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第8話 Der Wunderliche Spielmann -zwei-

 エーミールが九朗の前から消えて少し経った頃、頭上から赤い塊が九朗の前へと降ってきた。よくよく見てみればそれは赤ずきんだった。文字通り飛んできたのであろう。

 赤ずきんは九朗を庇う様に前に仁王立ち、すぐさま拳銃ハンドガンその両手に形成すると、周囲へと向け警戒し始めた。


「わりぃ、遅くなった! 敵は何処だ所有者マスター!」


 辺りに視線を泳がす赤ずきんが無性に可愛く感じた九朗は、その頭にぽんっと手を乗せた。


「ありがとう赤ずきん。だが、もういないよ。親切なひとに助けてもらった」


 ぐりぐりと頭を撫でられたのが鬱陶しかったのか、九朗の手を振りほどき、赤ずきんは九朗の方を向いた。


「けっ。無償タダで人を助けるお人好しなんざ、この世にいるわけ……」


 そう言いかけた赤ずきんは、九朗を見て驚愕の表情を浮かべる。そしてすぐさま手にした拳銃ハンドガンを構える。ひとつは九朗の顔に向けて。ひとつはその手に持つ魔導書グリモワールに向けて。


「てめぇ……一体どういうつもりだ! その魔導書グリモワールはなんだ!」


 鬼の形相とはまさにこの事であろう。普段からツンケンしている赤ずきんではあるが、この時ばかりは憎悪にも似た表情をしていた。


「落ち着け赤ずきん。これはその助けてもらった人から預かったものだ」

「落ち着けるかよ! この浮気者クソヤロウ! なんで助けた側が礼をやんだよ! おかしいだろうが! そいつを寄こせ! 灰にしてやる!」


 息も荒く捲し立てる。その目は少し潤んでおり表情には悲しみが現れていた。裏切られたと思っているのだろう。九朗にもそれは確かに伝わっていた。


「もう一度言う。落ち着け。別にキミを裏切ったわけではない。本当にその人から託されただけなんだ。信じてくれ赤ずきん」


 九朗は赤ずきんの深紅の目をまっすぐに見据えた。嘘は言っていない。そう物語っている真摯な眼差しだった。

 赤ずきんもさすがに信じてやらない事に何か思う所もあったのだろうか、しばらくの沈黙の後に、九朗から視線をずらし、銃をその手からは霧散させた。


「ちっ。信じてやるよ! 愛したおとこの言うことを信じてやれない女もどうかと思うしな。あたしも甘いな……。でも、言っておくが許したわけじゃねぇからな! 浮気ヤリチン野郎!」


 九朗に対して中指を立てる赤ずきんだが、信じてくれたことに安堵したのか九朗は静かに微笑んでいた。


「んで? 一体誰からそんな物騒な魔導書もん貰ったんだよ?」

「確か……ボサボサの黒髪で、茶色の……なんか探偵が着ているみたいなケープのようなものを羽織ってる人だった」

「なんだそりゃ? どっかの英国紳士ヤク中かよ? いくらあたしらが創作物メルヒェンだからって探偵小説ミステリの登場人物は出てこねぇぞ」


 赤ずきんは目が半眼になり、九朗の言ったことの信憑性を明らかに疑いだしている。このままでは先程のやり取りの繰り返しになってしまう。


「待て、名前を教えてくれたんだ。確か……そう、エーミールと名乗ってた」

末弟エーミールだぁ? あの、クソ野郎! この国に来てやがるのか! 何処だ! 何処に居やがる! ぶっ殺してやる!」


 その名前を聞いてから、先程の憎悪の形相がまた戻ってきた。今度は九朗に対してではなく、件のエーミールと呼ばれた人物に対して。


「落ち着け。知り合いなのか?」


 もう今日何度落ち着けと言ったであろうか。


「ちっ。まあ、知らねぇのも無理はねぇ。エーミールって言うのは、ルートヴィッヒ・エーミール・グリム。グリム兄弟クソ親父たちの末弟だ。物語を編纂したのはクソ兄ヤーコプクソ弟ヴィルヘルムだが、その物語に即した挿絵を描いたのがエーミールルートヴィッヒだ。この国じゃ知名度は低いからな、言われてもピンと来ねぇだろうよ。それにしてもあの野郎! あたしの前に出てきたらあのにやけ面どたまに風穴開けてやる!」

「あの人が……。いや、あの人もグリムなのか……。そんなに悪い人には見えなかったが……?」

「けっ。善人か悪人かなんかどうでもいいわ! あの野郎クソがあたしをこんな貧相な身体に描きやがったんだぞ! 何がその作風は純粋で可憐だ! 反吐が出る! ただの小児性愛症者ロリコンだろうが! クソ野郎が!」


 何か怒っている内容が壊滅的におかしいと気付くまでに九朗は数分を有した。怒っている部分はそこなのか?


