イフ社の会議室では、重役たちによる定例会議が行われていた。
アルファも前回と同じく、沖永の秘書として大人びたルナの姿で参加している。
学校にはボイスチェンジャーを使い、ルナの母の声で連絡を入れているため、多少の遅刻は問題にならない。
そして今回も、糸杉社長は会議室に姿を見せず、パソコン越しのリモート参加だった。
議題は、アルファが、人口生命体第二号「ウォーターソルジャー」と交戦した件。
沖永を含む重役たちは、アルファが敵を討ち取ったと信じて疑わず、称賛の言葉を口々に並べていた。
「アルファを戦闘用に改造するという判断……糸杉社長のおかげですね」
「沖永くんの報告だと、一発殴っただけで勝負を決めたらしいじゃないか。驚いたよ」
「恐れ入ります。これで、ようやく彼女も医療AIとしての責務に戻れるといいんですけどね」
沖永は口元に笑みを浮かべた。
「いやいや、それはもったいない。医療だけではなく、防衛システムとしても十分優秀だ。これからはその方面での展開も考えたい」
重役のその言葉を聞いた瞬間、沖永は明らかに苛立った顔に変わる。そこには、いつもの好感の持てる雰囲気の面影は感じられなかった。
「辞めてくださいよっ! アルファには医療AIとして助けなければいけない人がいるんです!」
机をバンと叩きながら語気を荒げながらいう沖永。
その後に「世の中には病気や怪我で苦しんでいる人はたくさんいますから」と無理に付け足すようにいった。
重役たちも、その挙動に違和感を感じる。
「おかしいな。実におかしい」
「そうそう。我が社の利益のことを考えても、アルファを軍事利用しないなんてね」
「何がおかしいんですか? 俺は当たり前のことを言っただけですよ」
「沖永博士、あんたはアルファを戦闘用にせずに医療用に拘るのは、何か個人的な理由があるんじゃないか?」
「......そっ.....そんなことは」
重役たちの鋭い指摘に、沖永は何か言おうとするがその後の言葉が続かなかった。
「まぁまぁここはめでたい場なんだ。一先ず落ち着こう。その件はおいおい話そうじゃないか」
糸杉社長の一声でなんとかこの場は治った。だが、沖永も作り笑顔を見せるが、どこかに焦りを感じられた。
一方、アルファのAIが下した判断は違っていた。
ウォーターソルジャーは、死んでいない。
鳩尾に拳を叩き込んだ瞬間、奴の身体は液状化し、形を失った。消滅ではない。逃走したと考えるのが妥当だ。
それに、あれだけのファンネルを操る敵が、たった一撃で沈むだろうか?可能性は限りなく低い。
もし、ウォーターソルジャーがまだ生存しているのだとしたら。もし、あのファンネルが市街地に飛び交いでもしたら。
――早く報告しなければ。
アルファは手を挙げた。
「……あの」
会議室の空気が、わずかに変わる。
「また君かね」
鋭い視線を向けてきたのは、額が禿げ上がった重役だった。彼は以前新人秘書であるルナに厳しい意見を送ったのが記憶に新しい。目つきが鋭くなり、顔には露骨な苛立ちが浮かんでいる。まるで「せっかくの祝賀ムードを壊すな」と言わんばかりだ。
「話しなさい」
パソコンのスピーカーから、糸杉社長の声が響いた。彼の一言で、会議室が静まり返る。
アルファは口を開きかけたが、その瞬間、記憶回路の奥から、ハルの言葉が呼び起こされた。
『AIって思ったよりクズよ!』
脳内回路が一瞬、ノイズを発生させる。
自分の判断が間違っていたせいで、一人の少女に消えない傷を負わせた。
そして今、また間違えようとしているのではないか?
もし、ウォーターソルジャーはすでに死んでいて、ただの思い違いだったとしたら?
