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#1


「ほら! 人口生命体の事件の時に会いましたよね!」


 モコはまるで旧友に再会したかのように、目を輝かせて話しかけてくる。

 ――だが、アルファは彼女のことを知らない。

 知らない、はずなのに。

 モコのその態度には、一片の疑いも迷いも感じられなかった。

 何かしらの反応を示さなければ、ルナではないと勘付かれるかもしれない。

 アルファは一瞬の間を置き、申し訳なさそうに眉を下げた。


「……ごめん……薄井モコさん。ボク、記憶の一部が抜けてるんだよね」


 記憶喪失。それが、アルファにとって最も辻褄の合う言い訳だった。

 モコは眼鏡の奥の目を大きく見開き、驚いたように言葉を詰まらせる。


「えっ……それって、どういうこと?」


「この前の事件のショックで、その前後の記憶が曖昧なんだ」


「……そうですか。私が知らない所でルナちゃんがそんな思いをしていたなんて……気の毒ですね」


 アルファは、思わずモコの表情を伺った。

 驚きこそしたものの、疑う様子はない。

 それどころか、まるで当たり前のことのように受け入れていた。


 ――ハルとは随分違う。


 人によってこんなにも反応が違うものなのか。

 アルファは戸惑いを覚えた。

 モコは静かに微笑みながら言う。


「記憶喪失だなんて、普通は信じがたいことなのに……疑わないんだね」


「友達の言うことですよ。信じるに決まってるじゃないですか」


 モコは穏やかに微笑みながら、肩のカバンを持ち直した。


「……もしかして、嘘ですか?」


 アルファの動きが止まる。AI頭脳は即座に適切な返答を計算したはずなのに、なぜか言葉が出てこなかった。


「そっ……そんなわけないよ!」


 慌てて言い返したものの、自分でも不自然だと思った。


「……なんて、冗談ですよ」


 モコはクスッと笑う。

 真面目そうな見た目をしているのに、こういう茶目っ気のあることを言うのか。その無邪気さが、逆にアルファの胸を締め付ける。

 病院の廊下の鏡に映る自分のルナの顔は一緒になって笑っている。

 だが、ルナになりすますための嘘を重ねるたびに、心の奥底に罪悪感が澱のように積もっていた。


 しばらく二人で笑ったのち、モコがふと何かを思い出したように声を弾ませた。


「そうだ! せっかくこうしてまた会えたんです! どこかでお話ししませんか?」


「ごめん、誘ってくれたのは嬉しいんだけど……今からママと三英霊園にパパのお墓参りに行く約束してるんだ」


「――三英霊園……?」


 モコの表情が一瞬、わずかに曇った。

 辺りを見渡すモコ。廊下の奥では、看護師が誰かと話している声が聞こえるだけだと分かり、誰にも聞かれないような小さな声でアルファに耳打ちした。


「そこには、近づかない方がいいと思います」


「えっ? どうして?」


「最近、三英霊園の近くで物騒な輩を見た、って。行きつけのカフェのマスターが言っていたんですよね……」


 モコは指先で眼鏡のフレームを軽く押し上げながら、不安げな声で続けた。


「……なんか、私には人口生命体が現れた時のような嫌な予感がします」


 アルファは一瞬だけ考え込むふりをした後、ポケットからスマホを取り出した。


「……分かったよ。ママに連絡する」


 メッセージアプリを開き、母に行かないことを伝える。

 理由が理由なだけに、きっと納得してくれるだろう。


 画面を閉じ、スマホをスカートのポケットにしまうと、アルファはわざとらしく肩を落とした。


