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第18話 魔獣の山②

複雑な地形が入り組む魔獣の生息地。


武道の体さばきを鍛えるのにもってこいの裏山を、ルーカスは疾風のごとく駆け抜けていた。


腰から黒い角がぶら下がり、先端から毒液が少しずつ滴っていたが、薬浴の恩恵を受けるルーカスが毒の影響を受けることはない。学園でポイントと交換できる貴重な素材であるため、なくさぬよう大切にぶら下げていた。


――ドンッ!


炸裂した拳威に豹の外見を持った魔獣は地に叩きつけられ、口から泡を噴き出していた。



2級魔獣――魔豹。


この魔獣の俊敏さと膂力は脅威であり、その毛皮は魔力を増幅させる特性を持つため、魔法のマントの素材として優れている。


魔導士であろうと捕獲するのが難しいこの魔獣だが、ルーカスの拳の前ではひとたまりもなかった。


「旨いな」


焚き火を囲みながらルーカスは呟く。



剥いだ魔豹の皮を下に敷き、座り心地の良さに満足しながらルーカスは魔獣の山で最初に仕留めた獲物の肉を齧っていた。


食事を終えたルーカスは、黒い角を魔豹の皮で包み、鬱蒼とした森の探索を再開した。


魔獣の山は数十万年の歴史を誇る。


昔、ここには数え切れないほどの上級魔獣が生息していた。


学園が設立されてから、周辺一帯の上級魔獣は殆ど駆逐された。そうでなければ、生徒の修行場として山が開放されることはなかっただろう。


疾走するルーカスは、数々の魔獣を目の当たりにした――怪しげな赤い光を瞳から放つコウモリ、不気味なほどの巨大な頭を持つネズミ——。


気味の悪い魔獣はそっとしておいて……


1時間も経たないうちに、ルーカスの体からさまざまな魔獣素材がぶら下る――どれも錬金術に役立つ貴重な材料だ。


「ここは…分かりやすくくらい魔獣が少なくなってきた」


しばらく進んだルーカスが足を止め、辺りを見渡す。


ここは、魔獣山脈の腹地。


異様なほどに辺りは静まり返っていた。


――ヴォォォォ……!ウォォォ―ン……!


静寂を裂くように、何かが蠢く音が遠くから響いてくる………


ルーカスはすぐさまに音の方向へ視線を向ける――距離はおよそ一キロ。


地面を蹴って矢のごとく疾走するルーカスは、数呼吸しないうちに100メートルを駆け抜けた。


少しして、とある山洞の入り口にルーカスは立っていた。


洞窟の中から響く音は、ここでは一層ハッキリと聞き取れた。


ガルルルルーッ、警戒するかのような急促な音——。


「俺を脅しているのか?」

笑みを浮かべてルーカスは中を覗いた。


やがて、洞窟の奥から別の音が響く——突如として激しい風が巻き起こった。

烈風と共に、馬の頭ほどある巨大な頭を二つ持つ狼が姿を現し、4つの青白い眼が鋭くルーカスを射抜く。


「へぇー…双頭魔狼デュオウルフェンもいるのか」


ルーカスの目が突如として輝いた――道理でこの辺りの魔獣が少ないわけだ。


双頭魔狼デュオウルフェン——6級に分類される魔獣。縄張り意識が強く、決して外敵の侵入を許さない。


――グワォォォン……!


対の狼頭。その左は凍てつく青に染まり、右のそれは橙の焔を宿していた。


二つの頭は揃って舌を吐き出し、ぎょろりと洞窟の闇から顔を覗かせる。

だが、巨大な胴体はなおも影の中に潜み、決してその全貌を明かそうとはしない――6級魔獣には知能があるのだ。


魔獣の知能は3級ごとに大きな隔たりがある――1~3級の魔獣は本能のままに動き、4~6級となると魔獣は思考を持つようになるのだ。


7級になれば高度な思考力を発揮できるようになる。

この双頭魔狼デュオウルフェンは6級の頂に到達しており、下級の魔獣とは比べ物にならないほど狡猾である。故に、この狼の魔獣は理解していた——目の前の小さな人間の力は、決して侮れぬものであり、自らの命を滅ぼすに足る脅威であると。


その事実に、双頭魔狼の瞳に不安が滲む。

|ガウッ、ガァァーッ、グルルルルルルルルーッ……《なぜ、この貧相な人間に、規格外の力が宿っているのか?……》

「俺を追い払いたいってわけか?」


笑みを浮かべるルーカスに「立ち去れ」と言わんばかりの威圧が向けられる。


「まずは拳で挨拶だ」


ルーカスは一歩前に踏み込み、拳を青色の狼頭に叩き込んだ。


道中で遭遇した最上級の魔獣は3級までだったが、こうして6級魔獣に出会えたのだ――格好の対戦相手となり得る相手をみすみす見逃したりはしない。


ルーカスの動きに反応した双頭魔狼が素早く動いた。

青色の狼頭が口を開き、青白い冷気を吐き出す――水と火、相反する2つの属性を併せ持つ珍しい魔獣だ。


――バキィン!

