頭が重い。手足が思うように動かない。体が痛い。
目を開けると、冷たい岩肌の床が視界に入り、その先に、赤々と燃える焚き火が見えた。
「おはよう、怖いお兄さん」
楽しげな声が降ってくる。 顔を動かして声のした方を見ると、ラシュトが焚き火のそばに座り、金属製のナイフを弄んでいた。彼は木製のナイフしか持っていなかったはずなので、それは恐らくエルドリスの持ち物だろう。その唇の端は愉快そうに吊り上がっている。
「あなたたちさ、昨夜食べたセフィアベリーと今朝食べたヴェルド、食べ合わせって考えたことある?」
唐突な問いかけを聞きながら、頭の中で警鐘が鳴り続けている。手足が動かないのは縛られているせいだ。しかも手は背中側で括られているため、身を起こす支えにもできない。
エルドリスとネイヴァンも目を覚ましていたようで、すぐそばで動く気配がする。
「セフィアベリーはね、胃でなかなか消化されないんだ。だからひと晩経ったくらいじゃまだ、胃の中に残ってる。それで、ヴェルドと混ざると……さ、あっという間に有害成分に変わる。そうなると、人間は――」
ラシュトはそこで言葉を止め、ゆっくりと笑みを深めた。
「――昏倒してぐっすり眠っちゃうんだよ」
ネイヴァンが舌打ちする。本当は悪態のひとつも吐きたいところだろうが、彼とて今、この不利な状況で少年を煽るリスクを考えないわけがない。
エルドリスも同様だった。いつもネイヴァン相手に流暢に飛び出す嫌味が今は鳴りを潜めている。だが、彼女の無念は僕ら以上だろう。調理人である彼女にとって、毒の生成に食べ合わせを使われること、そしてそれにまんまと引っかかってしまったことは、屈辱にも近いはず。
「君たちは運が悪かった。でも逆に僕はものすごく幸運だ。いっぺんに三人も手に入れられたんだから」
「ふざけるな」
エルドリスが冷静に言い返す。
「子どものお遊びにしては笑えない冗談だぞ」
「お遊びじゃない。これは僕のライフワークなの」
ネイヴァンがまた舌打ちをする。
「ライフワークだと? 大人を三人縛って床に転がすことがか?」
「違うよ。人の命を奪うことが、さ」
笑顔で言ってのける少年の姿に、僕は人ならざる邪悪さを感じて身震いした。エルドリスもネイヴァンも、少年の異常さに度肝を抜かれたのか、数秒の沈黙が流れる。
その無音を破ったのは少年だ。彼はナイフを撫で、恍惚とした表情で、役者が舞台上でひとりスポットライトを浴びて語るモノローグのように言う。
「僕の罪状は連続無差別殺人。ね、無差別か強盗かの違いってだけであなたたちと似てるでしょ。でもね、この島に来てからはずっと、魔物ばかりで退屈だったんだ。魔物を殺しても、つまらないんだよ。あいつら言葉を理解しないし、人間ほど苦しむ顔を見せてくれない。絶望する顔も。命乞いだってしない」
僕は焚き火の炎にゆらゆら照らされるラシュトの横顔を見ていた。目をぎらつかせ、頬を紅潮させて、夢を語るように殺人への興奮と陶酔を語る。
この少年は狂っている。きっと神が作り損ねた不良品だ。
僕と同じで。
「ねえ、どんな風に殺されたい? 教えてくれたら、そうしてあげてもいいよ」
もはや飢えた獣にも見える嗜虐的な笑み。 それを冷えた心で受け止めながら、僕は目を伏せた。 今、この状況を覆せる手はあるか。
――ある。
監獄監督官は、対囚人戦でのみ最強の効力を発揮する魔法を持つ。その魔法は、何があっても囚人を逃がしてはならない監督官に、その使命と共に与えられた絶対の力。
「
僕は静かに呪文を唱えた。
瞬間、空間が揺らぐ。囚人にのみ反応する拘束魔法が発動し、ラシュトの足元から無数の蛇が這い上がり、巻きついていく。
ラシュトの顔から笑みが消え、代わりに驚愕が浮かぶ。しかし――
次の瞬間、その蛇たちが霧散した。
「え?」
口から情けない声が漏れる。ラシュトはすぐに余裕を取り戻し、ケラケラと笑い出した。
「なにそれ、何の魔法? 効いてないみたいだけど」
おかしい。こんなはずはない。
焦りと困惑に襲われた、その時、部屋の奥の壁面を構成する岩々の隙間から、強烈な光が溢れ出した。
「……っ!」
ラシュトがナイフを取り落とし、眩しさのあまり腕で顔を覆う。その一瞬、
「うおおおおお!」
ネイヴァンが伸び上がり、体当たりするような格好で、後ろ手に縛られた手でラシュトの腕を掴んだ。
「
次の瞬間、ラシュトの姿が消える。
「ネイヴァン・ルーガス、どこへ飛ばした?」
「砂浜だ。ここまで戻るのに数時間は掛かる」
「お前……今までで一番いい仕事をしたな」
「ハッ、どうせなら脚本と演出の腕を褒めてほしいもんだが」
僕たちは少年が落としたナイフで互いの縄を切り、自由を取り戻した。
だが、三人の胸中には一つの疑問が残る。
「部屋の奥の、あの光は何だったんでしょう」
僕は岩壁へと目を向けた。エルドリスとネイヴァンも、同様に壁を見つめる。
「ネイヴァンさん、
「まあ、試すのはいいが、壊せる保証はないぜ」
「ネイヴァン・ルーガス、お前ならできる。死ぬ気で殴れ」
「へいへい、わかりましたよ、ドS女王様」
彼は拳を握りしめ、魔力を纏わせる。
「いくぜッ……
赤い光を纏った拳が壁に打ち当たり、すさまじい破壊音を立てる。
岩壁が砕け、その向こうに狭い通路が現れた。
やはり、この部屋の奥にはまだ何かがあった。
僕たちは互いに顔を見合わせ、通路に足を踏み入れた。
ほどなくして、小さな空間にたどり着く。
そこは天井が開いていて、外の光が降り注ぐ場所だった。
陽だまりの中心。 そこに、目につく白骨。
「……これは」
子どもと大人の中間くらいの白骨に、先ほど僕が放った
「どういうことだ? この蛇は助手君の……」
エルドリスが言いかけて黙った。きっと何かに思い至ったのだ。
僕の脳裏にも、嫌な予感が浮かんでいた。そして、そういった予感は大体的中するということを、僕は遺伝子レベルで自覚していた。