「……暇になっちゃったな……どうしよう?」


 ちらりとモコの方に視線を送る。

 "ルナらしさ" を意識して、少し甘えるような仕草をしてみせる。

 モコは苦笑しながら、やれやれといった調子で肩をすくめた。


「じゃあ、やっぱり私と遊びます?」


「うん! じゃあさっき言ってたカフェに行こうよ!」


「いいですよ。三英町にしてはレトロな感じの店で、私は結構気に入ってるんです」


「そうなんだ~! 記憶を失う前のボクが、どんな人だったのか知りたいな~」


 アルファはルナらしく軽く両手を合わせ、明るく振る舞う。

 そうして、モコの後を追うように歩き出した。


 その傍らで、アルファは密かにテレパシーシステムを起動し、沖永に連絡した。


〈マスター、聞こえますか? アルファです。三英霊園に、人口生命体が現れた可能性があります。マスターに現地調査をお願いしたいのですが。私は目撃者への聞き込み調査に向かいます〉


『分かった。すぐに向かう。今度こそ、この事件にケリをつけよう』


 通信が途絶える。

 病院の外に出たアルファは一度だけ、沈みゆく人工太陽の夕陽を仰ぎ見た。


 ――また、私は嘘をついてしまった。


 胸の奥が、軋むように痛む。

 それでも足を止めることはできない。

 ルナとして振る舞うことが、今の"正しい選択"なのだから。


――――


AlーPHA

Ver.3.0「ケミストリー・イン・アクション」


――――



 一方ハルは、家に帰る気力もなく、一人で街のベンチに座っていた。

 通り過ぎる人々が、ちらちらと彼女を見ている。

 ――イフ社の社長の娘が、こんなところで独りぼっち?

 そんなことを思っているのか、それとも、動物園のパンダを眺めるような好奇心で見ているのか。

 彼らの視線などどうでもよかった。

 ハルは、小学生の頃以来の"ひとり"に、精神的に追い詰められていた。


「……ルナは、あたしにたくさんの友達を連れてきてくれた。でも、ルナがいなくなった今のあたしは……またひとりぼっちじゃない……」


 思わず、独り言がこぼれる。

 そのとき、不意に声をかけられた。


「よお、ハルじゃん。最近見ないと思ったら、こんなとこにいたのか」


 顔を上げると、そこにいたのは 枯木コウダイ(かれきこうだい)と、その取り巻きの 江原 (えはら)と 黒田(くろだ)だった。


(……最悪だわ)


 ハルは小さく舌打ちする。


 枯木は、クラスの中でも"人を見下している"のが態度に出ているタイプだった。

 野球部のエースという肩書きと、ルナと親しかったクモの彼氏という立場もあり、教室ではそれなりに発言力がある。

 だが、ハルにとっては 「関わりたくない人間」 そのものだった。

 そんな彼が、妙に馴れ馴れしい口調で続ける。


「なぁなぁ、気晴らしに俺たちと遊ばねぇか」


「え……?」


「社長の娘のハルが知らない楽しいこと、いっぱい知ってるからよ」


「どうせ学校も最近サボってんだし暇っしょ?」


 三人ともナンパのような軽い口調。

 枯木に至っては、クモという恋人がいるにもかかわらず、この態度だ。

 ハルは我慢ならずに枯木に言い返した。


「あんたクモの彼氏でしょ。そんなことして怒られないの?」


「ハァ? 彼女持ちが女友達と遊んじゃダメなのかよ?」


「限度があるでしょ」


「お前、意外と嫉妬深いな?」


「はぁ!? どこがよ!」


「ははっ、何だよお前。まさか俺に惚れた?」


「勘違い男! 黙りなさいよ!」


「おっと怖ぇ~。クモにチクんなよ? まぁ、俺はどっちでもいいけど」


(……あぁ、本当に嫌な男なんですけど)


