アーベルはオーケシュトレームと名付けた世界の、さらにそこにあるバックリーンと名付けた大陸に、寄り添うようにある島国――エルヴェスタムに、ダンジョンを作った。これまでは深くともせいぜい三十階層にしていたが、それらはほとんど踏破されていない。
しかし念には念を入れて、五十階層のダンジョンを作った。一番奥深くの五十階に玉座の間を置いた。そのほか、十階ずつそれなりに強い魔物のグループにボスを務めさせた。
六曜は反省していた。
これまでは魔王様のそばにいなかった。別のダンジョンを一人一つ持ち、そこにいた。だから勇者なんかに後れを取ったのだ、と。五つ目のアーベルの配下であるエッベもバルブロも単身でダンジョンを任せてしまったがために死んでしまった。もしもすぐに駆け付けられる距離にいたのであれば、助けることが出来ただろうに。
けれどありがたいことに今自分たちはこうして生きている。ならば今回は同じ轍を踏むまい。踏まなければいいのだ。
しかし何事にも、例外というものは存在する。
アーベルは、狙いすました場所にダンジョンの口を開けた。数日はダンジョンの入り口が出来たことに気が付かれていないのか、誰も、何も入っては来なかった。虫くらいは入ってきたけれど、それらは深くまで潜ってくることはなかった。さらに数日が立ち、ようやっと数人が入ってくる気配があった。
『こっちだ』
先導をするのは、
この、異界からの侵略者が作ったと目されているダンジョンは、床も壁も青い。木なのか岩なのか大理石なのか、それとも金属の類なのか。よくわからない材質で出来ていた。
知恵を司る、一行の中で一番の博識である
物語でよくあるように、壁や床、天井自体が発光する、ということはなかった。すなわちたいまつやランタンなどを持ち込む必要が出るわけだが、あんなかさばる割に明かりが灯る時間が短いものを持ち込む必要などない。
懐中電灯もピンキリではある。手元しか明るくならない程度の光度で一時間しか持たないものから、数十メートル先まで照らすもの、何なら夜の山道で使用が出来るものもあったりする。そんなかなり強い光度で数日持つものもあるという。
彼らは、少名毘古那神の乗る
点灯時は天乃羅摩船に乗せておくが、持ち運びは誰かのポケットに入れておけばいいのでそれほど苦にはならない。ちなみにチョイスはキツネが行った。そういうことは大体、キツネに任せておけばいいのだ。キツネは母数が多いので、誰かしら詳しいやつがいる。
ところで少名毘古那神以外の、
動きやすさを重視しただけのシャツとスラックス。髪も、昔のようにみずらを結ってはいない。最近の流行であろう短く整えてある。参拝者がそうなのだから、そうなのだろう。
服の色だって宮司たちは白を好むが、汚れが目立たないと勧められた黒で統一してある。
その一方で
三柱とも、神社の境内にいたキツネたちとも、近所の浪人たちと見比べても遜色なく、ちゃんと、溶け込んでいるようだった。格好だけの話をすれば。
ダンジョンに入ってきた彼らはほとんど戦わず、いや戦いはするのだけれど、ダンジョンのすべての部屋を暴くようなことはせず、ただ真っすぐに階段を目指し、真っすぐに階段を降り、夜が更けても帰ることはなく、ただ真っすぐに最下層を目指していた。
明るい懐中電灯を持ち込んでいるから、モンスターどもからもよく見えるのだろう、と一行は結論付けていた。実際の所は異なるのだけれど、そんなことを知る由もない。
近寄ってきたモンスターは、確かによく分からない生き物が多かった。あえて似ているものを探すのであれば、花弁のようなものとか、壺の上半分だけとか、それもあくまで見た目の話であって、実際はよく分からない。
素戔嗚尊も武御雷も、手にした
