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17「プロジェクトR-A1N」


 微かな電子音が廊下の奥から響き、ライアンの背筋に寒気が走った。ヘルメット越しの酸素供給は依然として不安定で、喉の奥に鈍い渇きを感じる。彼は壁に手をつきながら視線を上げた。そこには、錆びついた金属板に『B-99上層連絡通路』と刻まれたプレートが見える。


「ここなら……」


 ライアンは思わず呟いたが、その声には確信がなかった。


 通路の片隅では、黙々と佇むオートノームが静かに二人を見つめていた。その無機質なレンズはライアンの全ての動きを捉え、奥の壁面に備え付けられた監視カメラが、僅かな駆動音を発しながらゆっくりと彼らを追う。


「なあ人間モドキ、見張られてる気がしねえか?」


 ライアンは嫌な予感を振り払うように呟くが、ウプシロンは微笑を浮かべたまま淡々とした口調で答えた。


「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。ロータスの監視システムは、あなたのことをちゃんと記録してくれるわ」


 彼女の声は穏やかだったが、手の動きは僅かに強張っている。ライアンが疑念を拭い切れない表情でカメラを気にしているのを横目に、彼女は無意識に小さく息をついた。


「さぁ、急ぎましょう」


 ウプシロンの指先が携帯端末の地図を操作するたび、微かな動揺がその仕草に滲む。しかし、彼女の顔には一切の動揺を見せることなく、あくまで冷静を装っていた。


 ライアンはそんな彼女の様子に気づくことなく、カメラの視線を気にしながら歩を進める。その姿を見送るウプシロンの眼差しは、一瞬だけ厳しさを帯びたものの、すぐに柔らかな笑みに戻る。


 彼女はライアンを宥めるように軽く肩に触れる。しかし、その目は壁の高い位置に取り付けられた古い監視カメラを一瞬だけ見上げていた。


 ライアンは何も気づかず、そのまま足を進める。ウプシロンは背後でオートノームのセンサーが自分たちをスキャンするのを感じながら、慎重に表情を取り繕う。


「どの経路も制御プログラムでロックされているわ。近道を探すより、別の方法を考えましょう」


 ライアンは苛立ちを隠さずに息をつく。だが、その様子を冷静に観察しながら、ウプシロンの脳裏には別の考えが渦巻いていた。


『誰が見ているのか……それが問題ね』


 ふと、彼は壁の隅に埋め込まれた古びた通信パネルへ目を留めた。指を伸ばしかけた瞬間、ウプシロンが彼の手を軽く制止する。


「いい加減にしなさい。今は探索に集中して」


 彼女の声は穏やかだったが、その黄金に輝く瞳はどこか遠くを見ていた。


「……そうだな」


 ライアンは小さく息を吐き、進むしかないと心を決める。しかし、次の瞬間、足元の金属床が僅かに軋む音が響いた。ウプシロンが端末を操作し、ホログラムが展開されると、そこには「立ち入り禁止」の赤い警告が揺らめいている。


 警戒しながら彼がウプシロンの横顔を見つめた。


「……入るのか?」

「私たちには選択肢がないのよ、ライアン」


 ウプシロンの言葉に抗うすべもなく、彼はついにその先へと踏み出した。


 暗闇に覆われた未使用エリアB-99の深部。薄暗い通路の先に微かに光るホログラムが、立ち入り禁止区域を示していた。ライアンのヘルメット内に映し出された酸素供給メーターは、じりじりと減少を示している。冷え切った空気がスーツ越しにも伝わり、思わず肩をすくめた。


「まだ大丈夫。深く呼吸して、ペースを崩さないこと」


 ウプシロンの静かな声が通信越しに届く。彼女の黄金の左眼がホログラムの解析を続けている間、ライアンは警戒しながら周囲を見回す。壁のひび割れた金属板、朽ち果てた配管、腐食した設備の数々――まるで時が止まったかのような光景だった。