報告すべき否か。その葛藤の中で、アルファの口から思わず言葉がこぼれた。
「いえ……何でもありません」
糸杉社長が、少し間を置いてから尋ねた。
「西波くん。君は、また人口生命体が現れるのではと心配しているのか?」
「……いえ、私はそんな」
「心配しなくていい。監視用ドローンがこの街を見張っている。これまでのところ、やつらの影すら映っていない。それが、この街が平和である証拠だ」
「そうだよ、ルナ。もうすべて終わったんだ。人口生命体のことは忘れて、アルファは自分のやるべきことに専念すべきだよ」
沖永がやわらかく微笑む。しかし、その言葉はどこか沖永が自分自身を安心させるかのように言い聞かせているようだった。
アルファは無言で頷くしかなかった。だが、その演算回路の奥底で、確信にも似た違和感が渦巻いていた。
●
それは前日の深夜のことだった。三英テック第三工場。親会社であるイフ社の本社から数十キロ離れた工業地帯の一角に位置するこの施設では、ナノテク技術「トワイライト」を応用した最新型ロボットパーツが、無数のオートマトンによって組み立てられていた。
人工筋繊維が慎重に編み込まれ、ナノメタルの骨格が精密に溶接される。規則的な機械音が響く工場内には、人の気配はほとんどない。
静寂を破るように、工場の外を一人の警備員が巡回していた。欠伸を噛み殺しながら、相棒の球体型警備ロボットと共にゆっくりと歩く。この工場に生身の人間は彼一人しかいない。後はすべて機械任せだ。
突然、警備ロボットが低空で揺らぎ、そのまま落下した。
「……相棒?」
警備員は驚き、地面に転がったロボットを抱え上げる。
――応答なし。エネルギー残量ゼロ。あり得ない。ついさっきまで正常に動いていたはずだ。
異様な静寂に警備員は胸騒ぎがした。急いで工場に入る。
オートマトンの動作音が消えている。製造ラインが完全にストップしていた。いつもなら途切れることなく動き続けているはずの機械たちが、まるで時間が止まったかのように沈黙している。
足を止め、背筋に冷たいものが走るのを感じながら振り返る。
誰かいるのか?そう問いかける暇はなかった。
剣が空を裂く。次の瞬間、警備員の視界が揺れ、世界が傾いた。何が起きたのか、理解する間もなく、彼の意識は闇に沈んだ。
血の滴る剣を手にした者。山吹色の龍のような頭部、鋭い眼光が闇の中で光を放つ。長くしなる尾がゆっくりと揺れ、その先端には燃え盛る炎。
そいつは、静かに剣を振り払うと、地に落ちた警備員の亡骸を一瞥し、再び前を向いた。
近い将来奴はこう呼ばれることになる。
人口生命体第三号、「リュウゲイザー」と。
その影は、機械仕掛けの静寂の中に溶け込むように、ゆっくりと歩き出した。
●
アルファは遅刻して学校に到着した。ハルが自分の正体をバラしたのではないか、その可能性が頭をよぎり、クラスメイトの様子を注意深く観察する。しかし、彼らの反応はいつもと変わらない。
「あいつまた来てねーじゃん。もうこのまま不登校まっしぐらだね」
「もう1週間くらい経つよな」
そんな男子生徒たちの会話が耳に入る。もしやと思ったが、それはハルではなく違う生徒のことのようだ。少し気にはなるが、今はそれどころではない。それ以外に特に異変はなかった。
(……まだ、話してはいないみたいですね)
安堵しつつも、ハルはこちらに近寄ってはこないし、こちらから何かアクションを仕掛けて関係の修復するのも、更なるリスクだとアルファの中のAI頭脳が知らせていた。
イフアカデミア・医療学部の実技授業。実習室では、電子機器の動作音や生徒たちの小さな会話が静かに流れていた。生徒たちは二人一組になり、それぞれ「注射のシミュレーション」や「患者への応対のロールプレイ」に取り組んでいる。
アルファも、他の生徒と同じようにナース服に身を包み、注射器のレプリカを手にしながら相手役の女子生徒と向かい合っていた。
「……ルナ、急に上手くなったね」
相手役の女子生徒が感嘆の声を漏らす。
「手の動きに迷いがないし、注射の角度も完璧……ほんとアルファみたい」
