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第10話 人類の叡智

 鷹音と別れた李夏は、紗夜を伴って監理局のエレベーターで下層へと降下していた。

 目的の階層は、地下三一階。広大な敷地面積を誇る防衛組織の最深奥部に位置する機密エリアである。

 ゴウン、ゴウン、と。鉄製の箱が断続的に発する駆動音を聞きながら、李夏の脳裏には先程の鷹音の顔が浮かんでいた。

 胸中を悟られまいと必死に取り繕って被った仮面の隙間から垣間見えた、苦痛と後悔に歪む彼の顔。付き合いの長い李夏にしてみれば、彼のそんな表情は見るに堪えない。

 しかし彼女にはどうしようもできない問題である事は明らかだった。


「はぁ……」


 思わず溜息を零す。

 神屍と戦う機士をサポートするオペレーターという仕事柄、普段から気丈な姿勢を貫こうと心掛けている彼女であるが、今はそんな事を気にする余裕などなかった。


 あの後、鷹音は強引に話を打ち切ると席を立ち、何も言い残す事無くラウンジから出て行ってしまった。辞職届の類は渡していないので心配は杞憂かも知れないが、監理局の上層部へ直接進言しに行かないとも限らない。

 彼の意思は並大抵の説得では揺るぎもしない程に堅牢だ。鷹音が折れずに何度も頼み続ければ、頭の固い人間が揃う上層部が正規の手続きを経ずとも、彼の引退を容認してしまう事だってあるだろう。

 そうなってしまえばいよいよ李夏にはどうしようもできなくなる。極めて有能なオペレーターの彼女とは言えども、やはり上の人間が決定した事項には逆らえないのである。


 扉横の壁に設けられた電光掲示板が、地下二〇階を通過したと知らせる。一般的なエレベーターと比較して上昇降下の速度が遅いため、目的層まではもう少し時間が掛かりそうだった。


「あ、あの、華嶋さん」


 李夏のすぐ隣でちょこんと控えていた紗夜が、おずおずといった風に言葉を発した。

 途端に今は仕事の真っ最中だった事を思い出し、咳払いと共に瞬時に背筋を正す。


「はい、どうかしましたか?」


「その、えっと……湊波彩乃さん、について教えてもらう事ってできますか?」


 そう訊ねられ、李夏は思わず瞠目した。


「と、言いますと?」


「どんな人だったのか、とか、筱川さんとはどういう関係だったのか、とか、そんな感じの事です。さっきの華嶋さんと筱川さんの話を聞いてて、ちょっと気になっちゃって……ダメ、ですか?」


 可愛らしく上目遣いで訊ねられ、李夏は悩むように指を顎に当てて思案した。

 別段、監理局には第三者に関する情報は僅かでも教えてはならないという約定は存在しない。

 そもそも紗夜が知りたがっているのは彩乃の個人情報などではなく、あくまでも彩乃の人柄や周囲の関係性にまつわる事柄であるからして、迂闊に口を滑らせる可能性を危惧する必要はないだろう。


 タイミング良く目的階層に到着したらしく、先程よりも重厚な機械音を響かせて開いた扉を潜り抜けながら、李夏は小さく頷き、すぐ後ろを付いて来る紗夜へとゆっくり語り始めた。


「そうですね……彩乃ちゃんは、一言で表すとすれば『誰よりも機士らしくない』人でした」


「機士らしく、ない?」


 李夏の言葉に、紗夜は小首を傾げて疑問符を浮かべる。


「はい。雪村さんも正式に登録を済ませて戦場に出てみれば分かると思いますが、神屍討伐を主な任務とする機士というのは、基本的に殺伐とした方々ばかりなのです。当然ですよね、毎日のように死廃領域に行っては真っ黒な怪物と戦い続けているのですから。別に気性が荒いとか暴力的だという意味ではありませんが、まぁ良く言えば個性的な印象を持つ方が多いのです」


 きっと彼女の脳裏にはこれまで出会った様々な機士の姿が浮かんでいるのだろう。

 口許に淡い笑みを湛えつつ、オペレーターの職に着任して長い女性は続ける。


「ですが彩乃ちゃんは違いました。彼女はどこまでも優しくて、柔らかくて、温かい心を持っていました。すさんで尖ったところなんて少しもなくて、いつも笑って誰かを励ましていて……そんな彼女の存在は、周りにいる人達を自然と癒していたのではないでしょうか。勿論、鷹音くんも然りです」


