第一章 その2
私立の中学というのは、校区が定まっていないので、都内あちこちから人が集まってくる。遠い人は埼玉や神奈川からも電車やバスを乗り継いでやってくるが、二件となりの家は近所でも有名な危ない家だった。
単純にゴミ屋敷なだけではなくて、塀ブロックがひび割れて、今にも倒れそうだし、伐採されていない庭の樹木が、家の屋根を突き破ろうとして、瓦にヒビが入り、それが落ちそうになっている。
『危険な家』としてピックアップされていた、その家にはおばさんが一人住んでいるようだったが、詳しくは知らない。ただ、その家イコール僕の家だと思い込んだクラスメイトから次々と嫌がらせを受ける。
ついには仲がよかったはずのバスケ部の連中まで口を聞いてくれなくなった。天涯孤独になった僕は、寂しかったが、登校拒否にはならず一人黙々と学校へ通い続けた。
名門とも呼べない程度の私立中学には、中途半端なお嬢様やおぼっちゃまが大勢いたが、その中でも一際、目立つ存在だったのが、高鳥さくらだ。
彼女の家は、僕でも知っている大豪邸。まるでおとぎ話にでてくるような門扉の奥にはバラのアーチ、そして、噴水まで見える。
たまたまサイクリングをしている時に見かけたその家に見惚れてしまった僕は、表札を見て『高鳥』と書いてあるのに気づいた。そして、学校でも生粋のお嬢様だという噂が流れていた。
当の本人はというと、無表情、友達いない、無口な何を考えているのかよくわからない子だった。一年の時、一緒のクラスだったが一度も話をしたことがない。
僕は、そんな『彼女』が気になったワケではなく、『彼女の家』がとても気になっていた。なんせ、築六十八年の家に暮らす僕にとっては憧れの中の憧れで、どうしたらあんな家に住めるのか。気になって仕方なかった。親は何をしている人なのか。
何気なく見ていたテレビでその答えを知ることになる。バラエティー番組の途中で流れるCMで高鳥グループがスポンサーになっていた。まさか、高鳥グループといえば、スーパー、コンビニ、その他、外食チェーン店、アミューズメント系など様々な店舗を牛耳る親玉だ。ああ、もしかして、高鳥さくらはそこの家の子なのか。
大きなため息が出た。親ガチャなんて言うけれど、資産家の家に産まれた彼女と、平民の僕。
当然、親には何度も懇願した。リフォームしよう。トイレが外なんて嫌だ。冬の夜中にトイレに行きたくなった時に寒くてたまらない。こんなボロい家だったら地震がきた時に危ないだろう。しかし親はリフォームを渋っていた。
「ほら、あの天井の梁を見てごらんなさい。立派な梁でしょう。リフォームしなくても大丈夫よ」なんて母さんは言うし、父さんも「お金がかかるからなあ」なんて言って二人とも貧乏性なので、古い家は古い家のままだった。
「お金がかかるならバイトする」
「何言っているの、あなた中学生でしょう」
親を心配させまいと、クラスでハブられていることは黙っていた。
そんなある日、僕は趣味のサイクリングで、堤防を走っていた。前に見えたのは、漆黒のサラサラのストレートヘアの女の子。まぎれもない高鳥さくらだ。
彼女はぬいぐるみのような犬の散歩をしていた。確かトイプードルとかいうんだっけ。
小さな茶色の毛糸に手足がついたみたいな犬というより小動物に近い……なんて思った。
お嬢様でも一人で散歩するんだな。そんなことを考えながら彼女のあとを追っていると、―別にストーキングしているのではなく歩いていく方向がたまたま一緒だから―、クロスバイクの集団が向かい側からやってきた。1、2、3……全部で八台のそれは、疾風のごとくものすごいスピードでやってきて、彼女の隣を通り抜けようとした。彼女は道を譲ろうと、堤防の端にズレたが、その時に足を踏み外してコケてしまった。
無意識のうちに駆け寄った。
「大丈夫?」
手を出したが彼女は無表情のまま僕の手をじっと眺めて、握った。
「ありがとう」
立ち上がった彼女は履いていたスカートについた砂をはらって、歩きだした。
まったく、堤防の上は自転車も可とはいえ、クロスバイクともなれば三十キロくらいのスピードが出るので、車とも大差ないのにスピードを緩めることなく歩行者の脇を通り抜けるからちょっと怖い。
彼女と話したのはそれだけ。何ごともなかったかのように再びリードを持って歩き出した。僕は彼女の三歩あとをただ黙って歩く。
しかし、たったこれだけのことが、僕を救うことになるなんて。
翌日の日曜日の夕方、家にいると玄関チャイムが鳴った。母親が買い物にでかけていたので自分が出ると、黒いスーツを着た男の人が立っていたのでぎょっとした。
借金取りか何か怪しい組織の人か⁉️ 変なセールスだったら断ろうと思ったら突然紙袋を差し出された。
「先日はお嬢様を助けていただき、ありがとうございました」
何のことかわからず唖然とする、僕は家の斜め前に停車してある車の後部座席に高鳥さくらが乗っているのを確認する。
「え、助けたって大したことをしていないです」
慌ててそう言うが
「いえ、お嬢様があなたにお礼がしたいとのことで」
半ば強引に手渡された紙袋を受け取ると、黒スーツの男は無表情のまま去っていった。
翌日、学校が始まると、突然バスケ部で仲の良かった墨田と、岸川が詫びてきた。
「いままでごめんな」
何が起こったのか理解できなかったけれど、二人に聞いたところ僕の知らないところで
『有川優吾の家はゴミ屋敷ではない』という情報がSNSで拡散されたという。
実名での拡散は辞めてほしかったが、誰が書き込んだのか信用するヤツらも出てきた。
こうやって、二年生の僕は仲間はずれから、一転して友達を取り返した。