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4品目:カサリス・ビートル茶

「私の房だ」


 短く告げると、エルドリスは鉄扉を押し開け、自分の独房へと足を踏み入れた。僕は少し躊躇ったが、彼女が振り向きもせず奥へと進むのを見て、後に続く。


 囚人の独房のはずなのに、そこは静かな宿泊所のようだった。壁は無機質な石造りだが、ところどころに淡い色の布が掛けられ、冷たい印象を和らげている。部屋の隅には簡素ながらも重厚感のある木製のベッド。壁際には本棚とキャビネット。造り付けの吊戸棚や、その下には小型の魔導炉まである。


 特に目を引いたのは、鉄格子付きの窓だ。

 ここ第七監獄グラットリエは、囚人の脱獄を防ぐため、ヴェルミリオン帝国の本土から離れた孤島の上に建てられている。この独房は、第七監獄グラットリエに数百ある房の中でも比較的環境の良い位置にあった。


 窓からは午後の日差しが房内に降り注ぎ、鉄格子越しには、陽光を浴びてきらめく青い海と、船ひとつない水平線が見える。その上を海鳥たちが旋回し、時折遠くで鳴き声を上げる。美しさと孤独さを同時に感じるような風景。


 その窓の手前に、木製のテーブルと、椅子が二脚あった。一脚でなく二脚なのは、今回のような来客を想定してのことだろうか。

 それもまた、彼女への"特別待遇"のひとつなのだろう。


「座れ」


 促されるまま、窓際のテーブルに腰を下ろす。エルドリスは戸棚を開け、ティーセットと小箱を取り出した。


「茶を淹れよう」


 彼女が小箱を開けると、出てきたのは茶葉……ではなく、小さな魔物だった。黒い甲殻に覆われたそれは昆虫の一種だろうか。六本の脚を持ち、頭部には短い触角がついている。


「これは?」

「カサリス・ビートル。D級魔物。体内の分泌液が湯に溶けることで、上質な紅茶のような香りを生む」


 エルドリスはそう言うと、うごめく虫を片手で掴み、ナイフで腹を縦半分に割った。切り開かれた体内から、透き通った琥珀色の液体が滲み出る。


「こうすることで、内臓がよく染み出す」


 彼女は割ったカサリス・ビートルをそのままティーカップに入れ、魔導炉で沸かした湯を注いだ。


 瞬間、部屋の中に、異国の夢を閉じ込めたような甘く妖艶な香りが漂う。どこか遥か昔の記憶を呼び起こす、魅惑的な気配だ。


「お茶、なんですよね?」

「飲めばわかる」


 恐る恐るカップを手に取り、口をつける。

 驚いた。ひと口含んだ瞬間、舌の上に広がるのは、静寂と狂気が溶け合ったような不思議な味わい。ほのかな苦味が奥深く漂い、妖しい甘みが追いかける。その後に微かに感じるスパイス的な刺激は、心をくすぐる幻惑の残響のようだった。

 これは単なる茶ではない。飲む者の五感を狂わせる、魔の滴だ。


 「初めて味わう感覚です……美味しい」

 「だろう」


 エルドリスは淡々とカップを傾ける。


 僕は睫毛まつげを伏せた彼女の顔を盗み見ながら、前任者から引き継いだ資料の内容を思い出していた。


 エルドリス・カンザラ。ヴェルミリオン帝国西部の都市セリカ出身の二十八歳。西部民特有の青白い肌と、血統から来ていると思われる透き通るような碧眼、そして女性にしては高い178センチの上背が特徴。第七監獄グラットリエに投獄されたのは三年前。投獄理由は、"人肉を食した魔物を食材として調理し、人へ供したこと"。


 彼女は確かに罪を犯している。だが、僕は引継ぎを受けたときから疑問に思っていた。


 罪状に対して、刑罰が重すぎる。


「ああ、そうだ」


 カップから唇を離し、彼女が目を上げる。僕は反射的に窓外へと視線を逸らした。


 見つめていたことに気づかれただろうか。


「茶菓子が欲しいな」


 だが、幸いなことに彼女は、そんな僕の憂慮に反して、何を気にするでもなく席を立った。


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