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第5話 Aschenputtel -fünf-

 突如、突風が巻き起こり、辺りに満盈していた灰を吹き飛ばした。月明りに照らされた闇夜が姿を見せる。が、そこには静寂ではなく獣の雄叫びと王子プリンスの悲痛な叫び声が広がっていた。

 姿を現さざるを得なかったシンデレラがその声の主の方を見る。そこには、片腕を無理やりに引きちぎられたかのように、肩口から白い骨が見えている王子の姿があった。あたり一面血の海と化している。


 そして、それに相対するのは九朗。いや、九朗であるハズのもの。ドス黒いオーラのようなものを纏い、低い唸り声をあげ、背を丸め、目はぎょろりと焦点が合わず、口からは絶え間なく涎を垂れ流しているモノ。身体を覆っている黒いオーラの形はまるで……そう、まるで狼のようであった。


「そんな……! そんな、馬鹿な! ありえない! ありえない!」


 シンデレラは九朗の様子に驚愕を飛び越え我を忘れていた。何故なら有り得ないのだ。有り得るはずがないのだ。何故ならば。


「だってあれは、あれは、英雄ヒーローではないじゃない! 主人公しゅやくを助けるのはいつだって主人公を助ける人物ヒーローでしょう! おかしいでしょう! だって私たちはそういう風に作られているもの! あれは、あれは、ヴィランでしょう! 私たちのヴィランでしょう! 読み手マスター役割ロールには決して選ばれない! 選ばれるはずがないじゃない!」


 半狂乱になっているシンデレラの姿が滑稽だったのか、赤ずきんの笑い声が辺りへと響いた。


あたしら童話にとってヴィランは天敵だよなぁ! 教訓として、外敵として、畏怖の対象として、悪意は描かれるもんなぁ! 子供にお外は危ないですよ気を付けましょうねぇって警告するには敵が必要だもんなぁ! 憎悪と悪意、恐れと恐怖、そのすべてを担うためのヴィランがなぁ!」


 今のシンデレラには目の前にいるこの少女の姿はもはや赤ずきんには見えなかった。赤ずきんが狼と一緒にいる事はあり得ないのだ。この赤ずきんばけものばけものと共存しているのだ。


「あなた……一体誰なの? 本当に赤ずきんロートケップヒェンなの?」


 シンデレラの問いかけに、この世のすべての悪意を集めたかのような邪悪な笑みを赤ずきんは浮かべていた。


「赤ずきんだよ! グリム童話第二六編の赤ずきんロートケップヒェンだよ! ただし、あたし赤ずきんではないかもしれんがなぁ!」

「なにを……一体何を言ってるの?」

灰被りアシェンプテル、お前は第何版だ? 七版以降だよなぁ? 知ってるだろ? グリムは自ら集めた物語どうわの中に自分たちでも手に余るような、残虐性、残酷性、嗜虐性を含んだ物語どうわを内包しやがった。そりゃ当たり前だよなぁ? 元々は各地にバラバラに存在していた民話、教訓話だぜ? 童話じゃないんだ、お行儀いい話ばかりなわけないよなぁ? だからあいつらは改訂かきなおしたんだよ! 自分たちの都合のいいように! 見栄えするように! 子供ガキが安心して読めるように! じゃあ、改訂かきなおされる前の話は一体何処に行ったんだろうなぁ? ああん?」

「まさか……まさかまさかまさか! ……初版原典! 失われたはずの禁断の魔導書ロスト・グリモワール! あああああああああああああああああああああああああああ!」


 声にならない叫び声をあげながらシンデレラは赤ずきんに目もくれず、王子をその懐に抱え込むと森の中へと全速力で走りだした。履いていた黄金の靴が脱げることも気にせずにひたすらに逃げ出していた。


「逃げられると思ってんのか! 馬鹿が!」


 去り行くシンデレラに罵声を浴びせると、赤ずきんは残された低く唸り声をあげている九朗のほうをちらりと見る。


「お預けにするつもりはねぇよ所有者マスター。いいぜ、喰らいな!」


 赤ずきんがそう言うと、黒いオーラに身を包んだ九朗はシンデレラを追うように森の中へと駆け抜けていった。



     ◇



 小一時間程の後、赤ずきんが森へと走り去った九朗に追いつくと、そこは無残で凄惨な殺戮現場だった。辺り一面血飛沫が木々を濡らし、その枝葉から赤黒い雫が零れ落ちていた。


