船内の廊下はどこまでも続いているようだった。淡い白光が天井から漏れ、床にはほんの僅かに反射するアクリル板が敷かれている。ライアンは歩きながら、目に入る景色を意識的に避けているかのようだった。
ウプシロンとライアンは大型入植船を横断するため、磁力を利用したリニアシステムのロータリーへと足を速めた。
そこには、高分子製のシリンダーカプセルがいくつも整然と並び、乗客を次々と目的地へ送り出している。整然としたその光景は、人類の技術力の証ともいえるものだった。
「おい、人間モドキ。ボケっとしてねえでさっさと向かうぞ」
気怠そうにするウプシロンを促し、彼はカプセルへ足を踏み入れた。彼女の動きに合わせるようにして、ドアがスムーズに閉まる。
「船内で一番楽な移動手段ですね」
ウプシロンが何気なく軽く微笑むと、ライアンは彼女の無表情の裏に隠された意図を探るように一瞥。カプセルが磁力に反応し、ふわりと浮かび上がる感覚に、彼は僅かに眉をひそめる。
青白い光がカプセルを包み込み、外の景色が緩やかに動き始めた。内部には、既に数名の乗客の姿がある。銀色の外骨格を持つ技術スタッフ用の
ライアンが軽く挨拶をすると、Cクラス船員はちらりと目を上げただけで、再び端末に指先を当て作業に没頭した。「またトラブルですか?」という言葉を口にせずとも、彼の目にはそう書かれているようだった。
「カプセルの中はとても静かですね」
未来の断片を見通すことが可能だからなのか、退屈そうにウプシロンが呟く。彼女の視線はカプセル外に走る青白い光のライン、筐体内部のモニターを行き来していた。
「今日は磁場が安定しているのでしょうね。不快な振動を全く感じません」
「その静けさが不気味なんだよ」
ライアンは窓に目をやる。眼下に広がるのは植物栽培区画だった。
そこでは無数の緑が幾何学的に配置されたガラスドームの中で整然と育ち、船内の生命維持に必要な酸素や食料を提供している。リニアの進行に合わせ、磁場の影響を微かに受けたそれらは、海のように緑の波を流して揺れ動いた。
「地球の名残がこうして閉じ込められているのは、何とも皮肉ですね」
ウプシロンが冷静に言葉を発する。その声には微かな侮蔑が込められていたが、彼はそれを意に介さなかった。
「ったくよぉ……口を開けば本当に辛辣な言葉しか出てこねえんだな。人間サマが生き延びるために必要なんだよ」
「別に棘のある言葉しか出せない訳じゃあありません。私は場を和まそうと……」
ライアンの言葉に、Cクラス船員がちらちと顔を上げる。
彼はシンセティックに意識をインストールされたDクラス船員に、次の降車口で降りることを告げると、胸ポケットから高機能栄養食を引き抜きウプシロンに差し出した。
「再生処理プラントが再稼働しなくなれば、ここにある緑だって数ヶ月も持ちはしないんだ」
「私は
「おい、ウプシロン。オッサンの好意を無駄にすんな。貰えるもんは病気だろうが有り難く頂くのが礼儀ってもんじゃあねえのか?」
「ああ、君が新しいウプシロンだったのかい。先代とはモデルが一新されたから気づかなかったよ」
「ライアン。貴方の考え方には異論の余地がありますし、どんな病気であろうと受け取ってしまう思慮深さは、過去に人類の雄が減少した原因の一部だと知らないのですか?」
「……んなことぐらい言われなくても分かってんだよ!」
それからライアンは悪態をつきながらも短く頷き、Cクラス船員の手に握られていた高機能栄養食をウプシロンの胸に押し当てて再び前を向く。特殊な磁場を利用したカプセルが減速し始め、停留所に近づいているサインが筐体内部のモニターに映し出されると、初老の船員は部下のDクラス船員を引き連れてカプセルを後にした。
「……ったく、こんなのも共喰いの内に入んのかよ」
