※第二章 その2
修学旅行が十一日まで、十二日と十三日は土曜日曜である。
土曜日も日曜日も、翌月曜日もずっとテレビは飛行機事故の報道を流し続ける。次第にわかってくる、生存者が二人だけという現実と、亡くなった者の名前。そして、同時に焼失した身元不明の遺体の数が増えていく。
僕みたいな、しがない中学生の頭では処理しきれない。
焼失した遺体……? 誰が誰だかわからないのか。バスケ部の友達の顔も大倉先生の顔もわからないのか? あのかわいい水谷さんの顔も姿かたちも……?
僕の存在を校長先生も忘れているのだろうか。週明けに学校へ登校すべきなのか待機すべきなのか、何の指示もない。きっと三年生は生存者一人を残して全員死んだと思われている。
そして、テレビでは、事故原因を追求する報道がひっきりなしに行われる。
バードストライクがあったことは機長の連絡でわかっていることだ。左側のエンジンが停止した。しかし、飛行機にはもう一つのエンジンがある。飛行機の車輪が出なかったのもトラブルだ。そのため、胴体着陸を試みるほかなかった。
金曜日の時点では、飛行機が爆発炎上したところが放送されていたが、倫理的な問題からカットされるようになった。僕は、土曜、日曜と夢を見ているような気分で、月曜日になって初めて実感するようになった。これは現実だ。夢ではない。そう思い、テレビを消した。
インターネットも見ない。新聞は元々とっていない。現実を受け入れられない逃避だ。
頭の中は真っ白で真っ黒。でも人間って意外と何も考えないってできないんだ。
何も考えずにいられるのは比叡山延暦寺で修行を積んだお坊さんくらいのものであろう。
バスケ部で三年間一緒に頑張ってきた墨田と岸川の顔が浮かんでは消える。水谷さんの笑顔が浮かんでは消える。くだらない冗談を言っている大倉先生の顔が浮かんでは消える。
未成年者だからだろうか、たった一人の生存者の名前は公表されなかった。それだけが気になる。誰だ……自分のクラスメイトだろうか。どこの病院に運ばれた?
会いたい。と思った。そのたった一人の生存者はどんな状態なのだろうか。意識不明、意識はあるけれど重体、意外にも軽症? 後者の可能性はほとんどない気がした。
会ったらショックを受けるだろうか。戦争映画で見たみたいに包帯ぐるぐる巻きにされて……。
僕はどうしたらいい。
父も母もとても心配していた。祖父や祖母からひっきりなしに電話がかかり、インフルエンザにかかったことを称賛するというよくわからないことになっていた。
学校へ行ってみようか。でも、行っても当然三年の教室には誰もいない。まさか全員の机に花が飾られていたりしないだろうか。
そんなことを考えていたら、家の固定電話が鳴って母がとった。
「優吾……教頭先生から」
ゆっくりと受話器をとった。
「はい」
「有川くんか。これだけ報道されているから存じているかと思うが……」
「知ってます……」
「……。君は大丈夫か?」
「大丈夫ではありません」
「そうだよな……。私も大丈夫ではない。しばらく学校は休校だ。ではまた」
たったそれだけで電話は切れた。
ふと、スニーカーを履いて、外へ出た。いつものようにバスに乗って駅から電車で八駅。
邑楽中学、高等学校の重厚な門の前には今もまだカメラを持った人がいた。そして、門の前には大きな献花台。花にジュースに漫画に、お菓子に、崩れてしまいそうなくらい山のように積まれている。僕は何も持ってこなかった。
墨田、墨田はそういえばコーラが好きだったけな。岸川、岸川は部活帰りにコンビニに寄って肉まんやらお菓子やら買い込んでいた。
僕は彼らの姿を見たわけではない。亡骸を見ていない。だからこそ、もしかしたらその辺にいるんじゃないかって思ってしまう。
いつも自転車に乗っていた墨田が軽快に漕いでいて、あー疲れたなんて言いながらその辺で立ち止まってコーラを飲んでいたり、勉強が苦手な岸川がテスト前に教科書を開きながら頭をわしゃわしゃしていたり、他のクラスメイトたちもその辺を当たり前に歩いていそうな気がしたんだ。
そんな気がしたんだ。
★ 三年四組、出席番号14番