 未だ黒いオーラを纏った九朗はその中で一本の木の下で頭を抱えるようにうずくまっていた。その両手には大量の血液が付着していた。


 赤ずきんが辺りを見渡すと、元々は王子だったモノを発見することができた。その四肢は強引に引き千切られ乱雑に捨てられていた。腹は食い破られ内臓がはみ出している。どれだけ泣き叫んだのであろうか、王子の顔は恐怖と絶望に塗れ、血と涙で溢れていた。その頭部も半分は潰れ、脳と脳漿があたりにぶちまけられていた。


「派手にやらかしたもんだな。もっと楽に殺してやれないもんかねぇ」


 王子から少し離れたところにシンデレラが横たわっていた。幸いと言うべきなのか、シンデレラは五体満足の姿を保ってはいたが、その白く細い両腕はあらぬ方向へと折れ曲がり機能を果たしてはいなかった。着ていた美しい黄金のドレスも引き千切られ、その下に隠されていた裸体を晒している。その身体には大小様々な爪痕や牙跡が無数につけられており、鮮血の赤い液体と欲望の後の白い液体で汚されていた。顔は美しいまま残っているが、目は片方が繰りぬかれ、もう片方はもはや焦点があっていない。まだ息があるのだろうが、喉笛を掻き切られているのかびゅーびゅーと荒い息遣いが聞こえてくる。


 そんなシンデレラに赤ずきんはそっと近づき、拳銃ハンドガンの銃口をその頭部へと当てた。


「よう、灰被りアシェンプテル。いいザマだな? 最期に何か言い残すことはあるか?」


 シンデレラの虚ろな目が赤ずきんの姿を捉える。口から大量の血を吐き出しながら、か細い声で言葉を紡ぐ。


「…びゅぅ…死ね…クソビッチが……」


 静寂を破るように乾いた音がひとつ、拳銃ハンドガンから聞こえる。

 シンデレラの身体は光に包まれ霧散し、やがてその形を変える。そこに残ったのは一冊の本。灰被りアシェンプテル魔導書グリモワールだけが残された。

 赤ずきんはその魔導書グリモワールを拾い上げると、本は光り輝きその姿を消した。


「さて、厄介事は片付いたか。まったく、骨が折れるぜ。所有者マスターさっさと帰ろうぜ」


 赤ずきんはうずくまっている九朗の方を向き声を掛けるが、返ってくるのは低いうめき声のみ。ドス黒いオーラに未だ正気を失っているように見えた。

 それを見た赤ずきんは何かを諦めたかのように呟いた。


「ま、しょうがねぇよな……。来なよ所有者マスター


 その一言に、九朗は素早く反応し、赤ずきんの両肩を掴んでは馬乗りになって押し倒す。あまりの力強さに掴まれた肩口からは血が滲み始めていた。

 それでも九朗の目は血走り焦点は合わず、赤ずきんを見ているのか見ていないのか。息も荒く口からは涎が絶えず溢れ、赤ずきんの顔にも落ちている始末だった。


「いってぇなぁ! 女を押し倒すときはもうちょっと優しくしろや! って言っても聞こえてやしないか? ったく、灰被りアシェンプテルを嬲って満足しなかったのかよ。どんだけ絶倫ごうよくなんだよお前は……。しかたねぇな。……いいぜ所有者マスター犯しやりなよ。もう我慢できねぇだろ? 狂っちまいそうだろ? 欲望を吐き出したくてしかたねぇだろ? あたしの事は気にすんな。そう簡単には壊れねぇよ」


 九朗の耳には聞こえていないのかもしれない。低く唸り声をあげるだけで一向に動こうとはしなかった。


 そんな九朗を見て、赤ずきんは両手を九朗の頭へと回すとその頭部を自分の胸へと抱いた。


「こんなにしちまって……本当に悪いと思ってるよ。つらいだろ。苦しいだろ。我慢すんなって。好きにあたしを犯せやれよ。こんな貧相な身体でも一応は女なんだぜ。あたしが全部受け止めてやるからさ……。お前は狼なんだ。赤ずきんを喰らうのは当然のことだろ? お前はあたしの読み手マスターじゃない。所有者マスターなんだから好きに使えって……」


 赤ずきんに抱かれた九朗の身体が白い光に包まれる。段々と黒いオーラが消え去り、先程までの唸り声も止み、表情にも穏やかさが戻ってきており、その瞼が静かに閉じられていった。どうやら気を失った様子であった。


「ったく、我慢する必要なんてねぇのに強情なやつだな。好きにしろって言うのに。……負担掛けちまったな……わりい」


 穏やかな表情の九朗の頬を撫でながら、その頭を強く抱きしめると赤ずきんはこれまでになく優しく愛おしそうに呟いた。


「愛してるぜ、私の愛した狼さんマイ・マスター……」


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