アルファは微笑みながら「そんなことないよ」とだけ答え、次の手順へと進める。
だが、心の奥では別の考えが渦巻いていた。
(私としたことが、他のことに気を取られてしまいました……。今まで感情に左右されないはずだった私が、どうして)
授業中も、ハルのこと、そして人工生命体のことが頭から離れなかった。"ルナ"としての振る舞いを意識する余裕もなく、医療AIとしての能力を無意識に発揮してしまった。
思わずアルファは訊いた。
「ねぇ……そんなにアルファって凄いって思う?」
「えっ……そりゃ凄いでしょ。私たち医療従事者にとってアルファは希望そのものだよ」
「……そっか」
本当にそうなのだろうか、目の前のクラスメイトは医療AIとしてアルファの姿しか見ていないからそんなことが言えるのだ。もし、西波ルナとして犯した失敗を知ったらきっと"希望"なんて言葉を使ったことを後悔するだろう。
アルファがそんなことを考えていたら、終業のチャイムが鳴った。
更衣室へ向かう途中のことだった。二人の女子生徒が駆け寄ってきた。
赤みがかった茶色のポニーテールを揺らす、考えるより先に行動する体育会系のクモこと雲野サクラ(くものさくら)。長い癖毛が前髪とともに顔を覆い、どこか飄々としたウールこと宇留斗マユ(うるとまゆ)。ハルほどではないが、ルナは彼女たちとも親しい間柄だったようで、アルファにも何度か話しかけてきていた。
「ルナ、やっぱりナース服似合いすぎじゃん! 医療ドラマのヒロインかと思ったよ!」
クモはアルファが着ているナース服のスカートのあたりを軽く摘みながら言う。
「こんなに可愛いと、ウチだったら医療ミスしても許しちゃうわ!」
「命に関わる問題だから、それはマズイ」
ウールがすかさず指摘する。
「二人とも冗談やめてよ〜」
アルファは適当に笑って流す。彼女には「可愛い」「似合う」と言われることが、どういう意味を持つのか分からなかった。"ルナ"として受け答えをしているだけで、それ以上の感情は存在しない。
イフアカデミアの医療学部の実技授業用ナース服は、ピンクのミニスカートワンピース。淡いピンクの布地が光を柔らかく反射し、フリルのついた袖が少女らしさを引き立てる。胸元にはワンポイントの十字ワッペンが飾られ、ナースキャップがルナの整った黒髪に映えていた。それはまるで、コスプレ衣装のように可愛らしく、それゆえに目を引いた。
すると、クモは楽しげな表情から一転し、真剣なものへと変わる。彼女がルナのナース姿を褒めたのは、これから話す本題の雰囲気を和らげるためだったのだろう。
「そんなことよりさ、なんで今日のルナはハルと一緒にいないの? いつも仲の良い二人が別々にいるなんて珍しくない?」
「ルナとハルが並んでないと違和感」
ウールも心配そうな目を向けてくる。
「ハルに聞いても、ウチらのことまで無視するし。ルナから聞かないと何も分からないままだよ」
アルファは、AI頭脳を回転させ、最適な返答を探した。
(ここでの正解は……どこまで話すべきなのでしょうか……)
一瞬、膨大な選択肢が浮かぶ。だが、どれを選んでも「ハルとルナの関係は変化してしまった」という事実は覆らない。
「……うん。ちょっと些細なことで喧嘩……? みたいになっちゃって」
「喧嘩……? それは見過ごせないよ!」
クモは強い正義感に満ちた目で、アルファの前に顔をぐいっと近づけた。
「仲直りは早いほうがいい。ウチ、今すぐハルを連れてくる!」
「クモ、それはやりすぎ」
今にも駆け出そうとするクモの腕を、ウールは掴んで淡々と制止する。
「喧嘩って言っても、そんな大したことじゃないから。そこまでしなくていいよ」
アルファの言葉に、クモは気落ちしたように首を左右に振る。上手いことはぐらかされた感じがして、気に入らないようだ。
「でも、二人が口を聞かなくなるくらいだから、大したことないわけないでしょ」
クモの声が強張る。
アルファはばつが悪そうな顔をして、まぶたをぱちぱちさせる演技をしながらいった。
「大丈夫。これは二人の問題だから、自分たちで解決するよ」