「ここに……俺、来たことがあるのか?」


 不意に口をついた言葉に、ウプシロンが少しだけ視線を逸らした。


「ここに来るのは初めてのはずよ」


 彼女が柔らかく答える。しかし、ライアンの胸の奥底には、拭い去れない既視感が漂っていた。


 立ち入り禁止区域のホログラムが淡い青白い光を放つ。ライアンは端末に手をかけ、慎重にアクセスを試みる。しかし、画面に浮かび上がったのは『アクセス拒否――認証不許可』という無情な赤い文字だった。


「チッ、俺のIDじゃ弾かれるみたいだな」


 ライアンは苦笑し、端末を叩いた。


 その横でウプシロンがゆっくりと端末に手をかざす。黄金の光が指先から波紋のように広がり、端末が低い音を立てて解錠された。まるで元々彼女のために設計されていたかのように、あまりに自然だった。


「手間がかかるわね。行きましょう」


 ウプシロンは振り返ることなく扉を抜けるが、ライアンが彼女の背中を見つめながら、ぼそりと呟く。


「……お前、なんでそんなに手慣れてるんだ?」


 暗い廊下を慎重に進む中、埃まみれの旧型端末が目に留まった。その機械は長い年月を経ているにも関わらず、まるで昨日まで誰かが使っていたかのように、奇妙な存在感を放っている。


 ライアンは手を伸ばし、ためらいがちに端末の電源スイッチを押した。


 キィィ……と低く唸るような駆動音。埃の匂いがヘルメット越しにさえ感じ取れる気がした。青白いモニターが明滅し、懐かしさと不安を同時に刺激するようなインターフェースが浮かび上がる。その瞬間、ライアンの手が止まった。


(この画面、見覚えがあるな……)


 頭の奥がざわつく。無意識のうちに指がキーボードをなぞり、まるで反射のように適切なキーを押していた。


『……変だな』


 彼は呟いた。懐かしさというにはあまりにも鮮明で、まるで昨日のことのように感じられる。だが、その記憶がどこから来るのか、彼には思い出せない。


 指先がパスコード入力画面へとたどり着く。ライアンはゆっくりと呼吸を整え、適当に数字を打ち込もうとした――だが、指が独りでに動く。


「0315……」


 言葉に出す直前、既に端末が反応し、画面に「アクセス拒否」と赤い警告が浮かび上がる。まるで何度も繰り返し操作してきたような感覚――だが、そんな記憶はない。


(どうして、この数字を知っていた?)


 ライアンは背筋が冷たくなるのを感じた。何かが、頭の中で引っかかっている。


 その様子をじっと見つめていたウプシロンは、穏やかな微笑みを浮かべながらも、その黄金の瞳に微かな警戒の色を宿していた。


「……この音、聞いたことがあるぞ……」


 ライアンの脳裏に、一瞬だけ誰かの声がよぎる。微かに残る機械の操作音、誰かが隣で笑っているような記憶――だが、それが誰なのか思い出せない。


 その直後、彼の防護服のHUDが端末のアクセスログをスキャンする。そこには「未登録ユーザー」の表示と共に、「過去のアクセス履歴なし」の文字が虚しく輝いていた。


「妙だな……俺が使ったことがないはずなのに、操作が自然すぎる」


 端末の画面には、『PROJECT,R-A1N』というコードが映し出される。その下に並ぶ文字列――『リソース消費』『再利用プロトコル』『対象の追跡記録』――を目にした瞬間、ライアンの胸の奥が強く疼いた。


