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09「漂流世代たちの虚構と現実」


 霧と湿気に包まれた再生処理プラント内。ライアンは装備を整えながら、タンクエリアの奥へと足を踏み入れた。周囲の湿度が高く、床は蒸気で滑りやすくなっている。壁面には結露が広がり、目に見える形で問題の深刻さが伝わってくる。


「この熱気……まるでサウナみたいだな」


 ライアンが汗を拭いながら呟くと、ウプシロンがすぐ後ろから答える。


「湿気の異常がここまで酷いとなると、熱交換システムが完全に停止している可能性が高いわ」


 ホログラム投影を見ながらウプシロンが指を滑らせる。彼女の目には、左眼から流れ込む未来の断片と現状のデータが交錯していた。


「ライアン、その先にある熱交換パネルを確認してみて。そこに原因が隠れているかもしれない」

「わかったよ」


 ライアンは懐中電灯を取り出し、タンクエリアのさらに奥へ進む。暗闇の中、熱交換システムの主要パネルがぼんやりと蒸気に覆われているのが見えた。


「こいつか……ああ、見事にやられてる」


 パネルは湿気と腐食で錆びつき、内部の回路には焼け焦げた痕跡が残っていた。近づいてパネルの隙間から覗き込むと、配線の一部が不自然な形で断線しているのが見える。


「配線が……これ、誰かが故意に切ったな」


 ライアンの声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいた。


「破損の仕方が妙に整然としてるわ。それ、人為的な破壊の痕跡ね」


 ウプシロンがデータを解析しながら、冷静に答える。その背後で、フィトモルフが触手を使って蒸気の中から化学物質の濃度を測定していた。


「これだけ湿気が高いと、空気循環システムにも影響が出始めるわね……」


 ウプシロンがそう呟くと、再生処理プラントの警告音が一段と大きく響いた。船内の中央管理システムから新たな警告が届いたようだ。


『注意:空気循環システムに異常が発生。湿度上昇に伴い一部エリアで結露および腐食の危険があります。クルーの安全確保に注意してください』


 ライアンが苛立たしげに舌打ちをする。


「どんどん問題が広がっていくな……。これ、完全に誰かが仕組んでるだろ」

「その可能性は高いけれど、まだ証拠が足りないわ。でも、この状況を放置するわけにはいかない」


 ウプシロンは冷静な声で言い、作業エリアにいる職員たちへ指示を出す。


「熱交換システムの応急処置を始めましょう。この腐食を抑える薬剤を投入して、湿度を一時的に抑えるわ」


 ライアンは深く息を吐きながら、焦げた配線を指先で軽く触れる。その感触に、不快な記憶が甦る。以前にも似たような破壊工作が原因で、同僚が一人命を落としたことがあった。


「面倒なことしやがって。誰がこんなことをやったんだ……」


 その呟きには怒りと疑念が混ざっていた。ふと視線を上げると、蒸気に包まれたプラントの奥で、不規則に点滅する警告ランプが見えた。視界は悪く、目を凝らさなければ進むことも難しい。


「ライアン、危険よ。その先の湿度と温度は、防護服の耐性を超えている可能性があるわ」


 ウプシロンの声が冷静に響く。しかし、ライアンは振り返りもせず、少し笑いながら答える。


「耐えられるかどうかなんて、試してみなきゃ分からないだろ?」


 彼は懐中電灯を握りしめると、蒸気の向こうへ一歩踏み出した。その瞬間、腐食した床板が軋み、彼の足元が僅かに沈んだ。

「危ない!」


 ウプシロンの声が響くが、ライアンは一瞬で体勢を整え、振り返らずに進み続ける。


「こんな場所で怖気づいてたら、俺はとっくに死んでたさ」


 彼の心には、再生処理プラントの異常が自分の責任範囲を超えているという不安が渦巻いていたが、それを隠すように行動を急いでいた。


 蒸気の向こうに一歩踏み出すと、ライアンの視界はさらに狭まった。防護服の内側に取り付けられたスクリーンは、熱と湿気の影響でデータが断続的に途切れている。


「ライアン、聞こえますか?」


 ウプシロンの声が耳元の通信端末から聞こえたが、ノイズ混じりで不安定だ。


「おう、かろうじてな。でも、こっちはすぐに通信が切れそうだ」


 ライアンは蒸気をかき分けながら歩みを進めた。防護服のセンサーが湿度と温度の急上昇を検知している。


「オートノームを送ろうとしていますが……ロータスが優先作業の割り当てを変更しています」


 ウプシロンの声が僅かに苛立ちを含んでいた。


「それじゃあ、俺一人でこの蒸気の中を探せってのか?」


 ライアンは苦笑し、手元の懐中電灯を握りしめる。暗闇の中、彼の呼吸音が防護服の内側でこもり、心拍が僅かに速くなるのを感じた。


『現在の状況ではそれが最善です』


 ロータスの冷淡な声が通信に割り込む。


「ありがてぇな、冷血機械め」


 ライアンは皮肉を言いながら足を進めた。

 蒸気の奥に進むにつれ、散乱する金属片や腐食した配管が視界に入る。それらは明らかに自然の劣化ではなく、人為的な破壊の痕跡だった。


「これは……」


 ライアンは足元に転がる小さな破片へ目を凝らした。それはオートノームの部品のようだが、内側から爆発したような焼け焦げた跡が残っている。


「ライアン、何を見つけたの?」


 通信が途切れ途切れになりながらも、ウプシロンの声が聞こえる。だが、彼は応答する前に、さらに奥で何かが光るのを目にした。


「なんだ、あれは……」


 蒸気の中にぼんやりと浮かび上がる異質な物体。それに近づくと、防護服のセンサーが突然警告を発し、低い警告音が耳元で鳴り響いた。

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