「私の房だ」
短く告げると、エルドリスは鉄扉を押し開け、自分の独房へと足を踏み入れた。僕は少し躊躇ったが、彼女が振り向きもせず奥へと進むのを見て、後に続く。
囚人の独房のはずなのに、そこは静かな宿泊所のようだった。壁は無機質な石造りだが、ところどころに淡い色の布が掛けられ、冷たい印象を和らげている。部屋の隅には簡素ながらも重厚感のある木製のベッド。壁際には本棚とキャビネット。造り付けの吊戸棚や、その下には小型の魔導炉まである。
特に目を引いたのは、鉄格子付きの窓だ。
ここ
窓からは午後の日差しが房内に降り注ぎ、鉄格子越しには、陽光を浴びて
その窓の手前に、木製のテーブルと、椅子が二脚あった。一脚でなく二脚なのは、今回のような来客を想定してのことだろうか。
それもまた、彼女への"特別待遇"のひとつなのだろう。
「座れ」
促されるまま、窓際のテーブルに腰を下ろす。エルドリスは戸棚を開け、ティーセットと小箱を取り出した。
「茶を淹れよう」
彼女が小箱を開けると、出てきたのは茶葉……ではなく、小さな魔物だった。黒い甲殻に覆われたそれは昆虫の一種だろうか。六本の脚を持ち、頭部には短い触角がついている。
「これは?」
「カサリス・ビートル。D級魔物。体内の分泌液が湯に溶けることで、上質な紅茶のような香りを生む」
エルドリスはそう言うと、
「こうすることで、内臓がよく染み出す」
彼女は割ったカサリス・ビートルをそのままティーカップに入れ、魔導炉で沸かした湯を注いだ。
瞬間、部屋の中に、異国の夢を閉じ込めたような甘く妖艶な香りが漂う。どこか遥か昔の記憶を呼び起こす、魅惑的な気配だ。
「お茶、なんですよね?」
「飲めばわかる」
恐る恐るカップを手に取り、口をつける。
驚いた。ひと口含んだ瞬間、舌の上に広がるのは、静寂と狂気が溶け合ったような不思議な味わい。ほのかな苦味が奥深く漂い、妖しい甘みが追いかける。その後に微かに感じるスパイス的な刺激は、心をくすぐる幻惑の残響のようだった。
これは単なる茶ではない。飲む者の五感を狂わせる、魔の滴だ。
「初めて味わう感覚です……美味しい」
「だろう」
エルドリスは淡々とカップを傾ける。
僕は
エルドリス・カンザラ。ヴェルミリオン帝国西部の都市セリカ出身の二十八歳。西部民特有の青白い肌と、血統から来ていると思われる透き通るような碧眼、そして女性にしては高い178センチの上背が特徴。
彼女は確かに罪を犯している。だが、僕は引継ぎを受けたときから疑問に思っていた。
罪状に対して、刑罰が重すぎる。
「ああ、そうだ」
カップから唇を離し、彼女が目を上げる。僕は反射的に窓外へと視線を逸らした。
見つめていたことに気づかれただろうか。
「茶菓子が欲しいな」
だが、幸いなことに彼女は、そんな僕の憂慮に反して、何を気にするでもなく席を立った。