☆ ここまでのあらすじ ☆
高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。
琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけた。
琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。
琢己と正妻との間にできた長男祐樹を、お坊ちゃま育ちだとあなどる。
一博は、次男英二を偏愛する母房江に虐待されて育った。
手がつけられない粗暴な少年に育った一博を、心の優しい英二だけが心配してくれた。
ある晩、奥座敷で、龍と麒麟がむつみ合う姿を目撃した一博は、自分がゲイだと自覚する。
翌夕、若頭補佐の日向潤と引き合わされるが、麒麟の入れ墨を背負った男だった。
☆ 本文 ☆
その夜、一博は、日向潤を自室に呼び寄せた。
祐樹が小学校卒業まで使っていた洋室は、可愛らしい壁紙がそのままだったが、シンプルなデザインのデスクやチェストが運び込まれて、ようやく落ち着いた雰囲気になったところだった。
「なかなかキレイに整頓なさっているじゃありませんか。男の部屋ってのはもっと……雑誌やマンガとかが……」
几帳面に片付けられた部屋をながめながら、潤は感心したように言った。
「じゃ、潤の部屋はどうなんだよ」
「わたしは、相部屋暮らしですから」
潤がすました顔で応えた。
部屋住み制度を堅持している組は少なくなったが、昔気質な琢己は、若手育成の場として部屋住み修行を取り入れていた。
「えっ。若頭補佐なのに、部屋住みなのか」
「オヤジさんに、わたしはまだまだ若輩者ですからと申し上げて、部屋住みを続けています。今は中学を出たばかりの正治と相部屋ですが、わたしが片付けるさきからもう……。いくら言ってもダメです。本人には、散らかっている認識はないらしくて困ったものです」
「へえ」
生返事をする一博に、潤は言葉を続けた。
「身の回りの整頓もできないようではダメです。特に、命のやりとりが日常茶飯事の極道の世界では、いつその部屋に戻れなくなるかわからない。いつもきっちりと後腐れなくしておかねば。『後顧の憂いを絶つ』ことが大事です」
粋がってみせる様子には青臭さが感じられた。
案外、オレとあまり変わらない年齢かも。
心やすさと同時に、妙にガッカリした一博は、
「アンタとは気が合いそうだね」
ニヤリと笑ってみせた。
「で、御用って何です? 若」
潤が一歩近づく。
空気の揺らぎに乗って、ほのかにオーデコロンの香りがした。
「二人でいるときは一博でいいって。年下なんだし」
「そうはいきませんよ。オヤジさんの坊ちゃんなのですから」
「まあいいや。それより、ちょっと教えてもらいたいんだ」
「何なりと。明日から組事務所にご案内しますし、そこで色々と……」
「そうじゃない。いろいろはいろいろでも、文字通りいろいろってことなんだ」
「は? おっしゃる意味がわかりませんが」
潤が首をかしげた。
このガキはナニを言ってると、小バカにした表情だった。
「オレは見たんだぞ」
潤に詰め寄って、上目遣いににらんだ。
「え?」
潤の目の奥に戸惑いが揺れる。
「だ、か、ら、見たんだよ。親父とやってるところを」
「!」
潤は一瞬、視線をはずした。
だが、冷静さを失わず、静かに訊ねてきた。
「で? それがどうしましたか」
「だから……」
言いながら、シャツのボタンをゆっくりとはずし始めた。
Тシャツだと首から脱ぐので、格好のつけようがない。
前開きのシャツも計算づくだった。
もちろんインナーシャツも着ていない。
はだけた純白のシャツからのぞく、透き通るような白い素肌。
シミひとつない肌に自信があった。
「若……」
案の定、潤は反応した。
明らかに動揺している。
「な、潤。教えてくれよ」
言いながらベッドに腰をかけた。
「う」
潤は、激しい動揺を見破られまいと、努めて冷静を装っている。
だが、瞳の中には欲望の影を宿していた。
一博は、こう解釈していた。
年上のオヤジを受け入れていたからといって、年下の自分に関心を示さないわけではないだろう。
むしろ、年下が相手であれば、喜んで手ほどきしてくれるのではないか?
据え膳食わぬはなんとかである。
オレから誘ってやれば、二つ返事でOKするに違いないと。
男に抱かれることに大いに興味があった。
だが、オトコを受け入れるには、本能的な恐怖感がある。
そこで、潤が格好の相手だと考えた。
親父に抱かれていた潤なら、挿入なんてしてこないだろう。
お互いフェラ止まりで快楽だけ与え合って楽しめるのじゃないか。
とりあえず、手軽に男と男のセックスを試してみたい。
それが一博の本心だった。
「な、潤。教えてよ。二人で楽しもう」
上目遣いに潤を見上げた。
「わ、若……」
一瞬の気の迷いを振り払うように、潤は目を伏せて後ずさった。
「そればかりは勘弁してください。わたしは……」
「もちろん親父には内緒だ。な、気持ちイイことしようぜ」
軽いノリで誘う一博に、潤は困惑の表情を浮かべるばかりだった。
「あの……」
潤は、フローリングの床に膝をついて座ると、感情を押し殺した声で言った。
「あんなことは、相手がオヤジさんだからこそで、わたしはゲイじゃないです」
「えっ?」
思いがけない言葉に、一博は絶句した。
「おやっさんは、ドンパチなど、コトがあったとき、そういう欲求が高まるそうで、身近にいて口が固いわたしがお相手させていただいているのです」
潤の真摯な口調に、一博はカッとなった。
とんだ恥をかかされた。
「もういい。わかった。帰れ! 帰れよ」
激昂のあまり声が裏返った。
「すみません。若。他のことは何でも従いますが、こればっかりは勘弁してください」
潤は体をくの字に曲げて、ヤクザらしい馬鹿丁寧なお辞儀を何度も繰り返しながら、ドアの向こうに消えた。
一呼吸ののち、ドアの向こうから顔だけのぞかせ、
「わたしは、オヤジさんに若のことを任せられた以上、命を投げ出してでもお守りします。それだけはわかってやってください」と付け加えた。
ドアが静かに閉められ、室内は静けさを取り戻した。
一人部屋に残された一博は、ベッドにごろりと寝転がった。
潤は、本気で親父に惚れている。
それは動かせない事実だ。
本能的に快楽を貪るだけの行為ではなかった。
あれが男と男の結びつきの究極の形なのか。
断られると予期していなかった一博は、気持ちの治まりがつかない。
ベッドから起き上がると、狭い部屋の中を、クルクル歩き回り始めた。
ちょっと遊んでくれたっていいだろ。
怒りが、心の中で増殖していく。
「オレに恥をかかせやがって。くそーッ」
部屋中の物に当り散らし始めた。
棚の上の物を手でなぎ払い、手当たり次第に壁に叩き付け、あげくチェストまでひっくり返した。
部屋中に物が散乱し、足の踏み場もなくなったところで、気がおさまり、がらくたの上に腰をおろして一息ついた。
そうだ。
相手は潤でなくたっていいじゃないか。
壊されたプライドに応急処置を施し、何もなかったことにした。
「せっかく声をかけてやったのに。ハハッ、潤もバカだ」
一博は声高に哄笑した。
その夜から、ゲイやバイの男と積極的に遊ぶようになった。
自覚するまで気づかなかったが、同性を許容できる男は意外に多い。
今までの分を一気に取り戻すように、夜遊びにふけった。
だが、決して、身のうちに男をいざなうことはなかった。
初めて受け入れるのは誰でもいいというわけじゃない。
特別な男でなければ! という思いが、強くなっていった。