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昏き世界の虚神譚〈ホロアート〉 〜神殺しの最強機士、筱川鷹音の伝記〜
昏き世界の虚神譚〈ホロアート〉 〜神殺しの最強機士、筱川鷹音の伝記〜
みょーじん
現代ファンタジー都市ファンタジー
2025年02月20日
公開日
13.8万字
連載中
西暦2067年。

突如として出現した漆黒の異形《神屍》により、世界は混沌と壊滅を極めていた。
人類の領土を奪い尽くした神代の怪物を屠るべく、「機士」と呼ばれる最新鋭の戦闘者が生まれ、人々は薄氷の上に成り立つ平和を辛うじて保っている。

かつて当代最強の機士と謳われ、ある出来事をきっかけに今は前線から身を退いている少年、筱川鷹音は、何の目的も見出せない日々を茫洋と生きていたが、一人の少女との出会いを契機に荒廃した死地へと舞い戻り、燻っていた力を振るう決意を己に下す。

第1話 神を屠りし少年少女

 まるで墨汁を垂らしたかのように、黒く仄めく暗雲が頭上を過ぎ去っていく。

 昏い。

 空はあまりにも昏かった。

 一切の生命を拒絶するかの如く、見る者に畏れすら抱かせる漆黒の雲海。今はその雲間より無数の雨粒が降り注ぎ、大地を打ち付けている。

 地上付近に漂う薄い霧が一層視界を悪化させ、じっとりとした嫌な緊張が全身を駆け巡る。


 四方に見えるのは半ば崩れかけた建造物ばかり。まともな造形を保っているものなど、この場においては皆無だった。

 コンクリート片が辺りに転がり、根本よりへし折られた街路樹が無残にも横たわっている。何か途轍もない暴力や厄災でも降りかかって来たかのような酷い有り様であった。

 そんな救いようのない壊滅的な世界。

 紛れも無い現実でありながら、容易に信じ込む事のできない世界。

 天上より時おり轟く雷鳴が、死を瞑想させるその一帯を明るく塗りつぶす。


 直後、紅蓮に染まる灼熱の業火が辺り一面を薙ぎ払った。


 衝撃や暴風、熱波が、岩片をさらに砕き木葉を一瞬にして灰燼へと帰す。

 刹那の間に地獄絵図へと変貌した眼前の光景を見つめ、頬を撫でる風圧に愉悦を感じながら、少年は腰から長大な太刀を抜き放つ。身に纏う軍服の裾が風に靡き、耳障りの良い音を立てた。


