再生処理プラントから遠く離れた訓練施設の一室。ルカ・ヴァルディは実践飛行シミュレーターを終え、しばらく座席に体を沈めたまま息を整えていた。薄暗い室内には、彼を含む数人の訓練生たちが操作席に座り、終了したシミュレーションのログをホログラムで確認している。
「おい、ヴァルディ。もう少しスラスターの出力を抑えたら、あの小惑星帯を無傷で通過できたんじゃないか?」
訓練生の1人、陽気な笑顔を浮かべるコバヤシがルカの肩を叩いた。コバヤシは同期の中でも特に要領がよく、毎回の訓練でトップの評価を得ている。
「言うなよ。最後のスラスター調整でどうしても噛み合わなかったんだ」
ルカは苦笑しつつも、自分の操作ログをじっと見つめていた。ログには、小惑星の破片が仮想船体に衝突し、致命的な損傷を与えた瞬間が赤く記録されている。
「まぁ、シミュレーターだし、命までは取られないわよ」
別の訓練生、物静かなシュフェンが淡々とした声で言った。彼女はコバヤシと同じくらい成績が良く、無駄な会話を嫌うことで有名だ。
「次はもっと上手くやるさ。それより、訓練も終わったんだし、どこかで一息入れようぜ。第壱デッキのバーとかどうだ?」
コバヤシの提案に訓練生たちは一様に賛同の声を上げたが、ルカは少しだけ迷う表情を見せた。訓練の疲労もあったが、それ以上に気になることが頭をよぎっていた。しかし、コバヤシが明るく肩を叩く。
「どうした? お前も行くだろ。そうだ、久々に『フルダイブ』でもやらないか? 俺、今月のユニット結構余ってるんだよな」
「フルダイブって……またかよ。お前は本当に飽きねえよな」
ルカは苦笑しながらも、コバヤシの提案を受け入れることにした。第壱デッキの一角にある「仮想体験ゾーン」は、漂流世代の船員たちにとって最も人気のある施設の1つとして受け入れられている。
到着した仮想体験ゾーンは、光沢のある壁面と無数の小型カプセルで構成されたフロアだった。それぞれのカプセルは、利用者が横になり意識をフルダイブさせるための装置であり、外からは薄い透明なパネルを通じて内部が僅かに見える。
受付端末の前でコバヤシが先頭に立ち、手をかざしてライフユニットを支払う。彼の手の甲に埋め込まれたデバイスが光を放ち、端末に接続されると、少量のユニットが即座に引き落とされた。
「さぁ、どのプログラムにする?」
コバヤシは笑顔で選択画面を指差した。ホログラムに映し出される選択肢には、「古代の地球」「戦火の宇宙」「幻想の大地」など、多様な仮想現実が並んでいる。
「どうせなら、古代地球がいいな。あの青い空とか、緑の山とか……どうせなら生きてる間に見られない場所がよくねえか?」
コバヤシの提案に他の訓練生たちも頷く中、ルカは少しだけ視線を逸らした。
「ユニットを消費するなら、もっと実用的なプログラムにすればいいのに」
「おいおい、そんな堅いこと言うなよ。たまには楽しもうぜ」
ルカも渋々1つのカプセルに入ると、滑らかなシートに体を沈めた。カプセルの内部は、静かな音楽とほのかな植物の香りが漂い、利用者の緊張を和らげる設計になっている。
カプセルの内側にあるモニターが点灯し、柔らかな音声が響く。
『ようこそ、仮想体験ゾーンへ。接続プロセスを開始します。リラックスしてお待ちください』
その声と共にデバイスが脳波を読み取り、ルカの胸に取り付けられた服越しの端子が露出する。機械のアームが近づくと同時に、胸の少し下あたりに鈍い痛みが走る。
反射的に息を飲み込むと、機械のアームの動く音が耳に届き、冷たい金属の感触が肌に触れ、次の瞬間には端子がカプセル内部の接続ポートに挿入された。
その感覚は、じわりと彼の神経を伝い、内側から支配されるような妙な重さをもたらした。
