イフアカデミアの昼休み、アルファはひとり屋上の端に座っていた。人工太陽が真上から照りつける中、彼女はスマホの画面に目を落とし、指を速く動かしては情報を探し続けていた。
クモとウールが屋上の扉を開けて、アルファに駆け寄った。
「ルナ、一緒に食べよ?」
とクモが明るくも少し不安そうな声で誘う。
しかし、アルファは答えなかった。ただ静かに画面を見つめる。数秒後、彼女はゆっくりと顔を上げ、短く返事をした。
「ごめん……今日は、一人でいたい」
その一言に、クモは少しだけ沈黙し、ポケットに手を突っ込むと、ぽんっとチョコバーを放った。
「ほい。ウチがいなくても、ちゃんと食べるんよ?」
「……ありがとう」
アルファが拾い上げると、クモは満足げに頷く。
「寂しさは、意外と空腹からくるものだ」
ウールがぽつりと呟き、クモは「それっぽいこと言うねぇ」と苦笑しながら去っていった。
彼女たちの気遣いは分かるが、アルファには余裕がなかった。
今朝のことで、なおさらハルのことが気がかりだ。正体がバレ、自分がルナとしての日常を送っている毎日に、彼女はとても傷ついている。そのことが、今は亡きルナに申し訳が立たなかった。
それでも、今できることをやらなければならない。イフ社のAIとして、自分の役割を果たすこと、それが唯一、今の自分にできる「正義」だと思っていた。
彼女は情報を探しに戻る。人口生命体の足取りを追うため、SNSを片っ端から検索する。しかし、"剣を使う人口生命体"に関する情報は一向に見つからない。授業中もスマホを遠隔操作しながら、調べてはいるのにだ。何度も何度も画面をスワイプしては、AI頭脳がぐるぐると回る。
突然、アルファは何かを閃いた。画面に手を伸ばして再検索をかける。「謎の生物」—このキーワードに、少しだけ希望を抱いて。
曖昧なワードだったため、関係のない投稿がずらっと現れたがその中から取捨選択をしていく。
しばらくして、目に留まった投稿が一つあった。
『昨日の深夜、ばーちゃんの墓参りに三英霊園に行ったら、謎の生物がいた。龍みたいだったけど、あれって何?』
目を凝らして読んだその言葉が、アルファの胸に小さな火を灯した。添付された映像はなかったが、「龍みたいな生物」という情報が新たな手がかりとなった。信憑性に欠けるかもしれないが、これは大きな収穫だ。
アルファはメッセージSNSアプリを開き、ルナの母にメッセージを送る。
『今日学校終わったら、この前約束したパパのお墓参りだけど一人で行くことにするよ。帰りは遅くなるけど、心配しないで。』
数秒後、すぐに返信が来た。
『あんな人通りの少ない場所に一人でだなんて行かせたら、パパに怒られちゃう。ママと一緒に行きましょうね。でも仕事が長引きそうだから、病院で待ち合わせしてもいい?』
相変わらずルナの母は過保護だ。以前のホークスの事件以来、その過保護さはさらに強まった気がする。アルファはそのことを理解している。しかし、ルナの母の過剰な心配は、時にアルファの行動を制限することになる。
アルファは深く息を吐き、スマホの画面を見つめながら考える。母親を巻き込んでまで危険な場所に行かせたくはない。だが、ルナの母は言っても引き下がることはないだろう。それがよく分かっている。
今日は、どうしても三英霊園で調査をしなければ。もしそこに人口生命体が現れたなら、戦闘用の姿に変わり、母を守る覚悟をアルファは決めた。
アルファは返事を打った。
『了解! 病院で待ってるね。』
送信ボタンを押した瞬間、アルファは一瞬だけ目を閉じた。
●
放課後、アルファはイフ総合病院の待合室にいた。ルナの母と会う約束のためだ。
待合室の奥の席に座り、スマートフォンの画面を見つめる。そこには戦闘用の変身アプリが映し出されていた。
沖永は、これを使って戦うことを望んでいない。しかし、人工生命体による被害をこれ以上見過ごすわけにはいかない。ルナのような犠牲者を、二度と出してはならない。
それがたとえ、産みの親を裏切り、糸杉社長たちイフ社の方針に従うことになったとしても。
三英霊園で、人工生命体第三号との戦闘が起こる可能性が高い。
アルファはAI頭脳で数千もの戦闘パターンをシミュレーションしようとした。
その時だった。
ガタンッ!