 視線を前方上空に佇む標的へと向ける。

 人間の何十倍もある巨躯はゴツゴツとした堅牢な鱗に覆われており、その背部からは大きな皮膜を持つ翼が絶えず蠢いている様子が見て取れた。

 不気味にギラつく鋭爪。

 幾つもの刺が生えている強靭な尾。

 少年にとっては嫌というほどに見慣れたその漆黒の威容。その容貌は、神話に語られる竜のそれを象っていた。


 伝説の上で語り継がれるばかりの存在が、いま自分の目の前にいる――。

 そう思うだけ、少年の心はいつにも増して昂りを見せた。刀を鳴らして切っ先を突き付ける。

 しかし今の少年の役割は、あの黒い体躯を持つ巨竜と正面から対峙する事ではない。

 単なる時間稼ぎ。無暗に牙を剥かずとも注意を惹き付けておくだけで良いのだ。


 注意は逸らさぬままに、意識を周囲へ巡らせる。

 援軍の姿は何処にも見当たらない。だが、多く見積もっても五分程度陽動として動けば十分なはずだ。

 口端を吊り上げ、不敵な笑みを標的へと投げる。

 まさかそれに応じた訳ではないだろうが、黒竜が大きく咢を開き、咆哮を放った。

 音は圧力となり、少年の立つ地上にまで伝播する。少し長めの前髪が揺れるが気にせず少年は特攻を開始した。


 地を蹴る。

 踏み込まれた部分のコンクリートが爆ぜ、少年の身体は重力に逆らう形で黒竜の巨体へと肉薄した。

 そのまま首筋へと斬撃を叩き込む。

 空中でありながら十全に威力の乗った袈裟懸けは、だが分厚い外皮を引き裂く事はない。

 表面に浅い切り傷を刻んだだけに留まり、少年は小さく舌打ちをする。

 全くダメージが通っていないようで、相手は意に介した様子を見せない。そう簡単に歯向かえる相手ではない事は初めから分かっていた。


 ――かつて人類が栄華を極めたその面影は、いま少年の認識している光景には微塵とて見受けられない。


 温かな生命の大半が死滅の道を辿り、代わりに異形の存在が蔓延るようになった。その変遷の記憶は、未だ人類の脳裏に鮮明に焼き付いている事だろう。

 唐突に生きる場所を奪った連中から自分達の土地を奪い返す。その為に、少年達『機士きし』は得物を手に取り強大な存在へと立ち向かっている。


 立ち向かうだけの力を人類は手に入れたのだ。もう、己の世界が侵食されていくのをただ見ているだけではなくなった。

 禍々しさを醸す雲空を背後に君臨する漆黒の異形。本来であれば人間が太刀打ちできるような相手ではない。

 しかし、少年は臆す事もなく再び己が刃を突きつける。


 自然落下に身を任せて地面へと着地した少年へ、鋭利な鉤爪が襲い来る。

 ゴウッ! と風圧を纏い迫る凶悪な攻撃に、けれど少年の目に恐怖の色は見られない。得物の柄を両手で持ち、体前に構える。

 一切として華美な装飾が施されていない、無骨な一振りであった。

 唯一の特徴と言えば、柄尻から切っ先にかけて数本の青いラインが刻まれている事くらいだろう。


 ただ相手を斬り裂く事だけを考えて造られた戦闘者の武装ブラッド・ギア――機械太刀『青鉄あおがね水脈すいみゃく』。

 これまで幾度となく彼の命を救い、また幾つもの死線を潜り抜けてきた少年の愛刀。持ち主の意志に呼応するかの如く、仄かに淡い光が灯る。


 迫り来る鋭爪を、下方から斬撃をぶつける形で躱す。激しい火花が散り、少年の視界を明るく照らした。凄まじい速度で側頭部を過ぎ行く暴風には目もくれず、少年は更に追撃を仕掛けた。

 無防備となった黒竜の懐へ潜り込み、牽制の一撃を叩き込む。

 勿論、刃がその肉を貫通する事はないが、標的の意識は少年へと強く固定される。

 煌々と紅く輝く双眸が、ギョロリと差し向けられる。


「……、」


 一旦距離を取り、相手の出方を窺う。

 これだけの体格差がある敵に対して距離を置いた中での戦闘は不利極まりない。

 そもそも少年の携える武器は太刀の系統。中途半端に離れた位置で立ち回れば、即座に黒竜の炎を食らう羽目になる。

 〝この身体〟は例え心臓を貫かれたとしても死ぬ事はないが、痛覚まで遮断されているというわけではない。

 刃物で切られれば痛みが走り、業火に身を灼かれれば文字通り身を焦がすほどの熱が全身を迸る。死なない身体とタカを括って不用意に突撃しようものならば、寧ろ死なないからこその地獄を見る事となるだろう。


