「そなたは齢にして16の時、我がアルフヘイムの王と契約しておるな? しかし、ここ10年以上、王を召喚していないとか……」
フィリップ・ジェラルディンは相変わらず片膝を突き、頭を垂れた姿勢を崩さない。
「それは申し訳なく思っております。召喚の詠唱が、まるで思い出せなくなってしまっているのです」
「目当てのサテュロスを倒せば、記憶が戻ると?」
「それは分かりません」
「ふむ……」
光のエルフ村、村長であるビュクヴィルは、口ひげを指で擦って黙考する。
ところで、村長の立場の彼にしては、住んでいる建物の外見の立派さとは違い随分、庶民的な生活をしている印象だ。
現に今ビュクヴィルは、石臼で穀物を挽いていた。
まさか入ってすぐが、土間である事も驚きだ。
それでも右手を見れば、段差がある先へ見えるのはそれなりに、豪華な部屋だ。
接客用の部屋だと見受けられるが、フィリップ達人間はこの土間でも十分と言う事なのか。
簡単に招き入れた割りには、こうした所でささやかな差別意識を感じを得ない。
ビュクヴィルは、口を開きゆっくり言葉を発す。
「……奴の名は、マルシュアースと言う。我らにとって奴はとても醜く、下品且つ野蛮、とても不快な存在だ。主らが倒してくれると言うならば、喜んで居場所を教えよう」
「感謝致します」
フェリオ・ジェラルディンとレオノール・クインはただ黙って、フィリップとビュクヴィルの会話を聞いていた。
「奴は、ここから西南にある“パセリの森”で、生活をしておる。行くが良い」
こうして、エルフの村を出て三人は、パセリの森を目指した。
「俺ァ、てっきりもっとこじれると思ったけど、思いの他あっさりと教えてくれたな」
後頭部に両手を組み、歩きながら言ったレオノールの言葉に、横一列で並ぶ真ん中にいるフェリオが答える。
「フィルお兄ちゃんの、賜物だよ」
「てぇかさ! お前ら、幻の召喚師の生まれだったんだよな!? いざモンスターとバトる時、超役立つじゃねぇか! どうして使わないんだよ!?」
これに、右側を歩いているフィリップが、静かに口を開く。
「まずは何よりも、僕が召喚術の記憶を失っていることと……万が一何かあった時、フェリオまで両親のように失いたくはないから。それに……災いを呼ぶくらいなら、召喚師は必要ないとの話を他所で聞いちゃったからね。僕自身、もう使いたくないんだ」
「そんなぁ~……。超絶勿体ない!! 誰がそんないい加減な事言ったんだよ!! あ、でもフェリオは!? お前も使えるだろう?」
フェリオは子供体型なので、背が低いのを見下ろす形で左からレオノールが、尋ねる。
「……フィルお兄ちゃんが召喚術を忘れてるから、学べないんだ」
落胆した様子で、そう答えたフェリオに、レオノールは改めてガッカリするのだった。
パセリの森へ近付くにつれ、どんどんモンスターの数も多くなってきた。
かれこれ、もう五回は戦った。
「つ、疲れた……」
「ちょっと休もう~!」
レオノールとフェリオは、木に凭れかかり、ズルズルとその場にへたりこんだ。
レオノールに至っては、うつ伏せになって倒れこんでいる。
フェリオは魔法なのに対して、レオノールは体術だから疲労感が大きい。
「これは目的の相手をする頃には、くたばってしまうね」
フィリップは苦笑するものの、彼自身も随分魔力を消費している。
ひとまず、ここは休憩を挟むことにし、周囲にバリアを張ると軽食を用意した。
レオノールは、砕いた“バサラの種”入りの“オールドフルーツ”を与える。
バサラの種は、赤色に小豆ほどの大きさで力を+5アップさせ、グラノーラ風のオールドフルーツは体力を全回復させる。
フェリオとフィリップは、同じく小豆ほどの大きさをしている青色の“マージの種”を、粉末にしてミルクコーヒーに混ぜたものを。
マージの種は、魔力+5アップ、ミルクコーヒーは魔力を全回復する。
そして、干し肉で小腹を満たす。
「後、どれくらいであいつに……マルシュアースを見つけられるかな?」
「森はもう見えているけれど、中に入ってすぐとは、いかないだろうしね」
太陽が、西へ傾き始めている。
時間にしておそらく、15時くらいだろう。
フェリオとフィリップは、9年前の惨劇を思い出さずにはいられなかった。
そんな中、レオノールが言葉を挟む。
「俺、いいもん持ってるぜ。まさかこいつが役立つ時がこようとはな」
言いながら彼女は、荷物を漁りそれを取り出した。
「クローバー大陸にある、クランベリーの町で買ったんだ。“スピーカーホン”」
