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5品目:脚を抜いて振って割ったダスト・スコッチ

 エルドリスはキャビネットを開けて、平たい缶を取り出した。僕は甘い焼き菓子の類が出てくると思い、期待を込めて彼女の手元を見つめる。


 しかし、彼女が缶の蓋を開けた瞬間、その期待は粉々に打ち砕かれた。

 中に詰められていたのは、丸く平らな魔物だった。見た目はチョコチップクッキーに似ているが、数えきれないほどの細かい脚が、体の周りをぐるりと取り囲んでわさわさ動いている。

 鳥肌が立った。


 「こ、これは……?」

 「ダスト・スコッチ。D級魔物だ」 


 エルドリスは缶の中からダスト・スコッチを一匹取り出し、指でその脚の生えていない体の中央を摘まみながら僕に見せた。


「ダスト・スコッチは食べ方に工夫がいる。正しい食べ方をすれば焼き菓子代わりになるが、間違うと、臭くて苦い雑巾の味になる」

「ぞ、雑巾……?」

「味を知らないか? それは幸運な人生を送ってきたな」


 僕は返事ができなかったが、彼女は気にせず続けた。


「まず、脚をすべて抜く」


 そう言い、ダスト・スコッチの周囲に生えている細かな脚を二十本ほどまとめて摘み、一気に引き抜く。そしてそれを繰り返す。

 僕もダスト・スコッチを摘まみ上げ、彼女の真似をして、恐る恐る脚を引っ張った。細い脚は大した抵抗もなく簡単に抜ける。虫は悲鳴を上げたり暴れたりしないから、あまり気もとがめない。


 エルドリスは、僕がすべての脚を抜き終えるのを待って口を開いた。


「次は、平らな面が地面と平行になるように持ち、十回ほど振る。こうして内部の臓器や体液を撹拌かくはんするんだ」


 エルドリスは言いながらダスト・スコッチを振る。僕もすかさず真似をした。その動作に合わせて、ダスト・スコッチから微かに甘い香りが漂ってくる。


「これが最後だ。振り終えたら間髪入れず、半分に割り開く」


 彼女は両手の親指と人差し指を使って、パキッと小さな音を立てながらダスト・スコッチを二つに割った。僕もやってみる。


 断面は、焼いたパイ生地のような層になっており、層の間からは紫水晶のように輝く淡紫の蜜がとろりとにじみ出てくる。


「こうなれば、もう大丈夫だ。よく噛んで食べろ」


 エルドリスは真っ二つに割り開いたダスト・スコッチの半分を口に運び、カリカリと小気味よい音を立てながら咀嚼する。僕も同じように口に入れてみた。


「甘い……」


 最初に広がるのは、ほのかな甘みとナッツのような香ばしさ。そして歯を立てればカリッとした食感の後、層の間から淡紫の蜜が染み出て、舌の上に濃厚な甘さを広げる。

 蜜は、煮詰めた蜂蜜のような香りと奥深いコクがあり、咀嚼を続けるとそれはやがてスーッと清涼感のある後味に変わった。


 魔物だという事実を忘れそうになるほど、純粋に美味い。


 僕はいつの間にか割り開いたもう半分も食べ終えていて、新たなダスト・スコッチの脚を無心にむしっていた。


「美味いか、助手君?」


 わかりきったことを彼女は尋ねる。


「はい、美味しいです、びっくりするぐらい。外側の硬い部分はナッツ入りのクッキーみたいで、中の蜜は脳が痺れるような複雑な甘さ。最後、飲み込む直前くらいになると爽やかな清涼感まであって」

「秀逸な食レポをどうも」

「いえ……モガッ」


 油断した。エルドリスが突然、僕の口に割り開いたダスト・スコッチの半分を突っ込んできた。そしてもう半分を自分の口に入れ、にっこりと微笑む。


「どうだ?」


 僕は咀嚼しながら驚愕した。

 彼女の処理したダスト・スコッチの方が、僕のより数段美味い。


「なんで……」

「素人と調理人の差さ」


 満足げな彼女の笑みを見ながら、僕は何故だかふっと肩の力が抜けるのを感じた。そして、やや感傷的な思いが巡ってくる。


 終身刑の囚人と向かい合いながら、魔物でできた茶を飲み、茶菓子代わりに魔物を食べる午後のひととき。


 第七監獄グラットリエという場所に不釣り合いなほどの平穏。


 だがそれは、重犯罪という泥沼の上に薄く砂を張った土地に、かろうじて建つだけの楼閣ろうかく


 「エルドリス」


 改まって口を開いた。


 「僕は前任の監督官から引継ぎを受けて、あなたのプロフィールや経歴、そして罪状を知っています」


 エルドリスはあまり関心のなさそうな目で先を促す。


 「そのうえで疑問に思っているんです。あなたは本当に、罪状通りの罪を犯したのでしょうか。もしそうだとしたら――いえ、もしあなたの罪がそれだけなのだとしたら……終身刑は重すぎます」


 しばしの沈黙。

 エルドリスの碧眼がゆっくりと細められた。


「そんなことを言う監督官は初めてだ。お前、もしや私と寝たいのか?」

「は?」

「私に情をかけるふりをして、すり寄ってくる監督官は何人かいた」

「ばっ、そ、そんなのと一緒にしないでください! 僕は本当にただ、事実が知りたくて」

「なるほど。だが知ってどうする。仮に私の刑罰に正当性がなかったとして、だからなんだ? お前には何も関係しない。お前の職務はただ、調理助手アシスタント兼監督官として私を補助し、見張る、それだけだ」

「それが嫌だから、って言ったら信じますか?」

「……ほう」


 彼女の口角が僅かに持ち上がる。


「演者本人を前にして、こんなこと言うのは失礼極まりないですが……あの『30分クッキング』という番組、相当イカレてます。あんなものに何か月も何年も出続けるつもりはありません」

「そうか。転属が叶うといいな」


 叶わないだろう、という皮肉を滲ませて彼女は言う。


「違います。叶うといい、ではなく叶えるんです。どうすればいいか、僕は、ない頭を捻って考えました。その結果が先ほどの質問です。エルドリス・カンザラ。あなたがその罪に対する正当な罰としてこの第七監獄グラットリエにいるのかどうか。もしも正当でないのなら、あなたの刑は減刑され、その減刑量に応じてあなたは第一から第六監獄のいずれかに移送されるでしょう。そうすれば自動的に、調理助手アシスタント兼監督官の僕はお役御免となる」

「筋道立ってはいるが、随分と都合のいいストーリーだな。まるで幼子に聞かせる寝物語だ」

「僕は真剣です。それで、実際のところはどうなんですか?」

「何が?」

「あなたの罪状もしくは刑罰です。どちらが正しくて、どちらが誤っているのか」

「両方」


 エルドリスは不敵な眼差しで僕を見た。


「間違っていると言ったら、お前はどうする、監督官殿?」


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