なぜレプリカかというと、現物はどちらも神社に奉納され、ご神体となっているからである。それを持ち出すのはいささか手間がかかるから、どうせ顕現した体に慣れなければいけないし、と、彼等は八岐大蛇のダンジョンを攻略したのである。八岐大蛇と言えば、大樽を運んでもらって大喜びで、剣を二振り作り出した。
ダンジョンに出るモンスターは、素戔嗚尊と武御雷の一撃で霧散する。闇がゆっくりとほどける、ということはない。すぐに闇に溶けて消える。
もしかしたら休憩もほとんど取っていないのではないか、と感じられるほどのスピードで、神々は階段を駆け下りていく。
実際のところ、疲れていないから休憩を挟んでいなかっただけである。
ボスとして配置していたモンスターたちは、都合四体。それぞれがそれぞれに数多の眷属を率いて迎え撃ったのだが。あっさりと霧散した。アーベルが助けに行くまでもなく。そんな余裕すら与えず、与えられず。
当然、と言えば当然である。
素戔嗚尊も武御雷も、日本が誇る戦神である。彼らの数多ある神社で信心を集める際、巧みにキツネたちはそれを喧伝した。
結果。
彼らはダンジョンの入口が日本に出来たことにより、事ここにおいてはほぼ最強を誇るのである。なぜほぼとつくのかと言えば、どちらの方が強いかの雌雄を決していないからである。決する必要もない事であるし。
決してみたい気持ちがないか、と問われるとつつましく顔を逸らすしか二柱とも出来ないのであるが、今はその時ではない、と振り払うことは当然できる。うっかりやらかしてあっちからもこっちからもお叱りを受けるのはご免こうむりたいので。
このダンジョンのモンスターは、魔王たちのいた世界、アールクヴィストでも類を見ない強力なものがほとんどだ。翼がないのに空を飛ぶもの、大地の中に潜伏したまま攻撃してくるもの、霧の形状と水の形状を持ち合わせるもの、それからとても硬く、通常の武器では傷をつけることすら敵わないものを関門として設置したのであるが。
九つのフロアを攻略すると、ボスの座する部屋となる。猿田彦と少名毘古那神と櫛名田比売はドアを入ってすぐのところで待機だ。足手まといというわけではないが、いやあの二柱と比べると、誰もが足手まといになってしまう。
この部屋の主である翼がないのに空を飛ぶものは、すでに三十メートルはあろうかという天井すれすれのところで待機していた。そこから部屋にやってきた者どもに衝撃波を放って遠隔で倒すために。しかし素戔嗚尊と武御雷の二柱は難なく翼がないのに空を飛ぶものがいるところまでジャンプして届いた。また手にした剣は振れば斬撃が遠くまで届き、主君を失って右往左往する眷属を的確に落としていった。
翼がないのに飛ぶことに対して、大概の者は驚き初動が遅れる。しかし素戔嗚尊たちはただ空にいるな、と、それだけを見て飛びあがったのだ。死体も残らないから、翼がない事に気が付くのは、戦闘をのんびりと見守っていたもの達と、それからすべてを倒し終わってからだ。
『風船の亜種じゃないか?』
『命持つ風船か。好きな奴は好きそうだな』
間近で見たといえば見たが、その命のあり方までを観察はしていないから、その程度の会話になってしまう。
大地の中に潜伏したものは、大地ごと叩き割られた。それでもそのまま下の階に落ちることはなかったのは、異界のダンジョンの面目躍如であろうなどと、軽口を叩く余裕さえある。
霧の形状と水の形状を持ち合わせるものは、武御雷が雷で打った。霧になっていようが水になっていようが、武御雷の雷が部屋中に走り、跡形もなく消えた。
それからとても硬く、通常の武器では傷をつけることすら敵わないもの。これは本当に、何と言ったらいいのか。
彼らが手にしている剣は、通常の武器ではない。だから、特に問題もなく、斬り捨てられた。
そんな風にダンジョンは無残にも攻略されていった。相手が悪かった、それ以外の言葉はない。
その間、このダンジョンに足を踏み入れる者はなかった。
その一団だけが、わき目も降らずに、ダンジョンを攻略していた。文字通り、字義通りに。