ライアンは独り愚痴るように吐き捨て、彼女との気まずい沈黙を背に受けながらカプセルの出口に目を向ける。その顔には少しだけ微笑みが浮かんでいた。
カプセルが静かに動き出し、モニター画面が切り替わる。そこに映し出されたのは、鮮やかな緑に覆われた大地と清らかな川の流れだ。笑顔の人々が穏やかな生活を楽しむ姿が続き、明らかに人工的な映像であるにもかかわらず、どこか心を和ませる力があった。
「なあ、人間モドキ。あれが政府の掲げる次の『大地』だとよ」
ライアンが低い声で呟いた。
自然との調和を意識した映像の中、優しげな女性の声が響く。
『
モニターに映る美しい風景が、まるで約束された楽園のように輝きを放っていた。その上に『N.O.V.Aによる新たなる統一の未来』というスローガンが輝き、穏やかなナレーションが流れ出す。
その場にいたCクラス以下の船員たちが、画面の青々とした森林の映像を無言で見入る中、ウプシロンは微笑むようにライアンを見た。
『21世紀末、人類は環境破壊と資源枯渇に直面し、分裂していた国家の壁を乗り越えました。我々、広大な同盟の《New Order of》
Bクラス船員ライアンは嘲るように鼻で笑う。
「統合ねえ。そいつは聞こえがいいな。実際には、食い物と資源が尽きたから誰も争う力なんて残ってなかったの間違いだろ?」
ウプシロンがちらりと横目で彼を見た。
「貴方のような漂流世代が、そこまで過去を語れるのは少し驚きですね」
「俺たち漂流世代には、N.O.V.Aが用意した『偉大な歴史教育』があるんだよ。でもな、それを鵜呑みにするほど俺の頭はイカれてない……」
美化された
「あれが『新たな地球』だとよ。俺らが鉄船で向かってるのも、こんな場所だってさ。でもよ、どこにそんな都合のいい星があるんだ? 本当は、N.O.V.A自身が分かってねえんじゃねえのか?」
「興奮してらっしゃるようですね……」
政府に対する苛立ちが抑えきれないライアン。彼は不信感を吐露せずにはいられない。
「ご先祖サマは『統合』なんて言葉で、過去の大失敗を隠してるだけだ。新たな未来って言うが、どこが新しいんだよ。俺たちはただ、限られた狭い鉄の船で生き延びてるだけじゃねえか」
カプセルの外には、N.O.V.Aが掲げた資源の再生施設や植林区画等の『自給自足型未来都市』の理念が形を成しているかのように見える。だが、ライアンはそれをただの見せかけだと知っていた。
「彼らにとっては良いメッセージではありませんか?」
「何にも知らされねえCクラス以下のクルーにとっちゃあ、いい夢だよな」
彼は視線を
「だけど、俺たちBクラス船員は知ってる。あれは全部、夢物語だ。地球で同じことをしようとした『過去の連中』が、何をしてきたかもな」
「過去の連中……地球を旅立つ以前の人類のことでしょうか?」
「ああ、そうだ。お偉いさんたちはこう言った。『人類は共存できる』ってな。だが実際はどうだった? 核廃棄物を地中に埋めて、酸性雨が降り注ぐ空を放置し、食い潰した資源のために自然を焼き尽くした。お偉いご先祖サマが地球を捨てなきゃならなかったのは、その結果なんだよ」
映像の中の人々の笑顔が、どこか虚ろなものに見えてくる。
「それでも『希望』が必要なんです。絶望を覆い隠すためには――」
ウプシロンの言葉にライアンは振り向き、静かに肩を
「希望だって⁉︎ 俺たちに残されたのは、お前みたいな人間モドキの人形と、作り物の映像だけだろ! どうして後の世代の俺たちが尻拭いしなきゃあならねえんだよ!」
カプセルが再び停車に向けて速度を落とし始める。その沈黙の中、ライアンの目には過去への悔恨と、未来への漠然とした不安が滲んでいた。
直接関わりのない人類が積み重ねた歴史を言葉にして重ねていくたび、彼の声には身に覚えのない罪の意識と苦み、誰に対して向ければ正しいのか理解できない憎悪が共に増していった。