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第7話  潤の拒絶


         ☆  ここまでのあらすじ  ☆


高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。

琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。


琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。


琢己と正妻との間にできた長男祐樹を、お坊ちゃま育ちだとあなどる。


一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。

手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。


ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。

翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。



        ☆   本文   ☆



 その夜、一博は、日向潤を自室に呼び寄せた。


 祐樹が小学校卒業まで使っていた洋室は、可愛らしい壁紙がそのままだったが、シンプルなデザインのデスクやチェストが運び込まれて、ようやく落ち着いた雰囲気になったところだった。


「なかなかキレイに整頓なさっているじゃありませんか。男の部屋ってのはもっと……雑誌やマンガとかが……」


 几帳面に片付けられた部屋をながめながら、潤は感心したように言った。


「じゃ、潤の部屋はどうなんだよ」


「わたしは、相部屋暮らしですから」

 潤がすました顔で応えた。


 部屋住み制度を堅持している組は少なくなったが、昔気質な琢己は、若手育成の場として部屋住み修行を取り入れていた。


「えっ。若頭補佐なのに、部屋住みなのか」


「オヤジさんに、わたしはまだまだ若輩者ですからと申し上げて、部屋住みを続けています。今は中学を出たばかりの正治と相部屋ですが、わたしが片付けるさきからもう……。いくら言ってもダメです。本人には、散らかっている認識はないらしくて困ったものです」


「へえ」

 生返事をする一博に、潤は言葉を続けた。


「身の回りの整頓もできないようではダメです。特に、命のやりとりが日常茶飯事の極道の世界では、いつその部屋に戻れなくなるかわからない。いつもきっちりと後腐れなくしておかねば。『後顧の憂いを絶つ』ことが大事です」


 粋がってみせる様子には青臭さが感じられた。


 案外、オレとあまり変わらない年齢かも。


 心やすさと同時に、妙にガッカリした一博は、

「アンタとは気が合いそうだね」

 ニヤリと笑ってみせた。


「で、御用って何です? 若」


 潤が一歩近づく。

 空気の揺らぎに乗って、ほのかにオーデコロンの香りがした。


「二人でいるときは一博でいいって。年下なんだし」


「そうはいきませんよ。オヤジさんの坊ちゃんなのですから」


「まあいいや。それより、ちょっと教えてもらいたいんだ」


「何なりと。明日から組事務所にご案内しますし、そこで色々と……」


「そうじゃない。いろいろはいろいろでも、文字通りいろいろってことなんだ」


「は? おっしゃる意味がわかりませんが」

 潤が首をかしげた。

 このガキはナニを言ってると、小バカにした表情だった。


「オレは見たんだぞ」

 潤に詰め寄って、上目遣いににらんだ。


「え?」

 潤の目の奥に戸惑いが揺れる。


「だ、か、ら、見たんだよ。親父とやってるところを」


「!」

 潤は一瞬、視線をはずした。


 だが、冷静さを失わず、静かに訊ねてきた。


「で? それがどうしましたか」


「だから……」

 言いながら、シャツのボタンをゆっくりとはずし始めた。



 Тシャツだと首から脱ぐので、格好のつけようがない。

 前開きのシャツも計算づくだった。

 もちろんインナーシャツも着ていない。


 はだけた純白のシャツからのぞく、透き通るような白い素肌。

 シミひとつない肌に自信があった。


「若……」


 案の定、潤は反応した。

 明らかに動揺している。


「な、潤。教えてくれよ」

 言いながらベッドに腰をかけた。


「う」

 潤は、激しい動揺を見破られまいと、努めて冷静を装っている。

 だが、瞳の中には欲望の影を宿していた。



 一博は、こう解釈していた。


 年上のオヤジを受け入れていたからといって、年下の自分に関心を示さないわけではないだろう。

 むしろ、年下が相手であれば、喜んで手ほどきしてくれるのではないか? 

 据え膳食わぬはなんとかである。

 オレから誘ってやれば、二つ返事でOKするに違いないと。


 男に抱かれることに大いに興味があった。

 だが、オトコを受け入れるには、本能的な恐怖感がある。

 そこで、潤が格好の相手だと考えた。


 親父に抱かれていた潤なら、挿入なんてしてこないだろう。

 お互いフェラ止まりで快楽だけ与え合って楽しめるのじゃないか。

 とりあえず、手軽に男と男のセックスを試してみたい。


 それが一博の本心だった。


「な、潤。教えてよ。二人で楽しもう」

 上目遣いに潤を見上げた。


「わ、若……」

 一瞬の気の迷いを振り払うように、潤は目を伏せて後ずさった。


「そればかりは勘弁してください。わたしは……」


「もちろん親父には内緒だ。な、気持ちイイことしようぜ」


 軽いノリで誘う一博に、潤は困惑の表情を浮かべるばかりだった。


「あの……」

 潤は、フローリングの床に膝をついて座ると、感情を押し殺した声で言った。


「あんなことは、相手がオヤジさんだからこそで、わたしはゲイじゃないです」


「えっ?」

 思いがけない言葉に、一博は絶句した。


「おやっさんは、ドンパチなど、コトがあったとき、そういう欲求が高まるそうで、身近にいて口が固いわたしがお相手させていただいているのです」


 潤の真摯な口調に、一博はカッとなった。

 とんだ恥をかかされた。


「もういい。わかった。帰れ! 帰れよ」

 激昂のあまり声が裏返った。


「すみません。若。他のことは何でも従いますが、こればっかりは勘弁してください」


 潤は体をくの字に曲げて、ヤクザらしい馬鹿丁寧なお辞儀を何度も繰り返しながら、ドアの向こうに消えた。



 一呼吸ののち、ドアの向こうから顔だけのぞかせ、


「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」と付け加えた。



 ドアが静かに閉められ、室内は静けさを取り戻した。


 一人部屋に残された一博は、ベッドにごろりと寝転がった。


 潤は、本気で親父に惚れている。

 それは動かせない事実だ。


 本能的に快楽を貪るだけの行為ではなかった。

 あれが男と男の結びつきの究極の形なのか。


 断られると予期していなかった一博は、気持ちの治まりがつかない。

 ベッドから起き上がると、狭い部屋の中を、クルクル歩き回り始めた。


 ちょっと遊んでくれたっていいだろ。

 怒りが、心の中で増殖していく。


「オレに恥をかかせやがって。くそーッ」


 部屋中の物に当り散らし始めた。

 棚の上の物を手でなぎ払い、手当たり次第に壁に叩き付け、あげくチェストまでひっくり返した。


 部屋中に物が散乱し、足の踏み場もなくなったところで、気がおさまり、がらくたの上に腰をおろして一息ついた。


 そうだ。

 相手は潤でなくたっていいじゃないか。


 壊されたプライドに応急処置を施し、何もなかったことにした。


「せっかく声をかけてやったのに。ハハッ、潤もバカだ」

 一博は声高に哄笑した。




 その夜から、ゲイやバイの男と積極的に遊ぶようになった。

 自覚するまで気づかなかったが、同性を許容できる男は意外に多い。


 今までの分を一気に取り戻すように、夜遊びにふけった。

 だが、決して、身のうちに男をいざなうことはなかった。


 初めて受け入れるのは誰でもいいというわけじゃない。

 特別な男でなければ! という思いが、強くなっていった。

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