信じられない、という顔をクモはする。クモは何とか間を取りもちたいのか必死に続ける。
「こういうのは一人で抱え込むと拗れるんだって! ウチの持論では、喧嘩は三日以内に解決しないと、一生のわだかまりになる!」
そんなクモにウールは痺れを切らしたのか、肩に手を置き厳しい目でいった。
「崩れた砂の城は、下手に触るとさらに崩れる」
ウールが哲学的なことをいう時は、怖い時だとクモには分かっていた。
ウールの言葉の重さに、諦めたように肩を落とした。
「……分かった。ルナがそこまで言うなら、ウチらからは何もしない。でも、一人で抱え込めなくなったら、いつでも言ってね」
クモはアルファに小さく手を振った。ウールも小さく頷く。
「……ありがとう」
アルファはそう答えた。
ルナの“日常”を守るはずだった。だが、徐々に綻びが生じ始めている。
どれだけ"医療AIとしての評価"が高まったところで、"西波ルナとしての自分"は、崩れかけていた。それは、アルファにとって決して喜ばしいことではなかった。
一方、ハルは数メートル後ろから、その様子をじっと見ていた。
困ったような表情を浮かべながらも、ルナは美しかった。それがナノマスクで作られた偽物だとは、とても思えないほどに。
ハルは気づけば、自分の手を胸に当てていた。
ルナが可愛いと思ったことは、今までも何度もあった。
けれど、それとは違う。胸の奥に広がる、このざわつきはなんなのだろうか。
(バカみたい……あたし)
慌てて視線を逸らし、その感情を頭の中からかき消すように、早歩きでルナたちを追い越して更衣室へ向かった。
●
その夜、ハルは広々とした浴室の中で、湯に浸かりながら物思いに耽っていた。
プールのように広いジェットバス。泡風呂の白い泡が絶え間なく立ち昇り、静かな水音が室内に響く。まるで、全ての音をかき消してしまうような心地だった。
思い出すのは、ルナと親友になった日のこと。
七年前、小学五年生の冬――。
廃れた図書館の静寂。電子媒体が普及し、誰も見向きもしなくなった紙の本たち。今年いっぱいで廃館になると書かれた張り紙が、ひっそりと入り口に貼られていた。
奥のソファに並んで座り、ルナは楽しそうにアメコミをめくり、ハルは難しそうなSF小説を読んでいた。
それなりに打ち解けてきた頃だったが、ハルはまだどこかで意地を張っていた。ルナに対する「試し行動」のように、わざと突き放すようなことを言った。
「こんなインドアなあたしと遊んでても、つまんないでしょ。内心『こんなやつと友達になるんじゃなかった』って思ってるんじゃないの?」
ルナはページをめくる手を止めることなく、あっけらかんと答えた。
「そんなことないよ。ハルが隣にいるだけで、何だって楽しいよ」
その言葉が冗談ではないと、ハルはすぐに分かった。
「そ……そう」
それが精一杯の返事だった。
少しの沈黙の後、ハルは意を決して問いかけた。
「……どうして、あたしの友達になってくれたの?」
ルナはまるで考えるまでもなかったかのように、力強く言った。
「友達になるのに、理由なんているの? ただハルのことが好きだからに決まってるじゃん」
そして、にっこりと笑って続ける。
「それに、ボクたちもう親友でしょ!」
幼いながらも、まっすぐなその瞳。どんな理屈も通じないような、絶対的な確信に満ちた言葉。
ルナはルナなりの理由があったのかもしれない。けれど、その時のハルにとっては、十分すぎるほどだった。
それまで、誰もそんなふうに自分を肯定してくれたことはなかったから。
あの日の言葉が、どれだけ救いだったか。あの瞬間、ハルは初めて"居場所"を見つけたのかもしれない。
思い出の中のルナの笑顔が、泡の向こうで揺らめく。湯に沈めた指先をぎゅっと握りしめた。
湯気が静かに立ち昇る中、ハルはぽつりと呟く。
「ルナがいない今、初めて気づいた。あたしは……」
けれど、その先の言葉は口にできなかった。
友情よりももっと尊い感情。
それを認めてしまうと、何かの一線を超えてしまうような気がしたから。胸の奥に、苦いものが広がっていく。
そうして、ハルは静かに目を閉じた。
つづく