鯉の滝登りダンジョンにおいて、鯉が滝を登ることに挑戦できるのは、一日に三度。午前中に一回、午前の遅い時間か午後の早い時間に一回、夕方に一回。朝昼晩、と言い換えてもいい。
鯉が挑戦を出来るのはその内の一回と定められている。一日三回挑戦すると、絶対にひれを痛めるからで、そこは鯉の神使のお三方が、頑として譲らなかった。朝と晩ならいいんじゃないかと鯉たちは言ったけれど、ダメだった。次の日にしなさい。
「それでは、観覧席にご案内いたします」
観覧席。
そんなものがあるのか、と、思いながら春愁たちは清香の後をついていく。道中清香が説明したことによると、競馬場とか、そういったものを見て準備したのだという。道理で何と言うか、そんな感じだと思った。ただ、詳しくないものが模倣している感じが否めない。
後で聞いた所によると、この神社に勤める宮司まで含めて、誰一人、競馬場にも競輪場にも競艇場にも行ったことはないという。せめて視察に行きなさいよと思ったけれど、近くになければ、それも確かにままならない。
「後まあ、キツネ基準で作ってしまいましたので、浪人の方にははっきり言って不評です」
そう、清香が言うのはどんなところだろう、と、少し春愁たちは顔を見合わせた。見合わせたからってどうなるものでもないのだが。なぜならすぐそこなので。
屋台によく似た形の受付を挟んで、青い鳥居の反対側に、白と赤と黒の、まだらの鳥居がある。鯉の柄だな、と、誰もが思った。
「この鳥居を抜けたところが、観覧席になります」
「おー!」
「いいですね、いいロケーションじゃないですか!」
滝の上を、ぐるりと囲むようにある観覧席。手すりをしっかりとつかんで下を覗き込めば、三つの滝がよく見える。三つの滝は、急流瀑布帯のように、少しずつ滝面がずれていた。観覧席から見ると、まるで池だ。その大きな池の約三分の一が滝になっていて、下に流れ落ちていく。そこからまた少し横に滝面がずれて、下に落ちていく。そして、そこからまた少し、ずれて。
「これ、下から見るとどうなってるんですかね!」
「あ、そうだ。音はすれども滝撮ってないですね!」
あまりの轟音に、滝の映像を取る、というのを忘れていたことに気が付いた春愁と炎陽は顔を見合わせて頷いた。あとで撮らねば。
収録のいいところである。
「ここでは、会話が可能なんですね」
「そういえばそうですね」
「滝の音はしてますけれど、そこそこ遠いところに滝があるくらいの音ですね」
緑色の河童、澄清の言葉に、一行は顔を見合わせた。そのまま、揃って清香を見る。
「はい。神使様方のご厚意で、ここにはちょっとした防音カーテンをかけて貰っています」
「ああ、それはありがたいですね」
観覧席であるならば、それはまあそうだろう。
滝口から滝壺に向かって水は流れ落ちていて、流れ落ちた水が、そこに留まる水にぶつかるからこそあの音がするのであるから、滝口にあるこの観覧席は、多少音が遠いのは分かるが。その滝壺が三つもあるのだから、少々遠い、くらいにしかならないのはおかしい。だって滝が見えないあの池の所では、会話もままならないほどの轟音であるのだからして。
神々は小さな社の小さな神であっても、己の境内であればそれなりの術を使える。神使は神ほどの力は持たないけれど、神様からの許可を得ていれば、この程度の術なら使えるということであろう。ここは、放送しようね。境内で阿呆なことすると怒られるって、いい案内になるからね。
ぐるりと滝口と滝壺を見下ろすように作られた観覧席の一番前には、木製の手すりがある。そこに手をついて、ぐいと上半身を乗り出してみれば、三つ目の、一番下の滝壺までよく見えた。
キツネの春愁と炎陽には、ちょっと怖い、という感想が浮かぶ。
「高いね」
「滝三つ分だもんなあ」
