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第18話 希求されても


 ――少しだけ、時を遡る。


 監理局二九階のオペレーションフロアに駆け付けた鷹音は、自動的に開く扉を半ば無理矢理にこじ開け、中へと踏み入った。

 フロア内には機士及び支機官の遠隔サポートを請け負う局員が総動員されており、みな一様に忙しなく動き回っていた。その中でも中央に設けられたメインコンピュータの前に立つ知己の男を見つけ、鷹音は脇目も振らずその者へと駆け寄った。


「射葉さん‼」


「あん? ……おぉ鷹音、やっと来たかテメェ!」


 少年の姿を見止めた射葉は、元々皺が多く見受けられる顔により濃い皺を作って此方を振り向いた。そんな彼に鷹音は詰め寄る。


「どういう事だ! 何で今日機士になったばかりの紗夜が出撃なんて――」


「俺が知るかってんだ! 管理課の局員から俺に連絡が来たんだよ! 『見知らぬ女の子がホロウを使用して出撃しましたが、何かご存知ですか』っつってなぁ‼」


 ほとんど同じ背丈の二人が至近で顔を突き合わせて叫び合う中、横合いから割り込む声があった。


「すみません、それはきっと私のせいかと……」


 頭にヘッドセットを付け、キーボードへ絶え間なく指を走らせていた李夏は、その端麗な貌に険しい色を覗かせながら言った。


「局内に緊急警報が鳴る直前、私は雪村さんにホロウやターミナルに関する説明をしていたんです。その際に、彼女にカードキーも渡してしまっていて……」


「だからって一度も戦場に出た事のねぇ素人がホロウ使うなんざ誰も予想できねぇだろうが! ……ったく、お前の連れてきた嬢ちゃん、見た目は大人しそうなのにやる事がぶっ飛んでんなぁ」


 大きなため息を吐いて呆れた視線を向けてくる射葉に構わず、鷹音は李夏の座るデスクに走り寄り、幾つもの画面に忙しなく視線を配る彼女に問い掛けた。


「華嶋さん、紗夜が出撃してどのくらい時間が経っている?」


「え? あ、えっと……おおよその概算で一〇分程度だと思います。車やヘリの類は使えないでしょうから、仮に〝自らの足〟で現場に向かったとなると――」


 数瞬の間の中で、李夏は僅かに視線を下に向けて大まかな演算を行った。


「……雪村さんの機士特性や身体能力の記録を踏まえれば、既に現場である第二特区に到着している可能性が高いかと」


「ならすぐに彼女との専用回線を組み上げるんだ! いくら戦場が神屍の跋扈する死廃領域ではなく、機士が絶対に死なない肉体を持っているとは言っても、全くの新人がオペレーターの支援なしで無事に帰って来れるほど状況は甘くないはずだ!」


「でっ、ですが雪村さんは正式登録を終えたばかりで、専用回線の構築はまだ……」


「――それでしたら、とうに組み上げは済んでいますよ」


 鷹音と李夏が争議を交わす中、唐突に闖入する声があった。いつの間にか鷹音の背後に立っていた市乃瀬季遥のものである。

 彼女は沈着な貌を変えないままに、一枚の紙きれを李夏へと差し出した。


「事前に申請を頂いていた、雪村紗夜の回線アドレスです。早急に追加登録インクルードを」


「ッ……ありがとうございます!」


 数瞬の間を置いて季遥から紙片を受け取った李夏が、コンピュータに向き直って驚くべき速度でキーボードを操作してゆく。

 その隙にフロアの最奥に設けられた中央モニターに視線を移した鷹音は、そこに映し出されている黒鋼壁倒壊現場の映像を確認した。


「……射葉さん。監理局に機士が到着して出撃するまで、あとどれくらいかかる?」


「ざっと三〇分ってトコだろうなぁ。現状、葛山の野郎を筆頭に支機官二〇人が避難民の対応に当たっちゃいるが、結局のところ破壊された黒鋼壁を塞がねぇと事態の収拾が付かねぇ。街に侵入した神屍の討伐と黒鋼壁の修繕を同時並行してやんなきゃなんねぇ事を踏まえりゃ、最低でも機士四〇人は必要だろうよ」


