負けた負けた。魔王が負けた。
負けた負けた。勇者に負けた。
神々の導きにより長らく続いていた、闇に連なる魔の一族と、光に連なるヒトの一族との闘いが、終盤を迎えようとしていた。
日々、魔の一族はヒトの一族へと侵攻を行っていたが、これに対応できるヒトの一族のもの達が増えてきたのだ。ただ、その場しのぎで魔の者達を追い返すままでは、すぐに疲弊すると、誰もが分かっていた。なぜなら何度も繰り返してきたことだから。
何度となく、光の神に連なる一族と闇の神に連なる一族はそれぞれに勇者と魔王を生み出し、ぶつかってきていた。それは、肥沃な大地を得るためであり、安寧たる生活を維持するためである。糧は、自力で得るしかないのだ。
その日、勇者が生まれた。勇者も魔王も産まれては死に、そうしてまた産まれた。勇者は他の魔の一族のものであっても、何なら光の一族のものであっても殺すことが出来たが、魔王を殺すことが出来るのは長い間勇者のみであった。少なくとも、光に連なるヒトの一族はそう思っていた。
勇者アグネスの振りかぶった両手剣が、魔王の体に吸い込まれていくのは果たして何度目だろうか。この攻撃は有効打になっておらず、ただ闇雲に振り回しているだけなのではないか。
そんな疑心暗鬼が、常にずっと、アグネスの頭の片隅にあった。それでも振りかぶって、振り下ろして、突いて、払った。いつかは有効打になって、それが積み重なれば魔王と言えど倒せるはずなのである。
っぐぅ、っがあああぁぁぁぁぁ!!
アグネスは愚直に剣をふるい続けた。
アグネスたち勇者一行は、ここにたどり着くまでに、大陸をめぐり、時間をかけて多くの魔物を屠ってきていた。魔王は別に、それについて思うところはない。自分たちも、似たようなものだからだ。殺した人間の数など数えていないし、屠られたのであればそれはその魔物が弱いからである。
魔王は勇者たちがとどめを刺すために追撃してこないのを横目に見つつ、少しずつ、少しずつ。その身を時空のはざまへと転移させていった。
(おや、魔王様も負けましたか)
(今回の勇者は強いですなぁ)
その時空のはざま、世界の薄皮をぺりっと剥がした先には、六曜と呼ばれる魔王の手下たちが先に揺蕩(たゆた)っていた。勿論ここ、時空のはざまに呼び込んだのは魔王である。彼等もまた勇者に殺される寸前であった。だから腕が欠け、足が欠け、目玉が無く。誰もが満身創痍であり、命があるだけ儲けものであった。
(さて、どうしたものかな)
ゆっくりと、六曜の一人であるカイサがほとんど闇でしかない魔王のそばへと揺蕩ってくる。彼女は六曜の中で唯一回復の術に長けており、この空間で仲間たちを癒していた。
(恐れながら)
(申してみよ)
六曜の一人、五つ目のアーベルが声を上げた。目はまだ二つしか回復していないが。
(ここではないどこかにダンジョンを送り出し、回復に努めるのがよろしいかと)
(ここではないどこかに?)
(そうです。ここアールクヴィストには古来から魔王がいて、勇者がいた。そして神の御意思に沿い競い合ってきた。我々はそれに慣れてしまっています)
(そうだなぁ)
(すなわち民草は戦うことに慣れています。幸いここは時と世界のはざま。探せば、戦いに慣れていない平和な異世界もありましょう)
確かに。
魔王たちには時間がある。
今しばらくここで無意味に揺蕩っているのも悪くはないが、どこか新天地を求めて揺蕩うのも悪くはないだろう。
次は、戦いのない世界だといい。何もそこに、戦乱を巻き起こす必要はないだろう。ただ。ただ。自分と仲間たちがゆっくりとできる程度のダンジョンを作って。ダンジョンの外まで侵略しなければ、放っておいてくれる場所だって、あるかもしれないではないか。
この時、確かに魔王は判断を間違えた。彼らの住まうアールクヴィストにおいては、神々の定めた争いに、諍いに、神は参戦しない。なぜなら、勇者と魔王の戦いは、神が定めたことであるのだから。
けれどまあ、魔王は今しがた勇者に負けたところだったのである。文字通りに満身創痍で、脳みそだってあるようでないようなものだったのだから。
(誰か探せるものはいるか)
(まだ無理です)
(今しばらくお時間を)
魔王によって、勇者との戦闘の際、とどめを刺される前に救出されたため、皆、体のほとんどは闇であった。カイサは体の大部分は戻ってきているように見えるが、内部はまだないだろう。その証拠に、癒しの魔術の出力が高くはない。アーベルも顔は輪郭を取り戻しているが、肩から下はまだ闇の中だ。
(カイサ)
(はい、魔王様)
(まずはシーラとボルイェを治せ。二人には調べ物をしてもらわねばならぬ)
(承知いたしました)
新天地を。
皆で過ごすことのできる、平和な新天地を探して貰わなければならないのだ。
(我はしばし眠る。その方がカイサの負担にもならなかろう。新天地の探査、並びにその後についてはアーベルに任せてもよかろうな?)
(承りました。まずはごゆるり、お休みください)
魔王にすでに目はないが、どのみちここは闇ばかりがあふれる場所である。六曜たちも順に目を閉じた。