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第10話 琢己との一夜 最初で最後の契り

        ☆  ここまでのあらすじ ☆


高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。

琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。


琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。


琢己と正妻との間にできた長男祐樹を、お坊ちゃま育ちだとあなどる。


一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。

手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。


ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。

翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。


一博は、潤を誘うが、拒絶され、激怒する。


潤は「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。


一博は、初めての男は特別な男でなければという思いを強くする。


大学を卒業した一博は、琢己不在時に、独断でカチコミを決行するが、重傷を負う。


病室で意識が戻った一博は、潤から、一博派と祐樹派の対立に琢己が悩んでいると聞かされる。



       ☆    本文   ☆



 黒のスーツに着替えた一博は表座敷に向かった。


「失礼します」


 廊下に正座して、静かに襖を開いた。


「!」

 幹部を集めて訓示していた琢己と目が合った。


「一博。もう退院したのか」

 琢己は目を大きく見開いた。


「では、わたしたちはこれで……」

 会合が中断され、潤をはじめとする幹部たちは退出していった。


「少し庭を散策しましょう」

 伏し目でチラリと琢己を見てから、返事を待たず庭に降り立った。


「お、そうするか」

 琢己も雪駄をつっかけて庭に降り立つ。


「敷地の一番奥にある夾竹桃の木は、今時分、満開ですかね」

 一博は、飛び石の上を伝って、広い裏庭の奥へ向かった。


 打ち水をされた夕刻の庭は、想像以上に涼しい風が吹き渡っている。


「線が細くなったな」

 一博の後ろ姿を見ながら琢己がつぶやいた。


 入院生活で筋肉が落ち、ゼロに近かった脂肪が、わずかながらついていた。


「ここに戻ったからにはすぐ元通りになりますからご心配なく」

 内心の動揺を見透かされないよう、冷静な口調で応えた。


 目当ての夾竹桃は無かった。

 紅色の花が咲き乱れる夾竹桃……それは一博の記憶違いだった。


 庭の奥は塀をはさんでそのまま裏山に続き、借景となっている。

 苔むした庭の奥、離れ座敷の前に来ると、一博は上目遣いに琢己の顔を見上げた。


 琢己が雪駄を脱ぎ、縁側に上がる。

 黙って障子を開け、一博を招き入れると再び障子を閉めた。


 潤を呼ぶつもりだったのか、すでに布団が敷かれている。

 一博の心臓がドクンとはねた。


 そのために来たのに、なんてこった。

 動揺する自分が情けない。


 琢己はひとつ咳払いした。


 ここは単刀直入に行こう。

 静かに上着を脱いで、二つ並べて置かれた乱れ箱の一つに丁寧に収めた。


「まさかオマエ……」

 琢己は低い声でうめいた。


 琢己の動揺に、一博は冷静になっていく。


「よろしくお願いします」

 正座して、深々と頭を垂れた。


「いいんだな」 

 琢己が一博を立ちあがらせて抱きしめる。

 一博の身体は、二メートル近くある琢己の腕の中にすっぽり収まった。


「一度だけ……」

 声はかすれ震えていた。


「ほんとうにいいんだな」

 琢己が、うなずく一博の顎を上向かせ、唇を重ねてきた。


「オヤジ……さん」

 吐息のような声を吐いて、琢己の唇を激しく求めた。


 一博の中で、琢己は、肉親である『親父』ではなく、組織の長である『オヤジ』になった。


 唇を甘噛みされる。

 唇の間を割って、舌をねじ込まれる。

 逃げる舌が追われ、そして捕らえられる。


 静けさの中に甘い響きが流れ、耳に心地よくフィードバックしてくる。


 同じDNAを持つ唾液は好ましい味だった。

 股間が熱を持つ。


 唇を放した琢己が、一博の瞳を見詰めてくる。


 きつく抱きしめられ、髪を撫でられる。

 琢己の武骨な指の隙間を、一博の髪がサラサラと流れる。


「あいつの香りだ」

 琢己がつぶやいた。


 琢己は、遠い日に失った房枝という激しい炎を今一度この手で抱くのだと思っている、いや、思おうとしている。


 シャツがはぎ取られ、オレはピクリと身を震わせる。


 シャツの下は素肌だ。

 胸に指をはわされるだけで、ゾクゾクした。


「きめが細かいな。滑らかな肌だ。潤とはまた違う。この肌にどんな彫り物が似合うか」

 琢己は楽しそうにつぶやいた。





 何度、果てたかわからない戦いは終わった。

 心地良い疲労感に満たされる。


 一博は身じまいを糺して正座した。


「最初で最後の契りということで……」

 深々と頭を下げた。


「おう。わかっている」

 琢己は即座に答えた。

「無かったことにしよう」


 琢己の言葉を背に、座敷を後にした一博は、またもとの一博に戻った。

 心の内での呼び方が、親父に戻ることはもはやなかったが。





 ここ数年、関西大手の神姫会との抗争は小休止状態で、平和が保たれていた。


 例の一件も、神姫会から派遣されていた森本の暴走が発端だったため、全面戦争が避けられ、関東、関西の両巨大組織はめでたく手打ちで治まった。

 極道社会の最近の衰退に、抗争はさらなる取締りを招くだけとの一致があったからだった。


 それでもいつまた抗争の火種が再燃し始めるとも限らない。


 昨今は、中国マフィアを始めとして、不良外国人勢力の台頭も看過しがたくなってきている。


 一九九二年三月の暴対法施行以来、旧来のヤクザ稼業は斜陽の一途をたどりつつある。

 だが、それは、表面的なことである。

 一部はさらに暴力的集団となって地下に潜り、シノギの手口も悪辣化巧妙化しつつあった。


 ドスで渡り合って勝敗を決するといった旧来の出入りも、今は昔。

 どの組も銃器を数多く手に入れることに、さらに腐心するようになっていた。


 当初、一博は、債権取り立ての仕事を任されていた。


 回収が困難な相手に対する貸し金や、裁判に持っていって何年も待たされるのは困るといった事情のある貸し金を、貸主の依頼で取り立ててやり、その取り立てた額の半分をいただく。

 これはなかなか良い商売だった。


 一博は法学部卒であるだけに、脅しをかけて取り立てるだけしか能のない組員たちと比べ、回収率は良かった。


 だが、そういう仕事ばかりでは飽きがくる。

 しかも、一九九八年十月成立の債権管理回収業に関する特別措置法により、弁護士以外でも法務大臣の許可を得て不良債権の回収が可能になったため、民間の専門会社が誕生し、ヤクザへの依頼が減少傾向にあった。


 他のしのぎを考えた一博は、語学力を生かして外国人と接触し、銃を密輸入して売りさばいたり組のために収集したりし始めた。


 従来普及していた旧ソ連製のトカレフは、大きく精度もいまひとつである。

 それに代わってロシアからマカロフが入るようになった。

 改良型だけあって、マカロフのほうが小型で扱いやすく、もちろん殺傷能力も高い。

 最近ではマカロフの人気があがり、北海道を窓口に、ロシア・マフィアから多量に入ってくるようになった。

 一博もときたま現地に足を運び、直接交渉して仕入れに力を入れた。

 組織の資金源としてなかなかのものだったので、琢己を大いに喜ばせた。


 そこまでは良かった。

 だが、欲が出る。

 英語圏の外国人との付き合いの延長で、コロンビア人やボリビア人の手を介して、コカインやヘロインその他ドラッグの売買にも手を染め、覚せい剤も扱うようになった。

 だが、そのことは琢己には内密だった。

 昔気質の琢己は、シャブに手を出すことを極端に嫌悪していたからである。


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