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#1


「なに言ってんの? どういうこと? 意味分かんないんだけど……」


 アルファの演じられた戸惑い混じりの声が、湿った空間に響く。

 こうなっては、徹底的にシラを切るしかなかった。

 本物の西波ルナは既に死んでいる。そんな残酷な真実を、彼女の親友に口が裂けても言えるわけがない。


「今日のハル……ちょっと変だよ。ボクもう行くね……」


 アルファはハルから一歩後ずさると、そのままスカートを翻し、地下水路の出口へと向かった。

 だが、ハルもこのまま行かせるわけにはいかない。

 とっさに手を伸ばしアルファの頬をつまむ。


「うぎっ!」


 素っ頓狂な声をあげ、アルファはわざと痛がる演技をする。実際、痛みなどあるはずもないのだが。


「ナノマスクじゃない……」


 ハルは引っ張っていた手を思わず離し、驚いた表情をみせる。触ると確かに生身の肌だったからだ。

 ナノマスクは指紋認証制で、使用者以外には剥がせない。ハルがその仕組みを知らないおかげで、なんとか正体が露見するのは免れた。

 だが疑いが完全に晴れたわけではなかった。


「分かった! 分かったから! じゃあ、今からボクが本物の西波ルナだって証明するよ!」


アルファはスカートのポケットにあるスマホに遠隔でアクセス。SNSアプリなどにある西波ルナの基本的なデータを引っ張り出した。


「誕生日は3月11日、皆既日食の日産まれ。身長163センチ、体重45キロ。好きな食べ物はラーメン。子供の頃は『シャイニングラブ』ってヒーロー番組が好きだった。ほら? これで信じてくれた?」


 これでどうだと言わんばかりの顔で、ハルの顔を見る。

 それに対し、彼女は眉を顰めていった。


「うぅん。そんな上っ面なことじゃ、まだ信じられない……。じゃあこっちから質問いい?」


「いいけど……」


「あたしとルナが初めて親友になった日のこと覚えてる? あたしにあの時言ってくれた言葉、今でも大切にしてるんだよ? 本物のルナなら答えられるよね?」


 即座に検索をかける。しかし、当然ながらそんな個人的な記録がネット上に残っているはずもない。


 アルファが返事をしないものだから、ハルはいつまでも彼女のことを見つめ立っていた。何らかの答えを聞かないことには引き下がらないから、という決意が漂っていた。


「ルナなら分かって当たり前でしょ? さぁ答えてよ!」


 ハルの追い打ちをかける言葉に、胸が軋むような感覚を覚えた。

 ——これが「胸が痛い」という感情なのか?ハルは信じたいのだ。目の前にいるのが、親友のルナだと。だが、その最後の希望を自分は今から裏切ることになる。

 アルファは小さく首を振ると、喉元のボイスチェンジャーのスイッチを切った。


〈マスター……申し訳ありません〉


 アルファは沖永とのテレパシーシステムを切断し、ハルにも聞こえる声でいう。その声は、ルナの可愛らしいものとはまるで違う。冷たく、無機質な女性の声だった。


「ま……まさか……あなた……?」


 ハルが後ずさる。声が震えていた。

 アルファはこめかみに指をかけ、ゆっくりと引く。

――パサリ。

 微かな衣擦れの音とともに、ルナの顔が剥がれ落ちる。

 ハルの瞳が、大きく揺れた。

 そこに現れたのは——白く光る、無機質な頭部。

 ルナの声で話し、ルナの仕草をしていたその存在は、首から下こそセーラー服を着た女子高生だった。しかし、頭だけが、冷たい金属の仮面だった。


〈私はAlーPHA……あなた方人類を救済する医療型AIです〉


ーーーー


AlーPHA

Ver.2.0「もう友達じゃない」


ーーーー


 アルファとハルは地下水路の出口へと歩いていた。

 ウォーターソルジャーによって破壊された通路は、ナノテクによってすっかり補修され、足元には一切の不便がなかった。だが、それでもこの場所に漂う湿った空気と、壁に残る水の滴る音が、二人の間に漂う緊張感を際立たせていた。


「人工生命体の事件が起きた後から、ずっとアルファがルナになりすましてたってこと?」


〈はい〉


「それで"本物"のルナは? あの子は今どうしてるの?」


〈それはお答え出来ない質問です〉


「答えられないって……あたしはルナの親友よ。早く会わせなさいよ」


〈それは出来ません〉


「出来ない? 嘘でしょ?」


〈……残念ながら事実です〉


 アルファは淡々と質問をかわしていくが、追い詰められていることに変わりはなかった。

 ——真実を言えば、最悪の事態になる。

 AI頭脳のフォーカスでハルを分析する。ここでルナが死んだと告げれば、ハルはどうなるか分からない。彼女が激昂する可能性は100%。崩れ落ちる可能性も100%。この場の状況が制御不能になる可能性も——100%。