「何それ?」
「一体何の為に?」
そのメガホンのような形をした、赤い代物を見てフェリオとフィリップは、キョトンとする。
「そもそもクランベリーの町の近くに、ザクロ砂漠があってな。そこで遭難とかした時、こいつを持っていれば助けを呼べるらしい」
「へぇ~……!」
レオノールの説明を、兄妹は関心深げに首肯した。
「じゃあ、森に入ったら早速使ってみよう!」
「おうよ!」
フェリオの言葉に、レオノールも賛成する中、フィリップだけが緊張感を覚え始めていた。
バリアを解き、森へ向かい20分程で到着した。
「じゃあ呼ぶぜ? 準備はいいか?」
レオノールの確認に、無言で首肯するフェリオと、険しい表情を浮かべるフィリップ。
フィリップは、持っている杖を握る手に、力が入る。
彼女はスピーカーホンを口元に当てるや、森の中へ声を張り上げた。
「サテュロスのマルシュアース!! いるなら出てきやがれぇい!! 今こそ復讐の時! 召喚士の里の生き残りの者だああぁぁぁーっ!!」
周囲へ、レオノールの語尾が“だぁだぁだぁー……!!”とこだまする。
スピーカーホンの効果に、フィリップとフェリオは思わず耳を押さえた。
「……思った以上にでかく響いたな。これで聞こえねぇはずがねぇ」
当のレオノールも、スピーカーホンを眺め回しながら言った。
しばらくすると、上空から羽音が聞こえたので見上げてみると。
「!? ハルピュイアだ!!」
フェリオが叫ぶ。
フィリップは9年前の出来事が改めて、走馬灯のように思い出され、顔面蒼白となり恐怖のあまり絶叫した。
「ぅわああああぁぁぁぁーっ!!」
そして上腕を、ハルピュイアから掴まれた時には、フィリップは気絶していた。
川釣りをしていて襲われた、女に化けた蟲タイプモンスター。
同じく女の上半身をしたハルピュイアが、残酷無比に両親の肉を喰らい群がる光景。
あの日のフィリップにとっては、恐ろしい事の連続だった――。
「お兄ちゃん! フィルお兄ちゃん、しっかりして!!」
フェリオに体を揺さぶられて、気絶から目を覚ますフィリップ。
同時に、聞き覚えのある濁声が、彼の耳へ飛び込んでくる。
「てめぇらか。この俺様に復讐に来たってぇガキどもは」
上半身をゆっくり起こすと目の前には、忘れもしない黒い体毛に大きな古傷のある顔をしたサテュロス――マルシュアースが、下卑た笑みを浮かべ立っていた。
ところが。
「クックック……」
どうにもフィリップの様子がおかしい。
「クックック……ああ。そうだ! 貴様をブッ殺しに来てやったぞ!!」
顔を上げたフィリップだったが、冷酷に破顔させた彼の、本来は青い髪が淡い水色となり、瞳に至っては緋色へ変わっていた。
潔く立ち上がった彼を、不思議そうに見上げるフェリオ。
「フィルお兄ちゃん……?」
「この俺を敵に回したことを、たっぷりと後悔させてやる……!!」
そこは、断崖絶壁の岩山の頂きだった。
眼下には、鬱蒼とした木々が生い茂っている。
ハルピュイアから運ばれてきた三人は、そこへ下ろされたが。
気絶していたフィリップ・ジェラルディンが目を覚ました時、彼の性格が豹変していた。
フィリップは髪留めを外すと、腰まで長い水色の髪を風になびかせる。
「おい。フィルの奴、何かあったのかよ?」
「ボ、ボクにも、よく分かんない……!!」
レオノール・クインとフェリオ・ジェラルディンが、小声で言葉を交わしあう。
「ほぅ? 小僧。貴様は随分、あの頃と……雰囲気が変わったな?」
マルシュアースが、不敵な笑みを浮かべる。
「貴様こそ、9年の間に老けたではないか。黒い体毛に白髪が混ざっているぞ。そんな様子で、この俺の相手が務まるのか?」
フィリップの方は更に顎を上げて、不敵な笑みでマルシュアースを見下した。
目の色も本来の碧眼から、真紅の色へと変色していることに気付くフェリオ。
これにマルシュアースが、眉間に皺を寄せる。
ちなみに、マルシュアースの背丈は、178cmのフィリップより若干低いくらいだ。
確かに見る限り、フィリップ自身に間違いはないのだが、それでもまるで別人のように顔つきが変わっている。
「おいおい! フィル、めちゃくちゃ挑発してんぞ! あんな性格だったか!?」
「ボクもあんなお兄ちゃんを初めて見るよぉ~!」
フェリオは手に持っている鞭の柄を、まるで小枝にしがみつくかのようにして握り、背後のレオノールへ答える。
二人は、すぐにでも戦闘へ入れるよう、互いの背中を預けていた。