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#4

――二週間後。


 あれから人工生命体の出現はなく、表面的には三英町は平穏を保っていた。


 沖永とアルファは、医療用AIとしての本来の活動よりも、今や広告塔としての役割を果たすことの方が多かった。

 本日も、世界のメインプラットフォーム「スペチューブ」にて、アルファの性能を紹介する特番が配信されている。


「日々、アルファの性能はアップデートされ続けている。今日は君たちにその一部を披露しよう。――さぁ、命の授業の時間だ!」


 沖永の決め台詞とともに、アルファの最新機能が彼女の実演で紹介される。


 配信は瞬く間に視聴者の間で拡散され、人々はそれぞれの感情を抱きながら画面を見つめていた。


 歓声を上げる市民、賞賛のコメントが流れるスペチューブのチャット欄。


 だが、それを眺める人々の中には、違う反応を見せる者たちもいた。

 ルナの母は、コーヒーを飲みながら、どこか落ち着かない様子で画面を見つめる。

 ハルは無言でバーチャルビジョンのスイッチを切る。

 三人の戦士の像前の街頭ビジョンに、無精髭の男、人の良さそうな男、女子小学生くらいの少女が、懐疑的な視線を向けていた。ショッピングモールにいた三人組だ。


 アルファは三英町の希望の象徴となりつつあったが、全員がそう思っているわけではなかった。


 ――配信終了後。


 沖永のスマホに通信が入る。

 発信者を確認すると、彼はスタッフの目を避けるように人気のない場所へ歩いていった。


「アルファ、映像を出してくれ」


 指示を受け、アルファは目の奥から微細なホログラムの光を放つ。

 浮かび上がったのは、解剖班の男だった。


「何だい? まさかさっきの配信の俺に惚れちゃった? モテる男は辛いね……今は仕事中だから、告白は後にしてくれよ?」


 沖永は開口一番に軽いジョークを挟む。


「沖永博士、勘弁してくださいよ」と、解剖班の男はクスッと笑うが、その顔はすぐに真剣なものへと変わる。


「三英テック第三工場で死亡した警備員の検視結果が出ました」


 解剖班の男は、小さく息を吐き、重々しく報告を始める。


「監視カメラのデータは消去されており、犯人の姿は捉えられていません。ですが、遺体には剣状の武器による深い切創が確認されました。人工生命体が関与している可能性は極めて高いでしょう。さらに、トワイライトのロボットパーツがいくつか盗まれています。何者かがこれを使って、より大きな目的のために動いている可能性があります」