突如として響いた大きな音に、待合室の人々が一斉に振り向く。
アルファも反射的に立ち上がった。前方で何かが起きた。
二つ前の席で、小学生くらいの男の子が椅子からずり落ちるようにして床に倒れていた。
彼の体は小刻みに震え、肩を激しく上下させながら、荒い呼吸を繰り返している。
指先は痙攣し、顔色は青白い。目を見開いているものの、焦点が定まらず、どこか遠くをさまよっている。
「ひ……っ、く……ぅ、ぁ……!」
喉が詰まったような声が漏れる。喋ろうとしても息が足りないのか、言葉にならない。
必死に胸を押さえながら、酸素を求めるように浅く速い呼吸を繰り返していた。
——過呼吸発作。
それに気づいたのは、アルファよりも先に駆け寄った一人の少女だった。
「僕、大丈夫?」
彼女はルナと同じくらいの年齢だろうか。他校のブレザー制服を着た、ボーイッシュなショートヘアの少女。
眼鏡の奥の素朴な瞳が心配そうに男の子を見つめ、背中を優しくさすっている。
しかし男の子の症状はさらに悪化していた。
顔は青ざめ、息はますます浅くなり、今にも意識を失いそうな状態だった。
周囲の人々もただ事ではないと気づき、ざわめき始める。
「すいません、誰かお医者さんを呼んできてください!」
ボーイッシュ少女が、院内に響くほどの大声で呼びかけた。
近くにいた若い男性が駆け出し、医者を呼びに行く。だが、それを待つ余裕などない。
アルファは気づいた時には動いていた。
AI頭脳で最適解を導き出してから行動するはずの自分が考えるより先に、身体が反応していた。
「この子は私が助けます」
今、自分がルナの姿をしていることも、ルナの声で話していることも忘れていた。
西波ルナになりきれない自分や、人口生命体の問題や、沖永の想いさえも、今だけは関係ない。
今はただ、目の前の男の子を助けたい、それだけだった。
アルファは男の子の身体を軽々と抱き上げ、ソファに座らせる。
「私の手に合わせて、一緒に息を吸って、吐いてください」
アルファは手を前に出し、一定のリズムで上下させながら男の子の呼吸を誘導する。
「吸って……ゆっくり……そう……吐いて……」
隣では、ボーイッシュ少女が男の子の手を優しく握りしめ、声かけを続けている。
「怖くないよ、大丈夫。君は安全だよ」
——数分後。
男の子の呼吸は、徐々に落ち着きを取り戻していった。
しかし、不安が完全に消えたわけではない。男の子の目にはまだ、強い恐怖の色が残っていた。
「……母さんが……死んじゃう……」
男の子の唇が震え、言葉がこぼれ落ちる。
「人工生命体のせいで……」
アルファはその言葉に鋭く反応した。
「もしかして……あなたの母親は、人工生命体の被害で重症を負ったのですか?」
男の子は、怯えた様子で頷く。
「母さん……ずっと寝たきりで、目を覚まさない……。ここ数日が正念場だって、お医者さんたちが話してるのを聞いたんだ……」
また、守れなかった命があったのか。
医療用AIとして、救えなかった患者が、ここにもいる。
アルファが何も言えずにいると、ボーイッシュ少女が男の子を優しく抱きしめた。
「お母さんは、あなたのことを愛してる。だからきっと、元気になって帰ってくるよ」
「……本当に?」
「うん。親って、子供のためなら、どんな運命だって変えちゃうくらい強いんだよ。だから君も、お母さんのことを信じてあげなきゃ」
その言葉は綺麗事だった。
だが、その綺麗事を、本当にしてみたくなってしまうほどに、アルファには美しいものに見えた。アルファが分からなかった人間の心というものだろうか?