「筱川さんも?」


 紗夜が思わずといった風に訊ねる。

 麗しの美女は笑みを絶やさぬままに淑やかに首を縦に振った。


「鷹音くんは一三歳の時に機士の資格を得ましたから。まだ精神的にも成熟していないのに殺伐とした世界で頑張る彼を、彩乃ちゃんはまるで弟のように想っていたでしょう。その気持ちは間違いなく、当時の鷹音くんにとって心の支えになっていたはずです」


 追憶に耽ってか視線を少し上方へ向けて懐かしむように目を細める李夏を、紗夜は神妙な面持ちで眺める。

 そこには、今日付けで機士になった彼女には到底踏み込めない領域があるのだろう。李夏の話を聞いた事により、改めて鷹音が自分よりも先の世界で生きていた人間なのだと思い知る。


「彩乃ちゃんの他にも鷹音くんを大切に想う方々は沢山いたのですけれど、彩乃ちゃんは特別といった感じでしたね。共に任務へ出た回数も一番多いですし、何よりお互いがお互いを信頼しているのが端から見ていても分かりましたから。……だからこそ、今の鷹音くんがあんな風になってしまったのも、当然と言えば当然なのですが」


「えっ……?」


 最後の方が途端に呟く程度の声量になってしまったために上手く聞き取れず、紗夜は横合いから李夏の顔を覗き込んだ。誰しも見惚れてしまう程に整った彼女の美しい貌に、色濃い陰影を刻む麗人の名を、紗夜は無意識に口にする。


「……華嶋、さん?」


 呼ばれた彼女は伏せかけた瞼を開いて我に返ると、すぐ横で並び歩く少女の顔を視界に収めるなり、


「あ……す、すみません、また少し気を抜いてしまいました。今は勤務中だというのに駄目ですね、私は」


 そう言って無理やりに気力を出して、いつも通りの気丈な顔付きに戻した。

 彼女の凛とした横顔を眺めていた紗夜は、恐らくあまり言及しない方が良い話題であると判断し、それ以上聞くのは止めておいた。

 思わず言葉を連ねそうになる唇を引き締め、進む方向へと視線を向ける。


 薄暗の色合いが埋め尽くす何の装飾もない廊下を、局員である李夏は迷わずに歩んでゆく。

 途中で幾度もの曲がり角に差し掛かり、けれどオペレーターの女性は一歩も踏み止まる事なく右へ左へと進んでいくので、紗夜はとっくに道順を覚える努力を放棄していた。

 帰りは必ず案内を付けて貰わなければ迷子になるのは確実だった。


 まるで迷路の如く入り組んだ最下層エリアだが、きっとこの場所も鷹音は正確に把握しているのだろうと紗夜は思った。これから機士として生きていくのならば、戦闘技術だけでなくこういった事細かな部分もきっちり頭に入れなければならないのだろう。

 それは恐らく、一三歳という今の紗夜よりも幼い頃に戦闘者となった鷹音もまた経験したであろう手順だ。ひとつひとつ着実に知識を蓄えていけば、きっと自分も鷹音のように強い機士として周囲から厚い信頼を得る事ができるだろう。


 ――そこまで考えたところで、紗夜はふと、いつからか自分が彼を目指すべき到達地点として見据えている事を自覚した。


 未だ一度として共に戦場に立った事がない。

 それどころか出会って半日も経っていないのに、紗夜は鷹音に対して憧憬にも似た情念を抱いていた。

 顔を合わせて間も無い人間にはなかなか心を開く事ができない紗夜にしてみれば非常に珍しい事である。


 では、何故か?