 通信が切れ、ホログラムが粒子状に消えていく。

 その瞬間――沖永の顔から、優雅な微笑みが消えた。


「……またか……」


 小さく呟いたその声は震えていた。

 爪が食い込み、皮膚が白くなるほどに拳を握りしめる。


「……ふざけるな……っ!」


 怒りに震える拳が、壁を殴りつけた。

 足元に落ちたナノテクのカケラが、張り詰めた空気を象徴するように静かに転がる。

 しかし、崩れたナノテクは即座に修復された。


「こんなことで……こんなくだらないことで、俺の計画が狂わされるのか……!」


 視界が揺れた。

 荒い息を吐き、壁に寄りかかる。


「俺には時間がないんだよ!!」


 低く絞り出した声が、僅かに震えていた。

 スタッフたちが遠巻きにこちらを見ていることに気づき、沖永は一瞬で表情を取り繕う。

 しかし、その動揺を完全に消し去ることはできなかった。


 優秀な青年博士――それが世間の沖永レイ像だった。

 だが、今の彼は、そのイメージからあまりにもかけ離れている。


 そんな彼の姿を見つめていたアルファが、静かに計測を開始する。

 脈拍、呼吸数、ストレスレベル――異常値。

 彼女の演算回路が、"最適な言葉" を選び始める。


〈……マスター、糸杉社長は先日、自衛隊に、人工生命体の攻撃をすり抜けない兵器の開発を依頼したと言っていましたね〉


 沖永は顔を上げる。


〈戦闘AIとしての私の役割が終わる日も、そう遠くないのでは?〉


「……」


 沖永はしばし沈黙し、目を伏せる。

 唇を噛みしめ、拳をゆっくりと開いた。


「……あぁ」


 かすれた声で、それだけを返す。


「アルファ……お前は、医療用AIだ。それは……変わらないはずなんだ……」


 そう呟きながらも、その声には迷いがにじむ。

 そして数秒の間を置いた後、低く押し殺した声で言い放った。


「だから……余計なことを考えるな」


 アルファは、沖永の表情を読み取ろうとするように、一瞬だけ目を光らせた。

 彼が口にする"医療AI"という言葉に、どこか空虚な響きを感じた。


 それでも、アルファはそっと微笑む。

 今の彼に必要なのは、合理的な分析よりも、"救済" なのかもしれない。


〈マスターが私を、医療用AIとして大切に思ってくれて嬉しいです〉


「……そうか」


 短く答える。

 だが、沖永はそのまま目を逸らした。


「それなら……その役割を果たせ」


 その声はどこか狂気に満ちていた。



 三英町の片隅。地下へと続く狭い階段を降りると、ひっそりとしたバンドカフェがある。

 店名は『Fire Bird』。壁にかけられた色褪せたネオンサインと、店頭に置かれたコーヒーのポスターがなければ、カフェとは分かりにくい。この街にしては滅多に見ない古びた硝子の引き戸を開けると、微かに焦げたコーヒーの香りと、弦を弾くかすかな音が迎えた。


 店の奥、ソファに腰掛けてギターを奏でているのは、アルファに懐疑的な目を向けていた無精髭の男だった。彼の名は"ライアン"という。

 愛機であるファイヤーバードを膝に抱え、指先でゆっくりとアルペジオを紡いでいた。曲はTHE BEATLESの『Let It Be』。アンプには繋がず、生音だけが静かに響く。


「ライアン、アンプ使わんのか?」


 スマホをいじっていた人の良さそうな男こと、"ピーター"が不思議そうに問いかける。


「……あぁ、ムーンを起こしちゃ悪いからな」


 ライアンは、隣のソファで丸くなって寝息を立てている少女、ムーンの頭を、優しく撫でた。


「そんなことより、お前……イヤホンから音ダダ漏れしてるぞ。他人の趣味に口出しする気はないが、ムーンが起きたらまたドン引きされるぞ」


「あかん!」


 ピーターは慌ててスマホを操作し、画面を暗くする。ちらりと見えたのは、美少女剣士が戦うゲームの画面だった。


 その時――ピーターのスマホが振動した。

 着信を確認し、彼は少し顔をしかめる。


「……あの人からや」


 短く呟き、ライアンにスマホを差し出す。

 ライアンは無言で受け取り、低く抑えた声で応じた。


「どうしてこの番号を知ってる……?」


 だが、電話の主は臆することなく、余裕を持った声で返す。


「私の情報網を舐めてもらっちゃ困るねぇ」


 静かながらも威圧感のある声、イフ社のトップ、糸杉社長だった。


「電話番号だけじゃない。君たちが今、どこで何をしているかも、私には把握済みだよ」


「……なるほど。あんたも随分なりふり構わなくなったな」


「それほど切羽詰まっているということさ。――さて、本題に入ろうか。最近、世間を騒がせた人工生命体のことだが……公表はしていないが、奴らはすでにあれから二度、現れている」


 ライアンは無言で聞いていたが、ピーターは息をのむ。


「現在、人工生命体に対応できるのはアルファだけ。だが、君たちも適合者だ。“第二世代”である君たちならば、人口生命体の攻撃を貫通できる。アルファだけでは、いずれ限界が来る。――手を貸してほしい」