アルファには今自分のやるべきことが分かっていた。男の子の顔を認識し、データを検索する。そこから彼の母親の病室を割り当てることに成功した。
病室に行くため、立ち上がろうとすると、男の子が不安げに訊いた。
「お姉ちゃん、どこ行くの?」
「……ちょっとトイレ。すぐ戻ってくるから」
スカートの真ん中を押さえながら、アルファは病棟へと駆け出した。
重症患者治療室の前まで来たアルファは足を止めた。
監視カメラに侵入し、偽の映像を流す。
自動ドアが静かに開いた。
そこにいたのは、男の子の母親。
彼女は意識がなく、人工呼吸器をつけ、全身を包帯で巻かれたまま眠っている。
側にいる医療ロボットは、ただ延命措置を続けるだけ。
これでは、救うことはできない。
アルファは母親の前に立ち、瞳を金色に光らせた。
「私はあなたたち人類を救済する、自立思考型医療アンドロイド——」
ナノスーツの両手から光が溢れ、次々と医療道具が生成されていく。
「AlーPHA……」
ルナの声で放たれたその言葉は、異質ながらも、確かな覚悟に満ちていた。
●
その知らせは、病院内を瞬く間に駆け巡った。瀕死の重症だった男の子の母親が、奇跡的に意識を取り戻したのだ。
「ほら、君がお母さんを信じてあげたから、助かったんだよ」
ボーイッシュ少女が、優しく微笑みながら男の子に語りかける。男の子の表情は、先ほどまでの恐怖に満ちたものとは一変していた。まるで張り詰めていた糸が切れたかのように、安堵と喜びが滲んでいる。
アルファは少し離れた場所から、その光景を静かに見つめていた。胸の奥に、得体の知れない何かが広がっていくのを感じる。
(これが温かい……という気持ちなのでしょうか……)
すると、男の子がソファから勢いよく立ち上がり、アルファの元へと駆け寄ってきた。その小さな体が、まっすぐこちらへと向かってくる。
男の子はもじもじして、何か言いたそうだ。
「どうしたの?」
アルファは可愛らしく首を傾げながら訊いた。
アルファが我を忘れて行動したのは一時的なものだったのか、言動もルナらしいものに戻っていた。
「握手して」
「えっ?」
「母さんを治してくれたのお姉ちゃんなんでしょ?」
アルファは肯定も否定もしない素振りで笑顔だけを返した。
「僕、お姉ちゃんみたいな凄い人に初めて出会ったよ。まるでテレビのヒーローに助けてもらったみたいで、すごい嬉しくて」
「そう? じゃあボクなんかでよければ」
アルファは男の子に手を差し出した。男の子は両手でアルファの手を包み込むようにして握った。
「ありがとう」
男の子の声は、今にも涙をこぼしそうなほどに震えていた。しかし、それは悲しみの涙ではない。
男の子は、名残惜しそうにしながらも手を離すと、母親の病室へと駆けていった。その背中は、もう先ほどのような不安に押しつぶされてはいない。
アルファは、小さく息をつく。手のひらには、まだ男の子の36.5℃の体温が残っていた。
――そのとき、不意に腕を軽く叩かれた。
「……え?」
振り向くと、ボーイッシュ少女がそこに立っていた。
じっとこちらを見つめる瞳には、何か確信めいたものが宿っている。
「……やっぱり、ルナちゃんですね!」
アルファのAI頭脳が警戒モードを発動する。
「人が変わったみたいに雰囲気が違うから、最初は気づきませんでした……」
ボーイッシュ少女の声には、驚きと困惑、そして再会の喜びが滲んでいた。
だけどアルファはなんと言っていいのかわからずに、指先で頰を搔きながら目を逸らす。そんな曖昧な反応しか返せないアルファに、ボーイッシュ少女は不満そうに口を尖らせる。
「お忘れですか? 私、薄井モコですよ」
薄井モコ――その名前に、アルファのAI頭脳を検索をかけても答えはなかった。
ルナになりすます際、彼女の交友関係はすべて洗ったはずだったのにだ。
一難去ってまた一難のアルファはこの状況をどう切り抜けるのだろうか?
つづく