 しかし、ハルも食い下がる。


「どうして? 何か理由があるなら言いなさいよ。あたしには知る権利があるわ!」


 その宝石のような碧い目には、怒りと、そして——必死の祈りが浮かんでいた。

 もう正体がバレてしまっている以上、ルナの死の真相にハルが辿り着くのも時間の問題だ。

 アルファは、通信回線を開く。


〈マスター、糸杉ハルに真実をお話ししてもよろしいでしょうか?〉


「誰と話してんのよ!」


 ハルは苛立ったように声を荒げるが、アルファは応えない。沖永の判断を待つ。


『……分かった。でも、ここではなくうちのラボに来てもらうことにしよう』


〈糸杉ハル、今から西波ルナに会わせてあげます。その代わり、これから何を見ても口外しないと約束してください〉


 ハルはしばらく黙って俯いた。拳を強く握りしめ、肩が小さく震えている。

 やがて、意を決したように、短く答えた。


「……分かったわ」


 アルファは再びナノマスクを装着しルナになり、地下水路の出口へと進む。

 人工太陽の光が三英町の街並みを照らしていた。



 イフ・タワーのラボに通されたアルファとハルを迎えたのは、いつもの白衣ではない私服姿の沖永だった。

 いつものように飄々とした態度は影を潜め、その表情には深い陰が差している。


「よく来てくれたね……こんな形で会いたくはなかったけど」


「挨拶なんかどうでもいいわ。本当にここにルナがいるの? あたしたち以外、誰もいないじゃないのよ」


 ハルは苛立ちを隠さず、鋭い視線で辺りを見渡す。ラボには研究機器が並び、壁際にはモニターがいくつも設置されている。だが、ルナらしき姿はどこにも見当たらなかった。


「いや……ルナはここにいる……」


 沖永は苦しげな顔で言うと、しばしの沈黙の後、静かに命じた。


「よし……プライバシーモードをオンにしろ」


 音声認識が作動し、低い電子音が鳴る。次の瞬間、壁が滑るように動き出し、分厚い強化ガラスが四方を囲む。ラボ全体が密閉され、外部との通信も完全に遮断された。


「ちょっとやりすぎじゃない? 別にルナに会うだけでどうしてここまでしなくちゃならないのよ」


〈いえ、これは必要な措置です。ご了承ください〉


 アルファが淡々と告げる。

 その様子に、ハルの胸に不吉な予感が広がる。


「ハル……君にとっては、これからかなりショッキングなものを見せてしまうことになる。それを先に謝らせてもらうよ」


「ショック……? やっぱりルナに何かあったのね……」


「冷凍カプセルをここに持ってきて」


 沖永が音声指示を出すと、ラボの奥で何かが作動する音がした。低く唸るような駆動音が静寂を裂く。

 足元の床が開き、地下から銀色のカプセルがせり上がる。機械仕掛けの動作音とともに、カプセルの上半分がスライドして開く。瞬間、白い冷気が噴き出した。

 そして——その中から、氷に閉ざされた西波ルナの遺体が現れた。


「何なのよ……これ……」


 ハルの声が震える。

 氷越しに見えるルナの顔は、まるで御伽話のお姫様のように眠っているかのようだ。だが、その肌は青白く、生気の欠片もない。


〈申し訳ありません。全て私の責任です〉


「ねぇ、今すぐこの氷を溶かしてルナを起こしなさいよ! これは社長の娘の命令よ!」


 今にも泣きそうになりながら、ハルは氷をガンガンと叩く。拳が赤くなるのも気にせず、必死にルナを呼ぶ。


「それは出来ない」


「出来ない? どうしてよ!」


「ルナは……西波ルナは、人工生命体第一号ホークスの事件に巻き込まれ、死亡した。もし冷凍を解除すれば、死体の腐敗は免れない」


「死んだ……嘘でしょ……ルナが死んだなんて……」


 大丈夫ですか、とアルファはハルに訊こうとした。だがそれが火に油を注ぐだけだと察知し、口を閉じた。ハルは右手で自分の口元を覆うと、呻き声を漏らしながら、その場に崩れた。


 沖永は静かにハルの肩に手を置き、彼女をゆっくりと立ち上がらせる。そして、強い決意を込めて告げた。


「安心してくれ……ルナは必ず生き返らせる」


「生き返らせる? そんなの無理に決まってんじゃない……ふざけたこと言わないで」


「無理じゃない。そうだろ、アルファ?」


〈えぇ。私のAI技術がアップデートすれば、充分可能性はあります。世界でも何十年も前から、死者の冷凍保存は行われています〉


 ハルはかすかに目を見開いた。

 それが都市伝説ではなく、実際に行われている技術であることは知っていた。

 だが——死者を蘇らせるなど、本当に可能なのか?