ルーカスは回避もせずに、そのまま拳を寒気の中に突っ込んだ。

たちまち拳の表面に薄氷が張る。

しかし、その強靭な力で氷をそのまま砕き、狼の頭に拳が直撃する。


――ヴァゥゥゥン……ッ!


身を捩じり苦痛に喘ぐ双頭魔狼へ、さらなる拳が振り下ろされる…


力では敵わぬと悟った双頭魔狼は、たちまち橙の頭から炎の塊を噴き出した。


――ゴゥッ!


淡い青の炎が揺らめき、凄まじい高温が放たれた。


――ジューッ!


しかし、橙の頭が拳をまともに受けると、両方の頭が仰け反りかえり、狼の巨躯がじりじりと後退し始める。立て続けに打ち込まれた拳に魔獣の脳が揺ぐと、6級魔獣の知性を持つこの個体は悟った――この人間に敵わない、と。


――逃げなければならない。


深い巣穴へ戻り、この恐るべき敵から距離を取るのだ。


だが、逃がすつもりなどないルーカスは洞窟の入り口に立ち、両拳を軽く握り締めると左の拳は冷たい青、右の拳は燃え立つ橙に変わり、強大なエネルギーが周囲を渦巻いた。


そして、数秒経って拳が元に戻る。


「アッハハ、逃がさないぞ」


ルーカスの胸が高鳴る。こんなに熱くなれる戦いは久しぶりだった。


小柄な体が、一瞬で大きな洞窟の奥へとバネのように飛び込んだむ。


洞窟の内部は広大だった。


全速で逃げる双頭魔狼。


しかし、ルーカスのほうが速かった。追いつくや否や、人の腕ほど太い狼尾を掴み、ルーカスは魔狼を一気に引っ張ると、巨大な狼の体は、折り畳まれるように寄せられた。


――グルルル……!


二つの狼頭が必死に威嚇音を発し、極寒の霧と青い豪火が吹き出される。


双頭魔狼。その皮は厚くて強靭で防御は申し分なく、氷の霧と火炎による遠距離攻撃を得意としていたため、7級の魔導士ですら油断できない相手だったが――ルーカスの前では、この程度の強さは意味を成さなかった。


寒気と炎を軽くかわしながら、ルーカスは容赦なく拳を叩き込んだ。


強靭なはずの皮が、悲鳴を上げるように裂かれ、血が垂れる。


――ガウッ、ガゥーーッ!


地に伏し、苦悶の声を上げる魔狼は執念深く、一撃を与えようと足掻く――

「ハハッ、武道って楽しいもんだな!」

ルーカスは声を上げて笑った。


これほどの魔獣と、ここまで戦えるとは――心地が良い。


余裕の表情を浮かべる小さな人間。


それを己への侮辱と捉え、怒りの炎を燃やしながら魔狼が暴れ狂う。


――ヒュォォォー!

――ゴォォォォー!


冷気と炎が洞窟の隅々まで吹き荒れるも、小さな標的はそれを難なく躱した。


洞窟内の激突が、山を揺るがすように轟く。


尋常ならざる地響きに怯え、恐れおののいた山の下級魔獣たちは身を伏せる。


全長4メートルをゆうに超える巨躯の魔狼が巣食うこの山も、ルーカスにとっては広めの"修行場"に過ぎなかった。


そして、1時間に及ぶ戦いが終わりを迎える――洞窟の壁には焼け跡と氷が残り、激闘の余韻を物語っていた。


最後の力を振り絞り、魔狼は襲いかかったが――ルーカスは無傷のまま佇んでいた。



床一面に散乱する狼の抜け毛が、無情な現実を突きつけていた。


魔狼の毛は、ただの抜け滓にあらず――マント素材として重宝され、学園内でも高値で取引されるのだ。


「持ち帰れば、すごいポイントが手に入るな」


ルーカスはわずかに口角を上げた。


夜風が頬を撫で、戦いの疲れさえ心地よく感じられた。


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