ぐい、と下を覗き込む春愁の映像を撮って、それから炎陽は、手を伸ばしてカメラの画面に滝壺を映しこんだ。綺麗な映像だと思う。カメラを落としたら、って思うと、とても怖いけれど。
「皆さんどう思います」
「綺麗な滝ですね」
「下るには泳ぎやすそうですけれど、登るのはどうかな」
「勢いありますよね」
「朝昼晩で、水温違ったりするのかな」
泳ぐことになることが確定している河童たちは、視点がキツネと違う。水の生き物はそんなことを思うのか、と、キツネたちは相槌を打った。相槌を打つだけである。
「あ、始まりますよ」
特に、フラッグなどは振られない。
準備のできた鯉から順に、滝登りを開始するだけだ。
今朝挑戦する鯉の数は、九。
いつもよりは、多いという。
インタビューを受けてくれた鯉の寒雨は、夕方挑戦するという。好きな時間帯に挑戦が出来る。一日に一度だけだけれど。
「やっぱりカメラ入ってるからですかね、いつもと顔つきが違う」
ふふふ、と、清香が笑う。違うのか、よくここから見えるな。
最初の鯉は、一つ目の滝を登りきれずに流れていった。
次の鯉は、一つ目の滝を登りきり、二つ目の滝も登りきった。一つ目の滝を登りきったところで思わず歓声を上げたし、二つ目の滝を登っている所ではつい声に出して応援してしまった。別に編集するつもりもない。きっと、画面の向こう側の視聴者だって、思わず声が出るだろう。ただ、三つ目の滝は登りきれずに、流されていった。
三尾目の鯉は、一つ目の滝から二つ目の滝へと移動するときのジャンプが大きすぎて、滝へたどり着けずに落ちていった。
四尾目と五尾目は、一つ目の滝を登りきれなかった。
「結構、一つ目の滝で落ちていきますね」
「はい。最初の難関、ですね。そこで心が折れてしまって、再挑戦をしない鯉も多数います」
清香の説明に、河童たちはちょっと顔を見合わせた。そんな滝を、登れと言うのか。しかも鯉たちは無理だと思ったら挑戦をやめることが出来るが、河童たちはやめることが出来ない。クリアするまでやってくれ、と言われているのだ。
もうすでに、心が折れそうである。
いや挑戦してみたら、案外難しくないかもしれないのだが。
六尾目の鯉は二つ目の滝を八割がた登ったところで力尽きて流れていった。
七尾目の鯉は三つ目の滝に取り掛かれたが、半分ほどで流れていった。
八尾目と九尾目は、一つ目の滝を登りきれずに流れていった。
難易度たっか、と、春愁が呟いた。河童も他のキツネも頷く。頷くしかできない。
「これ、河童の皆さんにクリアさせるの難易度高くない?」
「あー……日数切って、練習して貰って、駄目なら駄目でいいや、ってしないと皆さん心折れますよね?」
「すでに折れかけていますね」
「やらないとダメですか」
「やりますから温情下さい」
「そうなりますよね」
春愁はうんうんと頷く。鯉が、鯉のために作ったこのダンジョンで、鯉がああなのだ。さっき挑戦した鯉たちが何回挑戦したのかは知らないが、まだ挑戦していない河童にしてみれば出来るだけやりたくないだろう。
「えーと、とりあえず。お昼休みを挟んで。青い鳥居の側から滝の撮影をして。あと何がありますかね」
「さっきの鯉たちの情報を貰って、それを字幕にした方が良くない?」
「じゃあ鯉たちに、その許可を取って」
春愁と炎陽は収録するべきものについて相談をする。先にしておかなかったのか、と、河童たちはその話を聞きながら思うが。キツネたちにとって、都度都度再確認をして軌道を修正しているだけにすぎない。大枠さえあればいいのだ、あとは現地でどうにかする。
「まあとにかくお昼にしましょう! この辺りの名物って、何があります?」
普段は完全に人間の姿になってしまっている春愁の、いつもは外に出ていない尻尾が楽しげに揺れた。