 なにしろ人類の長い歴史で一度もなし得なかったことなのだ。


「今の医療では死者を生き返らせる技術はない……だけどアルファなら、その奇跡を起こせるかもしれない。それまでの間、アルファがルナの代役になってもらうんだ。ハルにはそのサポートをお願いしたい。生き返ったルナのために——」


「……それっていつまで?」


「それは分からない」


「一か月? 一年? 三年? 下手したら何十年も待たないといけないんじゃないの? それまでずっと偽物のルナと一緒にいないといけないなんて、あたし……そんなの耐えられない!」


 パニックになり頭を抱えるハル。アルファも沖永も返す言葉がなかった。


「そうよ……全部アルファが悪いんだわ……ルナがアルファに出会わなければ、あの子はヒーローを目指したりなんかしなかったんだから……」


 涙を浮かべ、ハルはアルファを睨みつける。


「もしもイフ社の最新型医療AIが、死んだ女子高生になりすまして生活しているなんて知れ渡ったら、大問題になるわ。あんたなんかスクラップになればいいのよ」


「それは駄目だ。もしそんなことをすればルナが生き返らなくなるんだぞ」


〈マスターのおっしゃる通りです。今は落ち着くのが先決です。チョコレートはいかがですか?〉


 その言葉に、ハルの怒りが爆発する。

 ハルはアルファの鼻っ柱めがけて平手打ちした。ぱちんと乾いた音がする。

 その反動で、取り出したチョコが地面に転がった。

 アルファは顔を動かすこともなく、ただ目を瞬かせるだけだった。

 痛みはない。けれど、何かが軋んだ。もし、自分が人間だったなら——今、涙を流しているのだろうか?そんなことを考えても意味はない。自分が感情により涙を流すなんてことは絶対にないのだから。


「いらないわよ! 偽物の癖に! その偽物のルナの顔を見るだけでイライラするわ!」


 ハルは沖永にプライバシーモードの解除を要求し、ラボを後にする。

 扉を出たハルを、アルファは追いかける。


〈お待ち下さい、まだお話は終わって――〉


「ついてこないで!」


 ハルは後ろを振り返らずに叫んだ。


「AIって思ったよりクズよ! 人の親友の死を隠すだけじゃなく、成りすまして小馬鹿にするなんて! ねぇ、あんたは楽しかった? 面白かった? それがどれだけあたしを傷つけたのか分からなかったのよね!?」


 それは違います、そうアルファが言おうとしたが、ハルは先程の怒りから一転、急にしおらしい涙声になる。


「……っ! なんでよ……なんでこんなことになったのよ……」


 アルファはハルの去っていく背中を追うことが出来なかった。



『あなたと共に未来を創る街、ここは三英町。イフ社はこの街で暮らす人々の……』


 三英町のショッピングモールの巨大ビジョンでは相変わらずイフ社のCMが流されていた。


 歳は三十代くらいだろうか、アメリカの軍隊が着用していたジャケットを羽織り、無精髭を生やした気怠そうな顔をした男がそれを見つめていた。


 無精髭の男は上着のポケットから煙草を取り出し、一本口にくわえて火をつけた。その右手にだけ不自然に黒い革のグローブがはめられていた。


 しかし煙草を楽しむ暇もなく、無機質な声が響いた。イフ社の警備ロボットだ。


〈三英町は禁煙です。罰金のお支払いをお願いします〉


「……あいよ」


 無精髭の男は一瞬、舌打ちしそうになる。

 ——相変わらず、管理の行き届いた街だ。

 仕方なく煙草を携帯灰皿に押し付け、渋々スマホで罰金を支払う。


 その時、前方から手を振る二人の姿があった。

 二十代くらいの、どこか人の良さそうな男。そして、まだ小学生くらいの少女。

 男は両手に買い物袋を抱え、満足げに笑っている。その態度から三人が親しい関係であることが見てとれた。


「買い物終わったで」


 人の良さそうな男は流暢な関西弁でいった。


「あんがとな」


 無愛想に無精髭の男はいう。


「どうしたの? しけた面して」


 少女が不思議そうに首を傾げる。

 無精髭の男はふっと視線をそらし、もう一度ビジョンを見た。今度はイフ社の最新型医療AI、AlーPHAのプロモーションが流れていた。


「……生きづらい世の中になったよなって、ただそれだけさ」


 無精髭の男の目は濁った光だけが宿っていた。


つづく

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