海の中から見上げる水面のように、青々と澄んだ瞳が僕を見つめていた。
両方、間違っている……?
彼女の言葉の意味を僕は計りかねる。いや、考えられるとしたらひとつ。
「あなたは罪を犯していない……?」
フッ、とエルドリスは小さく笑った。
「YESだと自信満々に言えないのが痛いところだが……そうだな。私視点の事実を語らせてもらうと、私は
「どういうことです?」
「少し……長くなるが、聞く気はあるか」
僕は頷く。
「なければここに来ていません」
彼女は口角を僅かに上げると、カサリス・ビートル茶のカップの中に目を落とした。
「ここに投獄される前、私は生まれ育ったセリカの町で、妹と小さなレストランを営んでいた。私が調理し、妹が接客をする。田舎町で女二人、細々と生きていけるくらいには繁盛していたさ」
「あの、もしかして……そのころから魔物の調理を?」
「……どう思う?」
「いや、どうと言われても」
「魔物を調理すること自体は犯罪じゃない。むしろ、やれる調理人は少ないから重宝されるし、金になる」
「その言い方は、YESと捉えますけど」
「やめておけばよかった」
「はい?」
「私が最も後悔することのひとつが、その日の選択だ。帝都から使者がやってきた日。その使者は、私たちの店にアンフィモルフという魔物を生きたまま持ち込み、調理しろと言ってきた」
「アンフィモルフ? 聞いたことがありません」
「私もそうだった。そいつはトロールやゴブリンのような人型の魔物だった。使者はそいつのことを、『我が
「我が主……」
「その主とやらが、アンフィモルフを食べたいと所望したらしい。帝都中でそいつを開ける調理人を探したが見つからず、セリカのような田舎町にまでやってきたというわけだ」
「調理を、引き受けたんですか?」
「ああ。セリカじゃ考えられない破格の報酬だったからな」
「報酬のため……」
僕の言葉に、エルドリスはうんざりした風に顔を背け、鉄格子越しの窓外へと目を遣った。
「悪いか。金があれば妹を、帝都の上級魔導医師に診せられると思ったんだ」
「いえ、すみません……。妹さんは、ご病気で?」
エルドリスの表情が一瞬、儚く歪んで見えた。いや、僕の見間違いだったのかもしれない。
次の瞬間には、彼女は僕を凛と強い眼差しで見据えていた。
「妹――リュネットは三年前、私と共に
彼女は当時の凄惨な事情を語った。彼女の妹リュネットは、四年前のその日、恋人と町の外へ出掛けていた。そして帰ってくる途中、魔物に遭遇し、恋人は死亡。リュネットは腹を破られ、内臓のほとんどを食われた。
その彼女を、帰らない妹を心配したエルドリスが見つけ出し、絶命する寸前でなんとか延命魔法をかけることに成功した。
しかし、エルドリスの延命魔法は一度に30分しか持たない。だからエルドリスはその日以来ずっと、30分に一度、延命魔法をかけ直すことで妹の命を長らえさせていた。
「30分に一度って、そんなこと可能なんですか?」
「可能かどうかという話じゃない。私はやると決めた。そして妹から片時も離れなかった。一年がたち、この
彼女の目に明確な怒りが宿る。言われずとも僕は察した。
30分に一度、延命魔法をかけ直して妹の命を長らえさせる。
「話を戻そう。アンフィモルフの調理を引き受けたところからだな」
僕は気づかぬ間にずいぶん考え込んでいたらしい。ふと顔を上げて正面のエルドリスを見ると、彼女の瞳からはもう、怒りの色は消えていた。
いつもの無表情。
「私はレストランの調理場でアンフィモルフを開き、肉を切り出し、いくつかの料理を仕上げた。それを帝都からの使者は、多額の報酬と引き換えに持っていった。だがその翌日、店に再び帝都からの来客があった。奴らはヴェルミリオン帝国司法府直属の特務執行官を名乗り、"人肉を調理し供した"罪で私とリュネットを捕らえた」
「えっ!?」
聞き間違えかと思った。
「ちょ、ちょっと待ってください。あなたの罪状は"人肉を食した魔物を調理し供したこと"ですよね?」
「表向きにはな。だが実際に私たちに告げられた罪状は今言ったとおり。"人肉を調理し供した"ことだ」
「意味がわかりません」