 ハルは "そんな誘いに乗るはずがない" と反射的に拒否しようとした。

 だが、そのとき、視界の端に 他校の女子高生グループ が映った。

 彼女たちは、楽しそうに笑い合いながら歩いていく。


 ――少し前までは、あたしもああだったのに。

 クモと、ウール、そして何よりも大切なルナと。

 バカみたいなことで笑って、何気ない日常を送っていた。


 だけど今は、違う。

 今のあたしは 独りぼっち だ。

 少しでも この"空っぽな時間"を埋めたかった。

 ハルは目を伏せ、ひとつ息をついたあと、何でもない素振りで言った。


「……仕方ないわね。たまには、あんたたち庶民の暇つぶしに付き合ってあげるとするわ」


 枯木がニヤリと笑う。


「そう来なくっちゃ! お前、案外ノリいいじゃん」


「つまんなかったら帰るから。せいぜい楽しませなさいよ」


 ハルは、 "自分が望んでこの選択をしたわけじゃない" と言い聞かせるように言い放つ。

 枯木たちと遊ぶことが、ルナを失った寂しさを埋める手段になるわけがない。

 けれど、"何もしない"でいるよりはマシだった。


 そうして、ハルは 孤独を紛らわせるための"代用品"を求めて、枯木たちについて行った。



 目的のカフェに着いたアルファとモコ。

 アルファは看板に記された店名をじっと見つめた。

 『Fire Bird』。まるで何度焼かれても蘇る不死鳥のような、そんな響き。カフェの名前としては珍しい……が、どこか力強さを感じる言葉だ。


「『Fire Bird』……不死鳥を意味する言葉をカフェの名前にするなんて、不思議だね」


「そうですね。言われてみれば、私も気にしたことはありませんでした」


 モコは少し首を傾げると、軽く硝子の引き戸に手をかけた。


「さぁ、中に入りましょう」


 カラン、と軽やかなベルの音が鳴る。

 店内に足を踏み入れた瞬間、アルファの嗅覚センサーがコーヒーの香りを検知した。それと同時に、一昔前の年代のロックミュージックの旋律が微かに流れてくる。


 人間であれば木の温もりを感じるようなカウンター、壁一面には古びたレコードが無造作に飾られていた。近未来の現代では廃れてしまったものたちがこの店には溢れていた。

 ステージの上には、今は誰もいないドラムセット――

そして、そのスツールには場違いなほど大きなクマのぬいぐるみがぐでっともたれかかっていた。


 アルファは思わず首を傾げる。


「……なんでクマ?」


「店のマスコットですよ。ライアンが拾ってきたらしいです」


 モコはクスッと笑った。


「二名さまですね……」


 不意に、アルファは視線を感じて振り向いた。


 そこにいたのは、小学生くらいの小柄な少女。長い黒髪を背中で結び、カフェのメイド服を纏っている。

――だが、年相応の幼さはどこにもなかった。

 その瞳には妙な落ち着きがあり、大人のような冷静さを宿していた。


「モコ、今日は友達を連れてきたんだ」


「そうなの。西波ルナちゃんって言うんだよ。仲良くしてあげてね」


「ムーンです。モコにはいつも、"子供扱いしないで" って言ってるんだけどね」


 ムーンは肩をすくめながら、軽く溜息をついた。アルファは思わず瞬きをする。


(……この子、なんだか不思議な雰囲気ですね)


「ムーン、モコが来たのか?」


 カウンターの奥から、低く渋い声が響いた。


 アルファがそちらに目をやると、カウンター越しにコーヒーを淹れている男がいた。

 無精髭に黒いジャケット、エプロンをつけてはいるが、どこかカフェのマスターというよりロックバンドの熟練ギタリストのような雰囲気だった。


「えぇ、それに今日はとびきり美人なお友達も一緒よ」


 ムーンが冗談めかして言うと、男はふっと微笑を浮かべる。


「そうか……なら、いつもより美味いコーヒーを淹れないとな」


 男は、カップにコーヒーを注ぎながら、ぼそりと呟いた。その所作には無駄がなく、熟練したバリスタの手つきだとアルファは感じた。


「……あなたが、この店のマスター?」


 アルファが問うと、男は少しだけ視線を上げた。


「ああ、俺がライアンだ。いらっしゃい」



つづく

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