 ――強大な敵を前にしたら、一撃の重さよりもまず速さを意識しろ。


 機士となった当初に或る人物より授けられた教訓のひとつだ。

 どうせこの獲物をたった一人で仕留められるはずもない。そんな自惚れも抱いていない。

 ならば、速さに特化し回避に徹する事で時間を稼ぐ。少年の冷静な思考は、現状において最も正しい答えを導き出した。


「……とは言え、そう簡単に鬩ぎ合えるほど生半可な相手じゃない訳だけど」


 刀を鳴らして肩の高さに構えを取る。切っ先を真っ直ぐに突き付け、体勢を低く維持する。

 黒竜の口端から時折、紅蓮の炎が覗く。自身に纏わり付く小賢しい外敵の存在に苛立ちを覚え始めたのか、「グルゥゥ……」という唸り声が発せられた。

 少年は浅く息を吐き、体内のリズムを一定に整える。


 戦闘において緊張は必要なものだ。

 しかし度が過ぎればそれは動きを阻害する要因になりかねない。

 負ける気など毛頭ない。ここで負ければ己の尊厳を汚す結果へと繋がる。それだけは避けねばなるまい。

 じりじりと距離を詰めながら、懐に潜り込む隙を見定める。

 と、その時。

 少年の後方から円筒型の物体が勢いよく投げ込まれた。それが何かを視認するより早く、遠方より呼声が掛かった。


鷹音たかねくん! 目を塞いで!」


 澄んだ女性の声であった。

 少年は何ら疑問を挟む事なく、その指示に従い眼前を左腕で覆う。

 刹那、降り注ぐ雨粒すら撥ね退ける程に膨大な量の光が一帯を覆い尽くした。数瞬の間も置かずして黒竜の悲鳴にも似た声が響く。


 かつて世界の紛争地域で自衛隊がよく用いていたスタングレネードを改良して造られた代物だ。爆音が発されない代わりに、人がまともに目視してしまうと半日は何も見えなくなるほどの莫大な光量を備えている。

 閃光の圧力はおよそ十秒程度続き、暫くの間、世界を純白に染め上げた。

 光の奔流が収まった事を確認してから腕を下ろすと、苦しげに呻き声を上げる漆黒の竜の姿があった。あの爆発を目と鼻の先で食らったのだ、当分は視力が戻らないはずである。

 間を置かずして、少年の頭上から声が降ってきた。


「ゴメン、鷹音くん。遅くなっちゃった」


「……別に。あと三分くらいは戻ってこないと覚悟してたから」


 傍に建つビルの屋上から飛び降り、音も無く見事な着地を決めた湊波彩乃みなとなみあやのが悠々とした歩みで戻って来る。柔らかな笑みを浮かべる彩乃に対して、少年……筱川しのかわ鷹音たかねはぶっきらぼうに応じた。


支機官しきかんの人達は無事に戦闘区域から脱出できたの?」


「うん、バッチリ。鷹音くんが時間稼ぎしてくれたお陰だよ。お疲れさまっ」


「まだ任務は継続中だけどね」


 抑えた声で言葉を交わしながらも、鷹音は標的から意識を逸らしてはいない。集中力を維持したままに視線を隣に立つ彩乃へと向けた。

 温柔で、それでいて確固とした芯を心内に宿す凛とした女性であった。

 僅かに色素の薄い髪は肩口で切り揃えられており、豊かな艶を蓄えている。少し垂れ目気味の双眸からは優しさと温厚さが滲み、澄んだ瞳は見る者を否応なく魅了させる。


 一般的な視点から見れば間違いなく美人と称されるであろうその容貌は、今は少しばかり煤と雨に塗れてしまっていた。恐らく、彼女も彼女で別エリアにて戦闘を繰り広げたのだろう。左手には白銀に染まる細身の直剣が抜き身のままに提げられている。


