放課後。
静かな教室で、俺は腕を組んで考え込んでいた。
(……どうするべきなんだ……)
能力の進化。
俺は、少しずつ自分の力をコントロールできるようになってきた。
以前はただ無差別に心が流れ込んでくるだけだったけど、今はある程度"選んで"読むことができるようになった。
なら——
(もっと深く、狙って読めるようになれば……)
進化が止まらないなら、せめて使いこなすしかない。
そう思って、今日の授業中、俺は実験を試みることにした。
その日は、いつもと変わらない授業のはずだった。
「えー、それじゃあ、この問題を——佐倉、解いてみろ」
白崎先生が、俺の名前を呼ぶ。
黒板に書かれたのは、古文の文法問題だった。俺は一応ノートを見返しながら立ち上がったが、それどころじゃなかった。
(……試してみるか)
最近、俺の"チョイ能力"が進化している兆しがある。
今までは、目が合った相手の"その瞬間の思考"しか読めなかった。だけど最近は、もっと深く、人が無意識に隠そうとしている感情まで見えることが増えている。
試しに、白崎先生の心を読んでみたら、何か分かるかもしれない。
「……佐倉?」
「あ、はい」
適当に相槌を打ちつつ、俺は白崎先生の目を見た。
(——先生の心を、読む)
視界の端が揺れるような感覚があった。
次の瞬間——白崎先生の心の声が流れ込んできた。
(……今夜のリナちゃんの配信、楽しみだな……)
……え?
(昨日の動画の感想を、コメントに書こうか……いや、でも目立ちすぎるのもよくない……でも、この気持ちを伝えないと……)
俺は絶句した。
ついでに、手が震えた。
(マジかよ……)
思わず目をそらしてしまい、心の声が途切れる。
「佐倉?」
「あ、えっと……助詞の使い方が……あの……」
動揺しすぎて、何を言ってるのか自分でも分からなかった。
(いやいやいや、そんなはずない。きっと聞き間違いだ。先生がそんなわけ……)
もう一度、意を決して先生の目を見た。
(リナちゃんの笑顔は尊い……)
……ダメだ、やっぱり聞き間違いじゃない。
(こいつ、マジか……)
俺は白崎先生を凝視した。
先生は怪訝そうに首をかしげている。
「佐倉、どうした? 具合でも悪いのか?」
「いえ……ちょっと、衝撃を受けまして……」
「問題が難しすぎたか?」
「そういう問題じゃなくて……」
俺は心の中で頭を抱えた。
そうだ、思い出せ。
白崎先生は、クラスではいつも落ち着いた古文教師。
だけど、俺の妹——天王寺リナ(本名・佐倉楓)の大ファンという、危険な一面を持っている。
(……くそっ、なんでよりによって、こんな時に先生の心を読もうなんて思ったんだ……!)
心の動揺が顔に出ていたのか、ひかりがこっちを心配そうに見ていた。
俺はなんとか平静を装い、黒板を指差した。
「えーと、この助詞は……あ、いや、やっぱり……」
(ダメだ、もう思考がまとまらない)
「……佐倉、なんか様子がおかしいな。保健室行くか?」
「……すみません、少し頭が痛くて……」
もう限界だった。
先生にこれ以上話しかけられたら、また"心の声"を聞いてしまう。
俺は適当にごまかして、席に座った。
「……なんか、佐倉くん、すごい顔してるけど、大丈夫?」
ひかりが小声で聞いてくる。
「……ひかり。俺、能力を使ってはいけない相手に使ってしまったかもしれない……」
「え?」
「……知りたくないことを、知ってしまった……」
俺は天を仰いだ。
(これから、先生の顔を見るたびに、あの"心の声"を思い出すのか……?)
進化する能力。
だが、それが幸せな未来をもたらすとは、限らない——。
俺は、この時、心からそう思った。