「私もそう思った。奴らが言うには、私が調理したアンフィモルフなる魔物は本来魔物ではなく、"人間が魔法により一時的に魔物に変えられたモノ"だったそうだ。それが本当だとすれば、恐らくその人間に配慮して、私の罪状は表向きにはぼかされたのだろう」
「なんですかそれ……。エルドリスたちは何も知らなかったんですよね?」
「もちろん。知っていたら調理などしない。どれほどの大金を積まれてもな」
「使者は? アンフィモルフを運んできた使者はどうなったんです? そいつに吐かせれば、エルドリスの無実を証明できます」
「私も同じことを特務執行官に訴えたさ。だが聞き入れられなかった。使者が語った名も偽名だったようで、そんな人物は帝都に存在しないと一笑に付されて終わった」
エルドリスは淡々と語る。その無感情さはこちらが困惑を覚えるくらいだ。
「そんなことがあったのに……どうしてあなたは今、『30分クッキング』の調理人を? 特別待遇を得るためですか?」
僕は、終身刑の囚人に似つかわしくない居心地の良い独房内を見回した。どの調度品も、
「『30分クッキング』の視聴者層を知っているか」
「……は?」
「あの番組の視聴者のほとんどは、貴族や軍高官などの富裕層・権力者だ。奴らは"魔物を生きたまま、苦しめながら食材にし、調理する"という異常なエンターテインメントに
僕は身構えた。彼女が次に何を言うか、予想がついたからだ。
「私が『30分クッキング』の調理人をする理由はな、変態どもに極上のエンターテインメントと極上の料理を画面越しに提供し、生で見てみたいと思わせ、私を召喚させるためだ」
召喚させ、対峙して、見極めようというのだ。自分たちに地獄を味わわせた憎き
「あなたは……こんな場所から、復讐を?」
「ああ。私は、私とリュネットを陥れた奴を必ず見つけ出す。使者が"我が主"と語ったその人物を。そしてすべての真相を暴き、リュネットの墓の前で、奴の生首に土下座させてやる」
「ど……どうして、監督官の僕にそんな話……」
自分から問うたのは事実だが、それでも、そんな回答がくるとは思わなかった。
僕は監督官だ。彼女がこの
「僕は……今の話を上官に報告し、あなたを『30分クッキング』の調理人から外させることだってできてしまいます」
「だが、お前はそうしないだろう」
と、間髪入れずに返ってきた。
「私がお前に今の話をしたのは、私とお前の目的が一致しているからだ。私は復讐を果たし、無実を証明し、ここを出たい。お前は私をここから出して、私の
「それは……」
「それにな、お前がどんな報告をしようと、私は余程のことがない限り、『30分クッキング』の調理人からは外されない。なぜなら、延命魔法を使って魔物を生かしながら調理できる調理人は、私だけだからだ。そもそも私が調理人として選ばれた理由も、この魔法だ」
言いながら彼女が手のひらを上向けると、そこに白く丸い
その光がふっと消え、彼女の表情に目を遣った僕へ、碧い瞳が真っ直ぐ向けられていた。
「イオルク監督官。たった今から、私とお前は同志だ」
「同志……」
「盃を交わそう」
エルドリスは立ち上がると、戸棚から、細長い首に胴がやや膨らんだ形状の漆黒の瓶と、盃を二つ取り出して戻ってきた。
「これは?」
「ナイトフィーンドの胆汁酒だ。B級魔物、ナイトフィーンドの胆嚢から抽出した液を、砂糖と香草で発酵させて作る」
彼女は二つの盃それぞれに黒紫色の液体を注いだ。濃厚なアルコールの香りが立ち上る。
「これは、互いを裏切らないという誓いの儀式だ。互いの盃に、魔力を少し流してから飲む」
エルドリスが盃のひとつに指先をかざすと、白く淡い光が黒紫色の液体の表面を滑るように広がった。僕もそれに倣い、もうひとつの盃に指を近づける。
魔力の操作はあまり得意ではない。それでも、オレンジ色をした僕の魔力はつつがなく湖面に満ちた。
そして僕たちは盃を交換し合い、互いの魔力の流れた液体を、ひと息にあおった。
舌に広がるのは、濃厚で甘苦しい味わい。そして、喉元から熱が広がり体がカッと温まる感覚。
「……キツイ酒ですね」
「ふふ、"ひよっこ"め」
エルドリスは満足そうに笑う。窓から差し込む陽光が、その白い肌を輝かせ、碧い瞳に光の珠を宿す。
僕はそんな彼女を見て、美しいと思ってしまった。