 そこまで思考が進んだところで、少し前を歩いていた李夏が不意に立ち止まった。


「さぁ、着きましたよ」


 見れば。

 エントランスホールの入り口に設けられていたものとは比較にならないほど重厚かつ機械的な扉が目の前に聳えていた。

 横幅は三メートル弱、縦幅は六メートル以上もあるだろう。

 中央開きのスライド式であるらしく取っ手の類が何処にも見受けられない。だが自動ドアという訳でもなさそうで、巨大な扉の横には小さな液晶パネルが取り付けられていた。

 ひとまず紗夜を置いてパネルの前に歩み寄った李夏は、一度画面に指先を触れさせ、スリープ状態にあった機能を起動させる。

 バックライトが点灯し、一から九の文字盤が表示される。それを李夏は細く滑らかな指で素早く叩く。

 およそ十桁を超える暗証番号を入力し終えると、厳かな振動音と共に鉄鋼の扉が左右に開き始めた。


「わわっ」


 あまりにも重質な駆動音に思わず半歩ほど飛び退いてしまった紗夜の視線の先で、やがて扉は動作を停止させる。露わになったその先の光景を見て、黒髪の少女は恥を忘れてポカンと固まってしまった。

 まず一番に視界へ入って来たのは、高さがゆうに二〇メートルはありそうな巨大な装置だった。

 全体としては培養液タンクにも似た円筒管のような形をしており、様々な位置から何十本と太いチューブが伸び、広大な天井に空いた幾つもの穴へと接続されている。

 引っ越す前まで通っていた学校の校舎とは比較にならないほど巨大な物体に、紗夜はただ言葉を失うばかりである。


「さ、入りましょうか」


 李夏に微笑みと共にそう言われ、ようやく我に返る。

 たたたっ、と慌てて彼女の背中を追い掛けながら、紗夜はだだっ広い空間の四方をキョロキョロと見渡す。地下一二階のエントランスホールに比べれば人の数は少ないが、それでも白衣に身を包む男女があちこちに確認できた。

 恐らくは監理局員の人達だろう。

 偶然に目が合った者達に軽く頭を下げつつ李夏の背に付いて歩いていると、唐突に彼女が思い出したように「あっ」と声を上げて、くるりと紗夜の方へと向き直った。


「申し訳ございません、雪村さん。お渡ししなければならないものがあったのをすっかり忘れていました。本当なら雪村さんに出頭して頂いたその時に渡すべきだったのですが……」


「??」


 紗夜が首を捻っていると、李夏は身を包むジャケットの内側から一枚のカードを取り出し、そのままそれを紗夜に差し出して来た。


「はい、これ。雪村さん専用のカードキーです。絶対に無くさないよう大切に持っておいて下さいね」


「……カードキー?」


 今度は反対側に小首を傾げ、手渡されたそれをじっくり眺める。

 駅で使う定期券にも似たそれには、監理局の正式名称と紗夜のフルネーム、生年月日や登録番号と書かれた八桁の数字が刻まれていた。


「それは監理局に勤める人なら誰でも持っている証明証のようなものです。雪村さんにとっては学生証といった方が分かり易いでしょうか。あれと同じです。いくら局員に顔を知られている人でもそれが無ければ仕事に支障を来してしまうので、決して紛失しないようお願いします」


「し、支障ですか」


「はい。もし無くされて再発行するとなった場合、非常に面倒な手続きが待っていますので、留意しておいて頂けると助かります」


 微笑みと共にスラスラと流れるように出てくる説明が、既に何度も繰り返し言葉にされた台詞である事を暗に示していた。


「特に雪村さんのような機士の方々は、そのカードキーが無ければ『ホロウ』に接続する事ができませんから」


「……ホロウ?」


 李夏の口から出た単語にふと引っ掛かりを覚えた紗夜が眉を潜めると、李夏は彼女を引き連れて再び歩き始めた。

 歩みを進めながらも、艶やかな唇からは淡々と言葉が紡がれる。


「機士の皆さんは日々死廃領域へと赴き、武器を手に神屍と戦う責任を背負われていますが、何も生身の身体で死闘を繰り広げている訳ではありません。例え致死の傷を負ったとしても機士が死ぬ事のないようにと造られた、一五年前に人類が各国の技術者を掻き集めて生まれた神々に歯向かう唯一の対抗手段……」


 カツン、と。ヒールの底を音高く鳴らして立ち止まる。

 オペレーターとして常に機士のサポートに徹する歳若き麗人は、眼前に佇む円筒管の機構へと視線を注ぎ、静かに言を重ねた。


「それが、光彩量子励起こうさいりょうしれいきシステム『ホロウ』。人類がかつての栄華を取り戻すための、最後の砦とも言うべき機密機構です」


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