「……四〇人? いま街中にいる神屍の数を鑑みても、それはさすがに人員の過剰投入ではないかな」


 眉を顰めて怪訝の色を見せる鷹音に、射葉は暫しの沈黙を挟んでから、深い嘆息と共に低い声を発した。


「生憎と、それが今ウチが保有する機士のなんだよ。テメェら『先駆者レギオニス』が最前線に居た頃と違って、今の機士の大半は……何つーか、生半可な連中ばっかなんだわ。機士としての適性と資質は持っちゃいるが、覚悟のレベルも誇りの質もまるで足りてねぇ。自分が持ってる力のデカさに驕り切って半端な心持ちで得物を振るう……そんな奴らしかいねぇんだよ」


「……、」


 射葉の言葉を聞き、そして彼がその貌に浮かべる淡い陰影を見て、鷹音は己が前線から離れた三年という月日を改めて顧みた。

 射葉の声音には隠し切れない苛立ちとやるせなさが覗いていた。それほどまでに監理局が今抱えている機士達はみな落魄れているのだろう。だが、そのような連中は鷹音が一線で戦っていた頃にも少なからず存在していた。

 自身の知らぬ歳月の中で、いつの間にやらその割合が大きく逆転してしまっていた事を知り、鷹音はほんの少しだけ瞼を伏せた。


「……日本を離れている朝唯はともかく、真白ましろはどうしたんだ? 少なくとも彼女一人が居れば機士達の質が零落するはずもなかったのではないかな」


「あぁ、真白ちゃんならここ一年くれぇ東京には帰って来てないと思うぜ。たぶん今頃は旧島根エリアの辺りでウロチョロしてんじゃねぇのかね」


「旧島根……って言えば未踏領域じゃないか。そんな所へ何をしに――」


「何って任務に決まってんだろ。テメェが前線から引いて彩乃ちゃんも入院して、更には旧多ふるたの奴まで日本を出てってからも、真白ちゃんは変わらず『先駆者レギオニス』として一人で特務に就いてんだ。少しは見習えやバカ野郎が」


 思わぬ形で聞かされた旧友の近況に感心すると同時、その者と自らを比較して鷹音は少しばかり複雑な気持ちになった。気まずい胸中を悟られたくなくて明後日の方向を向いた彼に、射葉は正面のモニターを見据えたまま静かに続けた。


「少しでもそう思うんならよ。引退、少し考え直せや」


「……その話は今すべきではないだろう。まずは紗夜への対処が先決だ」


 そう言って会話の流れを打ち切った鷹音は、射葉と同様に中央の大画面へと視線を戻す。

 街の各所に設けられた監視カメラが映し出す映像を見るに、既に半数以上の住民が避難を終えたように思える。

 第二特区は主にビジネスビルやオフィスタワーが立ち並ぶ区画であるからして、基本的には会社勤めの人間が多く見受けられるエリアだ。

 しかし今日は土曜日であり、平素と比較して区内にいた人間が少なかった事も幸いしているのだろう。

 でなければ、騒乱が起きてから今までの短時間で、これほど早く非難が完了するはずもない。


(……だが)


 現状、黒鋼壁から侵入した神屍は第二特区のエリア内に留まっているものの、獲物である人間が何処にも見当たらないとなれば、隣接する特区にまで進攻しかねない。最悪の状況を考え、黒鋼壁の崩壊箇所から直線距離で最も近い第四特区の一部には避難指示が出されているようだが、その配慮は必ず杞憂に終わらなければならない。

 そこまで考えたところで、鷹音はある一つの疑問を脳裏に抱いた。

 頭に浮かび上がったのは紗夜の事だ。彼女は今日機士になったばかりの新人ではあるが、事前に李夏からホロウに関するレクチャーを受けていたのであれば、システムを使用して出撃できた理由もまだ理解できる。


