☆ ここまでのあらすじ ☆
高校生の一博は、釈光寺組組長である、実父釈光寺琢己の屋敷を訪ね、母房江との過去を知らされる。
琢己に妻がいると知った房江は去り、伊川正雄という平凡な商社マンと結婚し、次男英二をもうけていた。
琢己は、自分を頼って来た一博を受け入れるという。
☆ 本文 ☆
石灯籠の陰から、こちらのやりとりを伺っていたらしい。
「ねえ。パパ。こいつ誰?」
祐樹は、クルクルよく動く大きな瞳で、一博を上から下まで値踏みするように観察した。
房枝似の一博とは全く共通点が無かった。
祐樹は、美丈夫な琢己の血を色濃く引いていて、一博とは全く異なったタイプの美形である。
肩幅が広く骨太でがっしりし、かなり身長差がありそうだった。
「祐樹、オマエの弟の一博だ。これからはここで暮らすから、オマエもそのつもりでな」
琢己の言葉には応えず、祐樹は、
「ふうん。妾の子か。ママが何て言うかな」
敵意に満ちたまなざしで一博を睨むなり、身をひるがえして立ち去っていった。
「こら。祐樹。話はすんでないぞ」
とがめる琢己の声には、我が子への甘さがあった。
強面の極道も、やはり人の親ってか。
先行きに陰りを感じ、かえってファイトがわいてくる。
今はまだ雌伏のときだ。
数年のうちに……。
正妻親子にいびられることは目に見えていたが、そんなことは百も承知である。
幼い頃から一博は、いじめられることに慣れていた。
実の母に虐待されて育ったのだから。
プライドゆえに琢己と別れたものの、房枝は、琢己への思慕の情が消し去れなかった。
その思いがいつしか憎悪へと反転した。
激しく愛したがゆえに憎悪も激しい。
その憎悪は、憎い男の遺伝子を引き継いだ者への憎しみへと転化された。
それは、見合いで伊川正雄と結婚し、英二が生まれたときからより鮮明な形になっていった。
英二は体が弱く、ひどいアレルギーと喘息で何度も入退院を繰り返した。
軽症の患者より重症な患者により大きな愛を注ぐ、看護士魂が裏目に出た。
健康でしごく丈夫な一博はほったらかしにされ、やがてネグレクトへと進んでいった。
房枝は、病院通いのほかにも、民間療法やら自然食品やら、英二の体に良いと思われることに、次々に飛びついては試すことに情熱を注いだ。
その努力たるや鬼気迫るものがあった。
夫の正雄が、『もうほどほどに』などと口出ししようものなら『あなたは、可愛い英二を殺す気なの?』と半狂乱になってののしり、気弱な正雄は、口を閉ざすしかなかった。
英二に対する愛が深まるにつれ、房枝は一博に対してさらにつらくあたるようになり、ネグレクトだけでは済まなくなった。
「英二がこんなに病気で苦しんでいるのに、平気な顔をして。お兄ちゃんなのに、どうして思いやりが無いの」
まだ甘えたいさかりの幼すぎる一博に、房枝は過大な要求をした。
愛されない子供はさらに反抗的になり、さらに愛されない方向へと自らを追いやっていった。
保育所では、黒や灰色といった色の無い世界の絵を描いた。
あるいは、赤い血を流す殺伐とした絵を描いて、保育士さんを戸惑わせた。
菓子パンのカラ袋ばかり散らばる、暗くなった部屋の片隅。
房枝の帰りを待つ一博は暗い子供だった。
「病気と戦っていてもいつもニコニコ笑っている天使みたいな英二とは大違い」
看護士としての仕事と、次男英二の看護と病状の心配。
夫は長期出張続きで不在がち。
疲れ果てた房枝は、一博のつまらない失敗にも容赦なく手をあげ、激しい折檻を繰り返した。
たまに出張から帰ってくる正雄も、止められなかった。
一博は、自分の意に染まない相手はぶちのめしても良いのだと学習し、早速自分より弱い相手に対して実践するようになった。
真っ先に被害に遭ったのは英二である。
房枝の目の届かぬところで、英二はずいぶん泣かされた。
「オマエなんて生まなきゃ良かった」
それが、房枝の口癖だった。
自分の存在を全否定される一博。
虐待されてますます暗く反抗的になる一博。
情けをかけられることを自ら拒否する、まるで可愛くない子供だった。
しつけのつもりで折檻する房枝に、泣いて許しを乞うこともない。
無表情で何を考えているかわからない。
瞳の奥には冷たい光を宿し、人と目を合わすこともない。
報復のつもりか、目の届かないところでたちの悪いイタズラをエスカレートさせ、房枝をさらに激怒させた。
長じるにつれ、さらに反抗が巧妙で暴力的になり、次第に手に負えなくなった。
そんな一博をみて、房枝は『やはり血は争えない。ヤクザの子は……』という思いを大きくしたようだった。
幼いうちから粗暴さの目立った一博は、小学校入学と同時に、精神修養のため無理やり空手教室に通わされた。
最初はイヤだったが、運動神経抜群の一博は、すぐに腕をあげ、自分でも面白くなった。
内に秘めた暴力的衝動を、何の咎めも受けず発散できる場。
相手を手加減なくぶちのめすことが賞賛される場。
一博は、道場をそういうふうに捉えていた。
礼節などの精神面はまるで身につかなかった。
地元の公立中学に入学した頃には、誰にも手がつけられない暴れん坊になっていた。
仲間を集めてリーダーにおさまり、無免許でバイクを乗り回して、やりたい放題。
要領が良かったため『サツにパクられる』失態だけは上手く免れて過ごした。
そのうち家にも寄り付かなくなった。
そんな一博を唯一気にかけてくれた者。
それが、一博に散々いじめられていた英二だった。
ひどいアトピーのうえに喘息もちだった英二も、長じるにつれて健康になり、サッカー好きなスポーツ少年に育ちつつあった。
英二は早くから『将来は看護士か福祉関係の仕事につきたい』と進路を決めていた。
一博は、そんな良い子を絵に描いたような弟が苦手だった。
性格がまっすぐで純粋な英二は、兄を更生させようと必死になった。
不良仲間の溜まり場にやってきては「兄ちゃんが家に帰るまで僕もここに居る」と言い張る。
「うざい! チビは早く帰れ」
殴って追い返したが、懲りずに居場所をつきとめてやって来た。
あるとき一博は、勢いよく殴ったはずみで英二にケガをさせてしまった。
そんなときも英二は「オレのために叱ってくれたんだから、ママには言わないよ。このケガは自分で転んだっていうよ」
痛さに涙を流しながら無理に笑顔を作ってみせた。
あまりの無邪気さ、純粋さ、素直さ。
太陽のように無垢な英二は眩し過ぎた。
相容れることは無い。
憎たらしいやつならいじめてやればいい。
やられたらやり返せばいい。
だが、右の頬を打たれれば左の頬を差し出すような聖人は、手ごわくウザい存在だった。
まがりなりにも私立高校に進学した一博は、入学祝いを持ってきた親戚から、実の父の素性を知らされた。
一博は即座に決心した。
英二のようにマトモに生きることなんてできっこない。
身のうちで渦巻く凶暴の血が欲する方向へ行こう。
一博はもう二度と母の家に帰ることは無かった。