神が創りたる世界で迷える人々は、神さまにお祈りしまくりました。
かみさま。かみさま。
どうか。どうか。
神さまは、姿を見せようとしません。
人々は、それならお人形でもこしらえますかって作りまくりましたとさ。
その考えは、へんてこです。
せっかく祈りまくった神さまを、置き換えちまってはね。
それから迷える人々は、お人形に
縋れるくらいなら、迷ってるふりはやめなさいよ。
お人形があるので、そこに落ち着いてもらって、がんばってみよう。
◇
人形の姿は形です。
祈りは形ではありません。
祈りを捧げる対象の神さまも、形ではありません。
祈りは形ではないからこそ、神さまに直接届くのではないでしょうか。
しかし、形と祈りのコンビネーションを発揮して、見映えするのはとてもいいです。
それで、祈りさえすればいいのか、何を得られるのか、分かりますでしょうか。
祈りでは足りないことが分かる、これに気付かなければいけません。
◇
神さんは、自作の世界を自賛していらっしゃいます。
我が作ながら、よくできた。
よし。よし。
それなのに人々は、不安を募らせてますけど。
それを全く意に介さず、神さんは次の作品のインスピレーションを探そうとしまっせ。
その考えは妥当でさ。
どうせなら前作と比べて、より良いものを作りたいのが神情ってもんです。
むしろ神さんからしたら、人々の作ったお
神さんは持てるすべてを投じて、世界を作ってくだすったんだから。
神作を担う役割を与えられただけで人々は存在意義がある、というのが神さんの思いなんでしょう。
◇
人々は神さまにインスピレーションを与えるため、祈るだけでも十分なのです。
さきほども申したコンビネーションを、より良いものにしましょう。
神さまと天と地の差がありますが、同様のことをして、お互いに影響し合う——
いいじゃありませんか。
そんな相互関係は理想でしかないとしても、行動は無価値ではないはずです。
ただし、世界は
神さまと人々の誤解が
誤解を解こうとして開口一番から、私たちは間違いを口に出してもすぐには気づけないものです。
心から世界が通じ合える神作に出会えると信じて、祈ります。
そしていつか形をなして、この旧作で迷作の世界を不朽の名作にできれば――
新たな誤解を恐れず、できることから始めます。