「これは頼み事か? それとも命令か?」


「頼み事だよ。仮にも私はイフ社の社長という立場だ。そんな人間が強要行為だなんて、するはずがないだろう?」


「……じゃあ、はっきり言わせてもらう。俺たちはあんたらとは組まない。諦めるんだな」


「またそうやって目の前の問題から逃げるのかい?」


「違う……俺たちはただ、“普通の人生”を生きたいだけだ」


 沈黙が流れる。

 そして、糸杉は静かに笑った。


「"普通"か。皮肉なものだな」


 その一言に、ライアンの表情が険しくなる。


「君たちにとっての普通とは、一体何なんだ?」


 ライアンは答えない。答えたくなかった。だが、糸杉は容赦なく言葉を続ける。


「“人間”としての普通か? それとも、“AI”としての普通か? ……どちらでもないなら、それはただの幽霊だよ」


 ライアンは舌打ちだけ返す。


「まあ、いいさ。亡霊のままでいたいなら、それも君たちの自由だ」


「……」


「ただし――AIが人間の真似事をするなら、その"義務"も果たさなくちゃならん」


「……クソ、相変わらず言葉遊びが上手いな、社長さんよ」


「よく考えてくれたまえ」


 糸杉はそう言い残し、通話を切った。


 スピーカーで会話を聞いていたピーターが、肩をすくめる。


「今更、イフ社と関わりたくないわな」


「あぁ、俺たちの気も知らないでな」


 ライアンは苛立ちを押し殺すように、右手の革のグローブを外す。

 その手は、銀色に鈍く光るメタルアーム。

 ポケットからタバコを取り出し、火をつける。彼が自分の気持ちを落ち着かせるための癖だ。

 ライアンには、タバコの味を感じるための味覚がない。

 それが、彼が完全な人間ではないことの、何よりの証拠だった。



 薄暗い部屋の中、ハルは鏡の前で無言のまま制服に袖を通していく。

 下着姿のまま、セーラー服のスカートを手に取り、恐る恐る足を通す。

 ぎこちない動作で上着を羽織り、チャックを締める。胸元のリボンを結びながら、指先が微かに震えた。


(こんなに落ち着かないものだったっけ……)


 着慣れたはずのイフアカデミアの制服。しかし、一週間ぶりに袖を通すと、まるで自分のものではないような違和感を覚える。


 部屋の隅に置かれたスマホが光る。

 ルナのアカウントから、アルファからのメッセージが、いくつも届いている。

 未読のまま、通知の一覧を見つめる。

 既読をつけることすら、今のハルには耐えられなかった。


 ――昨夜、父から電話があった。


「ハル、もういい加減にするんだ。社長の娘が不登校なんて、笑い話にもならないよ。友達と喧嘩したくらいでしょうもないじゃないか。明日はちゃんと学校に行くんだよ」


 父の声は、昔とは違っていた。

 かつては優しかったその響きは、今では冷たい命令の音にしか聞こえない。

 母が亡くなってからの父は、娘としての自分を見ていない。

 ただの"後継者"としてしか扱っていない。


(笑い話にならない? そうだね、だって"ルナ"は今日も元気に生きてるもんね……!)


 心の中でそう呟いてみても、口に出すことはできなかった。

 ため息をつき、ハルはスマホの画面を消した。


 校門の前。久々に訪れたはずの学校は、何も変わっていなかった。

 科学の進んだ近未来の校舎、登校する生徒たちの笑い声。

 けれど、ハルにとっては、もう別世界の光景のように感じられた。

 深く息を吸い込み、ゆっくりと校舎を見上げる。


「……無理」


 その瞬間、足がすくんだ。

 脳裏に焼き付いた光景が、鋭い棘のように蘇る。


《私はAlーPHA……あなた方人類を救済する医療型AIです》


 アルファが正体を明かした、あの瞬間のことだ。

 学校に行けば、"ルナ"がいる。

 けれど、それはハルの知っているルナではない。

 あの顔で、あの声で話すけれど、それは彼女じゃない。

 彼女に関わるすべての人間を騙し続ける"偽物"なのだ。

 そう考えただけで、アルファと関わるだけでルナへの今まで育んできた記憶や、彼女を失ってから気付いた尊い何かを全否定してしまうような気がした。


「……やっぱり行けないわ」


 踵を返し、ハルが足早に校門を離れようとした時だった。


「ハル、待って! 待って、ハル!」


 心臓が跳ねた。

 一瞬だけ、胸が熱くなる。なんて可愛らしい声なのだろう。その声を聞いただけで、手を伸ばし、抱きしめてしまいたくなる。

 けれど、すぐに現実に引き戻される。

 ハルは振り向かない。歩く速度を速める。


 呼び止めたのは、ルナじゃない。

 ルナの姿をした"何か"。ルナの声を模倣した"機械"。

 ――アルファだった。


「ハル、お願い……口きいてよ」


 アルファは目の前に立ちふさがり、困ったような顔をする。

 ハルの中で、愛おしさと憎しみが絡みつき、喉が焼けるように熱くなる。


(そうやって……AIのデータで分析した同情を誘う演技をしたら、仲直りできると思ってるんでしょ?)


 ハルは無言のまま、ハルは勢いよくアルファの肩を突き飛ばしていた。

 機械の体は生身のように感じた。思ったよりも、ずっと脆い。

 アルファの細い身体がバランスを崩し、後ろへよろめく。

 ハルは振り返らず、足早に去っていった。


 他の生徒たちが、遠巻きにこちらを見ていた。

 気づいているのか、いないのか。ハルは気にも留めなかった。


 アルファは、呆然と立ち尽くし追いかけなかった。

 校門の前に取り残されたまま、頭を抱える。


「……本当、最高の展開だね、ルナ……」


 アルファは皮肉混じりに呟いた。まるで死者であるルナに語りかけるように。


 この場に西波ルナがいれば。

 アルファは痛切に思った。ルナは人口生命体の事件のせいでもうこの世にはいない。

 彼女だったら、こんな時、ハルの心を救えるような言葉を発してくれるだろうにと。



つづく

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