「後続の機士は?」


「私と鷹音くんを含めた二〇人の内、一三人がシステムアウト。あとの五人が支機官の避難誘導に当たってる」


「となると、今コイツの相手ができるのは俺達二人だけな訳だけど」


「やれる?」


「決まってるよ」


 易々と頷き、鷹音は意識を最警戒モードに移行させる。そろそろ閃光手榴弾の影響が途切れる頃合いだ。


 一切の光を拒む漆黒の体躯に、唯一色を宿す真紅の双眸。それがあの異形、『神屍しかばね』に共通する特徴だ。


 あの神屍によって、人類は今も尚終わりの見えぬ戦いを強いられている。

 人類が神々に対する信仰心を失い、また神話に語られる神が本当に存在していると証明されたのが、今よりおよそ五〇年前になる。

 多くの人々から畏敬の念を向けられていた神たる存在は、人類が想像していた姿とは大いに異なっていた。

 黙示録や聖書から抜け出してきたような神々しさは微塵たりとも見られず、恐怖や悍ましさをそのまま体現したかのような化け物であったのだ。


 唐突に出現した後、瞬く間に蹂躙を開始した神屍に対して人類が為せる対抗策などあるはずもなく、たったの半世紀足らずで人間の住む領域はかつての四割にまで削られた。

 神屍の跋扈する地帯は『死廃領域ロストエリア』と名が付けられ、見るも無残な荒廃地域と化している。生身の人間が足を踏み入れれば、即座に神屍によって食い殺される末路を辿るだろう。


 だからこそ、自衛の手段として鷹音や彩乃のような戦闘者が存在し、こうして剣を振るい神屍と対峙しているのだ。

 他にも各地に点在する同業の人間は共に手を取り合い、また単独で行動し、人類と神屍の緩衝材として日々傷付きながら戦っている。

 ――と。

 油断なく神屍を見据える鷹音の傍らで、彩乃がおもむろに肩を竦めた。


「それにしても、まさかこんなところにまで来ちゃうなんてねぇ。とっくに廃れたこの国に来たところで、ロクな食べ物なんて無いはずなんだけどなぁ」


 その声色に緊張や恐怖といった感情は一切としてないように思える。相も変わらず穏やかな表情を浮かべながら、頭上に佇む漆黒の巨竜を見上げている。

 そんな彼女を横合いから眺めつつ、鷹音は一つ深いため息を吐いた。


「あのさ、彩乃さん……一応作戦行動中なんだし、もう少し緊張感持って任務に臨んでくれると助かる訳だけど。何だか俺の方まで気が抜ける。下手に攻撃受けて強制システムアウト食らっても知らないよ」


 しかし彼よりも幾許か背の高い女性機士は、その言葉を受けて緊張感を高めるどころか、寧ろ柔らかく微笑んで見せた。


「大丈夫だよ。だって私の大切なパートナーは、最強の機士って言われてるくらいスゴい人なんだもの。鷹音くんが一緒に戦ってくれていれば、私が傷付く事なんてあるはずないでしょ?」


 己の言葉に何の疑いの念も抱いていないかのように、純真で明るい笑み。

 そんな輝きを向けられた鷹音は、またもため息を吐き、苦笑と共に肩を竦める。

 肩に担いでいた愛刀、青鉄・水脈の柄を今一度握り直し、空を一閃するように勢い良く振り下ろす。

 雲間から僅かに顔を覗かせた月の光を受けて仄かに青い光を宿す太刀を一瞥し、そして固い意思を込めて空の敵を睨み上げた。

 挑発的に、笑う。


「そうかも、知れない」


 そして、昼下がりに森の中を散歩するかの如く一切の気負いが感じられない静かな足取りで雨中を闊歩する。


「まぁ少なくとも、相棒の背中ひとつ満足に守り切るくらいには、力を尽くしてみるよ」


 携える太刀の刀身が不敵に煌めく。

 低く唸る異形の黒竜を前にしても何ら臆する事なく、少年は圧倒的なまでの技術と自信を引っ提げ、真っ向から相対する。


 人と神の激突。

 この対立は、まさにその具現化だった。

 だがそこに、大昔に神話で語られていたような圧倒的実力差はない。

 非力だった人間は力を得、対して絶対だった神は地にまで堕ちた。


 神を屠るという極大の咎を背負いながらも、彼らは尚、刃を振るう。

 かつて見た、笑顔や歓喜が数多ひしめく人類の楽園を取り戻すために。


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