☆ ここまでのあらすじ ☆
高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。
琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。
琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。
琢己と正妻との間にできた長男祐樹を、お坊ちゃま育ちだとあなどる。
一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。
手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。
ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。
翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。
一博は、潤を誘うが、拒絶され、激怒する。
潤は、「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」との言葉を残して立ち去る。
一博は、初めての男は特別な男でなければという思いを強くする。
☆ 本文 ☆
法律を熟知することは将来、役に立つと考えた一博は、琢己の援助で都内有名私立大学の法学部に入学した。
アメリカ西海岸に一ヶ月間、語学留学もした。
実戦に備えて、射撃の腕を磨くことが真の目的だった。
大学を卒業する頃には、いっぱしのヤクザ気取りだった。
空手もますます精進した。
細身で筋肉質な体を絹のスーツで包んだ姿は、どこにいても目立った。
外見からは想像もつかない実力。
実戦では未知数だったが、琢己が富士山麓で催した“抗争訓練”の際には他の組員たちを圧倒した。
ある晩、若い組員たちを引き連れて、銀座で飲み歩いた一博は、小遣いを与えて別れた。
そのままタクシーで帰るつもりだったが、かなり酔っていた。
まだ飲み足りないな。
ふと目についた店に足を踏み入れた。
銀座でも有名な『華景色』という高級クラブだった。
会員の紹介がない一見の客は入れない。
一博は店の者と、入り口でもみ合いになった。
「困ります。うちは会員制ですから」
「じゃ、会員になりゃいいんだろ。金ならある」
「ですが会員さまのご紹介がございませんと……」
「おい! このオレが誰だかわかってるのか」
一博が店の者の胸倉をつかみかけたときだった。
「シズカニ! カネ、カネ」
片言の日本語で叫びながら、武装した男たち五人が乱入してきた。
最近このあたりのシマで大きな顔をし始めた、中国マフィアだった。
女たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、客の男たちも縮み上がった。
賊は、サバイバル・ナイフや鉄棒を持ち、一人は拳銃を所持していた。
よしッ。このオレが撃退してやる。
一博は勇み立ち、身構えた。
だが……。
ホスト風優男に注意を払う者はいなかった。
「なめんなよ」
拳銃をもっていた大男の手から拳銃を蹴り落とす。
男の腹に頭突きを喰らわせた。
男が尻餅をついてうめく。
一博対強盗団の大乱闘が始まった。
敵のコメカミに水平肘打ちを入れる。
ひるんだ敵のあごにエルボーを放ち、敵が壁に激突する。
別の賊の左足を踏んで、フットスタンプを入れるや、顔へのバーティカルニーで倒す。
さらなる敵の腰にサイドキックを決める。
敵が床に崩れ落ちる。
ほんの数秒の出来事だった。
賊も店側も動きを止めた。
意味不明の中国語をわめきながら、強盗は逃げ去り、一博は手の平を返したように歓待され、帰り際には、金一封まで胸ポケットにねじ込まれた。
明け方近く、上機嫌で帰宅した。
酔いが残る一博は、玄関で出迎えた潤に、得意になって武勇伝を語った。
実戦経験が豊富な潤に、認めてもらおう誉めてもらおうという子供っぽい期待があった。
だが、潤の答えは、のぼせ上がった気持ちに水を差すものだった。
「そういう手合いに勝っても自慢にはなりませんよ」
「ここは、日本だ。中国マフィアになめられてたまるかよ」
「若。あなたが相手したのは、ただの不良中国人たちですよ」
「中国マフィアじゃないのか」
「本物のチャイナ・マフィアとは違います。彼らはちゃんとした組織を持っていて、結束が固く、一定のルールがあります。ひとつの犯罪ごとに集団を作る、不法入国の犯罪者たちとは格が違います。世間一般では両方ともチャイナ・マフィアと呼んでいますが」
「なんだ。結局、中国マフィアってことだろ」
「本物のチャイナ・マフィアには気をつけてください。抗争になると面倒ですから。とはいえ……近い将来、抗争は避けられないと思いますが」
「潤。オマエは慎重過ぎだ。もういい。そんな説教は」
潤に恥をかかされた。
顔がカッと熱くなる。
誘いをあっさり拒絶された、七年前のあの夜の屈辱をいまだに忘れてはいない。
「バカヤロー」
ドスドスと足音をさせて自室に駆け戻ると、ドアを勢いよく閉め、ロックをかけた。
それから数日後……。
梅雨の戻りで長雨が続き、なにもかも湿ってカビ臭い匂いが漂う夜だった。
諏訪内組と益田組が反目しあっていた東関東のO市で、
釈光寺組と縁が深い諏訪内組に対抗するかたちで益田組が、関西の広域組織関西神姫会の三次団体になって以来、対立を激化させ、抗争の火種をくすぶらせていた。
篠突く雨のなか、益田組組員森本武士ら三人が乗り合わせたオンボロキャデラックと、諏訪内組幹部一之瀬達吉の乗ったベンツE430アバンギャルドが、繁華街の狭い車道で行き違う際に、道を譲る譲らないでトラブルとなった。
最初のうちは車内から怒鳴りあっていたが、森本が車から降りた。
