「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」
地下調理場の無機質な空間に、調理アシスタントの男の、張りのある声が響いた。
魔導カメラが赤く灯り、その様子を生放送している。
「本日の調理人は、エルドリス・カンザラ先生です」
アシスタントの横に立つのは、黒髪を
「そして本日の食材は、ラグド・トロール。人型のC級魔物です」
アシスタントが背後を指すと、壁に
ラグド・トロール――全長二メートルほどの人型の魔物。
人間と似た腕と脚を持ち、顔は獣じみた特徴をしているが、瞳には理性の名残が宿っていた。自由を奪われたそれは、低く呻き声を上げながらこちらを睨んでいる。
「作るのは、ラグド・トロールの香草焼きです。では先生、お願いします」
エルドリス、と紹介された女がここで初めて口を開く。
「ラグド・トロールの特徴は脂身の芳醇な香りだが、適切に下処理しないと臭みが残り、脂の香りを妨げてしまう。ゆえに、まずは内臓を手早く抜く」
カメラが寄り、エルドリスが長ナイフを手に取る。
怯えたように吠えた魔物に彼女はすっと手を触れた。
「では、開いていく」
「グ、……ア……ギィィィィィ……ッ!」
傷口から血が溢れ、ラグド・トロールの全身が仰け反る。口は限界まで開かれ、牙を剥き出しにしながら喉を震わせる。口の端で血泡が弾け、凄まじい痙攣とともに四肢が震え、鎖がガシャガシャと鳴る。眼球は飛び出さんばかりに見開かれ、助けを求めるように中空を見つめる。
裂けた腹部からは臓器が半ば飛び出し、生臭い血が周囲を濡らしている。
だが――エルドリスは何の
「この時点で死んでしまうと肉が固まってしまうため、適度に魔力を流して生かす」
彼女はそう言いながら、魔物の心臓があった
「エルドリス先生の延命魔法です。続いて、使用部位――わき腹肉の切り出しですね」
と、アシスタントが補足する。
エルドリスは、魔物のわき腹に長ナイフを突き立てた。刃が皮膚を裂き、筋肉を切り開く。ラグド・トロールの全身が弓なりに跳ね上がった。
「グ、……ギィ……ア……ッ!」
苦悶に満ちた絶叫が喉の奥で詰まり、しゃくり上げるような息遣いが漏れる。刃が肉を引き裂くたびに、魔物の身体は細かく震え、引き攣るような痙攣を繰り返した。瞳はまるで自身の運命を理解したかのように潤み、恐怖と苦痛に揺れている。
エルドリスはその表情を一瞥しながら、寸分の迷いもなくナイフを進めた。皮膚を剥ぎ、慎重に筋を断ち、滑らかに300グラムほどの肉を切り出していく。
「ハァ、……ハァ……グ、ア……」
血の臭いが充満する調理場の中で、ただ無力な肉塊と化していく自身の姿を知覚しながら、トロールは生かされ続ける。
「わき腹肉は余分な筋が少なく、調理には使いやすい」
エルドリスは切り出した肉から皮を丁寧に
刃先が滑りやすい脂肪の層を的確に削ぎ落とし、ブロック肉全体を均一な厚みに整えていく。
そしてブロック肉の表面に塩をまぶす。
手足を磔にされ、内臓を取り除かれたトロールは、目を見開いたまま震えていた。呼吸は荒く、喉の奥から雑音のような呻き声が漏れている。
生きている。
「この個体、脳に損傷は?」
「いえ。薬も与えておらず、脳は至極正常です」
「それはいい。目の前で焼き上げてやろう」
エルドリスはにっこりと微笑み――ここで彼女は本日初めての笑みを見せた――、ブロック肉を、脂肪の層を下にして鉄板へと乗せた。
熱せられた鉄板に触れた瞬間、ジュワッという音とともに透明な脂が滲み出す。
「まずは強火で表面に焼き目をつける」
細身のトングを手に取り、エルドリスは肉を慎重に押しつける。鉄板の上では脂の滴が跳ね、きらめくように光る。
焼き面をチェックしたエルドリスは、トングを使って肉をひっくり返す。これを繰り返していき、ブロック肉の六面すべてに焼き目がつくと、彼女は用意していた刻んだラドリーフ、ミスナシュ、ファリウムの葉を指先で軽く揉み、鉄板の上に撒いた。
パチッ、パチッ……
香草の葉が弾けるような音を立てる。
それと同時に、スパイシーな香りが立ち上り、焼かれた脂の香りと混ざって調理場に満ちる。
「肉の内部に火を通しすぎると硬くなるため、ここからの過熱は中火で約一分だ」
トングで軽く肉を押す。肉の端の方では、脂が滲み出しながら細かく泡立ち、徐々に黄金色へと変わっていく。
エルドリスは仕上げの一手として、鉄板の端で温めていたルガーナの果実を取り上げ、軽く絞った。
ジュワッ……!
ルガーナの甘酸っぱい匂いが一気に広がり、香草と肉の香りに、さわやかな清涼感を加える。
肉の表面は、混ざり合った肉汁と果汁できらきらと輝いている。
調理の匂いが、まだ意識のあるトロールの鼻腔にも届いているらしい。その鼻はひくひくと動き、口の端からは生理的らしい
焼かれる自分の肉の匂いを嗅ぎながら、死を迎えようとしている。
「よし、完璧だな」
焼きあがった肉をまな板の上でスライスしていく。焼き加減は茶色と赤色の具合が絶妙なミディアムレア。それらを、生の香草が敷かれた大皿の上に並べ、
淡い湯気が立ち上る大皿をカメラの前に差し出し、エルドリスは満足げに頷いた。
「完成だ」
「わあ、美味しそう。食欲をそそる良い香りです。本日の料理は、ラグド・トロールの香草焼きでした。では材料と調理道具のおさらいと、本日のポイントです」
【材料】
人間の子どもを弄んで殺したラグド・トロールのわき腹肉 300グラム
塩 少々
ラドリーフ(甘く芳醇な香りを放つ針葉ハーブ) 少々
ミスナシュ(わずかにスパイシーで、肉の臭みを抑える紫葉ハーブ) 少々
ファリウムの葉(ナッツのようなコクと香ばしさを加える黄金色の葉) 少々
ルガーナの果実(柑橘系フルーツ) 1/2個
【調理道具】
長ナイフ(解体、整形用)
トング(肉を掴むため)
鉄板(焼き上げ用)
包丁(スライス用)
【ポイント】
焼きすぎると肉が硬くなるため注意!
「それでは皆さま、また次回お会いしましょう。良い食卓を――」
◆
赤い魔導カメラの光が消え、番組は終了した。
「……う、ぐ……っ」
調理場の隅で僕はうずくまる。
途中、何度か吐いたせいで、苦く酸っぱい味がまだ口の中に残っている。胃は今にも再びひっくり返りそうだ。
「イオルク・ネイファ」
名を呼ばれて顔を上げると、目の前にアシスタントの男が立っていた。彼は身に着けていた黒革のエプロンを脱ぎ、僕に投げて寄越す。
「要領はわかったよね? じゃあ明日からよろしく」
震える手で口元を拭い、「は、い」とほとんど吐息のような声で答える。
帝国の役人となって初めての配属先がここ、
与えられた職務は、『30分クッキング』の先生として絶大な人気を誇る終身刑の囚人、エルドリス・カンザラの
暗く湿った調理場の隅で、僕は目を閉じた。
明日が来なければいいと願いながら。