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01「樹形素体ウプシロン」


 無数の星々が漆黒の闇に瞬いていた。恒星間入植船「Phageファージ-No.χカイ」は、光を反射する翼を広げ、無音の宇宙を滑るように進んでいる。船内の第五一般展望デッキに立つウプシロンは、その光景を静かに見つめていた。


 彼女の姿は一見、人間と変わらない。だが、近づいて見ると、肌に見える表面には微細な緑の筋が走り、左眼は黄金の光で輝いていた。その眼は現在の視覚だけでなく、あらゆる生物が集積した過去と未来を重ね合わせている。


 ウプシロンは、未来を見ることができる「樹形素体フィトモルフ」という素体アンドロイド。人類が生み出した生命体だ。だが、その特異な力は時として呪いのように彼女を縛る。


「4、3、2、1――」


 誰にも聞こえないほどの小さな声で呟く。黄金の左眼が発光し、無数の未来の断片が流れ込んだ。それらは全て、入植船の進路に関わる情報だった。


『ウプシロン、緊急通信です――』


 突然、通信端末に冷たい声が響いた。船の防衛システムを司るAI「Lotusロータス」だ。


『本船の進路上に小惑星群を検知。最初の衝突予測まで、残り8分42秒――』


 ウプシロンは微動だにせず、窓の外の星空を見つめ続けた。その瞳には焦りの色はない。ただ、近づく危機を冷静に見つめている。


「どれくらいの規模なの?」

『最大物体の直径68メートル、速度秒速35キロメートル。衝突確率は95.7%――』


 船の進路は、入植地に最短で到達するために設定されたものだ。しかし、このままでは小惑星との衝突が避けられない。防衛ドローンを緊急展開するか、進路を変更する必要がある。


『進路変更を提案します』

「いいえ、進路変更なんてしないわ」


 ウプシロンの声は静かだが、鋭い意志が宿っていた。


「最短ルートで目的地に着くのが最優先よ。進路変更で燃料を浪費すれば、到達後の生存可能性が大きく損なわれるわ」

『ですが……衝突の可能性が――』

「心配いりません」


 彼女の左眼が、より強い黄金の光を放った。


 未来を見通すその眼は、危機が既に過ぎ去った後の光景を映し出している。小惑星群のほとんどは船の前方を逸れ、残りはシールドが衝撃を吸収する。危機は表面的なものでしかない。だが、それを信じられるのは彼女だけだった。


「ロータス、掘削ドローンを再配置しなさい。流れに逆らわず、小惑星を分散させるの」

『理解不能な命令です。計算上の安全性が確保されません』

「計算の外にある真実を知るのが私の役目よ。いいからやって」


 冷静ながらも断固とした声に、ロータスは計算を更新せざるを得なくなった。ホログラム上に次々とドローンの配置と動きが表示される。その様子を見つめながら、ウプシロンの胸に僅かな緊張が走った。


(これが正解であると、視えたけれど――)


 左眼に流れ込む未来は決して完璧ではない。膨大な情報の中に、僅かな不確定要素が潜んでいる。全てが計画通りに進む保証はない。それでも、彼女は自分の「視える力」を信じていた。


 小惑星群との衝突まで、残り5分。船体は加速度を保ちながら進み、ドローン群がレーザーとEMPを放ち始めた。


『掘削ドローンの再配置、完了。磁気プラズマシールドを展開』

「これで問題ないわ」


『損傷予測、現時点で50%未満。ただし計算精度は低下中――』

「低下しないわ。見てなさい」


 ウプシロンがそう呟いた瞬間、展望デッキの窓越しに閃光が走った。ドローンのレーザーが小惑星を切り裂き、その破片がシールドに吸収されていく。


 恒星間航行で不可欠な資源の掘削機能を備えたドローンが次々に展開され、船の前方に防御の網を形成し始めた。それは、まるで植物が根を張り命を紡ぎ出すような光景で、展望デッキからもその動きが微かに確認できる。船体はまるで嵐の中を泳ぐ龍のように、優雅にその流れをくぐり抜けていった。


『掘削ドローンの作業範囲、良好。危険度は2%以下に低下しました』

「だから言ったでしょ? ロータス、素敵な光景だと思わない?」

『ウプシロン。非効率的な発想ですが……目標が達成されるなら異論はありません』


 ウプシロンは僅かに微笑み、静かに窓の外を見つめ続けた。

 船が小惑星帯を抜ける頃、彼女の左眼は再び未来を捉えた。その瞳には、新たな影が映っている。


(この船の中に……脅威が潜んでいる。小惑星はただの序章に過ぎない)


 その影は、これまでのどんな未来よりも不確実で、不気味だった。

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