「お前……それは……。逆恨みって言うんじゃないのか?」


 さすがの九朗もこれには呆れるしかなかった。まさか容姿の恨みとは露知らず。


「うるせぇ! 次出会ったら必ずあたしに知らせろ! 生まれてきたことを後悔させてやる!」



     ◇



 そんなやり取りの後、赤ずきんと二人でとぼとぼと帰路に着いていた。自宅まではもう少し距離がある。


 先程の戦いであちこち傷だらけの九朗は歩くスピードが遅かったが、その歩調に合わせるかのように赤ずきんは九朗の傍に寄り添っていた。

 しかし、まだその怒りは収まっていないのかたまに舌打ちしたり、足元の小石を蹴飛ばしたりと癇癪を起こしていた。


「ああ! イライラする! んで、所有者マスタークソ野郎ルートヴィッヒに助けられたのはいいが、てめぇは誰に襲われたんだよ?」

「ああ、そうだった。見た目は音楽家……というより詩人のような姿をしていて、ヴァイオリンを持っていた。そして、そのヴァイオリンを弾くと、たぶんその音色を聞いた動物が操られるんだと思う。その動物たちをこちらにけしかけてきていた。そういえば、最初にヴァイオリンを弾いた時に僕に言うことを聞けとか言っていたが……。あれは一体何だったんだろうか……」


 九朗の話を聞いて赤ずきんは思い当たる節があるのだろうか、その低い身長から九朗の顔を見上げるように顔を上げた。


「あー、そいつはたぶん第八編の奇妙な音楽家デア・ヴンダーリッヒ・シュピールマンだな。面白くもねぇ本当マジでクソな話だ」

「であ、ぶんだー? なんだって?」

「奇妙な音楽家。デア・ヴンダーリッヒ・シュピールマンだ」


 ドイツ語に詳しくない九朗には割と赤ずきんの言っている事が理解できないことが度々あった。少し勉強しないといけないなと心の中で思っていた。


「聞いたことのない話だな」

「そんなに有名な話じゃねぇよ。無名ドマイナーな話だ。ヴァイオリン片手に音楽家が森の中で人恋しさに音楽弾いてたら、その音色に動物が誘われてくるんだが、人じゃねぇって言うんで動物を罠に嵌めて拘束、放置してまた音楽を奏でての繰り返しだ。んで、やっと人間が来たら、罠に嵌ってた動物が復讐しに来るんだが、最後に誘われた人間が操られたようにその動物どもを追っ払って、はい、お終いめでたし、めでたしだ。何の教訓もありやしねぇ。本当にクソな話だ」


 聞いてる分にはあまり面白そうな話ではなさそうであった。そもそも、赤ずきんの言う通り教訓となるような部分がない。動物を信用するなということであろうか?


「だからその音色で動物を操っていたのか。しかし、最後には人間も操ったのだろう? なら何故僕には効かなかったんだ?」

「そら、お前が狼だからだな。誘われて罠に嵌った動物は、最初が狼、次に狐、最後が兎だからな。こいつらは一度罠に嵌められてるから二度目は効かねぇ。さすがに学習するだろうさ。だからお前には効かなかったんだろうな。お前はある意味あいつの天敵でもあるわけだ。よかったな。相性いいぞ」


 嬉しくない言葉に九朗は顔をしかめるが、どうにも相性のいい戦いをしていたとは思えなった。


「なるほど……。でもどちらかと言うとその音楽家は敵側ヴィランじゃないのか? どうにもいい行いをしているとは言い難いと思うのだが……」

「だが、物語の主人公しゅやくだ。童話メルヒェンなんてもんはそんなもんだ。善とか悪とか、そんな簡単なもんで割り切れる話ばかりなら苦労はしねぇよ。理不尽が大手を振って罷り通るような話ばかりさ。あたしも含めてな」


 いつの間にか話しているうちに自室の扉の前へと到着していた。九朗は鍵を取り出して自分の部屋の扉を開ける。


「それにしても、あたしではなくお前を狙うとはな。大方、操って私への牽制か人質にでも使うつもりだったか……。まあ、いい。次に出会ったらあたしの所有者ものに手を出した事を後悔させてやる……」


 そう言った赤ずきんの表情は悪意に満ちた微笑みを浮かべていた。


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