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番外編⑨ 白崎先生、推しと対面する

これは体育祭の少し前のお話―

白崎先生は、かつてないほどの緊張を覚えていた。

生徒たちの前で話すことも、校長に意見を述べることも、問題児を指導することも、すべて冷静にこなしてきた。しかし、今日だけは違う。

「……ふぅ……落ち着け、俺……」

彼は、手に汗を握りながら列に並んでいた。そう、今日は天王寺リナの握手会。

ライブビューイングでの興奮冷めやらぬまま、衝動的にチケットを申し込んだのがすべての始まりだった。そして今、整理番号順に列が進み、推しとの距離が縮まっていく。

——しかし。

(……列、短くないか?)

周囲を見渡すと、他のメンバーのレーンは長蛇の列ができているのに対し、リナのレーンだけは明らかに人が少なかった。

(ま、まだ彼女は若いし、これから人気が出る……はずだ……)

自分に言い聞かせるようにして、ついに白崎先生の番がやってきた。

「はい、どうぞー!」

心臓がバクバクと高鳴る中、視線の先にいたのは——

「こんにちはー! 来てくれてありがとう!」

天使だった。

いや、天使などという言葉では足りない。目の前の天王寺リナは、輝くような笑顔を浮かべて、キラキラとこちらを見つめている。

(うっ……やばい……直視できない……)

顔を赤らめながらも、白崎先生は震える声で言葉を絞り出した。

「き、君のパフォーマンスは本当に素晴らしい……! いつも全力で輝いていて、見ているだけで力をもらえる。今日も最高だった……!」

「ええっ、本当ですか!? すごく嬉しいです!」

ぱっと花が咲いたような笑顔。

(俺は……俺は今、推しに感謝の気持ちを伝えたんだな……)

白崎先生は、感動で涙が出そうになった。

「これからも応援……している……!」

「ありがとうございますっ! えっと、お名前は——」

リナが聞きかけたその瞬間。

彼女の目が、ピタリと止まった。

「……」

「……?」

一瞬、沈黙が生まれる。

リナは、白崎先生の顔をじっと見つめ、何かを考えるような表情を浮かべた。そして、次の瞬間——

「……えっ、先生!?!?」

白崎先生「!?」

リナは明らかに動揺し、一歩引いた。

「ちょ、ちょっと待ってください、先生って、あの佐倉迅の担任の!?」

「えっ、あ、いや……」

「えええええ!?!?!? いやいやいや、ちょっと待ってください、うそでしょ!? うちの兄貴の担任が……推し……!? えっ、えっ、えぇ……(絶望)」

リナは白崎先生を見る目が、完全に「見てはいけないものを見てしまった」という表情になっていた。

(ま、まずい……これは、非常にまずい……!!)

白崎先生は必死に弁解しようとしたが、リナの動揺は収まらない。

「え、ちょ、待って、あの兄貴が通ってる学校の先生が、なんでここにいるんですか!? しかもなんで私のレーンに並んでるんですか!? えっ!??」

「い、いや、これはだな……」

「しかも、ライブの時めっちゃ叫んでませんでした!?『リナーーーッ!!今日も最高にかわいいぞーーー!!!』とか!!!」

「」

完全に詰んだ。

リナは、先生の手を握ったまま、絶望に満ちた顔で固まっている。

そして、その表情のまま、絞り出すように言った。

「……兄貴に言いますからね。」

「やめろおおおおおおお!!!!!」

「お時間でーす!」

スタッフの声が響いたが、白崎先生はそれどころではなかった。

(迅に知られたら……俺はもう教師としての威厳を失う……!!)

パニックになりながら、先生は震える足で握手会ブースを後にした。

——その直後。

「……先生?」

「!!?」

聞き慣れた声に、白崎先生の体が固まる。ゆっくりと振り向くと、そこには佐倉迅が立っていた。

「……お前、また見たのか?」

「いや、見たくなくても目の前で先生が推しに浄化されるの、めちゃくちゃ目立ってましたよ。」

「……」

「てか、先生、うちの妹にめっちゃ引かれてましたけど、大丈夫です?」

「……」

「で、どういうことですか? 俺の妹のオタクって。」

迅の目は、明らかに軽蔑の色を帯びていた。

「……あの、その……」

「まさかとは思ってましたけど……先生ってガチのオタクだったんですね。」

「……いや、これはだな、推し活の一環というか……」

「教師の威厳とは?」

「」

「しかも、俺の妹を推してるとか……無理っすわ……」

迅は、心底ドン引きした顔で先生を見下ろし、ため息をついた。

「ちょっと距離置いていいですか。」

「待て! 迅! 誤解だ!!」

「どこが?」

「俺は、俺はただ純粋に応援してるだけで——」

「リナーーーッ!!!今日も最高にかわいいぞーーー!!!(回想)」

「……」

「……」

「……無理っすわ。」

こうして、白崎先生の"秘密の休日"は、推し本人によって暴かれた挙句、迅にドン引きされるという最悪の結末を迎えたのだった。


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