 だが一つ、決定的な見落としがあった事に鷹音は気付いた。


 バッと背後を振り返り、そこに控えている機構管理課副主任の女性を見る。赤縁の眼鏡を掛けて冷然とした面持ちを掲げる季遥は、唐突に振り向いた鷹音へと訝る視線を投げ、小さく首を傾げた。

 彼女を見据えたまま、鷹音はけれど絶えずキーボードに指を走らせている李夏へ問うた。


「……華嶋さん。紗夜にはホロウに関してどこまで説明した?」


「え?」


 少年の言葉に一瞬手を止めて反応した李夏は、僅かな思考の後、進行中の作業を再開しながらに応じた。


「えっと……基本的にはターミナルの使用方法や、ホロウが機士に与える付加的影響についてお教えしましたけど――」


「なら、ブラッド・ギアの展開方法については」


 その瞬間。

 李夏だけでなく鷹音と視線を合わせていた季遥までもが慄然としたかのように瞠目した。

 彼女達の反応で己が口にした問いの答えを判じた鷹音は、卓上に放り投げられていた空きのヘッドセットを半ば反射的に掴み取る。その様子を見た李夏が数瞬の硬直から我に返り、すぐさまコンピュータに向き直った。


「早急に雪村さんとの回線を構築します‼」


「……頼む」


 反射的に掴んでしまったヘッドセットを元の場所へ置きながら、鷹音はモニターの一つから街に侵入している神屍の大まかな数と進行状況を確認した。流動的に動き続ける赤の点は主に第二特区の南西エリア……黒鋼壁崩壊地点から半径二キロ程度の範囲内を徘徊しているように見える。隣接する第四特区との境界まではまだ距離があるが、楽観はできないだろう。

 加えて不審な点もあった。

 黒鋼壁の崩壊が通達されてから既に三〇分は経過している。ならば街の中心部にまで神屍が侵入していても何らおかしくはないはずだが、予想に反して神屍の進行はさして肥大化していない。

 その事に一抹の疑問を抱いた鷹音が改めてモニターの画面に向き直れば、絶えず明滅する赤点が何かに引き付けられるように集団を成して移動している事に気付いた。


(……この変遷はなんだ? まるで、神屍全てが何かを追って移動し続けているみたいだ)


 街へ侵入した神屍が群れクラスタを形成して行動する種である事は解っている。

 だが、画面上に表示されている赤点の集合は一群の平均総数を大きく上回っているように思えた。

 幾ら同種と言えども獣種型の群団にはそれぞれ確固に頭目が存在し、群れの麾下は自分達の親玉にしか従わない。

 それを思えば、これほど多くの神屍がまとまって移動しているのは不可解と言えた。

 鷹音が眉根を顰めてモニターを凝視していると、先ほど紗夜の回線アドレスが記された紙を李夏に渡していた季遥が、その場に佇んだまま鷹音を見つめている事に気付いた。


「……何をしているのかな、市乃瀬さん。もうすぐ監理局に到着する機士の為に、ホロウやギアの点検をしておいた方が良いと思う訳だけど」


「その程度の作業、部下の方々に任せておいても何ら問題はありません。――それよりも、筱川鷹音」


 名を呼ばれ、振り向く。眼鏡の向こう側に見える厳格な瞳と鷹音の双眸が交錯する。

 数瞬の沈黙が両者の間を流れた後、季遥は静かに言葉を続けた。


「貴方が望むのであれば、私は私の成すべき事を成します」


「……成すべき事?」


「かつての貴方が使用していた専用ギアの羈束解除アクティベートです」


 その台詞に、鷹音は無意識に呼吸を止めた。

 告げられた言葉を切欠として彼の脳裏に浮かんだのは、余計な装飾のない武骨なデザインの太刀。機士としての資格を得てから一線を離れる二年前まで絶えず愛用していた、相棒とも言える一振りの得物。