「諏訪内組がなんぼのもんじゃい! ワシらにはバックに関西神姫会がついとんのじゃ!」
森本は、神姫会から派遣されている男だった。
益田組組員の手前もあって、『安目を売る』のは恥じだと思ったらしい。
黒光りする最高級ベンツのわき腹を蹴ってすごんだ。
「なんだと~! もともとこのシマはな……」
一之瀬の運転手須藤寅男が車外へ出た。
プロレスラーあがりの巨漢、須藤の力量を信頼していた一之瀬は車内にいた。
益田組の平組員たちが、わらわらと車外に出た。
かくして抗争のきっかけとなる事件が勃発した。
三対一にも関わらず、男たちは須藤寅男の敵ではなかった。
形成不利だと悟った森本武士は、隠し持っていた拳銃を取り出し、いきなり須藤の腹めがけてぶっ放した。
重傷を負った須藤はその場にうずくまり動けなくなった。
「い、いかん」
一之瀬が車外へ出て逃げようとする。
「あほんだら! 逃げんなや!」
一之瀬めがけて、森本のナンブM60が続けざまに火を噴いた。
一報が釈光寺組にもたらされたが、琢己は、典子とともに、祐樹が短期語学留学しているオーストラリアはクィーンズランド州サンシャインコーストに旅行中だった。
旅行には、一博が来て以来悪化した、夫婦の関係を修復する狙いがあると、一博は想像していた。
騒ぐ幹部連中に向かって、一博は、
「オヤジにはまだ知らせるな。せっかく骨休めに出かけているんだ。オレが責任を持って処理する」と格好をつけた。
琢己は、大本組時代、諏訪内組組長に世話になっていた。
一之瀬達吉とは、賭場で知り合い、飲みに行く仲だった。
琢己なら報復を考えたに違いない。
関西勢の関東進出を阻止する好機だ。
神姫会の関東進出の足掛かりとなった益田組を叩き潰す絶好の口実ができた。
オレの力量を内外に知らしめ、親父にオレを認めさせる絶好の機会だ。
一博は武者震いを感じた。
葬儀など『義理場』はヤクザにとって最重要である。
諏訪内組が報復を仕掛けてくるとしても、葬儀後だと、益田組はたかをくくっている。
奇襲攻撃あるのみだ。
決意した一博は、秋田に出向いていた潤の帰りを待たず、屋敷につめていた若い組員五人を引き連れて、翌日の早朝、益田興業と看板のあがった組事務所に殴り込みをかけた。
無謀以外の何ものでもない。
一博を含め、たった六人のカチ込みである。
しかも指揮官たる一博は、ヤクザ同士の本格的な実戦経験が皆無だった。
随行する若い組員たちは、一博の顔を立てて同行したものの、ガラス割り程度の恣意行動だけで撤収するつもりだろう。
三階建てビルの一階は車庫兼倉庫として使用され、二階以上が組事務所で、組長の部屋は三階奥にあった。
入り口には、自動監視カメラが設置されている。
「益田組長に会わせてもらおう」
一博は、入り口でタバコをふかしながら番をしていた組員に声をかけた。
「なんだァ? テメーは。来る場所を間違えてるぜ。ここはホストクラブじゃねーよ。にいちゃん、ここをどこだと……」
言い終わらないうちに、組員は、頭部への右回し蹴りを食らって転倒した。
「このヤローッ」
隣にいた組員がふところから旧ソ連製の大型拳銃トカレフを取り出そうとする。
慣れていないため、一瞬もたつく。
左クレセントキックを食らわせ、すばやく取り出したマカロフの台尻で、よろめく男の後頭部を強打した。
「若はすげえ。最初はビビっちまって実力なんて半分も出せねーのに」
「オレなんか、初めてカチ込みに加わったときはよ。ションベンちびりそうになって、やたらドスを振り回したもんだ」
舎弟たちは、一博の鮮やかな力量に勇気づけられた。
闘争本能に火がつく。
「オレに続け!」
一博に続いて、若い衆は、三階立てビル内になだれ込んだ。
得物をもった組員たちが次々飛び出してくる。
階段での戦いになった。
限られたスペースの戦いでは、一対一に近い様相を呈する。
相手が何人いようと、一博は一人二人と順に交戦すればよかった。
初めての、命のやり取り。
空手の試合や、ヤンキ―同士のいざこざとはケタが違う。
一博は、水を得た魚だった。
右手に拳銃、左手にドスを握り、巧みに使い分けて攻撃した。
鋭い蹴りも十分な凶器となった。
一人一人と倒していく。
拳銃を所持している敵もいたが、それほど訓練されていない。
弾を避けるまでもなかった。
留学中の射撃訓練の成果は絶大で、一博の弾は、距離があっても確実に相手の体へと吸い込まれていく。
舎弟たちは、敵に止めを刺すか、階段から蹴落とすくらいしか出番がなかった。
「益田のヤローはどこだ!」
返り血を浴びながら、階段を上へ上へと上り詰めた。
事件の発端になった森本武士は、日本刀をかまえ、組長室前で守りについていた。
一博は、日本刀で攻撃してくる森本とドスで渡り合った。
森本は実戦経験が豊富らしかったが、一博の敵ではなかった。
一博は、リーチの差を逆に利用して相手の懐深く入るや、腹にドスをぶち込んだ。
森本の手から放れた日本刀は、カラカラと音を立てて階段を落下した。
「うひゃッ」
下で戦っていた一博の兵隊たちが慌てて避けた。
勝利は目前だった。
だが、森本は、関西ヤクザの意地で、一博の体に喰らいついてきた。
「うっ」
一博は、相手の思わぬ反撃にうろたえた。
人間、死ぬ間際の力はあなどれない。
「つ!」
手首を反してドスを回転させ、森本の腹を深くえぐった。
「?!」
相手は死んでいるが、腕がはずれない。
まずい!
部屋から飛び出してきた益田のドスが、一博の背中を刺し貫いた。
こんなところで……。
必死に森本の腕をふりほどき、渾身の力をこめて益田組長の首めがけドスを振り下ろす。
頚動脈を切断された益田は、その場に倒れて絶命した。
「終わった…」
組員たちが駆け寄る気配を感じながら、一博はそのまま意識を失っていった。