 背後からウプシロンが無言で画面を覗き込む。彼女の表情は、機械のように無機質だった。


「ただの古い記録よ。これを気にしても仕方ないわ」


 ライアンは画面を見つめたまま、ウプシロンの言葉を疑わずにはいられなかった。


「おい植物野郎……俺、本当にここに来たことがないのか?」


 問いかける彼の声に、ウプシロンは一瞬だけ視線を逸らした。そして、淡々と答える。


「あなたの記憶はあてにならないわ。」


「フルダイブのしすぎで混乱しているのよ。あなたの記憶は曖昧すぎるわ。何を信じているの?」


 彼女の声には、どこか強い拒絶が含まれていた。ライアンは彼女の返答を噛みしめながら、指を端末から離した。しかし、脳裏には微かな違和感が消えない。


「とにかく、これ以上ここにいるのは危険よ」


 ウプシロンの声が、いつも以上に冷徹に告げる。彼女は端末のデータを素早くスキャンし、無造作にファイルを閉じる。まるで余計な情報に触れさせたくないかのように。


 ライアンは彼女の様子に疑念を抱きつつ、端末を名残惜しそうに見つめた。自身の胸の奥に渦巻く既視感と、不快なノイズのような感覚が拭えない。


「ウプシロン、本当に何も知らないんだよな?」


 彼の心細い問いに、ウプシロンは僅かに口元を歪めたが、すぐにいつもの機械的な微笑みを浮かべた。


「あなたの記憶は曖昧すぎるのよ。何かの錯覚でしょう?」


 彼女の声には、どこか焦りのようなものが滲んでいた。その瞬間、通路の奥から微かな機械音が響いた。ライアンとウプシロンは即座に身を固める。


「オートノームか?」


 ライアンは警戒しながら、スーツの通信モジュールを調整し、ロータスへのアクセスを試みる。だが応答はない。代わりに微弱な妨害信号が飛び交い、彼のヘルメット内部に警告が表示された。


「ウプシロン、通信が妨害されてるぞ……」

「分かってるわ。このままだとあなたの酸素が供給されなくなるし、先を急ぎましょう」


 ウプシロンの指示に従い、二人は未使用エリアの構造を利用しながら、上層へのルートを探し始める。だが、ライアンはふとした瞬間、彼女が何かを躊躇うように立ち止まるのを見逃さなかった。


「……何か、隠してるのか?」


 彼女は返答せず、前方の暗がりをじっと見つめた。ウプシロンの黄金の瞳が僅かに光を放ち、内部スキャンを行っているようだ。そして、そのまま何もなかったかのように前進を始める。


「何もないわ。行きましょう」


 彼女の背中を見つめながら、ライアンはどうしても拭えない違和感を抱えたまま、ウプシロンの後を追った。


 二人は暗闇の中を慎重に進み、ようやく補助アクセスハッチにたどり着く。しかし、ライアンがハッチのパネルに手を伸ばした瞬間、通路の壁に赤い警告ランプが回転し、低い警報音が空気を震わせた。ライアンは反射的に背後を振り返る。


「……開かないのか?」

「これは……封鎖プロトコルね」


 ウプシロンが解錠端末をかざし、何度か操作するが、ハッチはびくともしない。


「まさか、誰かが意図的に閉じ込めたってことか?」


 ライアンが眉をひそめると、ウプシロンは短く息をつき、彼の疑問には答えず淡々と告げた。


「別のルートを探すしかないわ」


 彼女はそのまま通路の奥に視線を向けた。ライアンのヘルメットのセンサーが、微かに何かの残留エネルギー反応を検出している。


「ウプシロン、あれ……見えるか?」


 ライアンが指を差した先には、朽ち果てた部屋の中に散乱するファイルと、埃を被った古びたメモリーディスクが転がっていた。ウプシロンは無言のまま、その場に近づく。彼も恐る恐る後を追い、1つのファイルを拾い上げた。


『プロジェクトR-A1N』


 その文字を見た瞬間、ライアンの頭に鈍い痛みが走った。思わず頭を押さえると、ウプシロンが表情を変えずに彼を見つめていた。


「なあ……これ、俺の記憶に……」

「今はそんなことより、脱出するのが先決よ」


 彼女の声音は強く、ライアンは不満を飲み込むしかない。だが、背後にある監視カメラの赤い光だけが、彼らの様子をじっと見つめ続けている。ウプシロンはその存在を気にするように背を向けるが、その指先は微かに震えていた。


 まるで彼の言葉に動揺を隠し切れないかのように。


「……ライアン、行きましょう」


 彼の意識の奥底に、ぼんやりとした映像が浮かび上がる。それは手を伸ばせば届きそうな距離にあるはずなのに、どこか遠く、掴みきれない記憶の影だった。

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