電車に揺られること約二十分。近いような遠いような、微妙な距離の場所に行きつけのパン屋がある。
そのパン屋は、駅を出ればすぐそこにある店だ。でも、客が入っているのはあまり見たことが無い。年季が入っている店だから、客は入っているのだろうけど。
休日の昼間に漂うパンの焼ける香りが、向かう足を速める。
毎週、昼食はここのパンを食べると決めているのだ。腹の虫が早く食べさせろと暴れ出す。いつもは忌まわしいこの腹の虫も、この時だけは同士だ。
焦げ茶色の外装に、大きな窓からこじんまりとした店内が窺える。
そこから見える景色に早く飛び込みたい。焦るように片開のドアを引いて、身体を滑りこませる。
いらっしゃいませと、すっかり顔馴染みになった店主に会釈を返して、トレーとトングを取る。
空腹のせいで、売っているパンを全て食べてしまいたい衝動に駆られるけど、いつもそれをしてその日のうちに食べ切れなくなってしまうのだ。
その日買ったパンは、せめてその日のうちに食べてしまいたい。
今日はどれを食べようかと、上目遣いで見てくるパンを吟味する。
人が多ければ流れに任せて適当に買うしかできないけど、人が少なく落ち着いた時なら、こうして三十分は悩むことができる。
一度考えすぎて、焼きたてを取ったはずなのに、食べる頃にはすっかり冷めていたことがあった。
基本のメロンパンにアンパン、クリームパンにクロワッサン。それ以外にもカレーパンやピザパンやウインナーパン、照り焼きチキンサンドなどの総菜系もある。
甘いパンとしょっぱいパン。交互に食べたいからいつも買うのは四つ……って決めてるけど五個六個と買ってしまう。
今日は四つだと心に決めて、気になったパンから取ろうとする手をなんとか抑えて、一通りなにがあるのかを確認する。
ロの字に移動できる店内を何周もしながら、首が痛くなるぐらい悩む。
自分の後から入ってきた客が先に出た頃、ようやくなにを買うのかを決めて、トレーに取る。
後ろ髪引かれる思いでレジに向かい、なんとかパンを買うことができた。
いつもありがとうございます、と微笑んでくれる店主に礼を言って店を出る。
丁度帰りの電車が発車したところで、駅で次の電車を待つのなら、どこか近くの公園にも行ってパンを食べようか。
我慢できないし、ほんのりと温かいパンが冷める前に食べてしまいたい。
心地良い風を浴びて、車がまばらに通る道を歩く。
落ち着いた時間の中、辿り着いた公園には誰もいない。
それを少し寂しく思いながら、ベンチに腰掛ける。
跳ねて歩く可愛らしいスズメに目を細めて、早速膝の上に置いた袋からパンを取り出す。
結局パンを五個も買ってしまった。
今のお腹の状況だったら食べ切れる自信があるけど、いつも五個目は食べられるか食べられないか微妙なラインなのだ。
無理なら学習するけど、ギリギリ食べられるのだから買ってしまう。辛いからやめたいんだけどやめられない。
最初にお腹に入れるのは、あらびきウインナーの挟まれたウインナーパンだ。
パリッと弾けて中から肉汁が溢れ出す。それをツンとしたマスタードが引き締めてくれて、刺激された舌を甘めのパンが優しく包んでくれる。
美味しい。それ以外に感想なんて出てこない。
瞬く間に食べ終え、その勢いで二つ目のパンを取り出す。
次は甘いパンをと、袋から出したのはチョコデニッシュだ。
サクッとしたデニッシュ生地からじゅわっとしみ出るチョコレートが、口の中を甘く変えてくれる。
生地がぽろぽろ落ちないよう袋で受け止めながら食べ終え、甘くなった口は再びしょっぱい物を求める。
次に取り出したカレーパンはまだ温かく、生地もしっかりしている。
ウインナーパンの前にこれを食べるべきだったと、少し後悔しながら、でもまだサクッとしてそうだしまあいいやとかぶりつく。
カラッと揚げられたカレーパンがサクッと音を立て、中からスパイシーなビーフカレーが現れる。立ち昇る湯気が食欲を刺激する。もう二個食べたというのに、まだ満足していないのかと、自分のお腹に呆れながらも食べ進める。
噛めば噛む程味が出る牛肉に、下で押しつぶせる人参にジャガイモ、そして甘味が溢れる玉葱。一個だけでも満足できるボリュームのカレーパン、ぺろりと平らげることはできずに、ゆっくりと味わいながら食べる。
カレーパンを食べ終える頃には、お腹も結構膨れてきた。残り二つ、メロンパンとベーコンチーズパンも食べてしまおうかと悩む。
そうして悩んだ結果、残りは家に帰った後食べようと決める。少し歩けばお腹も空くと思って。
立ち上がってズボンを払い、静かな公園を後にする。
お腹が膨れたから、パン屋の前を通っても腹の虫は騒がない。
ただ前を通る時、ごちそうさまでした、美味しかったですと心で言いながら通り過ぎる。
少しすれば到着する電車を待ちながら、提げた袋に入っているパンを見る。
残り二つ、お腹は膨れているはずなのに、パンの味を想像すると涎が溢れてくる。
限界まで食べて、考える隙を無くした方がよかったかと思った。
今ここで食べてしまおうか? いやでももう電車が来てしまう。家に帰ってからの楽しみにしよう。
やって来た電車に乗り込み、再び約二十分揺られる。
早く帰って食べたい。行きも帰りも、近いような遠いようなこの距離。こんな距離だからこそ、こんなにも楽しみなのかもしれない。