「やっぱりこの感覚、慣れない……どこか人間らしさを失っていくような気がする」
微かな電流が体内を駆け抜けるのを感じながら、ルカは溜め息をついた。脳波を解析するだけではなく、直接的に神経に信号を送る技術。それは彼ら漂流世代にとって当たり前のものだったが、それが自分たちの「人間性」とどう結びついているのかを考えることは、無意味なタブーとして教えられてきた。
プラグが接続された瞬間、カプセル内部の天井に映し出されたホログラムが揺らめき、まるで深い水底に沈み込むような感覚が彼を包み込む。
『接続完了。仮想現実への移行を開始します。おかえりなさい、Cクラス船員ルカ・ヴァルディ』
次第に視界が暗転し、現実感が薄れていく。それに反比例するように、全身が軽くなり、重力から解放されるような感覚が広がっていく。
次にルカが目を開けたとき、彼の目の前には青空が広がっていた。仮想現実で再現された「古代の地球」の舞台だ。風が頬を撫で、草原の香りが鼻をかすめる。現実以上でリアルな感覚に、彼の心はしばし現実を忘れていた。
「本当に、こんな場所が昔はあったんだな……」
ルカの独り言にコバヤシの声が返る。
「すげぇだろ! 見てみろ、あの山脈。あれ、ホログラムじゃねぇんだぜ。俺たちの祖先が本当に見た景色なんだ‼︎」
ルカはコバヤシの言葉に小さく頷きながらも、心のどこかで違和感を抱いていた。この世界がどれだけリアルでも、それが「偽物」であるという認識が彼の胸に釘のように刺さり続けていたのだ。
「おい、ルカ! あの川を見てみろよ。アップデートされたみたいだな、前のバージョンよりもリアルだぞ!」
コバヤシの声が響く中、ルカは仮想空間内で周囲を見渡しながら一歩ずつ歩き出す。その間も、消費されていくライフユニットの数値が頭の片隅に浮かび上がり、無駄遣いしている感覚を振り払えなかった。
仮想体験を終え、カプセルから戻ったルカは、プラグが外れる僅かな痛みに顔をしかめた。胸に残る鈍い感覚と視界に広がる金属的な現実は、仮想現実での自由と現実の不自由さを象徴しているかのようだった。
軽い疲労感を覚えながらも娯楽のひとときが終わり、漂流船という閉鎖的な空間の中にいる現実が改めて重くのしかかる。
「どうだった? 最高だったろ?」
「まぁ、悪くはなかった。でも……なんか、あの世界に長くいると現実に戻れなくなりそうだ」
「ははっ、それはお前が堅いからだろ」
コバヤシが満足げに声をかけるが、ルカは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。視線は依然として虚ろで、現実感を取り戻すのに少し時間がかかっている。
カプセルの外に出ると、ルカは無意識に胸に手を当てた。その触感が、機械の冷たさを思い出させる。
「本当に俺たちは……人間なのか?」
そんな考えが頭をよぎる中、廊下のモニターが突然点灯し、再生処理プラントの状況を伝えるアナウンスが響いた。
『注意:再生処理プラントにおける問題が進行中です。この影響により、一部エリアでの資源供給に遅延が発生しています。関連部門は至急対応をお願いします』
ルカはアナウンスを聞き、少し眉を寄せた。再生処理プラントの異変が、船内全体に影響を及ぼし始めている。その事実が彼の心に小さな波紋を広げた。
仲間たちと別れて通路を歩くが、カプセルで見た青空の記憶が頭から離れなかった。同時に、ウプシロンの姿や再生処理プラントの異変がちらつく。
「本当に、こんなことをしていていいのか……?」
彼は窓の外を見上げる。そこには、仮想現実とは程遠い、星空に散らばる無数の光が広がっていた。