな」
「ですよね」
祐樹の横顔に悪魔的な笑みが浮かんだ。