 その記憶が過去の己を否が応にも想起させ、鷹音は頭痛を堪えるかのように片目だけを軽く細めた。


「……さっきも言ったはずだ。俺が戦場に事はない。何度言えば分かるんだ」


「ならばこの際、意思が変わるまで焚き付けましょう。貴方が戦場へまで、何度でもです」


「っ……」


 歯軋りの音が鳴った。季遥の瞳は決して揺らぐ事なく鷹音を見据えている。

 怜悧な色を宿した双眸が、鷹音の奥底に揺蕩う泥濘へ針を刺すかのように注がれる。それだけで覚悟と後悔の一切が突き動かされるほど彼の精神は脆いものではないが、一抹の厭わしさに似た感情が鷹音の頬を震わせた。

 一流の戦闘者のみが持つ濃密な威が少年から漏出する。ここ数年の怠けた機士しか知らない監理局員が、感じた事のない巨大な圧に思わず作業の手を止めて鷹音を振り返った。

 その場の多くが戦慄の感情を抱き、束の間、フロア内に唐突な静寂が齎される。


「……やめとけ、鷹音。季遥ちゃんも、あんまコイツを刺激してやんな」


 対峙する二人を引き離すように掛けられた声は、射葉のものだった。

 草臥れたスーツを纏う男は周囲に向けて手を振り、言葉を失って固まる局員を作業に戻らせてから、鷹音と季遥の間へやんわりと割り込んだ。


「こんなとこで言い争いすんな。状況を考えろ」


 二人へ順繰りに視線を送り、支機官統括責任者の男は最後に鷹音の肩をポンと叩く。


「戦場へ出ろなんて無理強いはしねぇ。でも、お前との間に何かあったから嬢ちゃんは飛び出しちまったんだろ? ならその始末くらいは付けろよな」


「……解っているとも」


 応じながら、正面に立つ女性からは視線を外さなかった。

 市乃瀬季遥の瞳がけぶるように揺れているのが見える。それは一種の期待を孕んだ眼差しなのだろう。同時に、その期待に応えられない鷹音に一抹の自責を訴える双眸でもあった。

 瞬きと同時に視線を外す。今すべきなのは、差し向けられる眼差しに良心を痛める事ではない。無謀を押して戦場へと飛び出た少女の対処が何よりも先決だ。

 ――何故ならば。


「……新人だから神屍は斃せないとか、そんな問題以前の話だ。武装の展開方法すら知らない紗夜は今、とどのつまり全くの丸腰状態で出撃してしまっている訳だけど」


 苦虫を嚙み潰したような表情で鷹音は言った。隣で射葉が唸るように応じる。


「向こう見ずなトコは昔のお前に似てんなぁ。ようやっと真面目そうないい子ちゃんが機士になってくれたと思ってたのによ」


「そんな普遍極まりない人間は機士になんてならないだろう」


 適当な言葉を返しながら前方の中央モニターを見上げる鷹音の耳に、ヘッドセットから微かなノイズが走り始める。

 タイミングを同じくして回線構築を終えたらしい李夏が、回転式のチェアをぐるりと回し、鷹音に向き直った。


 その手には、先ほど鷹音が掴んだヘッドセットが。


「完了しました。鷹音くん、後はお願いします」


「……華嶋さんがオペレーティングした方が何倍も迅速なのではないかな」


「アホか。只でさえ李夏ちゃんはタスク同時並行してんのに、これ以上仕事増やしてやんな。それにお前の方があの嬢ちゃんも安心すんだろ」


「そんな簡単な話ではない訳だけど」


 何だか上手い事利用されている気がしてならないが、事は一刻を争う。

 浅い一つ息を吐き、大人しく頭に装着した機器へと軽く手を触れる。数秒の間を置き、やがてヘッドセットの向こうから少女の息遣いが聞こえてきた。


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